第4章 その5
ナミがアタシに負けない本気のセットでフロアをダンスホールに変えた。その後がDJパルスの出番だった。
フロアの客がごっそりと入れ替わる。彼は大勢のお客を連れて来ていた。常連はいったん下がっていく。選曲が良ければまたフロアに戻ってくると思う。
たとえ有名DJでも、名前より実際のプレイが重要。アタシたちの世界では、信用とは勝ち取るものだから。
確かDJパルスが守田屋でプレイするのは初めて。果たして、どんな選曲をするのかな。ちょっと気になる。
「続いては本日のスペシャルゲスト、DJパルス!」
女の子たちの黄色い声が店内に響く。
MCは気を利かせたんだろうけど、守田屋の5周年に“スペシャルゲスト”という概念はない。素人でもベテランでも、一見でも常連でも同じように接する。それが守やんの思い。
ま、別にいいけどね。
DJパルスはもったいぶった動きで、ターンテーブルに針を落とした。
値踏みするようにフロアに視線を送り、ミキサーに目を戻す。
1曲目に彼が選んだのは…。
“ソニック・リデューサー”。
えっ?
盛り上がるフロアと対比するみたいに、常連たちのシラケた空気が伝わってくる。
アタシは呆気に取られてしまった。
わずか1時間前に、アタシは同じ1曲目に同じ“ソニック・リデューサー”を回した。それはアタシのセットを聴いていたなら誰でも分かっているはず。
彼は、明らかに何も聴いてなかった。分かっていても何も言わない取り巻きの反応にご満悦で、周りが盛り下がっていることにさえ気づいていない。
「なに、アイツ。」
ナミが軽蔑したようにささやいた。
イライラが腹の底から湧き上がってくる。
確かに、誰が何の曲を回そうと自由だ。曲が他のDJと「かぶる」のは別に罪じゃない。
それでも、わずか1時間前に出たDJと同じ曲を、しかも曲順まで完全に丸かぶりなんて。売れっ子DJが聞いて呆れるよ。
よりによってアタシの大事な大事な思い出の曲を!
アタシだけじゃなく、レインまでもコケにされた気がして仕方ない。今まで楽しすぎて感じなかった、ここ数カ月の疲れが一気に押し寄せてくる。
ダメだ。アタシ、キレそう。
不意に肩をポンと叩かれた。
振り向くと守やんだった。触れられた手のぬくもり、屈託のない笑顔がアタシのささくれだった気持ちを柔らかく鎮めてくれる。
「サニィ。気にしない、気にしない。これで、さっきのサニィのDJの価値が下がるわけじゃない。みんな分かってるよ。」
「守やん…。」
「少なくとも俺は、サニィのさっきのDJが聴けただけで十分満足だよ。ホントに良かった。」
「守やん、ありがとう。」
守やんの言葉を支えに、アタシは怒りを飲み込んだ。イヤな気分も一緒に捨ててしまえ、とカウンターの片づけを再開する。
DJパルスは、お構いなしに自分のプレイを続けていた。
パルスのセットが終わり、彼はまたボックス席に戻って女の子たちとお喋りの続きを始めた。
アタシはさっさとブース前に移動し、次のDJで大いに盛り上がった。あんな奴の近くにいるのはごめんだ。
イヤな気分を振り払いたくて、ラムコークをがぶ飲みしたのが利いちゃったかも。
「ナミ。アタシ、おしっこ。」
「はいはい、報告せんでもよろしい。」
こんなやり取りも、いつものこと。
店内と同じく、トイレも行列になっていた。何とか間に合ってセーフ!危うく、5周年で伝説を作るところだった。
フロアでソニック・ユースがブンブンと鳴っているのが聴こえる。“ティーンエイジ・ライオット”アタシの大好きな曲。
トイレから出てくると、目の前にDJパルスが立っていた。
…かんべんしてよ。
そんな気持ちにお構いなく、彼は妙に愛想よく話しかけてきた。
「どもども、お疲れ様ー。」
「あ、お疲れ様でーす。」
そう言ってさっさと彼の横を通り過ぎようとしたけど、彼はアタシの前に立ちふさがって行く手を阻んだ。
「君、ここの店員さんなの?」
「いや、違います。今夜だけ守やんのお手伝いで。」
「そうなんだ。DJ、良かったよ。」
ウソつけ。お前、聴いてなかったろ。賭けてもいいけど、コイツはアタシの出番がいつだったかも知らないはずだ。
ナイショ話でもするみたいに、彼は身をかがめてアタシに顔を近づけてきた。吐く息がとても酒臭い。
DJとしても、男としても一番キライなタイプ!
「僕のこと、知ってます?」
「ああ、はい。」
あえて名前は言わないでやった。コイツのプライドを傷つけることなら何でもする。
DJパルスはそんなアタシの意図に気づく様子もなかった。
「そう。良かったら、僕のイヴェントに出ない?ちょうど近々、女の子DJメインのイヴェントがあるんだけど。」
さっきから彼の視線が、アタシの身体を舐め回すようにじとじとと動き回っている。とっても不愉快。
今夜のアタシは、いわゆる「フェス女子」な感じでまとめてきた。
ローライズのデニム・ホットパンツに、ミニのデストロイTシャツ(レインとお揃い)。ショートブーツを履き、いつものフープ・ピアス。さすがに「お団子ヘア」にはしなかったけど、髪の毛はアップしてきた。
季節はもう夏だし、お手伝い用に身軽に動けるスタイルでと思ったんだけど…お腹で結んでいたシャツが暑くて取っちゃったので、店内を駆け回るとおへそがチラチラ見えるのは、確かにアタシ自身もセクシーが過ぎるかなと感じてはいた。
よりによって、こんな男を釣り上げてしまうなんて。
「いや、そういうのあんまり興味ないんで。」
「そうなの?じゃあ、どんな感じのイヴェントならいいのかな。言ってくれれば何でも紹介するよ。」
いわゆる“壁ドン”で彼はアタシに迫ってきた。あーもう、気持ち悪りー、めんどくせー。
さっきからDJサトウ君がこっちをチラチラ見ている。心配してるようなイラ立っているような顔つきだけど、かと言ってDJパルスに面と向かって喧嘩を売る度胸はないみたい。
まったく、どいつもコイツも。
まあ、こんな男のあしらい方は慣れている。適当にかわして、振り切っちゃえばそれでオッケー。でも、今夜のアタシはどうしても彼に聞かずにいられなかった。
「さっき、アタシのDJって聴いてました?」
「もちろん聴いてたよ。ナイスDJだったね。」
「1曲目、何だったか覚えてます?」
「え?いや、あの、よく覚えてないな。」
「“ソニック・リデューサー”だったんですよ。」
「あー、俺の1曲目ね、そう。そうだよ。」
「違いますよ。アタシも1曲目が“ソニック・リデューサー”だったんです。アタシの方が先に回してたんですよ、もちろんアナタがここにいた時間に。そのこと、気づいてました?」
彼はやっと、何を言われているか分かったみたいだ。酒に緩んだ表情が、みるみる硬くなった。
「そう…そう、だったよね。そうそう。」
「どう思います?」
「どうって…別に、いいんじゃないの。」
その瞬間、アタシのたまりにたまったストレスが一気に爆発した。
「“いいんじゃない”じゃねーよコノヤロー!」
間の悪いことに、怒鳴り声に曲のブレイクが重なった。放たれた言葉は店内中を駆け巡った。
絵に描いたような「シーン」。
やっちゃった。
でも、ここで引くわけにはいかない。引いたらアタシはこの男、DJパルスに永遠にバカにされることになる。それは評判が全てのこの業界で、DJ人生の終わりを意味する。
こんなやつに負けて終わるわけにはいかない。
「お前、ここにDJしに来たんだろ?他のDJの音もロクに聴かないで、女ばっか口説いてさ!何が売れっ子DJだよ、ふざけんな!」
てっきり“売り言葉に買い言葉”で激しい文句が返ってくるかと思ったけど、アタシの目の前で天下のDJパルスは、まるで叱られた子供みたいにブルブルと震えながら立ち尽くしていた。
弱い。弱すぎる。
その哀れな姿が、かえってアタシの怒りに油を注いだ。
「何を思い上がってんのか知らないけどさ!大事な大事な守田屋の5周年で…人のセットを聴きもしない、同じ1曲目で同じ曲かぶせる。それはまあ、まだ許すよ。だけど、曲かぶった相手をナンパしてウソまでついてんじゃねーよ、このバカ!」
「いや、誤解だよ…。」
間の悪いDJがこの状況に曲を止めてしまった。店内は水を打ったように静まり返り、アタシの言葉だけが静寂を切り裂いていく。止まらないのはアタシ。
「アタシが尊敬するDJに“自分の出番だけやってればいい”なんて人は一人もいないよ!みんな音楽が好きでDJが好きで、クラブ盛り上げるために一生懸命やってんだよ!」
「いや、だから、悪かったって…。」
「守やんが今までどんな思いでこの店を守ってきたと思ってんだよ!今夜は5周年なんだよ!お前にここで回す資格なんか、DJやる資格なんかないよ!」
そこまで言ってから、アタシは我に返った。
店内は凍りついていた。何の物音もしない。
いや、かすかに聞こえる、ヒューヒューという変な音。
見上げると、目の前でDJパルスが泣いていた。
か弱い女の子の前で、長身の「売れっ子DJ」が背中を丸めてさめざめと泣いている。
反省したというより、単にビビッてしまったようだった。
かすかな満足感は、たちまちすさまじい後悔に埋め尽くされ跡形もなく消えてなくなった。
誰も近寄ってこない。誰も話しかけてこない。
すぐそこにいるはずの守やんの顔を見ることができなかった。
アタシは衝動的に駆け出した。あちこちと誰かの身体にぶつかりながら、逃げるみたいに守田屋を飛び出した。
外には誰もいない。アタシは通りを走り出した。
「サニィ!待って!」
後ろからナミの声が聞こえたけど、アタシは振り向かずに走り続けた。
走りながら泣いた。声をあげて泣いた。




