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六十話『終結へ』

 話はやや遡り、アランが第二の『剛薬』を口にする前。


 起死回生の兆しかと思われた最後の望みも絶たれた冒険者たちは、今まで抑圧されていた恐慌が一気に吹き返したのか、まさしく阿鼻叫喚の様相を呈していた。


「お、おいっ! どうすんだよ! あいつがやられたら他に誰がフェンリルの相手をするっていうんだ!?」

「どうにもこうにも『A』ランクの二人ですら歯が立たなかったやつだぞ!! 誰も相手にできるわけねえだろ! 逃げるんだよッ!」

「逃げるったってどこに!?」

「俺が知るかッッ!」


 慌てふためく冒険者達を尻目に、フェンリルは数度身震いした後、ゆっくりと辺りを見渡していた。そして、小さく鼻を鳴らしたことで冒険者達の視線が、再び彼の元へと集中する。

 空回りしていた思考すらも凍り付かせる眼光に、その場にいる全員が悟った。


 ――――考えている。


 先ほどの己の不興を買った男に止めを刺すか。それとも、中断させられていた蹂躙劇を再開するべきか。


 葛藤するには及ばない程度の、彼の気まぐれ一つで決まる些事。

 だが、それがこれから失われる命の多寡にかかわることを思えば、その考えに行きつく者の顔色が青白く染まるのは必然であった。


 いやに静まり返った戦場で、果たして誰かが唾を呑み込んだ音がしたのはいつだったか。

 沈黙を打ち破ったのは、フェンリルの一際大きい鼻息。そして、すぐに体をアランが飛ばされていった方向へと向けて歩き始めた。

 その様はまさしく――――。


「――――あいつ……俺達を鼻で()()()のか?」


 “貴様ら如き、殺す価値すらない”と、言葉なき断言をされたかのような感覚が奔った。

 

 屈辱。


 それ以外に言い表しようのない感情が冒険者たちの中で爆発する。

 だが、ここで激情に駆られてフェンリルに挑めば一太刀も浴びせることなく命を散らすのは必定。ただの魔物による侮辱を受け入れる他、この場にいる者には選択肢はなかった。


「――――っけんじゃねえぞ」


 呻くような声の元へ、一斉に顔を俯かせていた冒険者達の視線が集まる。


 それは歯を食いしばり、武器を支点に立ち上がるゴウゼルの姿だった。

 手当を受けたとはいえ、引き裂かれた防具の間から見え隠れする傷は、前線に復帰するにはまだほど遠い状態であることを物語っている。


「ゴウゼルさん! まだ起きちゃ――」

「ッッせぇ!! 『D』ランク冒険者一人にあんだけ戦わせておいて、なんで『A』ランクの俺が寝てなきゃならねえんだ」


 大剣を振り上げて、切っ先をフェンリルに突き付けてゴウゼルは続ける。


「――――おい犬っころ。あんま俺達を舐めてんじゃねぇぞ」


 眼光をさらに鋭くしたゴウゼルの言葉は、質量さえ伴って冒険者たちの耳に届いた。

 

 なるほど、確かに自分たちでは全く相手にならないかもしれない。死力を尽くしても、限界を超えて挑もうとまるで歯が立たなかった。そんな者に対し興味を抱くことさえないだろう。


 ――――だが、このままいい様にあしらわれ、見下され、嘲笑われるのだけは納得がいかない。


 それだけは、己の矜持が許さない。


 そう、意志を燃やす瞳が物語っていた。


「行くなら、俺を殺してからにしろ」


 そう言って、あらん限りの魔力を練り上げる。

 高密度の魔力が、うっすらと目視できるほどに集まり、やがてそれは吹き出す蒸気のようにゴウゼルを包んだ。


「――――『剛化』」


 サイケと同じ魔法を発動させ、なおも静かに佇むフェンリルの前に大剣を片手で構える。

 そこへ、不意にどよめきが上がったかと思えば、彼の後ろから聞き慣れた声が近づいてきた。


「……おいおい筋肉ダルマ。ちいとばかしお前だけいい恰好し過ぎじゃねえか?」

「……ようもやし野郎。おねんねはもう良いのか?」

「俺より先に気絶してた癖によく言うぜ」


 己とこんな軽口を交わす者は一人しかいない。

 目を向けずとも、己の隣にサイケが立っているのだとゴウゼルは確信していた。そして、魔力の気配から自分と同じく『剛化』を使用しているのだとも。

 

 ただ、ゴウゼルと違い、サイケは二度目となる『剛化』の使用だ。

 使用してこの短時間で起き上がってくるだけでも称賛されるというのに、ましてや二度目の使用となればかかる負担は想像を絶する。

 それでも隣に立っているのは、ゴウゼルと同じく、『A』ランクとしての誇りがそうさせたからに違いない。


「無理せずとも俺のカバーだけしてくれりゃ良いんだぜ?」

「バカ言え。お前が攻撃する前に俺がやつを殺す」


 各々がそう口にしながらフェンリルに相対する。

 

 ――――そんな時、ぽつりと、ゴウゼルの鼻先に、水滴のような物が降ってきた。


「……こんな時に雨かよ。ついてねぇな」

「は、まさかお前そんな縁起を信じてたりすんのか?」

「なわけねえだろッ! ただ戦いづれぇッてだけだ!!」


 そんなやり取りを黙って見守るフェンリルはと言うと、欠伸でもしそうな態度で二人の方へと向き直った。

 まるでそんな態度をしていても、彼らには負けることなどないとでも言わんばかりに。


「てめえのその態度がいつまで持つか見せてもらおうじゃねえかッッ」


 そのいちいち癇に障るような動きを見せる彼に、二人が青筋を浮かべながら地を蹴り出す。


 そして、事前に示し合わせることなく自然と二手に分かれてフェンリルへ詰め寄っていく二人。それを悠然と眺めながら、フェンリルは「さて、どちらを先に潰そうか」と思惑する。


 先ほどフェンリルがここにいる冒険者を見逃すと判断したのは、勿論アランへの怒りもあったが、その数と耐久性を考慮し、こちらを先にしてしまっては時間の無駄だと思ったからに過ぎない。

 それを慈悲と受け取り、素直に退散するならば見逃してやっても良いくらいには考えていたのだ。


 しかし、わざわざその慈悲を跳ね除け、自ら挑みかかってくるというのであれば、煩わしい“命令”がない今、殺さないという選択はない。

 

『ウゥゥゥ……!』


 不気味に、不吉に、これから襲う死を暗示する唸り声を前にして、二人はひるむことなく攻勢に出る。


「――――はァッ!!」


 ゴウゼルによる大薙ぎがフェンリルの眼前に迫りくる。

 大気を押しつぶすかのごとき速度で振られたそれを、後ろへと跳躍することで回避する。……が、空中に放り出された巨躯の背後を、既にサイケが取っていた。


 弦を引き絞るかのように、槍を握る腕を膨張させ投擲の構えを取る彼の気配を、フェンリルは魔物の五感で認識した。

 咄嗟に尻尾に魔力を流し込み、盾とし、サイケの刺突を防ぐ。

 何本かの体毛が剥がされるも攻撃を防いだ尻尾が、火花を散らさせサイケの槍の軌道を逸らす。


 サイケがそれに舌打ちすると、すぐに体勢を立て直し、頭上に振り下ろされている凶器()を防ぐべく両手で柄を握り防御の構えを取る。

 刹那、途轍もない衝撃が両腕に伝わったかと思うと、サイケの肉体は地に叩き落とされた。


 土煙が舞い、冒険者達は彼の身を案じ息を呑む。


 だが、すかさずゴウゼルが着地間際のフェンリルに向かって水平に()()、追撃を許さないと言わんばかりに大剣で斬りつける。

 流石のフェンリルも、ゴウゼルの一撃には警戒してかたまらず距離を取った。


 だが、その瞬間、舞い上がる煙を裂いて、閃光のごとくサイケが退いたフェンリルへと詰め寄った。

 『剛化』によって強化された彼の描く軌道は、まさに稲妻というべきもので、僅かにフェンリルの反応が遅れた隙を突いて、サイケが強烈な一撃をフェンリルの左わき腹めがけて喰らわせる。


 しかし、ここでも硝子の割れる音が鳴り響き、サイケの攻撃が帳消しにされる。悔しそうにサイケが表情を歪ませて、反撃を受けぬよう距離を取る。


 ここまでの攻防に、まだ十秒とかかっていない。

 だが、初めて二人と対峙したときにはなかった焦燥感がフェンリルに芽生え始めていた。


 ――――このままでは()()()()()、と。


 何が変わったのか。

 確かに、『剛化』を使用したことで二人の身体性能は通常時は比べ物にならないくらい跳ね上がっている。だが、それだけの話だ。

 所詮は人間と魔物。その壁は絶対に覆せないものであり、事実、一時は圧倒していた。


 ならば一体何が起きていると、フェンリルは思考を巡らす。


「ッ! あーッ! あのバリアさえなきゃ一本入ってたんだがなぁッ!」

「はっ、俺が作った隙で攻撃出来ているだけじゃねえか。俺がいなきゃお前じゃ掠りすらしないっつうの」

「うるせえな。まずは自分が攻撃を当ててからそういうことを言うんだな」

「あぁ?! そりゃまあ随分な物言いだな? 今に見てろ、俺が先に攻撃を入れてやる」

「どうだろうな。お前が寝てる間に俺はかなりあいつの動きを見ていたからな。適応度で言えば俺の方が遥かに上だ」

「その少ねえハンデで精々粋がってろ。すぐに追い抜いてやる」

「んだとぉッ!?」


 目の前に敵がいるというのに口論をする余裕を見せる二人に、さらにフェンリルは焦りが積もるが、同時に合点が行った。

 

 一度目の時にあって、二度目の戦闘の時に存在するもの。

 それは、()()だ。


 一度目の時は、二人は強敵を相手取るため、連携を主軸において己と戦闘していた。

 だが、今回は違う。

 互いが互いを利用する。つまり、強烈な競り合いで我先に仕留めんとしてくるのだ。


 それが結果的に自然な連携を生み、己に休ませる暇を与えず、攻撃を仕掛けてくる。

 そして、一度目の戦いで自分の動きをある程度学習して、さらにはどう動くかを織り込んだうえで攻めてくるのだ。

 これほどまでに厄介なことはない。対して、自分は己を使役していた者から魔力を全て吸い上げた以上、魔力供給もなく、急速な回復も見込めない。


 つまり、彼らに勝つためには、対応されきる前に倒すしかない。


 そう悟ったフェンリルが、慢心を消し、本気の体勢で臨むことを選んだ。


 雰囲気が変わったことを察したのか、サイケとゴウゼルは不敵に笑う。


「お? ようやくヤバくなりだしたことに気づいたか?」

「今更本気出してもおせえ。死んでから後悔しな」


 そうして、最後になると思われる戦いが始まったのだった。


 ■■■


 ――――心地良い。まるで、全身が羽に包まれているかのようだ。


 ……? はて、ここはどこで、自分は何をしていたのだったか。

 確か、何か大切なことがあったような気がするが、全てがどうでも良い。

 今はただ、このふわふわと思考が零れ落ちていく快感に身を委ねていたい。


 ――――誰かが近くにいる気がする。

 影も形も、物音一つすらしないが、何故だか確信できる。


 お前は一体誰だ。何をしに来た。まさかこの至福の時間を邪魔しに来たのか?


「――――随分と侵食されているようだな? アラン」


 何やらこの声を聞くとどこか不快な気持ちになる。ならばこの声の主は邪魔だ。今すぐにでも消してしまおう。

 

「どこまで記憶が抜けたか。もう自我も失ったか? 何であれ、二本目を口にしたら間違いなく喰われているだろうが」


 何の話をしている。喰われた? 一体何に?

 何でもいい。さっさと殺してしまおう。


「ほー? その状態でまだ立てるまで回復するか。流石は『剛薬』。伊達じゃねえな。……ま、言っても無駄だろうから、お前の相手は俺がしてやる。それがせめてもの()()だ」


 ……さっきから訳の分からない話をして耳ざわりだ。大体、俺のことを知っている口ぶりだが、お前は何者だ。



「――――俺は灰瀬零斗。()()()()()()()()を殺すために来た」

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