第5話 配達
ネルソン氏と別れてから野営を一日挟み、ようやく目的の村に辿りついた。帝都生まれの僕が故郷と呼べるのは綺麗に区画整備され、整然と並んだ家や商店といった街並みしか無いはずだ。だけど、田舎の空気は不思議と郷愁というものに浸らせてくれる。
風を受けてゆっくりと回る風車。柵に覆われた牛飼いの家。道路を一本挟めばそこにはまだ成長途中の野菜らしきものが立ち並ぶ畑が広がっている。街の喧騒はそこには欠片一つも存在しない。
「着いたのはいいんだけれども……。リオンが手紙を届けたい人ってどこにいるのかね」
そもそもこの村はリオンの生まれ故郷か何かなんだろうか。それとも手紙を届けたい人がいるだけ? 手紙の中身を見てしまえばそこに何かしらのヒントが有るかも知れないが、それはさすがに憚られた。
「とりあえず、リオンを知ってる人が居ないか探してみるか」
僕は村人を探してブラブラと村の中を歩き回った。
「なんだい、あんた。ここらじゃ見ない顔だね」
突然背後から声を掛けられたので、驚いて振り返るとそこにはふくよかな女性が籠を持って立っていた。年の頃は……まぁ、いいか。見慣れない男に警戒しているようで、少し眉間にしわが寄っている。
「あ……、ちょうどよかった。この辺りでリオンという青年のご家族かご友人を探しているのですが」
「リオン……? 街で身を立てるとかってうちを飛び出してったあのバカがどうしたってんだい」
目の前の女性の眉間のしわがさらに深まる。まさか、家族とは。そういえばクーリの実の様な茶色い髪や少し目尻の低い感じは似てるかもしれない。そして、この様子だとまだ息子が亡くなった事を知らないらしい。さて、どうしたものか。手紙には宛先が無い。母親らしき人とはいえ勝手に手紙を預けていいものか……。
「僕はリオンさんとたまたま仕事が一緒になった者なのですが」
「そうかい、うちのバカ息子は生きてたかい。アイツは今どんな仕事をしてたんだい?」
母親の顔が少し和らぐ。なんだかんだ言って心配なのには違いなさそうだ。それ故に、この後の会話がしづらいんだが。僕は手紙を黙って差し出すべきかどうか迷った。
「僕と彼はワーカントギルドで出会い、そして同じ依頼を受けました。それで……その……」
「……! そうかい……、ワーカントね……」
その一言と僕の態度で何かを察したのか、せっかく和らいだ表情がまた少し曇る。
「で? あんたは?」
「僕は……、彼から預かった物を届けに来たのですが、届け先が分からなくて」
「そうかい。送り先も言わなかったのかい。最後までそそっかしい子だよ、全く」
リオンの母さんは大きな両手で目を覆うとその場にへたり込み泣き崩れてしまった。
☆☆☆
「すまないね、わざわざこんな田舎まで」
泣き腫らした目でリオンの母さんが僕を見つめる。その手には温かい紅茶が注がれたカップが二つ。この村で作っている茶葉だそうだ。香りは帝都で飲んだことのある高級茶葉と遜色ない。
「見た目、成人したとこぐらいだと思うけどここまで大変だったろ」
僕は曖昧に微笑んだ。手紙を届けに来て殺されかけた、なんてことは言えるはずもないし、言う必要もない。
「ああ、ところで息子があんたに預けた物ってなんなんだい?」
「手紙……です。ただ宛名が無く、それを聞く前に……」
「そうかい。すまないがそれ、見せてもらっていいかい?」
僕は荷物袋の中から手紙と、彼から切り取った髪を一束手渡した。
「遺体は既に魔獣対策の為に焼却されました。依頼の都合上、時間が無くこれだけしか持ち帰れなくて申し訳ありません」
「リオン……」
彼女はまた、目を覆い僅かに肩を揺らす。そして、ひと時の沈黙。
「――ふう、さて開けてみるとするかね。恋文だったら悪いけど笑ってやるとするか」
封筒の中から紙より先に飛び出したのは金貨だった。1枚5万Gの金貨が10枚程。続いて、指輪。こちらは銀細工の安くは無い代物だ。僅かに血がついているという事は、今際の際に押し込んだものだろう。
手紙を開いた彼女の頬を幾度も涙が伝う。
「親孝行したかったら死ぬなんて親不孝な真似するんじゃないよ、まったく……父親と言い、なんで私を置いて先に行っちまうかねぇ」
手紙を一通り読み終わり、涙を拭った彼女は手紙を机に置くと指輪をまじまじと見つめながら僕にこう言った。
「あんた、ワーカントなんだろ?」
僕は何の事かわからず、ただ頷いた。
「悪いけど、酒場の娘にこの指輪を届けてやってくれないか。エルマって娘だ。この村には酒場は一軒しかないからすぐわかるはずさ。報酬はこれで」
そう言うと彼女は机の上に散らばった金貨を一枚を僕に差し出した。
「受け取れません。これはリオンが貴女に遺した大事なお金です。それに僕は彼から手紙を渡して欲しいと言われただけです。付属品の宛先を間違えたのなら、僕のミスですから」
僕は指輪を受け取ると、懐にしまった。
「ふふふ、いい子だね。あんた。あんたぐらい素直だったらうちの子も……」
そんなことは無い。僕はリオンが僕をかばって死んだことを言い出せないただの卑怯者だ。ただの罪滅ぼしでここに来ただけの臆病者だ。
「うちの子はエルマに結婚を申し込むつもりだったみたいだよ。街へ出たのもその下準備らしい。今回の仕事で資金にもある程度目途がつくとかってさ。こんなもの、母親から渡すのもなんだし、人づてに渡してくれた方が受け取る方も気が楽だろ」
なおさら、僕には気が重い。僕を庇わなければリオンには明るい未来が待っていたというのに。それはこんな無価値な命の対価に払うべきものではなかった。絶対に。
「では、僕はこれで失礼します」
「ああ、あんた。名前は?」
「ノエル。ノエル・ガルレスです」
「そうかい、ノエル。あんたも目的があってワーカントなんてやってるんだろうけど、命は粗末にするんじゃないよ」
大丈夫。僕には死ねない理由がある。
僕は深く頷いてその場を立ち去った。酒場のエルマか……。なんとなくエマに名前が似てるな。次にエマに会えるのはいつになるだろうか。