第6章 その2
泣き疲れて、いつの間にか眠ってしまったみたい。
目が覚めるともうお昼近くになっていた。
腫れぼったい目のまま、ベッドから身体を起こす。
またコンタクトをつけっ放しだった。床には脱ぎ散らかした革ジャンとパンツが散乱している。
昨日の疲れはほとんど取れていない。
足は痛み、肩はこわばり、あちこち筋肉痛。
それ以上に、今まで感じたことのない喪失感がアタシを包みこんでいた。
レインの家に泊まったあの夜。彼に気持ちが届かなかったあの夜にも、こんな気持ちにはならなかった。
あと6日後、彼は高円寺から姿を消す。
アタシの前から姿を消す。
それは、いっときの別れじゃない。
彼は人生をやり直す。新しい生活に新しい出会いがあって、新しい恋だって生まれるかもしれない。
その場に、アタシはいない。
アタシとレインの関係は終わる。
これから育てていくつもりだった。少しずつ歩み寄っていけば、いつかは…と思っていた。
そんな淡い想いは、はかなく打ち砕かれた。
あと6日。6日間で、いったい何ができるっていうの?
アタシは赤く腫れあがった目で、何となく部屋を見渡した。
昨日のライヴのポスター。
アタシとレインが隣り合わせに並んだ写真。
サニィとレイン。太陽と雨。
アタシたち、本当にいい組み合わせだった。
DJとしても、仲間としても。そして男と女としても。
アタシは壁に近づき、そっとレインの写真を撫でた。
太陽の下で飛び跳ねるレインは、弾けるような笑顔をこちらに向けている。
アタシは何よりも素直に思った。
レインには、ずっとこういう顔をしていて欲しい。
高円寺を去ることを告げたレインの顔は、とても哀しそうだった。申し訳ないって顔をしていた。
そんな顔、させちゃいけないんだ。
レインには、笑って旅立ってもらいたい。
アタシは前に誓った。レインに誇れる自分になる。
それは、レインがいなくなることが決まった今でも変わらない。
アタシがするべきことが分かった。
ひと晩じゅう泣き明かし、ただレインのことだけを思い続け、涙という涙を全て絞りつくした後で。
6日後には旅立つレインのために、アタシがしてあげられること。できる限りのことをする。
今からそれが可能な場所は…一つしか思いつかない。
アタシは意を決して自分のスマホを取り出した。
月曜日。
アタシは下北沢にいた。
身体がまだこわばってて、あんまりタイトな服は着たくない。白い無地のTシャツに黒のスキニーパンツ。暑さは少し和らいでいたので、黒いジャケットの袖をひじまでまくってごくシンプルに。足も痛いから今日はスニーカー。
コンタクトがまた入らなくて今日もメガネ女子だ。もう、何にも気にならない。
仕事は休んだ。どうせ有休は腐るほど貯まっている。今週は使いまくってやるからね。
歩き慣れたはずのこの道を、初めて顔を出した時以上に緊張しながらゆっくりと歩く。
昨日の時点で顔を出すべきだったのは分かってる。けど、アタシには時間がない。昨日という日は電話だけであっという間に過ぎ去ってしまった。
アタシはありとあらゆる手段を使って、知っている限りのレインの仲間に連絡を取った。バンド、DJ、お客…。連絡がついた人からまた声をかけるべき人を教えてもらい、失礼を承知で会ったことのない人ともコンタクトを取り続けた。
ほとんどの人が協力を申し出てくれた。アタシは嬉しかった。涙が出るほど嬉しかった。レインがどれほどみんなから好かれているか、改めてよく分かったから。
でも、もう泣かない。レインのことでは泣かない。
レインのことでは、笑っていたいんだ。
アイヴィーちゃんが仲間のパンクスたちに一気に話を拡散してくれて大いに助かった。最終的にほぼ全ての連絡が済んだのは日付が変わる頃。仕事とかでどうしてもダメな人以外、連絡をしたほぼ全員が参加してくれることになった。
アタシはそこで初めてレインに話をした。プロレスの時以上の賭けだった。
企画したことが今から実現可能な場所は一つしかなく、空いている日は月曜日しかない。昨日の今日だし、レインの都合がどうなっているかも分からない。仕事で夜遅いのかも。もう予定が埋まっているかも。
「それでもいい」と、みんな理解してくれた。例え一瞬、彼が顔を出してくれるだけでもいいと。
レインがどう思うかも分からない。彼は人知れず高円寺を去ると決めていた。アタシの行動は完全に独断で、しかも彼の意思に反している。
「勝手なことをして」と怒るかもしれない。
それでもいい。
レインをこのまま行かせるわけにはいかなかった。彼は祝福されて、惜しまれて、再会を誓い合って去らなきゃ。
彼はそれに相応しい人間だから。
電話口の向こうでレインは黙っていたけど、最後にひと言だけこう言った。
「ありがとう。行くよ。」
他に言葉はいらない。アタシは電話を切った。
彼はアタシがしたことの意味が分かっている。もし逆の立場だったら、きっとレインも同じことをしただろうから。
やっぱり、アタシとレインはいい組み合わせだった。




