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第6章 その10

離陸まであと数十分。

「…そろそろ、行かなくて大丈夫?」

「搭乗口の方にはぼちぼち行った方がいいかも。」

お別れの時だ。レインの前では泣かないと誓ったけど、最後まで油断しないように。

アタシたちは黙って保安検査ゲートの方へ向かった。

ゲートから先にアタシは入れない。あと数十メートルでサヨナラだ。

次に会う時、彼はどうなっているのかな。

もはやDJでもなく、北の大地で新しい生活を送って、素敵なカノジョもいるかも。

そんな想いを即座に打ち消す。ダメダメ!最後まで笑ってレインを見送りたい。そのために今日、アタシはここに来たんだから。

ゲートには大勢の人が並んでいた。アタシたちは少し離れたところで立ち止り、レインがアタシに向き直った。

アタシが「じゃあね」という前に、彼は口を開いた。


「俺はもう、DJじゃないんだ。」

それはもう分かってる。彼の思いは十分、理解した。

「DJじゃないってことは、俺たちは同業者じゃないってことだ。」

その言葉は一文字ずつゆっくりとアタシの心に入り込んできた。アタシは息が吸えなくなった。

レインの口調は、今までアタシが聞いたことのない響きを帯びていた。

「ちょっと長いけど、聞いてもらっていいかな。」

「…うん。」

空港の景色に溶け込みながらも、二人の姿だけが浮き上がったように感じる。周りはアタシたちのことを気にする素振りもなく、彼の言葉以外はもはや耳に入らない。。

「あの日、サニィに『好き』って言われてからさ。正直、意識するようになった。ライヴまで会わない時間が長かったから…ずいぶんいろいろと考えたよ。」

「まあ、そりゃそうだよね。」

アタシはつとめて平静を装った。女の勘、当たってたな。

「俺とサニィ、どうなんだろ?って。大事な仲間以上の存在なのか、自分の気持ちに何度も問いかけた。それこそ、夜も眠れないくらい考えた日もあったよ。」

アタシは黙っていた。もし答えが前と同じなら、わざわざ今するような話じゃない。そうだよね。

「答えが出ないままライヴの日になって、最初にサニィの革ジャン姿を見た時、すごいシンパシーを感じたよ。ライヴ中にどんどんスキルが上がっていったのも驚いた。」

「…。」

「喧嘩も止めたんだってね、ゴンちゃんから聞いたよ。」

「それは言いっこなしでしょ。」

「あはは、そうだな。でも、マサ君相手に女の子一人で…普通はできないよな。サニィは勇気があるよ。」

「レインのマネをしただけだよ。」

アタシがレインを好きになったきっかけだもん。そんなこと、恥ずかしくて言えないけど。

「最後、二人でモッシュピットに入って、ステージに上がって歌ったろ。」

「ダイブもね。最高の気分だったよ。」

「あの時、“ずっとこうやって一緒に楽しめたらいいな”って感じたんだ。もちろん、最後だからって思いもあったけど、それだけじゃなくて…。」

レインは一瞬、言葉に詰まって下を向いた。

アタシは思い出した。レインがライヴ中、珍しくステージ前から、いやアタシの隣から動かなかったこと。

「サニィが開いてくれたお別れパーティが楽しくて飲み過ぎて、自分の部屋で目覚めた時に、俺は状況が分からなかった。どうして家で寝てるんだろうって。」

「…。」

「でも、あのメンバーで俺の家を知ってるのはサニィしかいないから。サニィが送ってくれたって気づいて、その時に思ったんだ。サニィになら、俺は甘えてもいいんだなって。」

レインは目を上げた。あの日、身体を張って喧嘩を止めた時と同じ、ひたむきな顔だった。

「それでも、まだ俺の中でサニィは“仲間”だった。」

もう覚悟していた。

どんな答えが待っていようと、全てを受け止める。

「そうそう。その日の夜、ある人物からお説教されてね。」

「お説教?」

「そう。電話がかかってきて、こってりと絞られたよ。『アンタの横にいるのがどれだけいい女か分かってるのか』『一番いい女ってのは、ずっと待っててくれる女だ』って。『それが分からないんなら、アンタの目は節穴だし心はもっと節穴だ』って。」

「すごい…レインにそこまで言える男って、相当だね。」

「男じゃないよ。」

「あ…。」

アタシの脳裏をフワフワと揺れる赤い髪がかすめた。そう、確かに彼女なら言いたいことを言うだろうな。

アタシはわざとふくれっ面をして見せた。

「まさか、女の子にお説教されて心変わりしたわけじゃないよね?」

レインはポケットから煙草を出そうとして、思い直したように肩をすくめた。やっぱりちょっと緊張してるんだな。

「吸ってもいいよ。」

「いいよ、どうせここは禁煙だし。…彼女の話はもっともだよ。それでも正論で恋愛するわけじゃないから。その時点でも、俺は何も言わずに行くつもりだった。」

「じゃあ、いつ…?」

半ば答えを確信して、アタシは踏み込んだ問いを発した。

「さっき。」

「さっき?」

「そう。ついさっき。」

アタシは思わず考え込んだ。

さっき。この短い時間に、何か起きたっけ?

「サニィがここに来た時、俺はそこに座ってた。サニィはすっげー焦ってて、ひどくキョロキョロしながら必死で俺を探してた。悪いけど、最初から気づいてたんだ。ずっとサニィの様子を見てた。」

「えーっ。」

アタシは思わず声を上げた。いったいどれだけ、レインにカッコ悪いところを見られたら済むの?

「どうして声をかけてくれなかったの?」

「かけられなかったんだ。」

レインはアタシに向き直った。

「サニィが泡食って俺を探してる姿を見ているうち、思い出したよ。初めて声をかけてくれた日。吉祥寺に来てくれた日。一緒にプロレスを観に行った日。職場に来てくれた日。」

彼が挙げ連ねていった日々を、アタシも一緒に思い起こしていた。確かにほぼ、テンパってる。

その時はマイナスにしか思えなかったけど。

「サニィはいつも、俺のことを全力で追いかけてきてくれた。不格好でも何でも、いつも全力だった。」

レインは一瞬口ごもった。白い肌がかすかに色づく。

「そんなサニィを見てたら何というか…その…。」

彼は咳払いをして、また言葉に詰まる。

アタシは自分でも驚くほど冷静だった。

「だから、サニィには俺の目標のことを話したんだ。今まで誰にも話したことがなかったけど。それこそ、彼女にも話してなかった。」

今度の“彼女”が誰だかは、聞かなくても分かる。

身の引き締まる思い。

前の奥さんを追い越したという優越感はない。むしろ、彼女の思いをも背負った気がしていた。

会ったこともない人だけど。

レインのことは、任せておいて。

ゆっくり休んでね。

「そして、これも。」

そう言って彼はアタシのバンダナに包まれたランチボックスを軽く撫でた。

「…鶏ハム?」

「うん。サニィが持ってきてくれたって聞いて、すぐ食べなきゃって思ったんだ。」

「どうして?」

「だってさ。」

レインはランチボックスを自分のトートバッグに入れた。それが自然だとアタシも思った。

「どんな言葉より、素直な気持ちって込められるものがあるよね。例えば景色だったり、物だったり…。」

「曲だったり、ね。」

アタシの言葉にレインはうなずいた。ライヴDJとクラブDJ。いや、今はDJと元DJ。

「味にも気持ちが込められるよ。格段に前よりも美味しくなってた。サニィがどんな思いでこの鶏ハムを作ってくれたか…食べてすぐ分かったよ。」

レインはふうっと息を吐いた。

「お互いを高め合える存在。刺激し合い、助け合える存在。俺にとってそれがサニィだ。」

ずっとアタシが思っていたこと。彼も同じ気持ちになった。いや、前からそうだったのかもしれないな。

最後の最後に、足りなかった気持ちのピースを。

さあ、言って。


「俺、サニィが好きだ。」


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