第5章 その10
アタシたちは1~2セットおきに交代しながら転換DJを進めていった。
外は夕暮れ。かなり時間が経った気がするけど、イヴェントはまだ半分も終わっていない。
最初に袖を通した時には冷たく心地良かったライダース・ジャケットが、汗を吸って重く身体にまとわりつく。
ミッションの空調は、とうに限界を超えたキャパのオーディエンスとギラギラ光る照明の前にないも同然だった。
暑い。中も熱いし外も暑い。逃げ場なし。
レインは百戦錬磨のライヴDJらしく、さすがの選曲を続けていた。マイクで客を煽り、フロアは必ずと言っていいほど盛り上がり、雰囲気を完ぺきに仕上げる。加えて彼はほぼ全てのライヴで暴れまくっていた。楽しんでるなあ。
それに引き換え、アタシ。今日ここまでフロアの最前列どころか、DJブースを出ることもできない。マイクも握れず、ひたすらミキサーの前で悪戦苦闘していた。
激しいライヴの連続に、オーディエンスも疲れてきているみたい。どうしても空気が重くなる。それは仕方ない。
だけど、その雰囲気をレインみたいに鋭い選曲で切り裂くことができない。正直、歯がゆい。
ここまでアタシのDJに対して声をかけてくれた人は誰もいなかった。誰も彼も、転換の間はまるでアタシのDJがBGMみたいな雰囲気で過ごしている。
空気になってるのかな。
一番、起きて欲しくなかった状況。じりじりとした思い、そして疲れがアタシを追い詰めていた。
次の出番はタツさんのバンドだ。アタシが唯一レインに「ここはやりたい」と言って転換DJを志願した。何とか、盛り上げたいんだけど。
彼らのファンには若い子が多い気がしたので、初期パンクよりもランシドやソーシャル・ディストーションみたいなキャッチーでポップな選曲をメインにしてみた。狙いが当たって、さっきよりもフロアのノリはいいみたい。
このDJが終わったら、ちょっとフロアに出てみようかな。少しは楽しまないと。でも正直、疲れた…。
やっと客電が落ちた。ドラムがビートを刻み始め、アタシはホッとして先にレコードを片づけようとした。
「サニィ、ちょっと。」
急に声をかけられ、アタシは何が起きたかもわからないままレインに引っ張られていった。
えっ、なに?
アタシ、何かした?
困惑するアタシにお構いなく、レインは出入り口の方に向かう。ドラムの音に交じって、タツさんのMCが聞こえた。
「DJサニィに、大きな拍手をっ!」
歓声と拍手が鳴り響くのを後にして、アタシたちはまだまだ暑さが残る外へ出て行った。
日が傾き、夕焼けが辺りを赤く染めている。こんな時期に革ジャンを着ているなんて頭おかしいと思われるに違いない。案の定、すぐに汗びっしょりになった。
そうか。アタシ、叱られるんだな。
レインはアタシのDJが始まってから、ほとんど何も言わなかった。それもそうだ、ここまでアタシは全くと言っていいほどフロアを盛り上げられてない。
これじゃ転換DJとしての役割を果たせてない。レインもそこは分かってるはず。だからアタシに注意するつもりなんだ。期待に応えられなくて、ごめん。アタシ、ダメだ。
ひょっとしたら、レインはもうこの後を一人で回すつもりかもしれない。だって、彼は言ってたもん。「俺が一人でやってもいいよ」って。
アタシ、もう無理かも。
無力感に加えてこの暑さと疲労。少しおかしくなっていたみたい。自分の思いに没頭しすぎて、急に涼しい空気に包まれたことにもしばらく気づかなかった。
「ここ、どこ?」
「たぶん天国だと思うよ。」
レインは笑いながら答えた。
そこは高架を挟んでミッションの裏手にあるカフェだった。ウッド調の居心地よさそうな店内に、アジアンテイストのBGMが緩やかな時間を彩っている。お客さんは他に誰もいなかった。
「サニィごめん、ちょっとこれ引っ張って。」
レインは革ジャンを脱ぐのに苦労しながら言った。汗を吸ったライダースは簡単には脱げない。
「レイン…何だか足を引っ張って、ごめん。」
彼のライダースを脱がせながら、アタシは何よりもまず、謝罪の言葉を口にした。
「引っ張ってるのは足じゃないよ、革ジャンだよ。」
とぼけたレインの言葉に、アタシは思わず鼻で笑ってしまった。張りつめていた緊張感が音もなく消えていった。
アタシもレインに手伝ってもらってTシャツ姿になった。彼はタンクトップ。一気に軽くなった身体に、冷たい空気が心地良い。
アタシたちはボックス席に落ち着いた。アタシはブーツも脱いでしまった。足をさすってこわばりを解きほぐす。
「サニィ、疲れたろ。少しここで休みな。」
ちょうどアイスコーヒーが運ばれてきた、嬉しい!快適なエアコンも冷たいノンアルコールも、いまのアタシには何よりのご褒美。
「でも、せっかくタツさんのバンドだったのに…。」
「そのタッちゃんのご配慮だよ。」
「えっ?」
レインはコーヒーにミルクを少し垂らした。
「タッちゃんが言ってきたんだ。『サニィが限界っぽいから、俺たちのライヴは気にしないで少し休ませてやれ』って。俺もどこかでサニィに休憩させたかったから、助かったよ。」
アタシの脳裏に、タツさんのイタズラっぽい顔が浮かぶ。
あの人、アタシが思ってたよりずっといい人なのかも。
「次の転換は俺だし、あと1時間弱はゆっくりしてられるから。ちょっとリフレッシュして、また後半も頼むねサニィ。」
「アタシ、まだ続けていいの?」
「えっ?」
アタシはDJが始まってから悶々と抱えていた思いを吐き出した。
「だって、フロアも全然盛り上げられなくて。このままじゃ、バンドの皆さんに申し訳なくてさ。」
「そんなことないよ。」
レインは力強く答えてくれた。
「サニィのDJ、いい雰囲気出してるよ。確かにフロアが湧き上がる感じじゃないけどさ。俺がフロアに出てる時、あちこちでDJがいいって声を聞いたよ。」
そうなのか。いや、レインが言うんだ。間違いない。
「今日はバンドも客も気合い入ったパンクスが多いからさ。確かにハードコアな曲じゃないと、盛り上がりは薄いかも。でも後半になるとトリ目当ての“普通の”客も増えて来るから、たぶんサニィのDJに食いつくんじゃないかな。」
「アタシ、怒られるのかと思った。」
「そんなわけないだろ、よくやってるよ。」
「だって。」
もう一つ気になっていたこともぶつけてみた。
「レイン、何も言わないから。怒ってるとばっかり。」
レインはアタシの顔を正面から見た。その顔は穏やかだった。
「サニィが集中してDJやってるのに、横から俺が口出しすることなんかないよ。信頼してるからさ。」
その言葉は、どんなに長い休息よりも大きなエネルギーをアタシに吹き込んだ。
こんなアタシを、彼は信頼してくれてるんだ。だから、何も言わなかったんだ。アタシが一人でも闘えるように。
アタシ、もう大丈夫。もう迷わない。
「ありがとう。」
レインは素早くアイスコーヒーとハンバーガーを平らげて、また革ジャンを身に着けると颯爽と出て行った。
アタシはサンドイッチをゆっくり味わい、そして目を閉じてちょっとの間、ウトウトした。




