第一章 帝国十煌
19世紀末のレキタニア大陸は、地獄の様相を呈していた。神秘の薄れた戦場において絶大な力を奮う火薬をもって、大陸統一の悲願を成そうとする帝国ラウム。そして帝国の豊かな穀倉地帯の獲得を目指す亜人国家連合の衝突。大陸の北部では人類側の退廃に乗じ、魔領内部の過激派が領土拡大を声高に叫ぶ。また大陸北西部でも過去の栄光にしがみつく神聖国の聖戦準備が完了していた。
大陸南部でも北部の緊張状態が伝播し、王国キサレロ内で圧政からの解放を望む民衆の暴動が発生。ウィザレ共和国でも帝国ラウムへの警戒を強めた。
100年もの平和は人々の鬱屈を貯め続け、不満と悪意を育てた。そうして世界は混沌を極めていった。
「よくお似合いですよ。本日のご予定はー」
感情のこもってない声を聞き流しながら気怠さを感じつつ目の前の鏡に映る自分の姿を眺めた。
切れ長の三白眼、スラリと顔の中央を通る鼻筋、若干痩けた頬、薄い唇、そして輝く金髪に一房だけ真っ赤に染められたメッシュ。
そしてなすがままに着せられたいくつもの徽章が付けられた将校用の礼服。
誰もが一目見て美青年と答えるであろう姿であったが、病的なまでに青白い肌と落ち窪んだ隈が、その異常を際立たせていた。
真っ白な頬に手を当て、なぞる。あまりにも滑らかなその感触に少しだけゾッとした。
転生して10年にもなる。この体には未だに慣れずにいた。転生してからの癖で頬をつねってみたが、普通に痛かった。
「の視察後ー」
ふと我に返って声を聞き流していたことに気付いた。
この女を見るのは初めてだな。
アーレンハルトの側仕えは頻繁に交換されることで有名である。
また新しく変わったのか。その度に階級を聞かねばならないのは、少々面倒だと漠然と思った。
「ゲートは既に手配しており11時35分に開門予定です。以上です閣下。」
どうやら予定の説明は終わったらしい。
微動だにしない彼女を見て、話しかけ方を若干悩んだが、結局口をついて出たのは高圧的な言葉だった。
「お前誰だ?」
「はっ、2週間前に閣下の直属秘書として就任したソフィア・リラ・ヴィオリス少尉であります。」
「・・・そうか」
それだけ聞ければ、あとは何も話すことはなかった。この国の住民とは価値観が合うことはない。帝国の為に生き、帝国の為に死ぬ。盲目的に刷り込まれた皇帝崇拝と、見目麗しい哀れな家畜。
「お時間が迫っております。ゲートまでの移動車も手配を済ませてあります」
「・・・」
少しだけこの女への扱いを悩んだ。秘書が変わると毎回期待してしまう。最初の"彼女"を新たな秘書に重ねてしまうところは、自分でも悪い癖だなと思って、その度に溜息をついた。
「なんだ?」
「いえ、その、なんでもありません。移動なさらないのですか?」
「今から行く。」
見慣れた街並みは曇天であっても、確かに色褪せない美しさを残している。神に呪われた国だというのに。石造りの少し古めかしい街並みに、奴隷を積み込んで走る路面電車、大きなトカゲを鞭打つ御者、商品を宙に浮かばせ大声を張り上げる商人、シンクハットを被った紳士が手のひらに炎を浮かばせ葉巻に火をつれば、走り回る子供たちは獣の耳と尻尾を生やす。
極め付けに車にさした影に目をやれば、新聞をばら撒くドラゴン。
「あ、ドラゴン」
転移して、初めてこんな感じで言ったっけ。人に飼い慣らされ、貨物を運ぶ足となっても、その造形は変わらず彼に若き日の憧れを幻視させた。
「ご要望があれば手配しますが」
独り言に反応した秘書が話しかけてきたので、少し静かにしろと言うと黙った。
車はしばらく進むと転移門広場で止まった。入門手続きは済ませてあったのでスムーズに入ることができた。広場は大理石に刻まれたうっすらと光る魔法陣が放射状に配置されている。外周部から200mは商人などにも解放されており、魔法陣を自由に利用できるが、それより内部は軍の管轄となり、セントラルゲートを始めとした中心部の機構は国家最重要機密指定となっている。転移門広場では、それぞれの魔法陣を媒介としたゲートを繋ぐレイラインを通過することで離れた場所へと瞬時に移動することができる。大陸に流れる龍脈と霊脈を使うことで物体の再構成を可能にした世紀の発明と以前説明されたが、生憎とアーレンハルトの魔導専門分野は戦闘のみに限られており、理解には程遠かった。
レイラインの中心設置されたセントラルゲートを自由に利用できるのは極一部に限られてくる。皇族、高位の神官、爵位の高い貴族、将官、そして独立強襲部隊十煌。
黒い廊下を通り、セントラルゲートに着くと門番(ゲートから連想されそう呼ばれているが実際はただの憲兵。)から最敬礼で出迎えられる。
「おはようございます、アーレンハルト中佐。東部前線行きセントラルゲートでしたら11時35分に開門予定です。現在は南西部戦線第17部隊へと遠征に行かれたアヒム少佐の帰投待ちです。」
表情には出さないように努めたが、アヒムの名を聞いただけで苦々しい思いが頭の中を駆け巡った。
十煌陸位、業火のアヒム。彼とは全くそりが合わない。というか十煌全員が互いに互いを嫌悪している。それでもアーレンハルトは個人的に数人とは比較的親しい付き合いがあったが、アヒムは壱位を除いてとくに嫌っていた。
扉が開いた。もう少し早くに着けば別室に移動したのに、とアーレンハルトは後悔した。目元を見せない黒衣のフードに銀細工の施されたガスマスク、そして炎激龍を素材とした真っ赤なガントレット。業火のアヒムである。
遠征終わりの立ち込める死臭に顔をしかめた。
「あんれぇ・・・?そこにいるのは第弐位サマのアーレンハルト中佐じゃないですかぁ?」
「失せろ雑魚が。蝿を叩く労力すら貴様に使うのは惜しい。さっさと去ね。」
「ケッ、人のなり損ない風情が・・・」
軽く睨め付けると少しだけ威勢が削がれたことに快感を抱いた。
十煌内でも参位とそれ以降では力の差は隔絶している。特に格下殺しの異名を持つアーレンハルトにとって、アヒム程度では煩わしい虫以上の評価などあるはずもなかった。
背に憎悪と少しの嫉妬を感じながらアーレンハルトは転移門へと進んだ。
感想等いただけると励みになります。