第5章 その8
DJブースでスピンするレインの横に立ち、アタシは出入り口から入ってくる客の姿を眺めていた。
次から次へとオーディエンスが入場してくる。ミッションのキャパは200人で超満員くらいだけど、あっという間に限界まで達してしまいそう。まだ昼の2時になったばかりなのに、すごい!
オープニングDJの持ち時間は30分くらい。レインはトップのバンドに合わせた選曲で、でもオープンしたばかりのフロアを急に盛り上げようなんて無理はせず、確実に雰囲気を作っていくようなプレイを続けていた。これもいつも通り。
ふと、アタシの視線は一人の客に釘づけになった。
「ちょっとレイン。あんなに年配のお婆ちゃんが来てるよ。」
「サニィ、お婆ちゃんなんて言ったら叱られるよ。」
レインは笑いながら言葉を返すと、その客に声をかけた。
「おばちゃーん。」
「あら、レインちゃん。」
ブースに近寄ってきた“おばちゃん”は、小柄で黒Tシャツを着ておばさんパーマを後ろで結び、大きなバッグを抱えた初老の女性だった。とっても優しそうな顔をしている。
「サニィ、この人が松下のおばちゃんだよ。」
松下のおばちゃん!もちろん、知ってる。
60歳を過ぎてライヴハウスに出入りするようになった女性カメラマン。彼女の撮る写真は雑誌やウェブサイトでよく観ていた。躍動するバンドの一瞬をドキッとする一枚に切り取ったその腕に、アタシは何度も魅せられてきた。
お会いするのは初めて。今日は何だかすごい!
「おばちゃん。この子、DJのサニィ。」
「はじめまして、サニィです。」
「あら、可愛いお嬢さん!レインちゃんのカノジョなの?」
「…DJ仲間だよ。」
吉祥寺GBの藤崎さんもだけど、嬉しいことを言ってくれる!そして、GBで同じ質問をされた時に比べてレインの返事が一瞬でも詰まったのをアタシは聞き逃さなかった。
「おばちゃん、トップから来たの?」
「そうよ。今日はすごく楽しみにしてたのよ~みんな素敵なバンドばかりじゃない!お客さんも派手なのが多くて、いい写真が撮れそうだわあ。」
確かに、今日のミッションはいつもにも増して派手だ。地方のバンドの雰囲気は東京のそれとはまた違う独特なものがあるし、お客さんも負けず劣らず気合いが入っている。
「がんばって下さいよ。疲れるからほどほどにね。」
そう言い残して松下のおばちゃんは人込みの中に消えていった。アタシはそんな彼女の背中を見つめた。
「すっごくパワーのある人だね。」
「写真を撮ってるとこ見たら、もっと驚くよ。」
今日はなんだか、キラキラしてる人ばっかり。
アタシも負けないんだから!
爆音と歓声が入り混じる。トップのバンドが始まった。
レインは最後の曲をフェイドアウトすると、レコードを手早く片付けてアタシにバトンタッチした。
「じゃ、次は任せたよ。」
レインはそう言うとアタシに何かを握らせた。そのまま彼はフロアの中へ突っ込んでいった。
まだ始まったばかりなのに、盛り上がりがすごい!
ミッションの中は既にぎっちぎち。通常は動きの少ないフロアの後方まで、人が激しく入り乱れ動いている。前方には早くも巨大なモッシュ・ピットができあがった。こんなノリで、ホントに最後まで持つの?
気を取り直して、レインが渡してくれたものを見た。
LEDのペンライト。これは助かる。
ライヴ中のDJブースは真っ暗で手元が見えない。レコードもCDも明るくないと選べない。ある程度の照明の下でプレイするクラブとは全然違う。
戸惑うことばかり。一つずつ、慣れていかなきゃ。
アタシはキッと唇を結んで選曲に取り掛かった。
最初に使う予定の曲が収録されたレコードは、守田屋に置いてきた。アタシはミキサーのジャックに繋げたMP3の画面をタッチする。あんまり気分は出ないけど、ないものは仕方ないよね。
下を向いていたアタシは、DJブースに走ったドスンという衝撃に思わず顔を上げた。
目の前に、見慣れたアタシのレコードバッグが置かれている。これ、どうして…。
そのすぐ後ろ、ブースの前でこっちを見ている小さな人影。
「…ナミ。」
薄暗いライヴハウスの中、彼女がどんな顔でいるのかはよく見えない。一瞬、ここがどこだかも分からなくなった。
周囲の喧騒も忘れ、ただアタシたちは立ち尽くしていた。
ナミがアタシに抱きついてきた。アタシは彼女を受け止めた。
弾みで二人の涙が飛び散り、混ざり合う。
固く抱き合ったまま、アタシたち二人は子供みたいに泣いた。
今日は絶対に泣かないつもりだったのに!
もう化粧が乱れちゃう。
周りの人は気づいてるのかな?
どうでもいいや。こんな嬉しいことはない!
ナミもアタシも、何も言わずお互いを痛いくらいに力いっぱい抱き締め合った。息が止まるくらいに強く。
ようやくアタシたちは身体を離した。
ナミがジェスチャーで外に出ようと促す。まだライヴは始まったばかり。選曲は後でも十分、間に合う。
「ナミ…ごめんね。ホントに、ごめんね。」
外に出ると、うだるような暑さが襲ってきた。中にいると気づかないけど、まだ日はあんなに高い。
ナミはハンカチで涙を拭っていた。鼻がグスグス鳴っている。
「サニィ、格好いいね。見違えちゃったよ。」
ナミは精いっぱい笑顔を作って言った。アタシも唇を震わせながら言葉を続けた。
「アタシ、何か言えた立場じゃないけど…。」
「いいの、そんなのこと。」
ナミはアタシの謝罪をぴしゃりと遮った。
「今日はアンタの大事なライヴDJデビューでしょ?あれが必要だと思ったから、持ってきたよ。」
「…ありがとう。ホントにありがとう。」
「サニィ、守やんに電話して。今日じゃなくていい。今日はライヴに集中して、明日になったら電話して。大丈夫だから、何も問題ないよ。大丈夫なんだよ。」
守やん。問題ないって…怒ってないのかな。
アタシ、戻れるのかな。守田屋に戻れるのかな。
「分かった、必ず電話するね。」
「良かった。それだけ伝えに来たの。」
そう言ってナミは立ち去ろうとした。
「ナミ、行っちゃうの?」
「チケット買えなかったんだ。コイツがゴンさんに頼んでくれてて、入り口だけ通らせてもらったの。」
ナミがアゴをしゃくった先には、ナミの旦那…彼氏が壁に寄りかかっていた。アタシ、ナミのことに没頭してちっとも気づかなかった。
「そうか…ありがとうね。」
彼氏は“そんなことはいい”という風にうなずいた。
「ゴンは『ゲストでもいい』って言ってくれたんだけどな。ナミがいいって。」
「アタシ、胸いっぱいになっちゃってさ。もう、サニィの顔を見ただけで…。」
そう言ってまたナミは涙ぐみ始めた。アタシもまたウルウルきてしまったが、もう泣くわけにはいかない。
心の友とお兄ちゃんが、許してくれた。
彼らのためにも、やらなきゃ。
「ナミ、来てくれてありがとう。レコードバッグもありがとう。アタシ、がんばるから。」
「がんばって。あとで連絡してよ、絶対だよ。」
「もちろんだよ。ナミ、大好き。」
「アタシも、サニィ大好き。」
ナミは彼氏の腕に抱かれて、まだグスグスと鼻をすすっていた。何だかナミらしくなくて可愛い。
「ナミ、ありがとう。旦那もありがとうね。」
「旦那じゃねーし!」
ナミと彼氏が声をそろえて言った。その声のシンクロ加減に、思わず声を上げて笑ってしまった。息、ピッタリじゃん。
「じゃあ、アタシ行くね。」
「がんばってな。」
ナミはアタシの手をギュッと握り、彼氏は軽く手を振って、そして二人は駅の方へ歩き去っていく。
彼氏の声は、「ナミの友達」としていつもアタシにかけるトーンとは違っていた。バンドマン特有の力強い言葉。
口にはしないけど、彼はこう言ってたんだと思う。
「こっち側へようこそ」って。




