病と光
余命なんてものは、神様にしか分からないもんだろう。
さっきまで、俺はそう思ってた。
「お前みたいな殺しても死ななそうな男に、こんなことを言う羽目になるとは……」
町医師の弦絡は、そう苦々しく呟いた。
まだ30代と若いが、この町では腕利きで名が知られてる男だ。
ここに来る前は城のお抱え医師だったって噂だが、あながち嘘でもないだろう。
そんな一流の医者が、俺の余命を宣告してくれたのが、つい今し方。
(あと、1年持たねえってか……)
「まぁ、病の前には善人もふてぶてしい男も皆同じってことかね」
「何を人ごとのように……風漸、お前、俺が出した薬を飲んでなかったろう?」
「……ああ、忘れてた、かもしれねえ」
弦絡から怒りのまなざしを向けられて、俺はとぼけるようにそっぽを向いた。
もうずっと前から不調は感じてた。
気まぐれに腕利きの医者の顔が見てみたくなって、ここに来た。
それが半年前のことだ。
「俺が患者に対して手を尽くすのは、生かしたいからだ。お前は俺の仕事を何だと思ってるんだ?」
「先生のポリシーを否定する気はねえ。俺は、ただもう、生きてても死んでてもどっちでもいいだけなんだ」
「やっぱりお前は馬鹿だな……」
弦絡が言うには俺はどうやら心臓に病があって、放っておくとそのうち心臓自体が止まっちまうらしい。
出してもらった薬とやらも病の進行を遅らせるだけで、有効な治療方法はないと言われた。
治療できないなら、薬を飲み続けても意味がないんじゃないか? と思う俺は、間違っているだろうか。
「胸、背中、肩、上腕以外に痛むところはあるか?」
俺の名前が書かれた紙切れに、なにやら難しいことを書き込みながら弦絡が尋ねる。
つい昨日、風呂場で胸が苦しくなってしばらく意識を失っていた話をすると、弦洛は眉をしかめた。
「末期症状の発作だな。はじめてか?」
「ああ、たぶん」
「そうすると、もうこっちの薬は役に立たないな……」
そう言って立ち上がると、弦洛は棚を開けて中から瓶を一つ取り出した。
小さい黄色の錠剤がたくさん詰まっている瓶だ。
作業台の上でその錠剤をいくつかの袋に分けて入れると、弦洛はまとめて紙袋に入れて、俺に差し出した。
「胸が苦しい症状が出たら、これを一つ口に放り込め。飲み込めなくてもいい」
「こりゃ、なんの薬だ?」
「発作を抑えるための薬だ……何度目の発作でお前が命を落とすか分からないが、打つ手があるのならまだ、病に負ける訳にはいかないからな」
俺は差し出された小さい紙袋をじっと見つめた。
「いや、いらねえ」
「風漸……!」
「先生の気持ちはありがたいけど、俺には必要ない」
「何を言ってるんだ……お前、杏里に今と同じ台詞が言えるのか?」
弦洛に言われて、俺は昔なじみの魔道具屋の女主人の顔を思い出した。
俺より一回り年下の杏里とは、あいつが生まれた時からの付き合いだ。妹みたいな、酒飲み友達みたいな腐れ縁のあいつは、とにかく俺に対しての遠慮がない。
「あー……それは、ぶっ飛ばされそうだから無理だ」
「お前が死んだら、悲しむ人間だっているんだぞ?」
「うーん……」
弦絡の言うことはもっともだった。俺が死んだら確かに杏里はヘコむだろう。
他にも、少しくらいは花を手向けに来てくれるやつらがいるかもしれない。
だがそれでも……
(生きたい理由が、ないんだよな……)
まだ俺が小さい頃、両親は二人いっぺんに事故で死んだ。それから気の良い祖父母に引き取られ育てられた俺は、別段不自由なく大人になった。愛情をかけて育てくれた祖父母に感謝しているし、育った環境にも不満はない。
16歳の時に剣士だった祖父が死んで、家宝だとか言う魔法剣を譲り受けた。それなりに希望を持って辺境の城に仕えるようにもなった。だが、主君は忠義を誓うに価しない男だった。
それでつまらなくなって、城を辞めて傭兵になった。
傭兵として各地を渡り歩いた頃はそれなりに楽しかったが、生きがいと呼べるようなものも見つからなかった。
祖母も死んだと聞いてここに戻ってきたが、嫁さんももらわずふらふらと40過ぎるまで過ごして、楽しみといったら酒くらいしかないときてる。
思えばつまらない人生だ。
この人生の、どこに価値を見いだせというのだろう。
本当は、もっとやりたいこともあった気がするが、そんなものも今更どうでもいいと思える。
「悪いな先生、気持ちだけもらっておくよ」
そう言って、俺は立ち上がって診察室を出た。
他の患者をあんまり待たせちゃ悪い。
後ろから弦絡がなにやら叫んでいたが、薬を持って帰る気も、飲む気もない。
いいんだ、俺は。
今日死んだって、別にいい。
病院を出て、酒屋に寄った。
まだ外は明るかったが、いつもの酒を買い、ついでにつまみを買って帰路につく。
裏通りを行くと、馬車が道をふさいでいて、何か小競り合いのような声が聞こえてきた。
関わる気もなかったが、ちらと見ると、奴隷を買ったらしい太った男が、派手にすっ転ぶところだった。
馬車の前に控えていた雇われ傭兵らしい男が二人、奴隷の子供の首輪を引っ張って、地面に押さえ込むのが見えた。
剣を出しているのが見えたが、せっかく買った奴隷をこの場で殺すようなことはしないだろう。
俺はそう思って、黙って見ていた。
案の定、男達は剣を引くと奴隷の子供を引っ張って立たせ、馬車の方に押し出した。
よくある光景だ。珍しくもない。
俺は何事もなく、そこを通り過ぎるはずだった。
「何……?!」
「なんだこいつは……!」
男達がにわかに叫んで、再び剣を構えたのが視界の端に入った。
そして、奴隷の子供が傭兵の男の剣を交わして、青白く光る剣の柄を男に突き立てたのも。
「な……っ?!」
なんだ、あの子供は?
なんだ、あの剣は?!
青白く光りながら魔力を放っている、身震いするほど恐ろしく美しい長剣を、俺は見た。
自分のと同じ魔法剣を持っている人間を、生まれてはじめてそこで見たのだ。
俺がその剣に目を奪われている間に、奴隷の子供は、二人目の傭兵が振りかぶった斬撃を受けてはじき飛ばした。
だが、別の男に首輪を引かれて勢いよく転倒する。
子供の頭上から、傭兵の剣が振り下ろされた。
(殺られる……!)
考える前に、体が動いていた。
俺は一足飛びで男の背後に回ると、首に手刀を入れた。
「あが……」
うめき声とともに、男がその場に崩れ落ちる。
その向こうから出てきたのは、俺の顔を見上げる、薄茶の大きな瞳だった。
装飾の光る見事な長剣を構えた、奴隷とは思えない気高く整った顔立ち。
子供とは思えない、鋭い剣気。
俺は一気にその少女に興味がわいた。
これはやばい。
「あー……、面白いもん見つけちまった……」
心臓がいつもと違う鼓動を刻んでいるのは、病のせいではないだろう。
俺の中で、止まっていた何かが動き出すのを感じた。
どうせあと少しの命なら、偶然出会った面白いことに首を突っ込んでみるのもいいかもしれない。
そんな軽い理由付けで、自分が次に取るだろう行動を誤魔化しながらも、俺は目の前の少女と視線を合わせた。
『没落の王女』番外編でした。
本編前章の「酔っ払いの男」とリンク↓しています。
https://ncode.syosetu.com/n7477ey/18/