第3章 その4
「サニィ、ちょっといい?」
守田屋で声をかけてきたのはDJサトウ君だった。新宿にあるロックバーでイヴェントを主催しているDJだ。
「なに?」
アタシは自分の出番を終え、ボックス席に戻ってきたばかり。木曜の夜はたいていクラブイヴェントが入っている。
あと一日仕事をがんばれば休み、ここで弾けても何とかなる。平日のDJなら木曜日がおすすめ。
「うち、次回で1周年なんだ。サニィに出て欲しいんだけど。」
「えっと、何日だっけ?」
「来月の13日。」
アタシは手帳を開いた。アナログだけど、これが一番信用できる。
「あー、ダメだ土曜日だ。ごめんね。」
「えー、出て欲しかったんだけど。もう他に決まってるの?」
「ううん、ライヴ観に行くの。」
「確か、この前に誘った時もそんなこと言ってたよね。最近、付き合い悪くない?」
サトウ君の口調が少しキツくなった。怒ってるのかな。
「あー、ごめんね。」
「みんな言ってるよ。サニィ、最近イヴェントに出てくれないって。もっと繋がり大事にしようよ。こっちは周年イヴェントなんだからさ。前にも“お願いするかも”って念を押したじゃん。」
「そうだったね、ホントごめん。」
「あんまり言いたくはないけど、ここんとこプレイも中途半端になってるし。サニィのためだから敢えて厳しいこと言うけどさ。ちょっと、考えた方がいいと思うよ。」
気がついたらお説教されていた。
サトウ君がプリプリしながら行ってしまうと、それまで黙っていたナミが口を開いた。
「だせえ男。」
「まあ、話半分で聞いてたアタシが悪いんだけどさ。」
「だからって、あの言い方はねえし。大してキャリアが上でもないのに先輩かって。」
「なんであんなにムキになってるのかな?」
「その答えは簡単だね。」
ナミはアタシの耳に口を寄せた。
「アイツ、サニィのこと好きだもん。」
「えっ、そうなの?げーっ。」
アタシはフロアに突っ立ってるサトウ君の方を向いた。
ネルシャツにジーンズ。もっさりしたセンター分けに赤ら顔。地味な顔立ちでつぶらな瞳の小男。
小柄でパンクDJということ以外、レインとの共通点は一切ない。
「サニィが自分の知らないDJに入れ込んでるの、噂になってるからね。面白くないんでしょ、よりによって自分と同じパンクDJだから。」
「同じじゃないし!天と地ほども違うし。他はいいけど、それだけは全力否定させて。マジであり得ないから。」
フロアにはレッド・バクテリア・バキュームの“恋愛ミュージック”が流れている。
“恋愛ミュージック これは不思議な恋愛ミュージック”
“恋愛ミュージック 一方的な恋愛ミュージック”
「アタシのこと、噂になってるんだ。」
「まあ、ね。陰でコソコソ言ってるやつはいるよ。」
「なんて?」
「男に夢中になってDJがおろそかだ、とか。クラブDJをバカにしてる、軽く見てるとか。」
そんな風に言われてるんだ。
そんなつもりはない。アタシは守田屋が好きでクラブが好きで、下北沢が、この空間が大好きだ。クラブDJにプライドを持ってるし、クラブでのDJを愛してる。
レインに恋をしたのは、それとは違う次元でのお話。彼のおかげでアタシには新しい世界が開けた。最近はあれほど苦手にしていた彼のホーム、高円寺さえも好きになりかけている。
季節は春から梅雨に変わった。
ここ1~2ヶ月の間、アタシは土曜か日曜か、レインがDJ出演するライヴに通い続けていた。
行くたびに新しい発見があり、今までとは違った角度でDJを感じることができる。
レインとの関係はあまり進展してなかったけど、電話とLINEは教えてもらって日に何度かメッセージを入れる。レインは必ずプロレスのスタンプと一緒に返事を返してくれて、それはアタシにとって何よりの励みだった。
そんなわけで土日のイヴェントにはめっきり参加する回数が減ったけど、こうやって平日のイヴェントには出ているし、アタシ的には何も変わったつもりはないんだけど。
今まで普通に共演していた人たちからそんな噂を立てられるのは、例えようもなく寂しかった。
アタシにも至らない部分があるんだろうけど…。
「サニィ、気にすんなよ。」
ナミは励ますように言った。
「そんな話をしてるやつがいたらアタシが怒鳴りつけてやるから。というか、もうやっちゃったけど。」
…やっちゃったのか、ナミ。
「ありがとう。でも、そんなことしなくていいって。」
「するさねー!陰口叩くようなやつなんて大抵、ロクなもんじゃないんだから。いい機会だから思い知らせてやればいいんだよ。」
ナミの言葉はいつもアタシを元気づけてくれる。言葉だけじゃない、ナミの存在自体がアタシの元気のもと。
「アタシはサニィを100%応援してるし、アンタは何も間違ってないんだから。女が恋して何が悪いっての!真っすぐレインに向かってけばいいよ。サニィみたいないい女、絶対に幸せにならなきゃウソだからね。」
心の友よ!
鼻の奥にツーンと熱いものが込み上げてくるのを、唇を噛みしめてガマンした。ここで泣いたら噂好きな連中の思うツボだもん。
「泣くなよ、サニィ。」
「言うなよ、ナミ。」
「アタシん時だって、サニィが背中を押してくれたんだから。今度は、アタシの番。」
ナミの言う“アタシん時”の話。
ナミと彼氏が付き合うかどうかで揺れていた頃、お酒の席で彼女から相談を受けたことがあった。
アタシはそのときひどく酔っ払っていて「とりあえず、一発やってこい」とめちゃくちゃなアドバイス?を送った。
それを真に受けたナミはその足で彼氏の家に向かい、二人は結ばれたというウソみたいな経緯があって、以来ナミはそれを恩義に感じているらしい。
ま、アタシは酔っていただけだし、だいたい同じ作戦はレインには通用しなかったけど。
「ありがとう、ナミ。」
「ほら、頼もしい味方はもう一人いるぞ。」
カウンターを見ると、守やんがニッコリ笑って手を振ってくれた。アタシも笑顔で手を振り返した。
そうだ。
アタシには頼もしいアニキと心の友がいる。仲間の数としては十分だ。
周りは気にせず、アタシはアタシらしく進んでいけばいい。
アタシらしく、か。
もう一つ、自分でも気になっていた。
「ねえ。アタシのDJ、最近ブレてるかなあ。」
「それもサトウに言われたんでしょ?気にすることないよ。でも、まあ…迷ってるというより、いろいろ考えながら回してるのは分かるけど。」
そう。そうなんだ。
レインのDJを聴いて以来、アタシはそのスタイルを何とかクラブでも応用できないか試行錯誤していた。
でもいろいろと試してみても、どうも何かが違うんだな。
クラブだからなのか、アタシだからなのか。
そんな焦りみたいなものは、確かにスピンに影響しているのかもしれない。
それでも、アタシはアタシとレインを信じて前に進む。そう決めたんだ。
悩むなら、とことん悩んでやるんだから。




