第2話 討伐
年の頃は自分より四つか五つ上だろうか。その男の名前はリオンといった。年下と思われるワーカントが僕しかいなかったので親しげに話しかけてきたが、名乗り合う程度のやりとり以降は討伐の説明が始まったので会話はそこまでで終わった。
「えー……、この度は魔獣討伐の依頼にご参加いただきありがとうございます。今回の討伐対象はクレセントベア1体となっております。危険な魔獣ですので事前に注意事項をご説明いたします」
リオンが唾を飲む音が聞こえた。自信が無いならやめておけばいいものを。とはいえ、各々事情や目的があると思われるので、特別引き止めたりはしない。
「以前、討伐に参加された方もいらっしゃいますでしょうが、クレセントベアは全身を剛毛と皮下脂肪で覆われており、頭部以外への打撃や刺突などはあまり有効ではありません。しかしながら、集団戦においては……」
真剣に話に聞き入っている者やヘラヘラ笑っている者。様々反応は有るがみんな静かに話を聞いてるようだ。
「特に注意すべきは爪と牙です。爪には傷を塞ぎにくくする毒が、牙は石ころぐらいなら簡単に噛み砕く力があります。巨躯に見合わぬ素早い動作も持ち合わせています」
「――では、質問も無いようですので皆さんのご健闘をお祈り申し上げます。依頼を受注される方は受付から割符をお受け取りになってご出発ください。なお、割符には音声認識のログが残されております。解析の結果、報酬の受取に不正が発覚した場合はワーカント永久除名の上、帝国騎士団へ通報、又は身柄を引き渡しとなりますのでご注意ください」
受付嬢の説明が終わると、各自武器を手に準備を進めて行く。武器の貸与もあるみたいだけど、どれもこれも使い古しの短剣や槍ばかりで、下手なものだとその辺の石ころを投げた方がまだマシなものまである。リオンは貸出の槍を受け取ったようだ。
目的地は近郊の山の中腹。元々魔素の濃度が高く、魔獣も多く潜んでいるようだけど去年に起きた山火事のせいで住処を追われたクレセントベアが人里近くに居ついてしまったんだとか。山までの道中では他のワーカントが色々教えてくれたが、山に入ってからは一切の私語厳禁。寄せ集めとはいえ命を預け合うのだから自然と統率はとられていく。
今回の討伐で指揮を執るのはスキンヘッドの筋骨隆々の男。ベルクと名乗った。クレセントベアの討伐に参加した経験もあるらしい。作戦としては至ってオーソドックスな囮、削り、トドメ。僕は腰の短剣でクレセントベアに削りを入れていく役割に任命された。大盾を持参した三名が囮を引き受けてくれた。こちらもクレセントベアではないにしろ魔獣討伐の経験があるそうだ。
目的地に近づくにつれ、独特の緊張感が一団を包む。空気が粘っこく重くなっていく。小型の魔獣も現れ始めた。そしてさらに歩を進める事10分程。ついにクレセントベアが縄張りにしている洞窟の前までたどり着いた。まだ目標の姿はない。ベルクは一団に動かないように指示する。周囲の警戒も怠らない。
すると、何か異変に気付いたのかそれとも狩りの時間なのか洞窟の中からのっそりと巨大な魔獣が現れた。辺りをキョロキョロ見回し、鼻を空に向け二、三度フンフンと鳴らす。僕たちはジリジリと目標を囲むように散開する。何か様子がおかしい。
「…………!! 気付かれてるぞぉっ!! 大盾前っ! 槍!!」
ベルクの号令と共に槍隊が目標に投擲を開始する。大盾隊は正面から目標に向かって突進を始めた。
おかしいな。通常、クレセントベアは敵に対してまず威嚇行動を始めるはずだがこいつはいきなり大盾隊に向かっていった。凶暴な個体か? 肩や背中に槍が突き刺さったまま爪を振り回すクレセントベア。大盾隊の奮闘敵わず既に二人、怪我人が出ている。
僕は背後に回り込み、後ろ脚を中心に何度も突き刺していく。手持ち槍の部隊は反対側の足だ。
「ひっ! ひぃぃぃぃぃっ」
初めて魔獣を目撃したのだろうか。一部のワーカントは武器を投げ捨てて逃げていく。一応、これは織り込み済みだ。報酬の高さに目がくらんで分不相応な依頼を受ける輩は必ず一定数いる。
「大盾隊! 隙があれば目か鼻を狙え!」
ベルクは果敢に指揮を飛ばす。大盾隊の崩壊とあいつの体力を削りきるのとどちらが早いか。そういう戦いになってきた。
「リオン! 近づきすぎないで!」
僕は槍を手にしたリオンに叫ぶ。槍を手に持っているというのに目標との距離が近すぎる。リオンは間一髪爪による薙ぎ払いを避けた。
「ありがとう! ノエル!」
てっきり逃げ出すかと思ってたけど、リオンもまた奮戦している。やがて、暴れ狂うクレセントベアの前に一人、二人と怪我人が増えていく。中には死人もいるようだ。ただ、敵もまた赤茶色い剛毛が流れ出る血に徐々に染まり始めた。かなりギリギリだが、どうにか勝てそうだ。
【――そういう油断が、命取りなんだ。ククク……】
どこからか女の声が聞こえた気がする。何とも忌まわしい聞き覚えのある声。
「危ない!! ノエル!!」
僕を突き飛ばしたのはリオン。リオンを襲ったのはまだ小さなクレセントベア。といってももう既に牙は生え、立派な爪も生えている。大きさも成人男性程にある。そうか、子連れで気が立っていたのか。
「ああああああっ!!!!」
小ベアの鋭い爪がリオンの背中を引き裂き、鋭い牙が首筋を抉る。
「離れろぉぉぉっ!!!」
僕の短剣は正確に小ベアの目を突き刺した。だが、まだ小ベアはリオンを離そうとしない。僕の方に見向きもしない。僕の短剣は何度も何度も小ベアの背中を突き刺す。リオンの骨がミシミシと音を立てて砕かれている。
「あ……、ああ……」
リオンの力が少しずつ抜けていく。直後、背中越しにズンと何かが倒れる音。そしてそれに反応するように小ベアがリオンを突き飛ばし駆け出す。
「リオン! リオン! しっかり!!」
よりによって僕を助けようとするなんて。
「と……年下を……助けるのは……私の故郷じゃ、あた……当たり前でね」
リオンがむせ返ると同時に大量の血を吐く。
「だ、誰か! 回復魔法か薬草を!! ベルク!」
「そいつはもう駄目だ! こっちを手伝え!!」
ワーカントの命は安い。自分の怪我は極力自分で手当てしなければならない。衛生兵が配備されている騎士団とは訳が違うのだ。
「……と、というのは……方便で体、体が勝手に……」
なんで僕には回復魔法の術式が刻まれていないんだ。
「の、ノエル……すまないが……この手紙をイーロック村に……届けてく……ゴボッ」
リオンはそう言いながら手紙の中に何かを押し込む。
「自分で届けなきゃ! リオン! リオン! 薬草は持ってないのか!?」
みるみるリオンの顔から生気が抜けていく。
「し、死にたく……な……」
一粒こぼれた涙が魂の残り火だったかのように、リオンは静かに息を引き取った。