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プレアデスより近いけど

作者: もりはる

久住(くじう)()の夏は短く、あっという間に過ぎていく。

 ゆるやかで穏やかな春が終えた頃、ようやく緑の色が濃くなり、稜線が白く光を放つようになる。

 夏木(なつき)(すばる)は憮然としながら、ローファーを急いで履くと昇降口を飛び出した。

 放課後を迎えた校内は賑やかで、たくさんの声がする。昴のように走って飛び出す生徒は他にいなかった。

「ねぇ、栗栖(くりす)くん! 栗栖くん、待って」

 昴が大きな声で呼びかけると、近くを歩いていた女子生徒が驚いたように振り返る。それでも昴はまた「ねえ! 待てって」と声を上げた。

 ようやく昴の声に気が付いたのか、校門に向かって歩いていた男子生徒が振り返る。

 昴と同じ開襟シャツにスラックスといういでたちで、まるでモデルのように決まっていた。真新しい学校指定のカバンを肩にかけて、同じ高校の生徒だというのに、どこからどう見ても世界が違うように見えた。

「栗栖くん」

「なんだ」

 昴も小柄の方ではない。一七〇センチは超えているし、高校一年生でこれだけあれば十分だ。

 頭一つ高いところから栗栖は昴を見下ろす。腰の位置が高く、足がやたらと長い。

 そして、何より精悍を絵に描いたように整った顔をしていた。はっきりとした眉、すっと通った鼻は高く、切れ長の目や薄い唇は、色白で色素も薄いことも手伝って、純日本人とは、はじめ信じられなかった。

「あの」

「ん?」

「学校、案内しなくてもいいの?」

「案内……」

 呼び止めた相手は眉を寄せて、昴を見下ろしている。そこではじめて、昴は小さな不安を覚えた。用事があって、すぐに下校していたのかもしれない。だとすれば申し訳な合った。

「それとも、なにか用事がある?」

「いや。そうか、案内かと思って」

「は?」

「すっかり抜けて落ちてた。そうだな。校内の案内、そうかそうか」

 妙な返事だった。

 昴はそれには特に答えず校内に取って返した。


 栗栖星也(せいや)という季節外れの転校生が来たのは、六月の夏休みまで一月を切った時期だった。

 昴はあまりに意外な出来事に驚いたし、他の生徒たちもわぁと一斉に騒ぎ出した。

 それも当然のことだろう。

 久住狸市は離島だ。本土からはフェリーで一時間かかり、大抵の場合、本土にある県庁所在地や街の高校に通うというのに、久住狸高校に転校してくることは滅多にない。

 本当に小さな、なんの特色もない高校。穏やかで平和で、静かなことと、広大な自然に囲まれたことが特色。偏差値も飛びぬけて高くはなく、飛びぬけて強い部活もない。かといって、不良もいない。本当に平和だ。

 来栖星也という異分子に生徒たちは浮足立ったし、「今朝、見たことない生徒が職員室にいた」という目撃情報は光の速さで校内を駆け抜けた。

 校内の案内をしていても、校内に残っていた生徒たちが栗栖を見つけてはおしゃべりに興じるのが分かった。

 昴はいやいやながらも、最上階である四階から案内を始めた。

「この学校は分かりやすくて、特別教室は各階の両端に集まってる。音楽室は最上階、その下が美術室って感じに」

「ふうん」

 音楽室はすぐに分かったようだ。頷いたのを見て、一学年の教室がある四階を詳しく案内しようと歩きはじめてすぐに、自分のすぐ後ろに栗栖がいないことに気が付いた。

 驚いて振り向くと、栗栖はぼけっと突っ立っていた。

 吹奏楽部が練習する音が聞こえ、廊下の掲示板には定期演奏会のポスターが貼ってある。栗栖はそれを眺めて、また昴の隣に戻ってきた。

「君、マイペースだって言われないか?」

「さぁ。言われたことはないが」

 昴の質問に不思議そうに首を捻る。

 朝のホームルームで紹介された時、わぁっと沸いた教室の中を思い出す。

 クラスの女子がこぞって案内を買って出たが、担任は学級委員の昴を指名した。確かに、決めるとなると時間も足りないし、昴が案内した方が話は早い。

 ――芸能人みたい。映画の撮影できたみたいじゃない?

 きゃあきゃあという歓声の中で彼はそう言われていた。

 こうして並んでみると、まさにその通りだ。

「久住狸は暑いんじゃないのか」

「普通。緯度が高いから、涼しい方だとは思うけど」

「そうか」

「どこに住んでたの? 本土?」

「いや」

 突然言い淀んだ栗栖はぱっと窓の外を見た。

 久住狸高校は小高い斜面にあり、校庭と逆側の正門の向こうには街並みの向こうに青い海が広がっている。

 夏の光を受けて輝く海を、じっと栗栖は見ている。

 昴も視線を追ったが、見慣れたものだった。

「もっと遠くだ」

「……沖縄の方とか?」

「いや。――――そうだな、プレアデスよりは近い」

 プレアデス星団―――和名すばるの正式名称だ。

 きょとんとする昴を横目で見て、にやりと栗栖は笑った。


 昴は栗栖の面倒をなんとなくよく見ていた。

 彼は飛び抜けたルックスで人を集めたが、中身は面倒見がいいくせに妙に抜けていて、それもあってすぐにクラスに馴染んだ。

 昼休みに誘われてバスケやサッカーに混ざっているところも何度も見た。

 二か月のタイムラグを感じらせないほど、自然だった。

 休み時間、ひとりで本を読むことが多い昴のほうが、どう考えても浮いていたといのに、よく栗栖は昴を頼った。

 昴。教科書を忘れた。昴。家庭科室が分からない。昴。昴、昴……。

 不思議な心地だった、栗栖と話すとき、昴はいつでもなんとも言えない気持ちになった。

 入学してからいままで、昴は友人と呼べる存在を、高校で作ることは出来なかったのに、するりと栗栖は飛び込んできたのだ。

「君、部活入らないの?」

「ん?」

 その日、昴が夏休みに配布するプリントの用意を担任から頼まれた時、ほかの学級委員は「部活だから」とか「用事があって」と、ぱぁっと帰ってしまったのだが、昴は溜め息を吐くだけにとどめた。

 全く関係のない栗栖だけが「どうすればいいんだ?」と手を貸してくれた。

「バスケとかサッカーとか、よく一緒にやってるじゃん」

「背が高いからな」

「部活、誘われてるだろ」

 並べた十種類のプリントを一部ずつ重ねて、ホチキス止めをするという単純作業だが、夏が近づいた教室で行うのは確かに気が進むものではない。

 じわりと浮かぶ汗を拭いながら用意している昴の横で、栗栖も同じ作業をしてくれている。

「昴は?」

「僕?」

「部活、入ってないのか」

「入ってない。帰宅部」

「じゃあ、俺も帰宅部でいい」

「え?」

 トン、トン、と栗栖はプリントの束を机で整える。

 その横顔を昴は見た。

「これ、左上留めればいいのか?」

「あ、ああ……」

 今の発言はそういう意図なのだろう。

 急にセミの声がうるさく聞こえて、かえって沈黙が気になってしまった。

 栗栖は涼しげな顔をしていたけれど、その額に汗をかいていた。

 こいつも汗をかくのか、と妙なことを考えた。

「なぁ」

「なに?」

 じっと見ていた視線を咎められるのかと、思わず身を竦めたけれど、栗栖はこちらを向くことなく昴に尋ねた。

「昴は親切だし、優しいのに、どうしてみんな遠巻きにするんだ?」

 パチン、と、彼の止めたホチキスの音が異様に大きく響いた。

 自分が親切で優しいかはさておいて、昴には遠巻きにされている自覚も、なんとなくきっかけも分かっていた。

 入学して二週間ほどしてから、不思議なことが起きた。

 授業中に、不思議な光が空を切り裂いたのだ。

 すぐに思い出したのは、ロシアで巨大隕石が墜ちたとき、窓から空を見ていた人たちが衝撃波で割れたガラスで怪我をした、ということだった。

 教室中が真っ白い光で染め抜かれ、反射的に、誰しもが目をきつくつむった。小さな悲鳴もいくつか上がったが、あまりにいきなりのことだったので、誰も反応できていないようだった。

 昂も座ったまま、片腕で目を隠し、ぎゅっと首を竦めることくらいしか出来なかった。

 瞼の裏まで白く染まるほどの強い光が落ち着くと、水を打ったように静かだった空気が一転した。

 隕石だなんだとわぁわぁと大騒ぎした教室の中で、昴は椅子に座ったまま何も言わずに、強すぎる刺激のせいで眩んだ目を揉んでいた。

 隕石が墜落したんだと騒ぐ中で、昴は「落ちてない」と大きな声を出した。

 ―――もしも隕石だったら、墜落した衝撃で地震が起きるし、窓が割れる。

 教室の外は、どこもかしこも騒いでいる様子だった。昴の声にクラスメートたちは静まり返って、白けた表情を浮かべる。

 ただ、教師だけははっと顔を引き締めて、

 ―――夏木くんの言う通りよ。放送も入るはずだから、指示があるまでは落ち着いて過ごしましょう。

 と言った。

 恐らく昴の言葉で冷静になったのだろう。少しだけ気恥ずかしそうな、そんな様子だった。どこの教室も徐々に静かになり、十分もしないうちにいつもの静寂を取り戻した。

 誰もかれもがうわの空で、再開された授業に臨んでいる。

 けれども、校内放送はならなかった。

 何の説明もなく、ニュースにもならなかった。何人かが落ちた方向を探しに行ったそうだけれど、何も見つからず、結局、正体のわからないそれは、よくある怪談話の一つになって、時折話に出るだけの、そういうものになった。

 ただ、昴だけはそれからクラスから、少し浮いた存在になった。

 夏休みも目前にして満足に友だちと呼べる相手もいない。

 中々答えない昴を、栗栖が振り向いた。手に持ったホチキスをカチカチと手で遊んでいる。

「元々本土からきてて」

「へえ」

「母の実家なんだ、色々あって、預けられてる」

 もう子供じゃないと言っても、まだまだ子供だった。昴に選択肢はなく、親権争いや離婚のもめごとを見せたくない、そしてどうしても父に奪われたくないと言った母の提案通り、昴は久住狸に進学した。

 いまさら何を取り繕っているのだろうか、子供のころから二人がうまくいっていないのは気づいていた。絵本を読みながら、怒鳴り合う声を聞いていた。

 離婚しようと思うと母から切り出された時、昴が思ったのは「ようやくか」という一言だった。

 小さい島だ。入学する頃にはあの角の家の孫が預けられている、という噂は広まって、好奇心を剥き出しで昴は迎えられた。妙にフレンドリーで気を使われて、かえって戸惑った。

 態度を決めかねている内に、その一件が起きて、完全に輪から外れた。いじめというとりは、腫物を扱うように、扱いにくい人物だと思われたことは、想像にかたくない。

「勿体ないな」

「はい?」

「いや、昴は良いやつなのに、みんな勝手に遠巻きにして。損してる」

「いいやつなんかじゃないよ……」

「少なくとも頭はいいし、俺はお前といるのが一等楽なんだ」

 意外だった。

 人の輪の中にいる姿を見慣れていたというのもあるし、誰といても、それこそ昴といても何も変わらない。

 よくよく思えば、表情の変化も派手ではない。笑うし、憤りも顔に出るけれど、どれも一瞬だった。

「……楽ってどういうこと?」

「お前だけだった、あんまり踏み込んでこないのは。お前も異邦人だったからだな」

「い、異邦人て」

 思わず噴き出した。特段笑い上戸ではなかったけれど、栗栖が言うとなんだかおかしい。昴は肩を震わせて、机に突っ伏すようにして笑った。

「何で笑うんだ」

「だって。異邦人って……」

 我慢しようとした声は、口を開いた途端、弾けるように上がった。腹が痛い。不満そうに口を突きだしてこちらを見ている栗栖の顔もおかしく思える。

 ごめん、と言いながら口に手の甲を当てて笑っていると、栗栖も笑った。小さく。そして、昴を眩しそうに見る。

「笑えるんだな」

「え?」

「いつもなんとなくつまらなそうにしてたり、愛想笑いだろう? だから、新鮮だ」

 笑いが止まった。

 ぴたりと笑わなくなった昴に不思議そうにしている。

「そんなふうに見えるか」

「ああ。だが、それでよかった」

「どうして」

「お前が今みたいに笑っていたら、お前とこうしてふたりで作業することはなかっただろうからな」

 彼なりのジョークだろう。また手を動かしはじめた栗栖に、昴も我に返った。

「夏休み、どこか行くのか? 家族とか」

「いや」

 特段残念そうでもなく、栗栖はホチキス止めを続けている。

 貴重な夏休みだというのに、栗栖は浮足立った様子もなかった。校内が徐々に落ち着きを失くして、夏の計画を披露しあっているというのに。昴のように事情のある生徒とは違う、あっけらかんとした様子で栗栖はその話には混ざらず、淡々と話を聞いていた。

「そうだな」

 栗栖は微笑んでいた。

「島を自転車で回ってみるのもいいかもしれない」

「一周は無理だよ。車で五時間はかかる」

「そうなのか。案外広いんだな」

 窓の外、視界いっぱいに広がる海を見て、栗栖は笑っていた。大人びた様子からは想像も出来ない、実に子供らしい夏の予定だ。

 思い返せば、栗栖も家族の話をしたことはなかった。事情があるのは栗栖も同じだろう。中途半端な時期に転校してきたのだ、ビジュアルと佇まいで王子様扱いを受けたけれど、特別親しい誰かを作った様子もない。

 親切にしたわけではなかったけれど、かえってそれがよかったのだと言われると、なんだか申し訳なく感じる。

「僕も行こうかな」

 訳もない焦燥感から口にした。栗栖が振り向く。

「道案内、してくれるか」

「ああ」

 思えば、昴にとっても久住狸に来てはじめて、誰かと約束をした瞬間だった。



 天気予報は快晴。

 朝起きて昴は、窓の外を見て、天気予報通り雲一つない空を見上げて満足した。朝食を取った後、少し迷ったものの「友だちと出かけてくる」と声をかけると、顔には出さなかったものの、祖母は喜んでいたようだった。

 休みの日に買い物以外で出かけたことがなかった。家の中でずっと勉強したり、テレビを見たりして過ごしていた。元々住んでいた場所からは遠く、はじめは頻繁に連絡をくれた友人たちも高校生活に慣れ、今ではほとんど連絡を取っていない。ましてや久住狸に来た経緯を知っていることもあって、どう接していいか迷っているのだろう。気持ちは分かる。

 夏休みの初日、約束通り島を一周することにした。自転車で約束のフェリー乗り場に出ると、既に来ていた栗栖が海の向こうを見ている。

「栗栖くん」

「おはよう」

「おはよう」

 私服をはじめて見た。正直言ってダサい。それがなんだか嬉しかった。

「じゃあ、行こうか。暑くなる前に」

「ああ」

 特段、何かを話していた訳ではない。

元々栗栖が「島裏に行きたい」と話していたので目的地は決まっていた。フェリー乗り場や街、高校がある島表の真逆、緩やかな久住狸山の逆側、島裏にある運動公園を目指していた。

 といっても、公園に何かあるわけではない。さびれた野球場があり、そこで夏に地域対抗のソフトボール大会が行われるくらいだ。森の中にはアスレチックコースもあるらしいが、昴がいったことがあるのは子供のころで場所をはっきりと覚えてない。

 街を過ぎ、延々と海岸線をのびる道をふたりで並走した。やはり何かを話すことはなかったけれど、とても居心地がいい。潮風を受けながら自転車を進めて行く。

 じりじりと太陽が昇り、昼を過ぎたころには目的の運動公園に辿り着いた。

「あっつい!」

「本当だな」

 木陰に自転車を止めて座り込み、ぱたぱたと扇いだ。持ってきていたお茶を飲んでも、まだ暑い。

 隣に腰かけた栗栖は、汗をかいていたけれど、それを拭うこともなく、じっと水平線を見ている。目元に落ちた影がはっきりとしていた。

「……栗栖くん?」

「変な話をしていいか」

「いいけど」

「春に、光が落ちてこなかったか?」

 栗栖はまだ海を見ていた。

「覚えてる。栗栖くんの住んでたあたりでも見えた?」

 この反応は何もおかしいことはなかったはずだ。

 栗栖は何も言わず立ち上がり、荷物を置いたまま、獣道に分け入ってしまった。慌てて荷物を二人分抱えて、追い掛ける。

「栗栖くん!」

「俺が生まれたところはとても遠くて、俺は生まれたその時から運命が決まっていた。俺の意思とは関係なく、決まっていたんだ」

 腰ほどもある夏草をがさがさと掻き分ける背中を追いかけて、歩いて行く。

「社会主義は分かるか」

「中国とか、ソ連とかの。マルクス主義だろ」

「俺が生まれたところは、高度というか厳しい社会主義だった。そこの王族として生まれたんだ」

「王族?」

 思わず足が止まった。

 それでも栗栖はがさがさと草を掻き分けて進んでいく。ちらりと昴を一瞥したけれど、歩くのを辞めない。昴もまた歩きはじめた。

「社会主義に王族なんておかしい」

「そう思うだろう。俺たちは手本なんだ。勤労と、貞節と、そして平和の象徴。すべて管理されていた。マザーシステムが選定した適正に基づいて、それが正解だと教え込まれて、それに反すれば厳しく罰される。王族は中でも制限が多く、それでも立派に生きる必要があった。もともと、俺は縫製工場で働いていたよ、王族でも、勤労の義務は一緒だ。公務がある場合を除いてな」

 確かに、変な話だった。獣道をずんずん進んでいく、勾配もどんどん厳しくなる。島裏は全体的に日当たりが悪いので、寒いくらいだった。

「王族が逆らうと、最も重い刑罰が科せられる。そして、昴」

 斜面を登り切ったようで、栗栖は立ち止まって振り向いた。

 あれほど鬱蒼と生えていた草がなくなり、地面にはぽっかりと穴が開いていた。まるでクレーターのような穴が。

「もしもその国で最も重い罪はなんだと思う? 殺人よりも重い罪だ」

「殺人よりも?」

「何もかも、システムが決める。適正に合せ、社会でも最も適切に振る舞えるように、社会が最もうまくいくように、その社会に最も邪魔になるものは? 犯罪は、どこからくる?」

 見上げたクリスの目は思った以上に真剣そのものだ。昴は狼狽した。気おされている。

「なあ、帰ろう。ここ、寒いし」

「昴。俺は、罪人としてこの星に来た」

「さっきから一体何を言ってるんだよ……」

「四月のあの時、ここに降り立った。環境に適応するのに二か月眠り続けて、ようやく潜り込んだんだ」

 彫像のように整っていた容姿やスタイルが、急に恐ろしく感じる。

 一体何を言っているのか。

「小説家にでもなれば?」

「俺の星で最も重い犯罪は、『心を持つこと』だ。体制であるマザーシステムへの疑問を持つこと。王族の俺のその傾向は、すぐにマザーシステムに気付かれた、そして、地球刑にされたんだよ」

「地球刑?」

「一人で地球に送られる、そこで地球の人間と関わるんだ」

「なんだよそれ」

「昴。すまない」

 はじめて栗栖が唇をかみしめるのを見た。申し訳なさそうに昴に頭を下げると、ゆっくりとクレーター上のところに降りて行った。

 掌くらいの水晶状のものが地面に突き刺さっていた。それを、じっと見下ろす。

 急に視界が暗くなる。驚いて見上げると、梢の向こうの空が分厚い雲に覆われていた。

 ほんの少し前まで雲一つない空だったのに。一気に鳥肌が駆けあがる。

「あの星では決められた行動以外は罰せられる。この星に来て、はじめて自由に振る舞った、何もかも楽しかった。恐らく地球刑の囚人たちはみな、同じことを感じただろう。あの星は牢獄だ」

「それじゃ罰にならないんじゃないか?」

 しんみりと呟く栗栖に問いかける。栗栖は顔を上げなかった。

「星の人間たちは『地球は無秩序で生きる上で悩みしかない』と思っている。自分で生きるということが怖いんだ。でも、そうじゃない、地球刑の最も恐ろしいところは、そこじゃない」

「栗栖くん、寒い。戻ろう、昼も食べてないし」

「自由を味わった後に、星の最深部で生きながら永遠に、死ぬまで一人で過ごすんだ。本の小さな、横になることしか出来ないところで」

「栗栖!」

 思わず呼び捨てて怒鳴った。

「それを避けることも出来る。だが、誰もそれを選んだことはなかった」

「ねえ!」

「地球人で最も心を許した相手の命を渡す。それが条件だ、そうすれば、地球で生きていく道が出来る。でも、誰も、そんなことをしたことはないし、出来る訳がないんだ。昴」

 顔を上げた栗栖はぼろぼろと泣いていた。まあるい真珠のような涙が栗栖の頬を滑って行く。

「―――お前の死を、望めるわけがないじゃないか」

 その涙が、足元の水晶に当たる。キィンと高い金属音が響き渡り、一気に白い光を撒き散らした。

 咄嗟に目をつぶって、子の光を思い出した。

 あの春の日、降ってきた光だ。

「栗栖!」

 無我夢中になって手を差し出した。光の中にやみくもに腕を突っ込んで、彼に飛びつこうとした。

 薄らと光に透けた輪郭が見えた気がした。彼は、泣きながら笑っていた。指先は何にかかることもなく、そのままバランスを崩して転がり落ちた。

「……栗栖?」

 光が消えたそこでは昴がひとりで座り込むだけで、見上げた空はまたゆっくりと雲が捌けて行った。

 青く青く澄んだ空を見上げながら、昴は少しだけ泣いた。




 夏休みが終わって学校に行っても栗栖の姿はなかった。名簿にも栗栖の名前はなくなり、机もひとつ減っていた。あの日も、あったはずの自転車も荷物もなくなっていた。

 家の場所を知らなかったので、住んでいたところがどうなったのか確かめるすべもない。

 なんとなく、そんな予感はしていたのだ。昴の祖母も話していたはずの栗栖のことを覚えていなかったし、昴も少しずつ、思い出すことが難しくなっていった。

 あの横顔をよく見ていた。大人びているのか、子供なのか分からない。彼の話を信じるなら、自由を満喫していた姿が、不意に過る。

 学校の隅に彼がいる気がして、たまに視線をやっては落胆する。

 昴。

 あの低い声も、その内思い出せなくなるのだろう。

「あーっ、やばい、今日絶対当たるのに予習してない!」

 栗栖の席だったはずの場所に、今は別の生徒が座っている。わぁわぁ騒ぎながら次の授業のノートと教科書を広げていた。

 昴は特別、栗栖に優しいわけではなかった。興味がなかったし、興味を持たないようにと思っていたのだ。

 異邦人。

 栗栖は昴をそう言った。

 もっと親切にしていればよかったといまでは感じる。

 昴は席を立った。ノートを手に、その席に歩み寄る。栗栖は長い手足を持て余して、その机で頬杖を突いて海を見ていた。

 クラスメートは昴に気付いて、少しだけ身構えたようだった。

「はい。これ、僕やってあるから、よかったら使って」

 昴は笑って、ノートを差し出した。

 栗栖。

 君は今、どこでどうしているだろうか。僕を思い出して、永遠の孤独と過ごすというのだろうか。勝手なことだ。

 プレアデスは四百光年離れている。プレアデスより近いと言っても、その距離は永遠に縮まらない。

 栗栖には似ても似つかないクラスメートはノートと昴を見比べてから、「悪い! 助かる!」と笑顔でノートを受け取ってくれた。

 勝手なことだ。僕は君に、何もしてあげられなかったというのに。


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