一話 アーデル・レヴィン
世の中には〝天才〟と呼ばれる者たちが幾人か存在する。
そして、その限られた〝天才〟たちの中でも更に異端。
その〝天才〟すらも凌駕する〝神童〟と呼ばれる者が、いた。
かの者が表舞台へと姿を見せたのは、齢12の時。
丁度、〝学園〟と呼ばれる学び舎へ入学を果たした時であった。
聡明さは計り知れず、入学当時の時点で武芸に至っても生来のセンスや才能のみで4つ上の最上級生どころか教員とも渡り合っていたまごう事無き〝神童〟。
学園どころか、その声望は国中に知れ渡る事となっていた。
王立魔法学園に、前代未聞の〝神童〟現る、と。
次代を担う傑物として将来を嘱望されていた人物。
しかし、彼は王立魔法学園を卒業し、冒険者業に転身してから3年後。
突如として表舞台から姿を消した。
なれど、前代未聞の〝神童〟として周囲を騒がせた時が失われる事はなく、名だけが残り、かの〝神童〟は死んだと昨今は実しやかに囁かれる事となっていた。
その者の名を、アーデル・レヴィンと言った。
* * * *
「いらっしゃいませー」
カラン、と乾いた鈴の音がまずはじめに部屋に木霊し、郊外に位置する寂れた宿屋へとやって来た3人の旅人らしき団体客の来訪を知らせる。
すっかり板についた歓迎の言葉を、気怠さを隠す事なく述べながら、俺はカウンターにて立ち尽くしたままやって来た3人の団体客に視線を向けた。
ここの宿屋のオーナーであるのは俺ではなく、今しがた、忙しなく背後で歩き回っている女性————フェイリアさんだ。
今は宿屋で寝泊まりしていた既存の客への朝食作りに勤しんでおり、唯一の従業員であり、バイトでもある俺がカウンターにて新規のお客様の宿泊手続きを行う役割をこうして朝早くから押し付けられていた。
「えっと、何日のご宿泊でしょうか?」
いつも通り、慣れた様子で入り口で立ち止まった3人の客に向けて質問を投げかける。
ここの宿屋——暁亭は、外装はそれなりに年季の入った状態が前面に出されているものの、内装はオーナーであるフェイリアが綺麗好きな事もあってか、床に寝泊まりしても構わないと思える程度には清潔感が保たれている。
たまに居るのだ。
外装と内装の温度差に、驚いて入り口付近で足を止める客が。
眼前に映る3人もその類だと思いこみ、俺は何気ない様子で声を掛けたのだが、
3人のうちの1人。
黒のパーカーコートを頭から被り、顔を隠していた人物が前へと歩み出た。
「やっぱり、間違いない」
聞こえた声は女性のモノ。
特徴的なハスキーボイスであった。
声のトーンからして、まるで旧知の友人でも見つけたかのような言い草であったが、生憎と俺にそんな声を出す友人はいないし、知人にも心当たりはない。
ならば、俺ではなく、このボロ屋に対してだろうか。
などと思っている俺をそっちのけに彼女は言葉を続けた。
「————アーデル・レヴィン」
1つ呟き、更に俺の下へと彼女が歩み寄る。
「この名前、勿論知ってますよね?」
彼女のその一言によって、否応なしに面倒ごとの匂いを察知する。
そして何故か、身を乗り出すように尋ねてくる彼女は、まるで俺がそのアーデル・レヴィンであると信じて疑っていないようであった。
「いえ。知りません。全く知りません」
「ですよね。だってこの名前は貴方の名ま……え、え? えぇっ!?」
余程確信を得ていたのか、俺が否定した事に動揺を隠せず、挙動不審に彼女は右往左往を始めてしまう。
……しめた。
この隙に、目の前の面倒臭そうな客を適当に言いくるめてさよならして貰おうと考え、俺は半ば強引に声を上げた。
「ここは宿屋です。人探しなら他所でどうぞ。出口はあちらになります。フェイリアさん! 3名様おかえりです!!」
「嘘つけ!! 会話聞こえてないと思ってたら大間違いだからね!? アーデル!!」
フェイリアさんの耳にも会話が聞こえていたのか。
怒号とも取れる大声が厨房から飛んで来た。
しかも、厄介な事にこんな時に限って名前で呼ばれてしまう。
「あ、アーデル!! ほら! アーデルじゃないですか! 貴方の名前!!!」
さぞかし純粋なのだろう。
疑う事を知らないで育って来たのか、人違いだと言われて目に見えて気落ちしていた筈の少女が勢いを取り戻し、俺を責め立てるように詰め寄ってくる。
「…………」
しまった。
でかい声出すんじゃなかった。
後悔先に立たず、という先人の言葉を思い出しながらも俺は黙り込んだ。しくじった。
けれども、俺はどうにか己の頭をフル回転させ、この場を乗り切る迷案を一瞬のうちにして編み出す事に成功した。
「あれは確か、5年前だったかな……」
懐古するように、徐に俺は語り口調で騒ぎ立てる少女をそっちのけに話を切り出す。
「ここのオーナーであるフェイリアさんには昔、幼い弟くんがいたんだ」
慈しむように。
懐かしむように。
5年前なんてまだ働き出してもいないにもかかわらず、俺は息を吐くように嘘物語を語る。
「名前を、アーデルと言ってな」
「……それがどうかしたんですか?」
「まあ、最後まで聞いてくれ。その、アーデルくんなんだが、5年前に流行病で亡くなってな……」
「え……」
少女の顔から、血の気が失せていく。
「フェイリアさんは、重ねちまってるんだよ……」
カウンターに肘をつき、俺は涙を隠すように鼻の付け根部分を左の手で押さえた。
顔を伏せている事もあってか、傍目から見ればすすり泣いているようにしか見えない出来栄えである。
「亡くなってしまった弟くんと、バイトの俺をさ……」
「そ、そんな事情が……」
「フェイリアさんには多大な恩があってな……、俺はこんな事でしか恩返しは出来ないけど、フェイリアさんの為ならと……!!」
掴みは上々。
俺の渾身の嘘泣きにつられ、少女の声音も悲しさのような感情が入り混じっている。表情を確認する事は叶わないが、きっと悲壮に表情を歪めている事だろう。
よし、帰れ。
話に納得してさっさと帰りやがれと、心の中で祈る事5秒。
扉に取り付けられた鈴の音がなるより先。
すぐ側にて、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あの、あたしに弟なんていないんですけど」
「…………」
その言葉を告げるフェイリアさんの瞳は、まごう事なく責めるような眼差しであった。
次いで、やべっ、とその場から逃げ出そうとする俺の腕をフェイリアさんがガシリと掴む。
退路は塞がれてしまった。
「くだらない事を語る暇があったら、ちゃんと接客しーよーうーね?」
「ひゃ、ひゃい」
それは正しく、ヘビに睨まれた蛙。
この2年の間に出来上がってしまっていた確固たる上下関係を前に、俺は言い訳の言葉すら告げられず、萎縮する羽目になっていた。
「あ、あの、アーデルくん、は?」
「それはこのばかの作り話です。ほんっと、すみません!!」
「え、え……ええええええぇ……」
またしても完全に騙されていたのか。
少女は本気で驚いているようであった。
「あの、それで、何泊のご予定でしょうか……?」
俺が粗相を働いた事もあってか。
フェイリアさんは恐る恐るといった様子で尋ねる。
「え、えっと! 私はアーデル・レヴィンさんに用があって……」
「……あぁ、そういう事でしたか」
その言葉で全てを理解したのか。
得心したかのようにフェイリアは小さなため息を吐いた。
今回のように、アーデル・レヴィンを訪ねてくる輩は今までにも何人かいたのだ。だからこそ、またか。と、呆れのような感情がフェイリアの言葉には入り混じっていた。
噂を聞きつけて誰かしらが暁亭にやって来る理由は、かつて此処がアーデル・レヴィンが属していたパーティーの行きつけであったから。
故に、何かしらの手掛かりをと求めてやって来る人間は未だに後を絶えない。
……ただ。
「……腕試しをしたい。力を貸して欲しい。そんな理由で探してるのなら、それは無駄足だ。時間を無駄にしたくないなら今すぐ帰った方がいいよ」
自嘲染みた笑みを浮かべながら、俺は会話に割り込んで答える。
「最強だなんだと言われちゃいたけど、そいつは結局、誰一人として守れなかった弱虫だ」
「うん。そうだよね。アーデルって暗がり昔から嫌いだもんね」
「…………。ぁ、いや、今はそういう意味じゃなくてね。やめてよね、折角、触れちゃいけない事なんだぜムード出そうとしてたのに」
フェイリアさんからの補足によって、折角展開しようとしてたシリアスムードがぶち壊される。
このままシリアスに、だから帰れよってムードを作ろうとしていた俺の計画が台無しであった。
「……兎にも角にも、きっと俺はあんたの希望に添える答えを出してやれない。冒険者だって、もう四年前に辞めてるんだ。今の俺は宿屋のバイト。それ以上でもそれ以下でもねえよ」
「…………」
俺のその言葉を前に、黒のパーカーコートの彼女は、口を真一文字に引き結んでいた。
それから程なく、カウンターの側に貼り付けてある料金表へ彼女は視線を向け、
「一週間、お願いしてもいいですか」
「あんた、人の話聞かないってよく言われないか?」
「……自分勝手極まりない話ではありますが、ダメと言われて大人しく引き下がるくらいなら、そもそもここまでやって来ていません」
何故、アーデル・レヴィンなんて、4年も前に姿を消した輩を頼ろうとやって来たのか。
その理由についてはまだ聞いてはいなかったけど、ジッと此方を見据える瞳には、不退転の覚悟に似た色が湛えられていて。
「それしか道がなかったから、ここまで私はやって来たんです」
「……ったく、仕方ねえな」
その熱意に流石の俺も、折れる他なかった。
何より、「うん」というまで付き纏ってきそうな気配が彼女からはビンビンに感じられる。
故に、俺が妥協し、折衷案を出す事にした。
「今回だけだぞ。今回だけ、一週間の宿泊費、一割引で手を打とうぶふっ!?」
……後ろからグーパンチが飛んできた。超痛い。
「……アーデル。あたしはアーデルの事を誰よりも分かってるつもり。だから、腕試しとか、そういう目的の人に対してはそんな態度をしても何も言うつもりはないけど、」
宿屋の主であるフェイリアさんは、俺の過去を全て知っている唯一の人だ。
「ちゃんとした理由で訪ねてきた人には、話くらいは聞いてあげようよ。たとえ、アーデルが力になれない事だって分かってたとしても」
加えて、「ど」が付くほどのお人好し。
そうでもなければ、訳ありだった俺の世話をこうしてみようとはしなかった筈だ。
そして、そんな彼女に世話になりっぱなしの俺だからこそ、フェイリアさんの言葉には強く否定する事が出来ない。
何より、彼女にはそれ以外にも頭が上がらない理由が多くあった。
だから、そのもどかしさを表現するように俺は頭を掻きながら————
「はぁ。フェイリアさんにそこまで言われちゃ、流石の俺も……」
————承諾するフリをしてその場から逃げ出そうと試みた。
「って言って、逃げ出すのがアーデルだよね」
「…………。ま、まっさかあ」
たとえフェイリアさんの言葉といえど、やっぱりそれでも嫌なものは嫌でしかなくて。
とりあえず、逃げればなんとかなるだろ精神で、その場からの離脱を試みた俺はガシリともう片腕まで掴まれる。
冷や汗で背中はべっとり濡れていた。
「そうだよね。アーデルがそんな事、するわけないよね」
顔は笑ってたけど、目はちっとも笑っていなかった。信頼してる感じの言葉を口にしてる筈なのに、フェイリアさんの手は絶対逃すかと言わんばかりにガシリと力強く掴んでいる。
「……あ、あの、言葉と行動が一致してないんですけど」
それはもう、手の跡がついてそうなくらい力強く。
「んー? 気の所為じゃない?」
この暁亭で働き出した時期こそ二年前だが、付き合い自体はもうかなり長い。
だから、フェイリアさんのこの様子がマジギレ一歩手前という事を俺は知っていた。
そしてキレたが最後。
普段は温厚を地でゆく筈のフェイリアさんがどうなるか。それを分からない俺ではなくて。
「話、聞いてあげようね?」
「ひ、ひゃい」
かくして、身を隠すようなパーカーコートを羽織った三人組のお話を、俺がわざわざ聞いてやる事になった。
ただ、こうなった原因を作った連中は、俺とフェイリアさんの絶対的上下関係を前に、若干引いていた。
……元はと言えば、お前らのせいなんだからな……!!
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