第2章 その4
今夜のイヴェントは経験の浅いバンドが多いみたいで、前半から中盤にかけては先週のニー・ストライクみたいな盛り上がりに欠けた。雰囲気も全体に大人しいみたい。
その中で、転換時のDJブースの周りは常に盛り上がっていた。レインは単にヒット曲や熱い曲を回すだけじゃない。緩急つけての選曲はオーディエンスを飽きさせない。
彼の選曲にいちいち「それそれ!」と反応してしまうアタシがいる。たぶん今夜のライヴで一番盛り上がってるのはアタシ。
そうやって彼のDJを2セット3セットと聴いているうちに、アタシには気になることが出てきた。
何というか彼のプレイには、アタシが観てきたどのパンクDJとも違う、ある種のクセみたいなものがある。選曲の選び方が今まで見てきたどのDJとも微妙に違う。確かにツボなんだけど、予想の上を行ってるというのかな。
それが具体的に何なのか、今はまだ分からなかった。
とにかく。
アタシはカウンターのスツール席に座って作戦を練った。
このまま彼のDJを聴き続けていたら、楽しいけどライヴが終わっちゃう。そろそろ行動を起こさないと。
レインはどのバンドのライヴでも、始まると同時にフロアへ飛び込んでいき、激しくモッシュし、ダイブし、拳を挙げ、ブースへ戻って次の転換の準備をしてまたピットへ戻っていく。
今夜のDJは彼一人だけなのに、すごいスタミナ。そしてライヴを盛り上げようという真摯な姿勢。何よりも、ライヴが大好きなんだろうな。そんなピュアな彼の姿にアタシの気持ち、くすぐられっ放し。
意識がそれちゃった。つまり、バンドが出ている間はダメだ。彼がスピンしている時に行くしかない。アタシもDJの端くれ、声をかけていいタイミングくらいは分かるから。
次の転換が勝負だ。アタシは深呼吸をしてレコードバッグを床に置いた。
バンドが演奏を終えて、フロアから人が散っていく。
レインはビールを飲み干していた。アタシは買ったばかりのビールを片手に、緊張しながらDJブースに近づいていった。
ARBの“ヒットマン”が流れている。あからさまに売れた曲じゃないけど、いい選曲。いいセンス。
レインは次のCDをCDJにセットしていた。ヘッドフォンを片耳に当て、真剣な顔で音のチェックをしている。
アタシはドキドキしていた。黒い金網が張られたDJブースの目の前に立つ。みぞおちの辺りがこわばっている。
レインがヘッドフォンを外して前を向いた。
今だ。
アタシは意を決してブースの横に回り、ポンポンと彼の肩を叩いた。
薄暗いフロア照明の下で、振り向いた彼の顔はやっぱり少年のようだった。
彼に見つめられて、アタシは消えてなくなりそう。
できるだけ自然な感じを装って、はにかみながらビールのカップをそっと差し出した。
彼の視線がカップに移る。
彼はしばらく黙っていた。
アタシも言葉が出なかった。
爆音響き渡る高円寺のライヴハウスで、アタシたち二人の間だけは静寂に包まれていた。
レインがちょっと頭を下げてカップを受け取った。アタシはホッとした。さあ、何て声をかけようかな。
彼は自分のポケットをゴソゴソとまさぐっていた。
何かを取り出し、アタシに手渡す。
彼からのプレゼント?
予想外の展開にアタシは戸惑った。なに、どういう意味?
彼がくれたのはメダルのようなものだった。アタシは彼に背を向け、照明が当たる場所へちょっと移動して、それが何なのか確かめた。
それは、ミッションのドリンクコインだった。
最初は意味が分からなかった。
ポカーンと立ち尽くすアタシ。
お腹の底から、じわじわと怒りが込み上げてきた。
これじゃ、アタシは頼まれてビールを買いに行ったのと同じじゃない!
バカにしやがって!
人の気持ちも知らないで!
後ろを向いていて良かった。怒ってなければ泣いてしまいそう。何とかして気持ちを落ち着けないと。
“ヒットマン”が終わり、レインは次の曲へカットインした。1秒早くても1秒遅くてもキマらない、絶妙のタイミング。悔しいけどカッコいい。
深呼吸をしてちょっと持ち直したアタシは、きつい視線をレインの方に向けた。彼はブースでオーディエンスと一緒に拳を突き上げてシンガロングしている。
今の選曲はザ☆ペラーズの“ジョーカー・キッド・ブルース”。自分を上手く表現できない不器用な男の歌。アタシ女だけど、今の心境にピッタリじゃない。ふざけないでよ。
もう、あんな奴、知らない!
ナミに笑われてもいい。守やんに顔向けできなくても仕方ない。アタシは守田屋に戻って怒りをぶちまけるつもりだった。こんな男のこと、もう知らない!
サッと踵と返してカウンターに戻りかけた時、レインが新しい曲を繋いだ。
聴き覚えのあるイントロ。この曲は…。
ドッグ・ファイトの“トゥギャザー”。アタシの大好きな、そしてとっても大事な曲!
思わず振り返った。この曲をDJで使うのは、世界中でアタシ以外にいないと思ってた。それを、レインが!
さっきまでの怒りが嘘のように吹き飛ぶ。アタシはDJブースに舞い戻り、レインの横に立って飛びつかんばかりに彼のガーゼシャツを引っ張った。
彼は不意を突かれて驚いていた。アタシはそんなレインの耳元に口を寄せた。
「アタシが一番好きな曲!」
再びアタシたちは顔を見合わせる。アタシの言葉に、レインは少しほほ笑んだ。
レインもアタシの耳元に口を寄せた。
「俺も!」
レインの言葉が社交辞令じゃないのは曲が証明している。
この曲は8cmシングルCD(1980年後半に日本だけで流通した小さいサイズのCD)でしか出ていない。DJで使いたい時は8cmシングルを通常サイズのCDに変換するアダプターを使うか、CD-Rやメディアに焼き直して使用するしかないんだ。
そこまでして使いたいというのは、この曲が本当に好きだってこと。
初めて聞いたレインの声。少年のような顔立ちに似合わない、ハスキーで渋い響き。彼の息が耳にかかり、アタシはゾクゾクとした気分を味わった。タバコと汗の香りがする。
レインに抱きつきたい衝動を必死に抑えて、彼に手を差し出した。レインの手は繊細で柔らかく、それでいて力強かった。
アタシは気恥ずかしさを振り払うみたいに、握手したレインの手をブンブンと振った。
レインは笑っていたようだった。
トリのバンドは、それまでのバンドとはレベルが違った。
キャッチーでストレートでエネルギッシュな楽曲。ギターヴォーカルが悪態をついて客を煽りまくり、演奏もパフォーマンスも熱くてフロアも大いに盛り上がった。
レインとのこともあって、アタシも大いに楽しかった。「ジャック何とか」ってバンド、覚えておかなきゃ。
ライヴが終わり客がぞろぞろと外へ出て行く中を、レインはクローズDJとして最後のスピンで締めていた。いま流れているのはザ・ストリート・スライダースの“野良犬にさえなれない”。でも、こんなアコースティックのスタジオ盤なんてあったっけ。
「これ、ハリー(同バンドのギター・ヴォーカル)のソロ。」
レインに聞きに行くと、彼はそう教えてくれた。
ホント、よく知っているなあ。
レインは数曲を回し終えると、一礼してブースから出て行った。楽屋に消えていく彼の姿を、アタシは一人拍手で見送った。




