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六十三話『救われなかった者』

「……そう、困るんだよ。お前には死んでもらわないとなぁ?」


 嫌らしい笑みを浮かべたサイケが、持ってきていたフェンリルの爪をアランの肉体へと突き刺していた。たかが爪。されど、そのままナイフとしても使えそうな鋭さを持つ神獣の爪は、容易に彼の身体を貫き、切っ先は樹木にまで届いていた。


「ッ、がは……てめ……何を……」

「――――()()。そう言えば、分かるか?」

「……ッ!!」


 まさか、という言葉がアランの口から発せられるよりも早く、サイケが続ける。


「いや、俺もこんなことする羽目になるとは思ってなかったんだけどな? 精々、冒険者達を()()()、情報収集を円滑にするだけの仕事だったはずなんだが……」


 それまで、へらへらと笑みを浮かべながら話していたのが一転し、サイケの表情が剥がれ落ちる。


「よくもしくじってくれやがったなクソったれ。おかげでこっちは尻ぬぐいさせられることになっただろうが」

「……口、封じか」


 簡単に話をまとめるとこうだ。


 結局、アランは信用など微塵もされていなかった。

 成功すればそれで良し。失敗しても、()()()()あらかじめ仕込んでいた第二の刺客で消すだけである。

 そして、必要な情報は彼らが持ち帰り、報告する。


「そ。お前らは所詮、捨て駒に過ぎなかったってことだ。おつとめご苦労さん。安心しろ、お前らの引継ぎはちゃんとやっておくよ」

「……く……」

「――――ッ!」


 刹那、何かがサイケの視界端で光った。

 それが何かを考えるよりも先に、サイケは直感に従い、背後に飛びのく。

 すると、風切り音と共に手のひらほどの大きさのナイフが飛来し、先ほどまでサイケが立っていた位置を通過して、その奥の木へと突き刺さる。

 

「……誰だッ!」


 ナイフの飛んできた方角を睨みつけ、サイケが怒鳴る。

 しかし、その声に返事はなく。ただ少しの間、場が静まり返っただけだった。


 心当たりがある彼の姿を瞬時に思い浮かべたアランは、思わず苦笑する。()のこの暗闇を意にも介さない、あまりに正確な攻撃にもはや呆れていた。

 だが、奇襲されたサイケはそんなわけにもいかず、警戒の姿勢を見せながら思考を巡らし始めていた。


(……奇襲。誰が、何のために? いや、そんなことはこの際どうでも良い。問題は、この暗闇の中、正確に俺のことを狙ってナイフを投げたことだ)


 身を躱す直前の光景を思い出しながら、順番に整理していく。


(ナイフの軌道は、俺の目線と同じ高さ――――いや、アレは俺の目自体を狙ったモノだった。万が一、それが偶然でなく、相手の意図したものだとしたら、俺の目を真っ先に潰しに来たということ……。この暗闇でそんな芸当が出来るとは思いたくねえが、そうだとしたら、攻撃のタイミングから考えて俺がアランを殺しかけたのも見ているはず)


 そこまで思い至ったサイケの目が薄く、細められた。


(――――つまり、殺る以外の道はない)


 細槍を構え、どう攻めるかを考えたサイケだったが、何か閃いたのか腑に落ちたような表情を見せ、再び口端を吊り上げると、構えた細槍をそのままアランの喉元に突き付けた。


「……出てこなきゃこいつの命はない。そうだな……十秒待つ。その間におとなしく出てくる以外の行動をしたり、時間になっても出てこないとこいつの命はないぞ?」


 理に適ったサイケの行動に、アランが歯噛みする。


(ち……分かってやがる……)

「大方こいつの仲間なんだろ? 目を潰して俺が動けない隙にこいつを拾ってトンズラって寸法だったんだろうが、そうはいかねえよ。まぁ、同じ上司を持ったよしみだ。このことを黙ってりゃお前だけでも見逃がしてやるよ」

「……?」


 暗闇に向かって話すサイケに、アランが違和感を覚えた。

 そしてすぐに、サイケがどうやら零斗のことをアランと共に計画に臨んだ者と勘違いしているらしいと理解が及ぶ。

 とはいえ、これで零斗が出てこざるを得ない状況にされたのは変わらないため、それ以上のことはないが。


「九……八、……七」


 サイケが時間を数え始めた。

 

(……いや、レイ。ないとは思うが、間違っても出てくるなよ。正体を出来るだけ知られたくないならなおさら俺を見捨てるべきだ)


 ――――どの道、己は魔力暴走で死んでいたはずなのだ。死期が伸びただけで結果は変わらない。むしろ予定調和ともいうべきか。

 何はともあれ、元々敵対していた相手でもある。わざわざ彼がさらなる不利益を被ってまでくることもない。


 そう思い、静かにアランはサイケが数え終わるのを待った。


「……二……一……零。なんだ、所詮その程度か」


 結局、姿を現さなかった敵に期待外れを露わにし、興覚めしたかのような声で言ったかと思うと、サイケが細槍を振りかぶる。


「まぁ安心しろ、一人寂しくは逝かせねえ。お前の次は隠れている奴だ。……一応、言い残す言葉はあるか?」

「……地獄に落ちろ」

「――――お前がな。()()()


 止めを刺すべく、サイケがアラン胸元へと切っ先を振り下ろ――――そうとして、細槍を持つ腕を掴まれ、それは阻まれた。


「……ッ!」



 咄嗟にサイケは振り返ろうとしたが、寸でのところで踏みとどまった。

 なぜかと問われれば、何となく、以外の回答はできなかった。

 だが、振り返ったならば、確実に己の命はなかったと、どこかサイケは確信していた。


「――――良い判断だったな。お前が振り返っていたら、迷わず俺はお前の両目を潰していたよ」


 それを裏付けるように、鉛の如き冷たさと圧を孕んだ声がサイケの判断を称賛する。

 この状況。冒険者の中ではほぼ最高峰といっても良い実力を持つ『Aランク』冒険者が、ただの一手で硬直させられていることに、サイケは冷や汗がどっと噴き出すのを感じながら、凍り付きかけた思考を何とか巡らす。


 殺意なんて生易しいものでは表現することなど到底敵わない。

 これは、もはや勝てる勝てないという次元の話ではなく、どうすれば数秒後の己の生存を勝ち取れるか。ただそれだけに死力を尽くさねばならないと、幾多の修羅場を潜り抜けてきたサイケの勘が告げる。


「……何が望みだ?」


 それが、辛うじて絞り出せたサイケの限界だった。

 このまま戦闘に持ち込んだところで、己に勝機は万に一つもない。なら、まずは相手の考えを把握し、何とか戦闘を避けて終わらせるしかないと、考えた故の言葉だ。


 それに対する回答は、至ってシンプルだった。


「今すぐこの場から失せろ。ここであったことを口外するな。それ以外は認めない」


 それは困る、と内心で呟いたサイケが目を細める。

 計画が失敗した以上、ロマノフに繋がる情報は出来る限り消せという命令がサイケには出ている。ここでおめおめと引き下がれば、今度は自分が消される側に回りかねない。

 何としてもアランにはここで死んでもらう必要があるのだ。



 しかし、この男。暴力的な威圧感を放っている割に、要求する内容はといえば、要はアランをこのまま見逃せという何とも甘いものだ。

 ――――勝機はないと思っていたが、もしかすれば付け入る隙があるかもしれないと、サイケが静かに魔力を練り始める。


「……なるほど、ここに俺は来なかった。そういうことにすりゃ俺は見逃してもらえるわけだ」

「物分かりが良くて助かる」

「はは、俺も自分の命が大事だ。だが、このままだと俺はここから離れようにも動けない。その手を離してもらえるか? お仲間さん」


 ――――タイミングは、男が油断し、手を離した直後。

 速攻で詠唱を完了させ、『剛化』を発動し、振り向きざまに首元を細槍で穿つ。


 シミュレーションを完了させ、サイケが薄ら笑みを浮かべる。


「――分かった。一応言っておくが、俺が指示したこと以外の行動をするなよ」

「…………あぁ、勿論だ」


 何かを察しているかのような彼の物言いに、どこかサイケは引っかかるものを感じたが、構わず来たるべき時に備え、神経を張り巡らす。

 そして、掴まれていた腕が自由になった瞬間、刹那の間にサイケが詠唱する。


「――――『剛化』ッッ」

「っ、ダメだッッ! 避けろ、レ――――」


 アランが言い切るよりも前に、風切り音が鳴る。

 

「……え?」


 サイケは振り向く間際、視界が横一直線に分断されたような感覚を覚えた。

 そして、ワンテンポ遅れ、途方もない激痛が彼の両目に襲い掛かる。それからさらに数秒置いて、何が起きたのかをサイケとアランが理解する。


「あがっ……目が、目がぁッッ! あぁぁっっ!」


 両目が潰された激痛にサイケが悶えた。


(なぜだっ!? タイミングは完璧だった……到底反撃の隙なんてなかった。いや、そもそも反応することすら難しいというのに、こいつ、まるで初めから俺の動きを知っていたかのように正確に躱し、さらにこの暗闇の中、俺の目を――)




 サイケが苦痛と困惑の狭間でもがく中、短剣についた血を振り払う零斗が、呆れたような口調で言う。


「折角忠告してやったのにわざわざ無視するとはな。ま、こうするとは()()()()()()()()()()()段階から分かっていたんだが」


「……っ」


 さも当然のように、他人の魔力の動きを看破していると言い放った零斗に、サイケが言葉を失う。

 だが、それを他所に零斗は続けた。


「さらに言えば、お前が魔力を練る前の時点の反応で俺の命令に従う気がないことも分かっていた。というか、ここまでの行動を取るやつに交渉が通じると考える方がアホだろ?」

「ま、待ってくれ。俺をどうする気だ! まさか、このまま殺すつもりか!?」

「……この期に及んで命乞いか。『Aランク』冒険者ってのも、所詮そんなものか」


 仮にも冒険者ギルドで実力者と認められた者であるにもかかわらず、あっさりと手のひらを反すサイケの様子に、零斗は失望を含んだようなため息と共に言った。

 だが、もはや恥もプライドもないのか、サイケは無様な恰好で続ける。


「それはお前にとっても、都合が悪いことになるぞッ!? 俺の背後にはこの国でもかなりの権力者が付いている。俺に手を出せばお前はこの国にいられなくなるどころじゃすま――」


 彼がそう言いかけた時、零斗は持っていた短剣を思いっきりサイケの手のひらに地面ごと突き刺す。


「――――あぎャッ!」

()()()()()。もういいから()()()()


 零斗がサイケの顔を覗き込みながら、親が子を諫めるように、穏やかな声色で言った。だが、その穏やかさこそが、サイケの血液を凍結させ、背に鎌を携えた死神を連想させた。

 

「た、頼む。頼むよ、今度こそ言う通りにするから……どうか命だけは……」


 涙を流し、震える声で正真正銘、心からの命乞いをサイケがする。


 しかし。


「――――外道に向ける情はねえよ」

「か――――」


 迷わず零斗は、サイケの喉笛を切り裂いた。いっそ笑えるほどに呆気なかった。

 一切の抵抗すらかなわず、ここに『A』ランク冒険者は命を落とした。

 それに多少思うことはあったアランだが、まずは何か言わねばと口を開く。


「……レ、イ」

「喋るな。状態が悪化する」


 声をかけてきたアランに対し、表情を変えることなく零斗は歩み寄り、傷の程度を確認する。その様子にどこか違和感を抱いたアランだったが、直後に聞こえてきた小さな舌打ちによってその思考はかき消される。


「……クソ」


 そして、その一言でもはや自身を助ける術はないのだと、アランは悟る。

 悪態をついた零斗は、そのまま既にこと切れたサイケの元へ寄り、彼の手から落ちた“フェンリルの爪”を手に取る。

 

「なるほどな。自分の武器じゃなく、あくまでフェンリルの攻撃で死んだことにするためにわざわざこんなものを用意してきたわけか」

「……はは、悪いなレイ。折角助けてもらったのにな」

「――――」


 アランが諦めと情けなさから来る笑顔を見せた時、ちょうど彼に目を向けていた零斗が、今まで見せたことの無いような表情を浮かべた。

 しかし、すぐにいつもの考えが読めない不愛想な顔つきに戻った後、零斗は続けた。 


「……気にするな。結局助けられなかったんだ。謝られる筋合いはない」


 こうなってしまっては己が取った行動も無意味だと、言外に告げる零斗。


「そんなことはない」


 それをアランは鋭く制した。


「お前があの時助けてくれなかったら、俺は結局何も得られないまま死んでいくところだった。だが、お前からもらった言葉が、行動が、こんな俺にも生きてきた意味があるのだと教えてくれた。だから、そんな風に自分を悪く言わないでくれ」

「――――そう、か」


 アランの感謝の言葉に、全く予想が出来ていなかったのか、零斗はただ困惑交じりの声で返した。


「そうだ。最後に一つ、聞きたいことがあった。……どうして、お前は俺を助けてくれたんだ?」


 サイケの骸へ視線を向けて、少し逡巡した後にアランが問う。

 本来ならば、自分は今この瞬間にはああなっていてもおかしくはないのだと。いや、むしろそうなってしかるべき行いをしたのだと、一種の狂乱状態から覚めたことで強く思う。

 だが、彼は己を殺しはしなかった。


 一体、サイケと自分の間のどこにそんな差が存在したのか、疑問に思った。



「――――お前に似たような奴を、俺は誰よりも知っているんでな」

「……なるほど、そういうことか」


 その一言で、何かを察し、得心いったアランは満足げに笑う。そして、そのまま瞼を落とし、深い深い眠りへとついた。



「結局、誰も助けられないままか」


 己の不甲斐なさに思わずそう吐き捨てた。

 

「しょうもない情で人助けしてヒーロー面しといて、結局最後まで貫き通すこともできない」


 あの時、一人で隠れずに彼を抱えて逃げておけば。もっと早くサイケの敵意に気づいて行動を阻止しておけば。最初からカリスの作戦に乗っておけば。

 挙げればキリのない己の失敗点に反吐が出そうになる。

 

 つまらない己の事情を優先した結果、死ぬ必要のない者が命を落とした。


 この国の被害者の一人、アランが死んだのは他の誰でもない。お前――――()()()()のせいだ。

 

「……俺は、何のために生き延びて、ここまで来たんだっけか」


 虚しい問いが零れ落ちた時、最悪のタイミングで、最悪の事態は起こった。

 

 思考に没頭し、普段の自分ならば絶対にしない筈の行為、『油断』したことをこの時以上に零斗は悔やんだことはない。

 がさりと、草をかき分ける音が鳴ると同時、姿を現したのは柄にもなく、焦燥に表情を染めた彼だった。


「――――レイ、君?」


 一体何を思っているのか、様々な感情を孕んだ声が、()()()の口から放たれた。

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