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第1章 その5

土曜日。

アタシは寝ぼけまなこでベッドから這い出した。手さぐりでメガネを探す。コンタクトかメガネがないとアタシは何にも見えない。

もう昼過ぎ。といってもあんまり寝ていない。

アタシがDJを始めたのは20歳の時。大学生だったアタシは、卒業と同時に都内でウェブデザインの会社に就職した。

元々絵を描くのが好きで、PCにもそこそこ詳しい。向いていると自分でも思うし、何より今の会社は時間の融通が利く。

納期までにがんばって仕事を仕上げてしまえば、平日でも大抵のDJイヴェントには出演できる。

おまけにデザイナーという群れない人種の集まりのおかげで、必要以上の社内コミュニケーションなんかも押しつけられない。まさに今のアタシにはうってつけ。

その代償が、ときどき発生する徹夜。昨夜も明け方まで入稿ギリギリの仕事を片づけて、タクシーで家に帰ってきた。

こういう時は寝ても寝ても寝足りない。身体が睡眠を求めている。できたら今夜の予定もキャンセルしたいけど。

初めてDJブースに足を踏み入れてから5年。アタシは曲がり角の25歳になっていた。

ダメだ、今夜はナミと約束したライヴの日だ。何てバンドだったっけ、何とかストライク。ダメだ、思い出せない。

このままギリギリまで寝ていてもいいけど、ちゃんとお昼を食べて体調を整えないとライヴハウスでお酒を飲んだ途端に気分が悪くなってしまう。以前もそういうことがあった。アタシはどうも高円寺のライヴハウスと相性が悪いらしい。

大学生のころから住んでいる、6畳のワンルーム。すっかり東京の生活が板についてきた。

田舎の両親は“早く帰って来い”とせっつくけど、アタシは今の生活が気に入ってる。もちろん地元は大好きだけど、あっちにはDJのできるクラブなんてないもん。

それに、親が望むような結婚なんて想像もつかない。アタシにもいつか、そんな風に落ち着く時が来るのだろうか。

とにかく今は今だ。アタシは今を満喫してる。いつだって、今が最高じゃなきゃダメなんだ。

ライヴハウスで美味しいお酒を飲むため、アタシはまずシャワーを浴びにかかった。


「ミッション」は、高円寺では比較的新しいライヴハウス。

JRの高架下にあって、ここ数年で急激に動員を増やしてきた。バンドに限らず、アイドルイヴェントやお笑いライヴなんかも受け入れるマルチなハコ(ライヴハウスの俗称)だけど、一方で高円寺という土地柄のためかパンクバンドも多数出演し、毎晩ブッキング(店の主導するライヴ)や企画(持ち込みのライヴ)でにぎわっている。

アタシはJR高円寺駅の改札前でナミと待ち合わせた。春のぽかぽか陽気が気持ちいい。

今日の格好はパンクに合わせて黒をベースにしてみた。といっても革ジャンじゃない。アタシがライダース(・ジャケット)に袖を通すことはめったにない。

ひざ上まである、ゆったりとした黒のカーディガンに黒のロングブーツ。スリムパンツはグレーにして色のバランスを取っている。帽子はかぶらず、お気に入りのフープ・ピアス。

この前、思い切って髪をバッサリ切ってみた。前下がりのイノセント・カラーなショート・ボブ(ショートといってもやや長め)は自分ではとっても気に入ってるんだけど、アタシを見たナミのひと言目は「失恋したかあ~!」だった。そもそも最近は相手がいないって。

ナミはショートのライダースにドット柄の可愛いスカートでキメてきた。アタシよりもだいぶ背が低い。セミロングのラフ・ウェーブに、口が大きくて人懐っこい顔をしているナミは男女を問わずよくモテる。

一方のアタシはタレ目気味でおちょぼ口で、ある程度仲良くなると必ず言われるのが“男好きの顔”。ほっとけ!

まあ、二人ともチョコチョコとナンパされるから、ある程度の水準には達してるんだろうとアタシは勝手に思っている。


アタシたちはミッションに向かって高架沿いを歩き出した。

「今日、旦那は?」

「旦那じゃねーから。アイツ、長野。」

「長野?ライヴ?」

「そう。週末はほとんどこっちにいないよ。レコーディングにツアーに、土日で会うのはアイツのライヴが都内であった後とか。それも大抵ベロベロに酔ってて、うちに来たってすぐ寝ちゃうの。」

「それ完全に夫婦じゃん。」

「夫婦じゃねーから!こないだなんかさ、アタシいい加減アタマに来て、アイツが来るって言うから全裸で帰りを待ってたの。」

「…ナミ、アンタも凄いね。」

「まあね。全裸ならアイツもさすがに何か反応するだろうって。そしたらアイツ、ドア開けるなり全裸のアタシにギター押しつけて『向こう置いとけ』ってテレビつけやがって!殺してやろうかと…。」

相変わらずナミのトークは止まらない。アタシたちはケタケタと笑いながらミッションまで向かった。


高架下の一本道、歩道沿いのガードレールにモヒカンやスパイクヘア(髪の毛を全体に逆立てたヘアスタイル)のパンクスたちが腰かけて溜まっていたら、そこがミッション。アタシがミッションに来るのはパンクのライヴ以外にないから、そういうものだと思ってる。

パンクスたちはアタシたちをジロジロ見たが、誰も何も言わなかった。たぶんナミの旦那…彼氏を知ってる人もいるんだろうな。アタシたちは建てつけの悪い金属ドアを引いてミッションの中に入った。

「ニー・ストライクでナミです。」

ナミがニー・ストライクの前売りに申し込んでいた。アタシたちは料金と引き換えにドリンクチケット代わりのコインとフライヤーの束を受け取った。

防音ドアを開けると、ライヴハウス特有の内側から爆発するような轟音が耳に飛び込んできた。


少し早かったみたい。ニー・ストライクの前のバンドがまだ演奏中だった。このバンドは前にも観たことがある。

ナミが何か言ってきた。うるさくて何も聞きとれない。

「えー!なに!」

大音量の中、ナミはアタシの耳に口を寄せた。

「このバンド、嫌い!」

アタシもだ。

ミッションは縦長の長方形。バー・カウンターも含め全てがワン・ホールに収まる、逃げ場のない造りをしている。

とりあえず隅にあるバー・カウンターに避難した。店員にコインを渡し、メニュー表からビールを指さして注文を済ませる。カウンターにスツール席があるのは救いだ。

アタシたちは乾杯のしぐさをして、リユース(使い回し用)のプラカップに入ったビールに口をつけた。ミッションは生ビールが美味しい。

さいわい、もうすぐ演奏が終わるみたいだ。

ナミがまたアタシの耳に口を寄せた。

「あれ、ニー・ストライクのギター。」

彼女はそう言って指をさした。アタシたちから数メートル離れたフロアに腕組みをして立っている、白のタンクトップに革パンの男。無造作に立てた黒髪、頭にはヒモが巻いてある。筋肉質で目つきが鋭くて、確かにいい男だ。

「いいね。でもちょっと恐そう。」

「ドラムもまたイケメンなのよ。タイプは違うけど。」

しかしドラマーはフロアに姿を現さず、間もなくギターの男も身をひるがえしてステージの右横にあるドアの奥に消えた。

「アタシ、トイレ行ってくる。」

飲みかけのビールを残してナミも同じドアに向かった。トイレと楽屋に通じるドアだ。

せっかく注文したビールがぬるくなっちゃう。後先を考えないのがナミのいいところであり、悪いところでもある。

アタシはボンヤリとステージを観ていた。


ステージ上のヴォーカルが(やっと!)最後に“また会おう”とか何とか言って後ろに下がった。

ライヴが終わった、まさに絶妙のタイミング。

聴き慣れたイントロが耳に飛び込んできた。

“ソニック・リデューサー”。

アタシがDJを始めるきっかけになった、あの曲。

完ぺきだった。フロアの空気がいっぺんに変わった気がした。

“まさか、あの人?”

5年前の、長身のDJがジャンプを決める姿が目に浮かぶ。もう一度あのDJに会ってみたいと思っていた。

アタシは人混みをかき分けて、バー・カウンターの反対側にあるDJブースに向かった。ミッションのブースは可動式。大抵はステージ脇の隅っこに設置されている。

ステージ上はバンドの転換が始まっている。フロアも客電(フロアの照明)がついてザワザワした雰囲気だけど、その中でもこのDJのプレイは確実に存在感を放っていた。

セッティングを始めたニー・ストライクのメンバーがサビを口ずさんでいるのが見える。ブースの前で拳を突き上げているパンクスも数人いる。

ブースにいるのが誰であっても、少なくともある程度の人気・実力を兼ね備えたDJだと思う。

アタシはちょっとドキドキしながらブースの前にたどり着いた。


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