四話 混ざり者
「……本当に、良かったの?」
「良かったも何も、あの子も、俺が素直に付いてくるとは思ってなかった筈だ。ダメで元々。今回はダメに天秤が傾いただけ。それに、何度も言ってるけど俺はもう、冒険者をやる気は無いんだよ」
少女含む3人組がやって来てから3日後。
彼女たちは、1週間を予定していた滞在期間よりも4日早く、暁亭を後にしていた。
理由は単純明快で、俺が彼女の懇願を拒絶したから。
〝死病〟の進行速度は、とても早い。
元々、こんなところで油を売ってる暇は無かったのだ。たとえどんな事があろうと、俺は同行する気は無い。と、俺が説得を続け、漸く3日目にして彼女が折れた。
残り4日分の宿泊費は、迷惑料だと言ってそのまま暁亭を彼女らが後にしたのが今から約半日前の話。
見慣れた入り口のドアをぼうっと眺めている最中、こうしてフェイリアさんに話しかけられていた。
「それに、今の俺に56層は無理だ」
実際問題、2年ものブランクがある俺が、56層に潜る事は不可能でしか無いと俺は確信を持っていた。
あそこは生半可な人間が生き残れる場所ではない。かつて足を踏み入れた人間だからこそ、他者よりもずっと、その実感があった。
だから、真っ当でしかない言い訳を重ねた。
「うん。56層がとても危険な場所って事は、あたしも知ってる。アーデルには死んでほしくない。だから、無理にいけと言うつもりなんてない」
フェイリアさんの兄は、かつて最強と謳われたパーティーのリーダーを務めていた男。
ダンジョンについての知識も、彼女は人並み以上に持っていた。故の言葉なのだろう。
「ただ……黙って見送る事はなかったんじゃない? って思ってさ」
ダンジョン攻略に手を貸せない事は兎も角、それ以外の部分で手を貸せる事は出来たのではないのかと。
「……やけに肩入れするね、フェイリアさん」
「そりゃあ、あんなに必死だと肩入れもしたくなるよ。それに、此処に訪れた理由が〝死病〟と聞いてしまったら、尚更にね」
言葉に詰まる。
俺も、フェイリアさん同様、〝死病〟には思うところがある人間だった。
というより、俺と今こうして会話をしているフェイリアさん自身が、かつて〝死病〟を患っていた人だった。
「……あの頃はパーティーがあった。最高のパーティーがあった。取りに行くには、あのレベルのパーティーが必要だ」
少なくとも、俺はあのレベルのパーティーでない限り、自殺行為だと思う側の人間だ。
……ただ、フェイリアさんの言う通り、だからといって解決策がないわけではない。
俺に限って言えば、限りなく無いに近いがゼロでは無かった。
冒険者として活動していた頃の知人や伝手を頼ってみれば、なんとかなる可能性は一応、残されてはいた。
「でも、アーデルならどうにかなるかもしれない、でしょ?」
その事を見透かされていたフェイリアさんから、指摘を受ける。
「……でも俺、人望ないからね。それに、4年も音信不通にしてたし」
冒険者の冒の字も見たく無いからと、ギルドに顔を出さないのは勿論、出来る限り誰とも関わらないようにと生きてきた。
だから、期待はし過ぎないでくれよと告げると、フェイリアさんもそこは分かっていたのか。
何かをしてくれるのなら、それだけで十分だよと言うように小さく笑んで反応を返してくれた。
「でもま、他でもないフェイリアさんの頼みだし、そこまで言うなら、ぶん殴られる事覚悟で知り合いを当たってみるとするかね」
「……ぶ、ぶん殴られるの?」
「そりゃま、あの頃は俺、フェイリアさんは知ってるだろうけど、かなり荒んでたし」
兎に角一人になりたかった。
誰も彼も、お前は悪くないと言ってくる。
俺だけが生き残って、逃がされたと言うのに。
だから尚更、周りからの厚意を全て切り捨ててでも一人になりたかった。
それもあって、相当嫌われてるだろうし、ぶん殴られるどころの騒ぎじゃないかもしれない。
とはいえ。
「でも、力になれないって突き放した俺が言うべき言葉じゃないけど、ああいう子は嫌いじゃない。だから、仕方なくだけど、手を貸すのも吝かじゃないというか」
ぶん殴られる。
と言ってから、すっかり及び腰になってしまったフェイリアさんを気遣うように、言葉を付け足す。とはいえ、その言葉は取り繕いでもなく本音であった。
無謀だと、そう言った。
死ぬだけだと、そう言い切った。
あんたらに56層は、辿り着くことすら叶わないと、そう言い放った。
けれど、少女の目は変わらなかった。
確固たる意志を湛える瞳は、怯えに染まる事も、恐怖する事もなく、ただ不退転の覚悟に似た感情だけが秘めていた。
きっとあの少女は、姉を助ける為であれば、死地にすら向かうのだろう。
それをバカな奴とは思わない。
でも、救えない奴だなと思った。
何故なら、その行為で自身の姉が心を痛める事に成り得るという考えが、少女の頭の中には存在すらしていないのだから。
そんな事を思っていた時だった。
——カラン。
不意に、乾いた鈴の音が鳴った。
来訪を知らせる鈴の音。
ゆっくりと開かれ始めたドアからは、不快感を催す喧騒が俺の鼓膜を揺らした。
「きったない宿だなぁ? おい」
身なりからして、貴族と思しき男性が嫌悪に顔を歪めながら嘲った声音で、そう言い放った。
貴族といえど、千差万別。
あの少女のように節度をわきまえた貴族もいれば、このようにふんぞり返ったような態度を貫く貴族もいる。
とはいえ、慣れたものだった。
「いらっしゃいませー」
変に突っかかると、面倒事に発展してしまう。
だから俺は、出来る限り冷静に努めて、いつも通りに振る舞うのだ。
今も。これからも。
俺の日常風景は、これで良い。
これが、正しい姿だ。
フェイリアさんは、俺には冒険者が。
そう言っていたが、そんな事は決してない。
2度とあの場所には戻らないと、2年前、心にそう誓ったあの日から、俺の答えは変わらない。
* * * *
「これをあのお客様のところに配膳してくれる? それが終わり次第、アーデルも夕餉を取っていいよ」
「はいよー」
渡された食事は、少しだけ豪華なものだった。
そして指定された席は、ふんぞり返った態度で訪れたあの貴族達の場所であった。
取り巻きと思しき人物が3人ほど。
主人であろう男性のご機嫌をうかがい、なんやかんやと大声で盛り上がっている様子であった。
このタイプの貴族の話というものは、基本的に生理的に嫌悪を催すものが多い。
あえて自分から不快な気持ちにならなくても良いだろうと割り切り、いつもなら彼らの会話になぞ耳を傾ける筈もなかった。
でも、どうしてか。
今日に限って俺は、彼らの会話に耳を傾けてしまった。
「にしても、見たか? あの小娘の様を」
誰かの話をしているらしい。
彼らにとっては、笑い話のようであった。
「アーデル・レヴィンなんて、過去の人間を探しにこんなボロ屋にまで足を運ぶとは、殊勝な奴だよな!! まぁ、冒険者を雇えないあの小娘からすれば、苦肉の策だったのだろうが」
……冒険者を雇えない?
疑問に思う。
確かに俺がそう問い掛けた時、彼女はあからさまに言葉を濁していた。
金の問題でない事は明らかだった。
ただ、彼女の事を恐らく知っているであろう彼らの物言いは、決して何があっても雇う事は不可能と言っているようにしか聞こえなくて。
「……いくら公爵の血を継ぐ人間とはいえ、あの姉妹は所詮、混ざり者。公爵には悪いが、貴族の名誉の為、姉妹共々始末しなければならん」
ええ、その通りですとも。
護衛らしき者達が、主人だろう貴族の言葉に同意する。
……混ざり者とは、その名の通り、異種族と人間との間に生まれた混血の人間を指す。
ただそれは、血統を重んじる貴族の中ではタブー中のタブーであった。
平民の俺ですら知っている周知の事実であり、多くの貴族が忌避するもの。
冒険者が集うギルドの上層部に、顔がきく貴族の人間は多い。
だからこそ、そういう事であれば冒険者を雇いたくとも雇えないというあの様子は当然だったと今更ながらに思う。
「何か不測の事態があってはならないからと、この僕がわざわざこんな郊外にまで足を運び、動向を見張っていたせいで、あろう事かこんなボロ宿屋に寝泊まりをする羽目になったが……まあこんな日もたまにはあって良いだろう」
「ただ、あの小娘の死に様を見れないのが残念でなりませんがね」
「ああっ! そうだそうだ!! あの小娘といったら、僕の妄言を間に受けていた救いようのない馬鹿だからな!! 56層に〝ひと咲きの花〟だぁ? あるわけないだろうがそんなもの!!! く、くはっ、くははははははッ!!!」
誰かに向けられた嘲笑が、何度も、何度も木霊する。
初めから、その点が不審だった。
〝ひと咲きの花〟といえば、たった一房であっても、王国の一等地に屋敷が立つほどの値段で取引されている。
にもかかわらず、56層に見た。
なんて情報が回って来るはずがない。
それを確認出来るような人間は、そもそも命を賭けてでも採りに向かうだろう。
〝ひと咲きの花〟というものは、それほど希少価値の高いものであるから。
……ただ、貴族であれば、巨額を積んで得た情報の可能性もあった為、強く指摘する事は憚られた。
「ある筈もない〝ひと咲きの花〟を求めて、死に物狂いでたとえ56層にたどり着いたとしても、あの小娘共では帰ることすらままならんよ!!! 混ざり物の姉妹が!!! いい気味だ! ふはっ、ふははは!!」
ピシリ、と。
持っていた配膳のお盆に、亀裂が走った。
……どうにも、手に力を込め過ぎたらしい。
いけない、いけない。
お客様には笑顔、笑顔。
「————失礼します」
これ以上は聞くに堪えない。
そう言わんばかりに、無理矢理に俺は会話に割り込んでやった。
「……んぁ?」
笑いを遮られた事で嫌悪感をあらわす貴族の男性。けれど、俺は取り合う事もなく。
2年間の間に鍛えに鍛えた営業スマイルを浮かべながら、言葉を紡ぐ。
「今晩の夕餉となりま~す」
相手の返事すらも待たず、一方的に配膳をし、俺はその場を足早に離れて行く。
冒険者をやっていた頃の俺なら、その胸糞さ故に、反射的にぶん殴ってた気がするけど、笑顔でやり過ごすとは素晴らしい成長である。
自分で自分を褒め称えたい。
「……アーデル」
配膳を終えたと報告をしに、フェイリアさんの下に戻ると、なぜか名を呼ばれた。
「怖い顔をしてるよ」
「いやあ、元々こういう顔なんだよねえ」
「……またそうやって誤魔化す」
感情のこもらない声で、即座に返答をする。
だけど、フェイリアさんの表情は俺のその態度を見て、更に歪んでしまった。
……俺はもう、冒険者を辞めた身だ。
だから、関係のない話。
たとえ真似事であっても、冒険者だけはやらないと決めている。
それが、俺なりのケジメだから。
だから、お前に情はないのかと罵倒されようとも……変わらない。
あの少女が騙されていたとしても、関係はない。別に、恩も、義理も、何もない。
だから、関係ない。
気にするな。何も、なかった。
少しだけ、胸糞悪いが、部屋に戻ればすぐに収まる。あの貴族と顔を合わせさえしなければ、良いだけの話だ。
俺は無言で、夕餉を取らずに自室へ戻ろうと歩を進める。けれど、その行く先を1つの言葉によって阻まれた。
「アーデル」
フェイリアさんの言葉を無視するわけにはいかない。
早く食堂を後にしたい気持ちを押し殺し、俺はゆっくりと肩越しに振り向いた。
「そういえば、今日お帰りになられたお客様。お金を忘れて帰られてね。確か、4日分の宿泊代だった筈なんだけど」
「…………」
急に何を言いだすんだとばかりに、俺は返す言葉を見失う。
「アーデルが返してきてくれないかな」
「……だからフェイリアさん。俺はもう2度と」
冒険者の真似事すら、やるつもりは無いんだ。
そう言おうとしていたが、そう言葉が続く事はなく。
「あたしからの頼みであっても、ダメかな」
それはズルいだろと思った。
でも、本当にどうして見ず知らずの人間に対して、フェイリアさんはこうも、肩入れをするのだろうか。
それが分からなくて。
「……境遇が似てたから、なんだろうね。なんというか、放っておけなくて」
頭の中を覗きでもしたのか。
ピンポイントに、今俺が考えていた事に対しての答えがやって来る。
「あたしの兄も、あたしが〝死病〟に罹っちゃった直後なんか、あんな感じに自分の事なんか考えずに必死になってた。多分、だからなんだろうね。初対面の時も、何となく、無意識のうちに肩入れしちゃってたのは」
……確かに、その境遇は似ている気もする。
「冒険者をしろって言ってるわけじゃない。ただ、それでも伝える事くらいは出来るよね」
「……聞こえてたのか」
「アーデルは知ってるだろうけど、あたし、地獄耳なの」
知ってる。
そのせいで、幾度となく俺は怒られる羽目になってきたから。
「…………」
閉口。その後に、ため息を一度。
ダンジョンに潜るわけではない。
これはただ、偶々聞いてしまった胸糞悪い話を彼女に伝えに行くだけ。
ただ、それだけ。
自分にそう何度も言い聞かせる。
「わかっ、た。でも、首を突っ込むのは今回だけだ。冒険者やギルドには、本当にもう関わりたくもないんだ」
「うん。ありがとね」
きっと、フェイリアさんの事だから、何かを契機として俺が冒険者の道に戻るようになれば。
なんてお節介な事を考えているのだろうが、申し訳ないが、それだけはないと言えた。
過去にあった事の詳細は話している。
でも、実際に見た人間と、話を聞いただけの人間との認識の乖離は想像以上に凄まじい。
……そう思って尚、どんな些細な事であれ、前を向くきっかけになってくれれば。
心の底からそう思っているであろうフェイリアさんの表情を目にした途端に俺は毒気を抜かれた。
「気を付けてね、アーデル」




