第2章 その2
“どうしようもない恋の唄”を連発したアタシは、小田急線の最終電車に乗っての帰り路。手元には、この前ミッションでもらったフライヤーが数枚。
レインについて知るために、ここ数日アタシはネットサーフィンで彼の情報をチェックし続けた。
その結果分かったのは、レインはSNSに登録してないし、ウェブサイトも持ってないし、ブログもやってない。
彼は自分自身の情報を何も発信してない。
ニー・ストライクのウェブサイトはひと昔前に携帯ホムペとして流行った簡易なもので、しかも長らく更新されてない。
ミッションのウェブサイトはリニューアル中で閲覧できなかった。タイミング悪すぎ!
あの夜にレインと共演していた他のバンドのウェブサイト、SNSページからも情報は得られず。
お手上げ。アタシは天を仰いだ。
それが、今夜の最終電車でふと思い出したんだ。バッグの中に入れっ放しだった、あのフライヤーの束のことを。
角にシワが寄ったフライヤー。大きさも色も印刷仕様も、バンドによってまるで違う。アタシはすがる思いでめくり続けた。
半切れのコピー用紙に手書き文字を印刷しただけのフライヤーに、バンド名に混じって【DJ:レイン】…あった!やった!
電車の中なのに、アタシは思わずガッツポーズ。慌ててフライヤーに隠れるように下を向き、何でもないフリをする。誰も見てなかったよね?
場所はこの前と同じミッション。申し訳ないけどこの際、出演バンドは何だっていいや。
日付は…げっ、今度の土曜日、明後日だ!アタシ、守田屋でDJが入っている!
がっかり。落胆しかけたアタシは、ふと思いついてオープン/スタートの時間(開場から1バンド目の演奏までの時間。DJのプレイ時間でもある)を調べた。
守田屋のスタートは18時。
ミッションのスタートは…19時。
明後日は守やんの企画だから多少の融通は利く。もしアタシをオープニングのDJにしてもらって、終わったらダッシュで高円寺まで走れば…。
いや、幾らなんでも自分勝手すぎる。
アタシは守やんから信頼を受けて、守田屋の看板DJを張っている。それが、好きになったDJを観に行くために早抜け?バカげてるでしょ。
「お客さーん。」
目を上げると車掌さんが立っていた。
当駅止まり。電車はとっくに停まっていた。全く気づかなかった!ここ、どこ?
アタシはフライヤーとレコードバッグを抱えると、ペコペコしながら慌てて電車を飛び出した。はずみでフライヤーがホームにまき散らされる。
顔を真っ赤にしながらフライヤーをかき集めたアタシは、ふと気づいた。ここ、いつものホーム。
終電はアタシの駅で当駅止まりだった。
思わずホームにへたり込んだ。
駅にはもう他に誰もいない。
バカだなあ。
でも恋なんて本来、自分勝手でバカげてて恥ずかしくて上等なんじゃないかなあ。
そう思ったら、急に気分が冴えてきた。
ゆっくりとフライヤーを地面から拾い集める。
いいや。やるだけやっちまえ。
というわけでアタシは翌日、守田屋に顔を出した。
守田屋には普通にお客として飲みに行くこともある。ここに来れば守やんや馴染みの常連客がいて、いつでも楽しく過ごすことができる。
でも、今夜は楽しむために立ち寄ったわけじゃなかった。
「あれサニィ。どうしたの。」
守やんはアタシの顔を見て、何かあると察したみたい。
今夜はオールディーズ・ナイトが開催されている。いま流れているのはコニー・フランシスの“ボーイ・ハント”。スピンしているのは…やった、ロカビリーDJ・ミワコさんだ!
映画「アメリカン・グラフィティ」から抜け出してきたようなルックスに屈託のない笑顔。いつもとっても優しくしてくれる。もちろん腕も一流の大ベテランDJ。
アタシはミワコさんに手を振った。彼女もニッコリと笑って振り返してくれた。
「守やん、ごめん。」
アタシは例のフライヤーを守やんの前に差し出し、両手を合わせて謝罪のポーズをした。
「なに、なに。どうしたよ。」
守やんはフライヤーを眺めた。アタシは黙っていた。
曲はロネッツの“ビー・マイ・ベイビイ”に変わっている。“さあアタシの恋人になって、たった一人の恋人に”
筋違いなのは百も承知だ。その中での最低限の筋として、電話やLINEで言うべき話じゃない。直接来て、お願いするしかなかった。だからと言って許されることではないけど。
守やんが顔を上げた。彼はひと言、こう言った。
「休みたい?」
てっきりお説教が待っていると思ったアタシは不意を突かれて面食らった。
「あ、いや…穴は開けたくないから。可能ならオープニングやらせてもらって、終わったら抜けさせて頂ければと…。」
「キミちゃんが遅れそうだって言ってたから。タイムテーブル、サニィと交代してもらえばいいよね。」
守やんは事もなげにお酒を作り始めた。
「あのさ。ありがたいんだけど…っていうか本当にごめんなさい。ねえ守やん、怒らないの?」
「そりゃ、イヴェントに穴を開けられたら困るけどさ。」
守やんはアタシにトールグラスを差し出しながら言った。
「でも、好きなんでしょ?彼のこと。」
DJレイン。あれから何日か経って、彼がどんな顔をしていたのか少し記憶がぼやけてきている。
でも、思いは日を増すごとにハッキリしていく。
アタシは大きくうなずいた。
「じゃ、行かなきゃダメでしょ。」
「守やん、ありがとう。」
アタシは守やんの手を握った。守やんはニッコリ笑ってアタシの肩をポンポンと叩いてくれた。
「“人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ”ってね。俺はそんな嫌われ役はごめんだからさ。」
「守やん、男前。世界一。大好き。」
「それを言う相手は、他にもっと相応しい男がいるんじゃない?そのために行くんでしょ?」
「うん!ホント、ありがとう。」
「でも俺、最近お爺さんみたいなキャラになってるよね?ホントはもっと若いんだけどな。」
「なってる、なってる。」
アタシたちはいつものように笑った。アタシはミワコさんのDJを心ゆくまで楽しんでから、みんなに手を振って守田屋を後にした。