第28話 精霊降臨
初めに燃えたのは男の爪先だった。そして、その炎は徐々にその男を飲み込み、焦がしていった。自爆魔法かと思い警戒を強めたが爆発が起こる気配は無く、ただただ、人の肉が焦げる不快な臭いが辺りに充満していく。
不気味な声が男に問うていたのは捧げるか否か。もはや陥落目前と悟ったのか、男が選んだ手段は我が身を代償にしての精霊召喚。なおも燃え広がる炎は男を激しく苦しめている。そして、男の頭上が眩く光りだすと、その光の中心から精霊と思われるモノが現れた。
しかしそれは、神聖なイメージの全く無い、魔獣と呼ぶべき姿をしたものだった。全身を赤く染め、顔には醜悪な牙が立ち並び、長く伸びた舌で獲物を品定めするように舌なめずりを繰り返す。全身は鱗に覆われ、まるでトカゲが二足歩行を始めたかのような姿。
「ヒヒヒヒヒ。ドナイよ。よくぞ我を呼び出した。お前の最後の願い、我が叶えてやろう。さぁ! 時間が無い! 貴様らもドナイと同じくその身を焦がすがいい!!」
サラマンデルが手をかざすと、赤く光る光線が易々と僕達の隣の小隊の結界を貫いた。騎士たちの後ろでドサリと人が崩れ落ちる。結界を張っていた魔導士が撃ち抜かれたのだ。光線が当たったところから炎が立ち上がり、勢いよく燃え出す。
「結……界が……?」
何が起こったか理解できず、ただ立ち尽くす騎士たち。そこに容赦なくサラマンデルの放つ火球が飛んでくる。
「結界は無駄だ! 避けろ!!」
「うああああああああっ!!!!」
剣士隊は素直に避けることを選択したが、魔剣士隊は水を纏わせた剣で切り裂くことを選んだ。そして結果、
「溶け……!?」
手にした剣の水は火球に触れると同時に蒸発し、その剣をも瞬く間に溶かしてしまった。
「魔導士だ! 魔導士を守れ! 結界を崩させるな!」
「キヒヒヒヒ、無駄無駄」
僕の顔の真横を赤い光線が通過していく。いや、行った、のだろう。僕にはただ光ったとしか見えなかった。そして、また僕の背後で魔導士が膝から崩れ落ちる。
「クッ……! 多重結界でもダメなんて……!」
幸い、撃ち抜かれたのは肩で済んだ様だが、傷口から炎が噴き出していてそれを水魔法で懸命に消化している。
「おおーーーっ!! すごいすごい!! じゃあ、これは!?」
サラマンデルの五本の指。その指先から光る何かが次々に放出される。それらは、直線状に伸び、まるで太いロープのようにしなやかに空間を切り裂きながら僕たちのところへ降りてくる。直感的にこれは触れるとマズいと悟り、僕は全力で避けることを選んだ。
その赤く太い煌々と輝くロープは地面に降りてくるまでの間、触れたものを全て鋭利な刃物よりもさらに鋭く両断した。腕を捥がれた者、スライスハムのようにいくつかに裂断された者。
かろうじて多重結界の内に入った者と避けることを選択した者、多くの騎士以外は、見るも無残な結末を迎えることになった。
「術士を倒せ!! 精霊には近寄るな!!」
クラウス中隊長の号令で、精霊術を目の当たりにし、恐慌状態に陥った騎士たちに戦意が戻ってくる。精霊の奥では、苦痛に身悶えながらも祈りをささげる様に手を組み、頭を垂れる術士が居た。彼の爪先を覆っていたドス黒い炎はもはや彼の腰までを炭に変えていた。普通なら死んでもおかしくない火傷だが、彼を生かしているのは執念かはたまた精霊術の成す不可思議か。
「おっと、遊んでるとドナイが炭になっちゃうな。じゃあ……その前にみんな燃えちゃえ!」
悪寒、という言葉では足りない。その精霊が攻撃に移る、というその気配だけで総毛立つ。無邪気な声からは想像もできないくらいの深く暗い殺意。
「あ、でも城の被害は最小にしなきゃね!」
恐らく、精霊にとってこの城丸ごと燃やし尽くすことなど造作もないのだろう。その笑みからは強者が持つべき余裕を存分に感じることが出来る。死を代償にした召喚。彼を炎が覆いつくすまで逃げる? いや、無理だ。あの殺戮兵器がそんなことを許すはずがない。
「全員散れぇっ!! 一カ所に固まるな!」
「結界をさらに増やせ!」
クラウス中隊長の声で各自が散開する。確かに一カ所に固まっていたのでは、まとめて狙い撃ちにされる。魔導士を中心とした小隊単位で精霊と精霊術士を囲うように各自が移動。
「ムムム……、まずはそっちかな?」
「グッ……グゥゥゥゥゥッ!!!! 熱ッ……!!」
結界を前方に集中して何重にも張り巡らせ、どうにか火球を押しとどめる魔導士たち。しかし漏れ出す熱が容赦なく体を照り付ける。周りのいくつかの小隊から魔導士が加勢に入るがそれでも火球の勢いを押し返すに至らない。
「ニンゲンのくせにぃぃぃ」
「今だ!! 術士を打ち取れ!!」
「あっ」
ただ、鎮座して祈りを捧げる術士の首を落とすことは、修練を積んだ剣士にとって造作もないことだった。ゴトリと落ちた頭部が虚ろに宙を睨んでいる。
「畜生!! もっと遊ばせろよ!!」
空中に有りながら、地団駄を踏む火の精霊。その姿は、術士の死と共に消え去る……かと思われたが。
僕たちは誤解していた。
「まだだ!!」
黒い炎は術士の肩口まで到達していたが、全てを焼き尽くしたわけではなかった。そう、捧げられたのは、術士の命と体。頭部が切り落とされたとはいえ、その奇跡は全ての代償を消費したわけではなかった。
「ギィィィィィィィィィッ」
寄生と共に火の精霊が放った火球は結界が手薄となっていたクラウス中隊長の元へ。そして、僕は最大の過ちを犯す。
「ダメだぁぁぁぁぁっ!」
「来るな! ノエルっ!!」
無策で火球の前に飛び出す。せめて盾にでもなれればこそ意味もあろうが、どう冷静に考えても割に合わない、ただ死体を増やすだけの無駄で無為で無能極まる行為。ただ、僕は戦争の熱に浮かされて、体を動かしてしまった。
眼前に迫る火球を見るに、僕も、クラウス中隊長もその隊員も、誰も無事では済まないだろう。限りない生と死の間で、僕の脳裏を覆いつくしていったのはエマだった。