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第3章 その2

ま、とにかくだ。

アタシは混雑する帰りの小田急線でひとり思案した。

確かに、完全にやらかした。

レインに“酒癖の悪い女”と思われても仕方ない。マイナスが付いたことは痛いけど、過去を振り返っても何もならない。

逆に言えば、“やらかした”ことでレインとの関係に“続き”ができたことも確かだ。

彼には大きな借りを作ってしまった。いろいろと助けてもらったし、タクシー代だってまだ返してない。

今週の土曜日には吉祥寺でまたレインがDJで出演する。普通なら恥ずかしくて顔出しできないかもだけど、アタシには“お礼とお詫び”という大義名分がある。

そう思えば悪くはない。逆転は可能。

経堂駅に到着。アタシは他の乗客にまじってホームに降り立った。

ところで、タクシー代は返せばいいとして…介抱してもらったお礼はどうしようか?

ありきたりのプレゼントは安っぽいな。

レコードやCDの音源をあげてもいいけど、彼が持っているものだったら意味がないし。

ビールの差し入れは前回で懲りた。それに彼の前でもう飲めないよ。

と、なると。

アタシは経堂駅の階段を降りながら一人ほくそ笑んだ。

よし、次はアタシの女子力の高さを見せつけてやる。


吉祥寺駅を降りてダイヤ街を通り抜け百貨店の裏手に回ると、そこが吉祥寺GB。

吉祥寺では割と新しい方に入るライヴハウス。奥行きが広くて音響がとても良い。メジャーなバンドのライヴから学生のコンテストまで、様々な企画を打っているハコ。

アタシはGBに繋がる広い地下階段を降りていた。ライヴが始まるにはまだ少し早い。

レインには、きちんと先日のお詫びとお礼を伝えなきゃならない。DJの途中じゃなく、その前に会っておく必要がある。

「サニィ。」

声をかけられて振り向くと、当のレインが階段の上に立っていた。不意を突かれてドギマギするアタシ。

今日のレインはシングルのライダースに革パン(レザー・パンツ)、インナーに白のラモーンズTシャツといたってシンプル。足元は白のクリーパーズ(いわゆるラバーソウル)で、帽子もなし。

対するアタシも今日はシンプルだった。ピタピタにタイトな黒スキニーパンツ、無地の白Tシャツにギンガムチェックのシャツをジャケットのように重ねる。ダサくならないコツはチェックシャツのサイズ感。

コンセプトは“反省してます”だ。

階段の下まで降りてきたレインに、アタシは深々と頭を下げた。

「こないだはご迷惑をおかけしました。」

チラッと視線を上げて、申し訳なさそうに彼を見る。

「いやいや、全然。大丈夫だった?」

「お陰さまで。」

アタシは恥じらうように後ろで手を組んだ。

「いつもは、ああじゃないんだよ。信じてもらえないかもだけど。」

「分かるよ。楽しそうだったからさ、つい飲み過ぎちゃうこともあるよね。」

レインは今日も優しく気遣ってくれる。彼が先週のことで怒っていないと分かり、アタシはホッとした。

「レイン。この前のタクシー代、アタシ払うから。」

「いやいや、いいよ。」

彼はコインを返そうとした時みたいに手を振った。

「そうはいかないよ。アタシが一方的に迷惑かけたのに、お金まで出してもらうなんて。」

「過ぎたことだから。困ったときはお互い様だし。」

「そんなの、だめ。」

しばらく押し問答が続いたけど、アタシが現金を出しても彼はガンとして受け取らなかった。

「借りも貸しも好きじゃないから。いいんだよ。」

「だって喧嘩の時とは違うんだから。完全にアタシが悪いんだよ、両成敗とかじゃないんだからさあ。」

「喧嘩って?」

いけない、うっかり余計なことを言ったと後悔。

ミッションでのパンクス同士の喧嘩。自分には関係のない、野次馬的に首を突っ込んだことは言わないのもこの界隈のルールだから。

「ううん、何でもない。」

しょうがない、とりあえずお金の件は保留にしよう。


「でもそれじゃ全く気が済まないから。とりあえず、これね。」

そう言ってアタシは可愛いバンダナに包んだランチボックスをレインに渡した。

「これ、なに?」

「開けてみて。」

レインは丁寧に包みをほどいた。バンダナを返してもらう時に、二人の指が触れ合う。

レインはふたを開け、中をのぞき込んだ。

アタシは内心ニンマリしながら彼の反応を待っていた。

「鶏ハムだ。」

レインのひと言はアタシが予期していたものじゃなく、思わず声が上ずるのを抑えることができなかった。

「ありがとう、これ好きなんだよ。」

「レイン、鶏ハム知ってるの?」

「うん、俺も作るから。」

「そうなんだ。」

アタシは落胆が顔に出ないようポーカーフェイスを保った。

鶏ハムは皮を取り除いた鶏の胸肉に塩やコショウ・砂糖やハチミツを数日間漬け込み、低温でじっくりボイルして作る自家製ハム。今日は完成したものをスライスして持ってきた。とても難しい料理じゃないけど、手間と時間がかかる。

料理好きで飲みに行く時以外はほぼ自炊。そんなアタシの女子力をアピールするのに最適だったはずなのに…。

「食べてもいい?」

レインのひと言でハッと我に返った。

「もちろん。食べて。」

いっぱい食べてもらいたいという思いをグッと押さえて少なめに入れてきたのは、“他のやつに食わせるなよ”という乙女心。優しいレインのこと、山盛りに持って来たら出演者みんなで回しかねないもん。

オープンの30分前。受付前には誰もいない。

「これ全部、レインのだからね。」

念のため、言葉でもアピール。空気読めよ。

レインは一緒に入れた小さなプラフォークを使って一切れを突き刺し、口に入れるとよく噛んでから飲み込んだ。

うー、緊張する。

「どう?」

「うん、美味い。」

アタシはホッとした。

「人が作った鶏ハムを食べるの、初めてだから。俺が作ったのと、やっぱり違うわ。」

「今度、レインのも食べさせて。」

「いいよ。これホントに美味いよ、ありがとね。」

嬉しい一方で、「こんなはずじゃなかった」という思いも渦巻く。レインには純粋に、アタシの料理の腕前について感心して欲しかったのに…喜んでくれたのは間違いないけど。

どうも、レインに対してのアタシの思惑は空回りしてばかり。

“ひょっとしてアタシたちは根本的に合わないのかな?”

そんな不安がよぎるのを、アタシは即座に打ち消した。

目の前で鶏ハムを美味しそうに食べてるレイン。

いま彼は、アタシの心遣いに喜んでくれている。

これが積み重なった先に未来があるんだ。

未来は予見するものじゃなくて、作り上げるものなんだから。


「これはお礼のうちに入らないからね。また今度、ちゃんとお礼させてね。」

レインはかぶりを振った

「いいよ、もうこれで十分だよ。最高だよ。」

「だめだめ、そんなの。絶対に何かするから…すぐには思いつかないけど。でも約束だからね。」

「別にいいのになあ…。」

「約束だよ。」

「分かったよ。」

やった。

強引だったけど、とにかく次につながった。

今はこうやって前に進む糸口をひたすら探していく、それしかない。必ず道は開けるから。

GBの入口から、色が黒くて長めの髪を後ろに撫でつけている50代くらいの男の人が出てきた。カーキ色の上着を着てジーンズを履き、手にはフライヤーの束を持っている。

「あれレイン君、カノジョ?」

「DJ仲間です。」

レインが動揺せずに即答したことに気落ちしかけたけど…いちいち気にするな。これからだ、これから。

「可愛い子じゃない。お似合いだよ。」

そんな素晴らしいセリフを言い残してニッコリとアタシに会釈すると、彼は去っていった。

「あの人、誰?」

「藤崎さん、ここの店長。熱い人だよ。」

「いい人だね。」

アタシはしみじみと言った。その言葉の意味にレインが気づいた様子はなかった。

「もうライヴ始まるからさ、少し待っててよ。」

「選曲するの、横で見ててもいい?」

レインはランチボックスのふたをパタッと閉じた。階段の上から、パンクスたちがぞろぞろと降りてくる。

「おいでよ。」

そう言ってレインは歩き出した。レインがさりげなく仲間から鶏ハムを隠したことを喜びながら、アタシはいそいそと彼の後を追った。


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