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六十一話『覚悟』

 何の前触れもなく現れ、ただ平然と土を踏みしめる音だけを鳴らし歩む零斗。その姿はとても「殺す」と口にした者のそれには見えず、むしろ口笛でも吹きながら散歩でもしているかのような気軽ささえあった。

 だが、彼が一歩踏み出す度に、アランは己の皮膚が粟立っていくのを感じていた。

 それはひとえに、彼の感覚が『剛薬』の無理な服用によって限界以上まで引き上げられたおかげであり、事実、その直感は()()()


 ――――何せ、今の彼が相対する青年は、人類史上指折りしかいない『迷宮攻略者』。それも、()()()()()で成し遂げたという、まごうことなき怪物なのだから。


 影の差した顔から、感情の一切が消え失せた双眸を覗かせて零斗は続ける。


「……どうした? こいよ」


 右手で挑発するような仕草を取り、そう口にした。

 

「ア……ガァァッ!!」


 呻き声と共にアランが立ち上がる。

 そして、地面が爆発したかと思えば、膨大な量の土砂が宙に舞う。次の瞬間、冗談のような速度で、ただまっすぐにアランが零斗に向かって跳んだ。


 砲撃と見間違うほどの前進は、降ってくる雨粒すら遅く感じられるほどに疾く、勢いそのままに体当たりするだけで、容易に人を絶命まで追いやれるものだった。


 ――――が。


「おせえよ」


 所詮()()()()と、吐き捨てることが出来るこの青年の前では、それでさえまだなお届かない。


 零斗がそう言った直後、アランの脇腹を途轍もない衝撃が襲ったかと思えば、さらに勢いを増し、方向は直角に逸れて彼の身体が吹っ飛んでいった。

 雷鳴のような轟音を響かせながら、何本目かも分からない木をなぎ倒したところでようやく止まる。


「ッ、ガ……ナ、何、が……」


 口から紅い泡を溢し、全身を僅かに痙攣させながらアランが呟く。

 何が起きたのか。魔力が行き渡り、霞みがかった思考を懸命に巡らそうにも、幾多もの木々との衝突による損傷――――否。それ以上に、青年によって放たれた攻撃による痛みが鈍らせ、空転させる。


「今ので少しは目が覚めたか?」


 冷水でも浴びせるような言葉に、表情を驚愕に染めてアランは顔を上げた。

 その顔を見て何を感じたか、ただ白けたような眼差しを向けて零斗が口を開く。

 

「……生憎、俺は格下相手を小突き回すような趣味はないんでね。二つ、選ばせてやる」


 そう言って、零斗は能面のような表情の前に二本の指を立てた。


「一つ、俺に黙って殺されるか。……二つ、俺に徹底して抵抗した末に殺されるか。どっちが良い」

「――――ッ」


 決して冗談などではないと分かる口ぶりに、アランの微かに戻った理性が彼の身体を震わせた。

 

「そこまで魔力回路が()()()()もう俺じゃ救いようがない。放っておいてもいずれ死ぬだろうしな」


 『剛薬』は膨大な魔力を体内で生成させて、それを()()()()()()()()ことで超人的な身体能力を得るという文字通りの劇薬だ。

 無論、暴走させるというからには『魔力回路』に大きな負担をかけるということでもある。


 以前、零斗が相対した男はイドリスの持つ能力である『悪食』によって魔力を強制的に排出することで、回路へのダメージが少なく済んだ。

 だが、今、零斗の目に映るアランの回路を一言で表すなら――――なぜまだ動けるのか、という段階だった。このままではいずれ大気を漂う魔素を分解しきれずに、身体が侵食されて死に至る。


 正直、魔素に身体を蝕まれるというのがどんな感覚なのか、零斗には知る由のない代物だが、死ぬ間際には誰もが「いっそ殺してくれ」と懇願するほどの激痛に襲われると聞いている。

 

「……抵抗しなければ今以上の苦しみを受けることなく死ねると約束しよう。だが、抵抗するというのなら――――俺はお前が死ぬまで付き合うぞ」


 せめてもの償いと情け。

 

 それを拒むというのなら、例え、かつて偽りだったとはいえ、仲間であった者だろうが容赦はしないと。そう宣告した零斗。

 アランの頬を冷や汗が伝った。


「……ウ……る、さい……ッ! 貴様にッ! 何が分かる!!」


 感情をむき出しにしながら、アランは叫ぶ。


「俺が、かつテどんな目を向けられていたのカ! どれだけ惨めな思いをしたか等ッ、お前のように、勇者だというだけで期待さレテいた者には分からなイダロウな!」


 やり場のない怒りから、アランが力なく地面を殴る。


 そして、悲痛に訴えかける彼の目には、以前、城に使えていた頃の光景が映っていた。


 かつて、代々、王に使える騎士として教育され、それだけで己にとってはこれ以上ない誉れなのだと信じて疑わなかった。

 だが、実際に騎士になってみると、彼を待っていたのは苛烈な競争に、家系を侮辱するような陰険な眼差しの数々。どうせお前()何もできないのだろうと、言外にそう言われているような気がして、日々精神を摩耗していった。


 そんな惨めな思いをどうしてお前が理解できるのかと。

 確かに、零斗の噂はかねがね聞いていたアランだが、それでも()()()良い思いをしたのではないかと。

 少なくとも、端から期待も何もなかった自分に比べれば、さぞ世界を救う救世主だの、英雄だのとちやほやされていたはずだ。そこに胡坐をかいて、大して鍛錬も積まずに自堕落な日々を過ごしていた結果、評価が地に落ちたに過ぎないのではないか。


 そう、アランは怒りに目を燃やし叫んだ。


「もう、俺にハこれしかないッ! ここで失敗するくライな、ら……死んだ方がマシだッ!」

「――――そう言って、あの二人も騙してきたわけか」


 心底冷めた眼差しで、零斗は問う。

 だが、それに恐怖ではなく怒りが勝ったアランは、血でむせるのも気にせずに、濁った眼を見開いて叫び続ける。


「あぁッ! 俺は何としてもあいつらを見返してやらなきゃならナイッ! そのためなら他の全てを犠牲にしてでもッ!」

「……そうか。よくわかった」


 零斗が羽織るコートの端を雨粒が伝う。本降りが始まったというのに、魔法の付与によって乾ききったままのコートが風に靡いた。

 ほんの僅かな間を置いた後、アランはふと、あることに思い至ったのか顔を青白く染めて口を開いた。


「……ま、て。なぜ、お前が……それを知ってイル……?」

「――――さぁな。案外お前らの密会をどっかで見ていたのかもしれないぞ」


 本来ならば自分ともう一人しか知りえない情報を握っている。

 その事実が、アランから冷静さを奪っていく。


「お、お前……どこまで知って……」

「それを教えると思うか?」

「――――アァ、……アァァァァァッッ!!」


 半狂乱になりながらも、肉体はいたって合理的に、ただ敵の頭を狩るべく動く。

 砕けかけた胸当ての欠片をまき散らし、おそらく骨が折れているであろう腕を強引に従わせ襲い掛かるアランに、零斗は嘆息を一つ、その先の光景が既に見えているかのように呟いた。


「……言っただろ。俺とお前じゃ、()()()()んだよ」


 アランの目を見据えながら、零斗は己の首筋めがけて振るわれた刀身を三本の指で受け止める。

 

「いくら『剛薬』で無理やりコッチの領域に片足突っ込んでるとはいえ、お前はまだその身体を使いこなせていない。そんな奴じゃ、百年経っても俺には勝てねえよ」


 そう言ってガラス細工でも砕くかのように、呆気なくアランの得物を粉砕する。

 そして、指に付いた金属の粉末を雑に振り払い、未だ目の前で起こったことを受け止められず、唖然とした表情を浮かべるアランへと間合いを詰める。

 まともに戦える手段も失われ、一挙動が必殺となり得る敵の接近に、アランが肩を跳ねさせた。


 だが、危機に瀕しているということもあり、周りを見る余裕もないアランには、一瞬、レイトの瞳に哀愁の色が混じったことに気づけなかった。

 そして、そんな彼に対し、冷然と言い放つ。


「一つ聞くが、お前はなぜ自分の評価を他人に任せた?」

「……なに?」


 予想外の問いかけに、アランはただ疑問の声を返すだけだ。

 

「期待されていなかっただと? それがどうした? なぜそうまでして他人からの評価を求めた?」


 今度が零斗が、やや怒りの籠った声で言う。


「お前は期待されていなきゃ何もできない人間だったのか? 期待もされてなきゃ、()()()()()()()()人間が、何を偉そうに喚いてやがる」


 その言葉に、アランが息詰まるような表情を見せるが、零斗は止まらない。


「なぜお前はそこで止まった。なぜ見返そうと努力しなかった。挙句の果てにはあのクソ爺にいい様に使われて最後がこの結末か。下らねえ人生だったな」


 吐き捨てるように、同情の余地さえ見せないような零斗の言動にアランが反論する。


「……努力ならしたッ! 剣を一晩中振り続けたことだってあった。剣だけじゃない。槍だって弓だって、騎乗だってあらゆるスキルを磨いた。だがどうやっても認めてもらえなかったッ! 分かるか。あの城では、一度無能だというレッテルを張られたが最後だ。認めてもらうには、他に道がないんだッ! それを分かったような口ぶりで語るんじゃねぇッ!」

「――――だろうな」

「……っ?」


 てっきり否定的な言葉がとんでくるのかと思えば、逆に自分の言ったことが肯定され、腑に落ちない表情を見せるアラン。

 結局この男は何が言いたいのだと、そう言いたげなアランに虚無的な笑みを見せて零斗が口を開く。


「あの城は()()()()()()だ。そんなこと、誰よりも俺が知ってるさ」


 やはり、己の予感は的中していたと、内心で確信に至った零斗は、だが再び顔面から表情の一切を消して問う。


「……どうでも良いが、お前は期待されていないといったな。さて、それは本当にそうだったのか?」

「――――どういうことだ」


 にらみ合ったままの姿勢で交わされる会話。トドメをさそうと思えばいくらでもできるはずの零斗は、言葉を投げかけるだけで腰にある短剣に手をかけようとはしない。

 そのことをアランは疑問に思うも、素直に答えるしかなかった。


「例えば、お前が眼中にもなかったロイとジーナ。あいつらはいつだって、お前に背中を任せていた。それは()()であり……“期待”じゃないのか?」

「そ、れは……」


 アランの脳裏に二人の面影が浮かぶ。


「それでもお前は、なお自分のためにそんな二人を切り捨てた。ならお前の望みは何だ? 結局地位が欲しかっただけか?」

「――――違うッ!! 俺は、ただ……」


 零斗の問いに、初めてアランが強く否定した。

 

「俺は……認められたかった。家なんて関係ない。俺を見てほしかった。なのに……誰も……」


 そう言って瞳がぶれるアランは両ひざをついて、手元に残った剣の鞘を離し、自分の手のひらを見つめた。


「……俺は、何がしたかったんだ。自分を見ててくれる奴を捨てて、結果しか見ようとしない奴らの言いなりになって、結局今にも死にそうになってるってか……」


 そして、乾いた笑いを溢したアランは、死んだ眼差しを零斗に向けていった。


「……もう、良い。殺してくれ――――レイ」

「――――よく言った」


 そう言って、零斗はアランに短剣を――――()()()()()

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