五十九話『矜持』
目まぐるしく交わされる剣と爪の衝突音がゆうに千を超えた頃。それは現れた。
――――喉が灼ける。
体を巡る血液がまるで沸騰しているかのようだった。冷却すべく、何度も肺に冷えた空気を流し込むが、一向に全身の熱が引く気配はない。
それどころか、時を経ることにさらに体温は上昇しているようだった。
このままでは何かがまずいと、己の理性が懸命に叫んでいる。いずれ壊れる。
――――持たない、と。
いったん撤退すべきだと、自身に迫る未曽有の異常に悲鳴を上げ始めている。そんなことは、未だかつてないほどに身体を酷使し、限界を超えた能力をこれだけの時間引き出していることを考えれば、あまりに当然のことであった。
だが、戦闘に身を委ねる快感――――何より、目の前のこいつは、自分に『引く』という選択を許しはしない。
「――――ッッ! ハハハハハッッ!」
ぎらついた瞳に、歯をむき出した獰猛な嗤い声が、何よりも己を物語っている。
こんな愉しい遊戯をやめるというのか。 ――――冗談だろう?
踏み込む足に力をさらに込め、拮抗していた爪を押し返し火花を散らす。
神狼の前脚を弾いてすぐ、後ろに跳躍回転する。何故そうしたのかと思考が追いつくころには、先ほどまで自身がいた場所に、鋼鉄製の巨大な鞭を思わせる彼の尻尾が水平に通過していた。
一息つきたい衝動を無視して、今度は長剣を脇に構え疾走する。
さて、これまで戦闘を継続することはや一時間弱。
『剛薬』による強化を受けながらも、なぜここまで戦いが長引いているのかと疑問に思うことだろう。
いや、何もここまでに勝負を決する機がなかったわけではない。むしろ、並みの魔物であれば、とうに片が付いているような好機が三度ほどあった。
なら、なぜやつはまだ存命なのかと問われれば――――。
「……ッ! また、守られたかッ!」
増幅した身体能力に物を言わせ、目で追うことすらままならない速度で攪乱した上、さらに死角からの斬撃をフェンリルの首元に浴びせようとした瞬間、ガラスが砕けるような音が響く。
そして、自身の込めた力が嘘のように霧散する。攻撃が完全に相殺されたのだ。
「――――魔力による防護壁展開。……流石に最高レベルの危険度ともなると、守りも一級品だな?」
『グルゥ――――』
以前、魔物の知識を一通り詰め込まれた記憶の中に、おぼろにだが、上位の魔物にはそういった芸当が出来るものもいるという知識があった。
そして、その推測に対し、まるで『正解』とでも言わんばかりの低い唸り声に答えられ、額に冷や汗が流れる感覚を覚えると共に、口元に小さい笑みを作る。
つまりはこういうことだ。
どんなに強力な一撃だろうと、このバリアの前では意味をなさない。
一応、バリアが防ぐ攻撃は一度だけ、かつ部分的にしか守ることができない。さらには再展開には少々時間がかかるという性質まではここまでの戦いで暴けたものの、それを突破するとなるとまた話は別なのだった。
「……面白いッ! 俺の体が潰れるのが先か、お前の防壁を崩すのが先か。勝負しようじゃねえかッ!?」
だが、それがどうしたというのか。
『剛薬』を使用したこの身は、今やこの場にいる誰よりも強い。この程度の相手、疾く葬り去ってしまうとしよう。
そして、己の実力を陛下に示し、かつての栄華を取り戻すのだ――――。
■■■
その戦いを一言で表現するならば、『熾烈』であった。
「……すげぇ。なんであんな動きが出来るようなやつが『D』ランクにいたんだ?」
誰かが不意にそんな言葉をこぼす。
共感の声はなくとも、誰もが同じ感想を抱いているのは明確だった。
どだいたった一人の人間程度では対抗することなど無理な相手。それが危険度『Ⅳ+』。
だがそれが今は、脚光を浴びることがないような、『冒険者』とひとくくりにまとめられる程度の存在が善戦を演じている。
いっそこの光景が夢だと言われた方がまだ納得ができる。
しかし、戦いの余波による体を打つ強風が、耳を刺すような剣と爪の衝突音が、何よりも鼻を突く濃厚な血生臭さが、これは現実に起こっている出来事だと告げてくる。
誰もが呼吸を忘れ、目の前の戦いに目を奪われていた。
「――――アラン……」
――――ごく一部、普段の彼を知る者を除いて。
体から熱気を発し、地を奔り、宙を舞うアランの姿は、長いこと共に活動してきたロイとジーナに大きな衝撃と混乱をもたらしていた。
「まるで別人ね……一体どうしちゃったのかしら」
ジーナがロイの内心を代弁するように言う。
「あぁ……あの動き。さっきまであのオオカミと戦っていた『A』ランクの二人と互角……いや、もしくはそれ以上。まさか、今まで俺達と活動していた時は実力を隠していたのか……?」
「……いいえ、少なくとも私の目には今まで戦闘の時に手を抜いているように見えなかった」
「だったら、今日になって急にあれだけあいつは成長したっていうのか?」
『格上』という言葉ですら生ぬるい相手に果敢に攻めては、瞬きの終わらぬうちに幾重もの金属がぶつかり合う音を奏で、曲芸師を思わせる身軽さで当たれば即死必至の攻撃を躱す。
昨日まで隣に並んでいた者がこうまで化けるかと、指をさしてロイが問う。
「そう言われても、私だってまだよくわかってないんだから何とも言えないわよ」
「……そうだよな。悪い」
――――分かっていると、ややの自己嫌悪を感じながらロイは内心でこぼす。
アランとの付き合いの長さは己もジーナも同じようなものだ。自分に分からない彼の事情をジーナが知ろうはずもない。
それでも、八つ当たり気味な問いを投げかけた理由は、おそらく……認めたくはないが、と誰に言うでもなく心の中で前置きをしたうえで続ける。
自分は――――アランの強さに嫉妬している。
この胸に漂うもやもやも、知らずのうちに握りしめた拳も、全てそれで説明がつく。
彼がフェンリルに有効打を入れるたびに沸く歓声、網膜に飛び込んでくる彼の活躍が、何故だか全て心苦しく感じられる。
なぜ仲間が戦っているというのに、自分はこんなところに突っ立って眺めているだけしかできないのか。
己の不甲斐なさ、無力さを突き付けられている感覚がしてならなかった。故の嫉妬。
「……俺は――――」
背負った大剣の柄を撫で、歯噛みする。
重ねて言おう――――分かっている。
いくら仲間が戦っているとはいえ、あの次元の戦闘に自分が加勢したところで何の意味もない。ともすれば、戦っているアランの足を引っ張ることにさえなりうる。
だが、このまま黙って見ていることも、己の矜持が許してくれない。ならば何を――――。
そこまで考えた瞬間だった。
ドンッ――――と、短く鈍く低い、嫌に耳に残る音が辺り一面を駆け抜けた。
次いで聞こえてきたのは、メキメキメキッッという何本もの木が煙を巻き上げながらなぎ倒されていく音だった。
何事かと視線をあげれば、言葉を失い唖然としている冒険者達に、目を見開いているジーナの表情、風に毛並みを靡かせるフェンリルの姿が映る。
だが、そこにいるはずの姿がないことに気づくまで数秒を要した。
「――――アランッッ!?」
先ほどまで激闘を繰り広げていた者がおらず、辺りは水を打ったように静まり返っている。そして、何よりも今しがたの聞き慣れない音。
その状況だけで何が起きたかを理解するには十分であり。思考が凍り付くと同時、ロイは喉が張り裂けんばかりに名を叫んだ。
■■■
「ごぼ……がは……はっ、はっ……」
腹部がこれ程なく熱い。呼吸は浅く、何度吸っても取り入れたそばから漏れ出していくようだった。視界が霞み、赤みがかっている。四肢には一切力が入らず、ようやく自身を受け止めた樹木に身を預けるので精一杯だった。
よく考えなくとも己が死の淵に立っていることは明らかだ。
――――決め手はただ一度の隙だった。
それまで問題なく動けていたというのに、突如として回避反応がごくわずかに鈍った。
しかし、そのほんの僅かに過ぎぬミスは、どこまでも致命的で、それをフェンリルは見逃さなかった。
ただ一撃、されど一撃。
己の全てを奪うには十分すぎる尾撃がこの身に叩きつけられ、衝撃をいなすこともできず、まともに受けてしまいこの様だ。
咄嗟に身を庇った左腕は粉砕され、他にも複雑に折れた骨が内臓に突き刺さり、尋常ではない激痛が絶えず襲う。
喉に強烈な異物感を覚え、むせると吐き出す血の塊。
それでもまだこの命があるのは『剛薬』のおかげだろう。
「……はは、無理を通しすぎたか」
決定的な隙を見せる前、確かに兆候は何度もあったのだ。
何千分の一秒にも満たない、思考と肉体との間に生じる感覚の遅延。際限なく上昇していく体温に血流の加速。
本能はとっくに限界を悟っていた。
だがそれに目を向けず、戦闘の快楽にかまけていた結果がこれだ。
絶体絶命という他ないこの状況に、思考だけが肉体と切り離される。
指一本動かせないというのに、フェンリルは己の不興を買った者に止めを刺すべくこちらへとゆっくりと歩み寄ってきていることが振動と足音からわかった。
死刑を前にした囚人はこんな気分なのだろうと苦笑を浮かべ、まだ見ぬ執行人の方へと目を向ける。
――――そういえばと、ふと、以前に死刑の方がマシなのではと思うような処罰を受けた者がいたことを思い出す。
「……ハイセ、レイトだったか?」
聞き伝でしかないが、無能の勇者という烙印が押されたあと城で散々な扱いを受け、最終的に磔にされて死んだらしい者の名を口にする。
何も事情を知らなければ、なぜそこまでの仕打ちを受けたのかと疑問に思うところだが、費やした代償とやつの性能を思えば、陛下の怒りを買うのも頷けた。
「……はは、仮にここで俺が生き延びた所で、同じような末路を辿る……か」
作戦は失敗。フェンリルの制御はできず、『剛薬』のデータも取れないまま自分は瀕死。
なかなかフェンリルが己を殺しにやってこないが、もうしばらく待てば殺されるだろう。できればこのまま放っておかれるのを願うばかりだが、どのみち自分は虫の息。もしかしたら放っておいても死ぬと判断したのかもしれない。
――――何やら平原の方角が騒がしいが、おそらくまともに戦えていた自分がやられたことで阿鼻叫喚になっているのだろう。
「……クソ、が」
ただ、このまま死ぬのも納得がいかなかった。
これまで自分は何のために己を捧げてきたのか。これで終わってしまって本当にいいのかと、やりきれない感情が芽生え始めた。
そんな時、右側のポケットに違和感を覚え、碌に使えない右手を何とか動かして中身を引き抜く。
すると、そこには奇跡的に原型を留めたままの小瓶に詰められた『剛薬』が握られていた。
「……そう、いえば……あいつが予備とかいってもう一本、渡してたんだった……か」
――――ふと、脳裏にある案がひらめく。
一本で拮抗することはできてもまだ及ばなかったフェンリル。……ならば、二本目を飲めばどうなるのか、と。
ただで済むはずがないのは承知の上だ。慎重に、長い年月をかけて体を慣らして来て服用した一本目ですら副作用を完璧に克服できなかったのだ。ましてやこれ以上ともなれば、間違いなく正気を失い、廃人と化すのは目に見えている。
……だが、どうせ先のない命。ここで最期に散らしてみようではないかと、心のどこかに微塵に残った騎士としての矜持が囁くのだ。
――――やるしかない。
「――――ラベンド王国に光あれ」
そう言って、残った『剛薬』を飲み干した。
話数を重ねるごとに更新速度が落ちていってしまい申し訳ございません……。まだ首の皮一枚と言ったところで繋がっているので、少なくとも一章は死んでも完結させます。
なのでエタりを心配されている方はどの口がと思うとは存じますが、その辺ご安心いただければと思います。




