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第1章 その2

アタシはそんな下北沢の路地裏にあるクラブの一つ、その名も「守田屋」のソファーに腰かけて、細長いグラスに入ったラムコークを飲み、大音量のスピーカーからあふれ出る曲を聴くともなく聴きながらぼんやりと出番を待っていた。

奥にあるDJブースではシングルのライダース(前打ち合わせが重なっていないシンプルな形の革ジャン)を着た細身のDJがスピン中だ。彼の得意ジャンルはガレージ・ポップ(まるでガレージで演奏しているような、粗っぽさとポップ感を兼ね備えたシンプルなロックンロール)。バブルガムでチープな音が心をそわそわとくすぐる。アタシたちの日常感。

伸ばしっ放しにしていた髪がどうも気になる。毛先がウェーブしているのを、指にくるくると巻きつけてはもてあそぶ。そろそろ、ヘアーサロンに行こうかな。

今日はイエローのシフォン・ワンピースに、シンプルな黒いストッキングとレザーのピンヒールでキメてきた。まだ春先なのでアウターにはキャメルカラーのミリタリー・シャツ。大きなフープ・ピアスをつけて、女優帽(幅広の縁が垂れた、ソフトな印象を持つ帽子。ガルボ・ハット)を合わせる。道を歩きながらクルッとターンしたくなる、大好きなコーディネイト。

隣には大親友のDJナミが、さっきから爆音にも負けないくらいの大声で他愛もないことを喋り倒している。アタシはまた髪の毛をいじっていた。

「サニィってば。ちゃんと聞いてる?」

「ああ、はいはい。聞いてますよ。」

ホントはちゃんと聞いてない。ナミの話は8割がどうでもいい話で、2割はもっとどうでもいい話。実際はナミもアタシが聞いているかどうかは気にしてない。

それでもナミが好き勝手に喋り倒しているこの時がアタシにとっては至福の時間で、それはつまりナミのことが大好きってこと。DJとしても、友達としても。

ナミは80年代の歌謡曲を(DJのジャンルとして)得意としている。ノリの軽いスピン(DJプレイのこと)をするけど、彼女が本気になればその引き出しは底知れない。

「ねえ。アタシさ、最近すっごく、いいバンド発見したの。」

急に話題が変わるのもナミの得意とするところ。

「なに、動画サイトか何かチェックしたの。」

「違う違う。ほら、アイツのライヴでさ。」

ナミがいう“アイツ”とは、パンクバンドでギターを弾いてる彼氏のこと。お調子者で打ち上げになるとすぐ脱いじゃうような男だけど、彼女とは妙にウマが合うみたい。ナミは彼氏のライヴにちょくちょく顔を出し、彼氏もナミが出演するDJイヴェントの終わり頃によく現れる。アタシも彼のことは嫌いじゃない。

「ナミ、それってパンク?」

「うん。何かね、カッコ良すぎて途中で笑えてきた。」

「なに、それ。」

「曲のさ、次に来るフレーズがいちいちツボ過ぎるのよ。欲しいところに欲しい音が来るって、分かる?」

「何となく。」

「ギターとドラムがまたいい男だし!」

「それ重要ね。」

「でしょ。ねえ、一緒に行こうよ~。来週の土曜、サニィも空いてるでしょ?」

確かに、その日はイヴェントが入ってないけど。

「何てバンド?」

「えっとね、“ニー・ストライク”だったかな。」

「ふーん、知らないなー。場所は?」

「ミッション。高円寺。」

「えーっ。」

アタシは高円寺が苦手。なぜ、と言われると説明が難しいけど…空気の違い、とでも言えばいいかな。

下北沢の空気は軽い。高円寺の空気は重い。

下北沢の雰囲気はポップ。高円寺の雰囲気はソリッド。

下北沢はオルタナティブ。高円寺はストレート。

下北沢はソフト。高円寺はハード。

同じロックでも、下北沢と高円寺ではまったく毛色が違う。アタシは断然、下北派だった。

「ねえ、行こうよ。」

「うーん…。」

「帰りに大将で一杯おごるからさ。」

ナミは秘策を持ち出した。高円寺でアタシが心惹かれる店といえば、焼き鳥の大将。オヤジ臭い?ほっとけ。女子に寄り過ぎないのがアタシのスタイルだもん。

今夜のオーガナイザー(企画者)がこっちに寄ってきて、手のひらを広げて5本指を見せた。出番まであと5分。アタシは小さくうなずいた。

「しょうがない、付き合うよ。」

「やったね、さすがサニィ!一人だと間が持たなくてさ。」

「なに、旦那のライヴじゃないの?」

「旦那じゃないし!今回は違う。だいたいね、アイツはライヴの時だとアタシのことなんか基本、放置だもん。こないだなんかアイツが飲んだくれてる間にアタシ、ナンパされてさ…。」

またしてもナミのトークが止まらなくなってきた。アタシは微笑んでまたラムコークを口にすると、自分のレコードバッグをチェックし始めた。


レコードを使うときはターンテーブル。CDを使うのならCDJ(というのは本当は商品名なんだけど、DJのCDプレイヤーは全てCDJと呼称することが多い)。今はPCやタブレット、スマホがあればDJするのにミキサーすらいらない。中にはMP3プレイヤーをラインに刺して流しっぱなし、それだけでDJだっていう人もいる。

アタシはそれに対して特にどうこう思うことはない。

レコードの柔らかい音は好きだけど、正直そこまでのこだわりもない。CDでも十分に場の空気は作れるもんね。

PCを使うのはあんまり好きじゃないけど、音源が足りない時や持ってくるのを忘れちゃった時に手持ちのMP3に助けられたことは何度もある。

要は好みの問題ってこと。あんまり難しく考えないで。

オーガナイザーがマイクを握った。

「さあ、続いてのDJは…守田屋の生え抜きDJといえばこの人!何でも回せるDJ職人、酒さえ飲まなきゃいい女…。」

「なんだと~!」

オーガナイザーの軽口にあちこちから笑いが起こる。どうせ、アタシゃ飲んだくれだよ。

「紹介します、DJサニィー!」

店のあちこちからパラパラと拍手が起こる。店内にいるのはDJとお客さん、店員を合わせても十数人。決して多くはないけど。

今から、ここにいる全員をアタシの色で踊らせてやるんだから。

アタシはレコードに針を落とし、最初の1曲を回し始めた。この瞬間が、何度やっても初めての時みたいにワクワクする。

さあ、今夜も始まるんだ。


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