第24話 王国と帝国
僕達が忠誠を誓った、ギルテニア帝国。その帝国は今、ユークオリア大陸の全てを支配しようとしている。残された領域は南のヘルバニア大森林帯と西の最後の王国、ウェスタビア王国のみ。そして、僕たちが近々派遣されるであろう、最後の前線はその王国との国境線に広がる戦域だ。
帝国の大陸制覇はもはや目前となっている。多くの国が今や帝国の支配を受け入れる中、頑なにその侵略を拒んでいる国がそのウェスタビア王国。ギルテニア帝国が台頭するまで単独単一の国としては、最古にして最大の王国だった。
魔石という代償をささげ、術式を構築する魔法が世を席巻するまで、魔法とは神や精霊と対話してその奇跡の力を借りるという考えが一般的だった。ウェスタビア王国は精霊信仰の強い国で魔石とその利用方法が発見されるまでは魔法強国として隆盛を誇っていたが、近年はその信仰そのものにさえ陰りが見えるという。
ウェスタビア製の魔法は物理的な代償を必要としない分、資源的な争いとは遠いところにいたが、領土を巡る帝国の破竹の快進撃を受け、ついに重い腰を上げた。大陸の7割を支配するギルテニアと凡そ2割を治めるウェスタビア。大陸の覇権を争う最後の戦いが始まる。
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「ウェスタビア王国。この大陸に住む者でその名を知らぬ者はおらんだろう。かつては大陸の盟主と謳われた、かの王国も今やカビの生えたパンよ」
グラトール現皇帝はついに迫ったウェスタビア王国との決戦を前に、治安維持を除いた帝国兵の凡そ三分の一と全騎士を精霊の侵入を阻止し、遠距離の会話を可能にする特製の結界ドームに招集した。そして、遥か高みの席から静かに口を開いた。
「さて、召集を掛けた理由は分かっておろうな? 剣聖ヒューレンよ」
グラトール皇帝は最前列に跪く三人の内、一番若く、それでいて勇壮な男に話しかけた。現剣聖、ヒューレン。その剣捌きはよく突風に例えられる。穏やかな性格を持ちながら、いざ戦いの場に出ると、鬼神の如き働きを見せ、立ちふさがる障害を悉く薙ぎ倒す。僕達剣士の憧れの存在だ。
「我々はカビを取り払い、切り分け、我らが領民に施す事が使命と心得ております」
「して、いかにそれを成す。魔剣公マルグリート」
噂の魔剣公、マルグリート。いつだったかシルキスと話したことがあったっけ。剣術は剣聖並、魔法は大魔導並というのだから本人の不遜も無理からぬことかもしれない。今や、皇帝の次に発言権のある存在だ。
「カビならば生えた部分を切り、必要とあらば二度とその姿を見せぬよう焼き払うのも宜しかろう」
「……可能か? 大魔導師ミネルヴァ」
大魔導師ミネルヴァ。ヒューレンと年はさほど変わらないが、妖艶な美貌の持ち主で、誰に対しても凛とした態度を貫く孤高の魔導士……、というのが一般の見方だが、エマから送られてきた手紙に記されている印象はそれと著しく乖離していた。エマの評によると彼女は恋に恋する乙女心を搭載した魔具だとかなんとかひどい言われ様だ。
「造作も無きこと。陛下のお望みとあらば、その食卓には聖海の海産物を添えて御覧に入れますわ」
ミネルヴァの返答にグラトール皇帝はニヤリと笑い、豊かに蓄えた白髭をさすった。庶民にとって、ウェスタビア王国を従えるメリットがあるとすれば魔素の影響がない海、聖海を得るという事だろう。帝国は北をオルモス山脈に、南を大森林に阻まれ、東の海は魔素が濃い魔海となっている。その影響で、帝国内に流通する魚は全て川魚となっており、海に棲む生き物は食品から工芸品に至るまで軒並み高級品扱いだ。
「ふむ。ならば早急に事を収め、全兵力をヘルバニア大森林へと注力できるよう取り計らえ。これは勅令である」
「御意!!」
「見よ、臣民。我らの領地に壁は無く、我らの空に蓋は無い。どこどこまでもギルテニアを称える歌は響き、どこどこまでも我の声は届くのだ。ささやかなる騒音に消されてはならぬ。不協の和音を取り除き、ギルテニア帝国にさらなる繁栄と安寧を!!」
皇帝は全戦力に対して、最後の王国、ウェスタビアへの侵攻を命じると、宰相たちと共に去っていった。
「ヒューレン、ミネルヴァ、くれぐれも今回の侵攻、足を引っ張るなよ? 我々にはヘルバニアという最終目的があるのだ。失敗はもちろん躓きですら許されぬぞ」
「……御意」
「ふん、肝に銘じておきますわ」
ヒューレン、ミネルヴァそれぞれの直属の隊員からは怒りの表情が、マルグリートとその隊員からは嘲笑に満ちた表情がそれぞれ漏れ出す。
「全く、ヴォルトーもこんなヒヨッコを残して引退しおって。だから、剣と魔法のそれぞれ一つしか修めぬ半端者共というのは好かんと言うのだ」
高笑いをしながら去っていくマルグリートにヒューレンは今にも剣を抜きそうな殺気を放っていた。
「ヒューレン、師を侮辱されたお前の気持ちは分かるが」
「分かっております、ミネルヴァ殿。魔法に才なくば、剣の道をただひたすら修めるのみ。あなたに言うことではありませんが、私は剣技の可能性を信じております」
「そうか、ならば良い。私も奴を青国石一欠片で消し炭にする魔法の一つも考えておこう」
「期待しております。ミネルヴァ殿」
ヒューレンは軽く頭を下げると、先ほどまでの殺気はどこへやら、柔和な表情が帰還を果たし、颯爽と去っていった。帝国内も共通の敵がいる内はいいけど、やがてこの確執は内乱を呼ぶような気がする。それを見越した上で、皇帝は外に敵を作り続けるのだろうか。だとしたら恐ろしい才能だ。
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そして、勅令が下って五日後、僕達は装備を整え、持ち出せるだけの魔石を持ち込み、王国との国境に布陣していた。魔導士の戦闘部隊も含めて、おそらく近年では類を見ない規模の出兵だろう。敵の数は物見によると凡そ三万。対してこちらの兵力はワーカントの徴兵が三万人に帝国兵三万、騎士二万。特に騎士は全騎士を投入している。圧倒的と言っていい戦力差だ。
しかし一方で魔法行使に代償が必要ないウェスタビアは消耗戦を決め込む様子。僕達はこの後の予定も鑑みると、短期戦で臨むしかない。このことが戦いにどう影響するのか。今はまだ神のみぞ知る、といったところだ。