五十五話『先見えぬ目標』
投稿が遅くなり申し訳ございません。
それと、今回視点が結構変わります。
冷や汗が噴き出るのを感じずにはいられなかった。
全身が火照っているように熱いというのに、体の芯は嘘のように冷え切っている。
喉は乾き、暴風のように吹き付ける殺意の前に、ただ息を呑むことしかできなかった。
――――これが、危険度『Ⅳ+』
生物としての格が違いすぎる。
これに単身で挑めと言われたら、その場で喉を掻っ切った方がマシなくらいに、一切の楽観を許さない存在がそこにはあった。
今回は自分よりも遥か高みにいる強者共が集っていたから良かったものの、いなかったらこの街はどうなっていたことか。
……ぞっとしない想像だ。
「……大丈夫? ロイ」
隣から自分の身を案じる声がかけられる。
声の主は言わずもがな、長い間連れ添った仲間であるジーナだった。
彼女の表情を見るに、人の心配などとてもしていられるような場合ではないというのに。それでも声をかけてくれるのは彼女の強さの一つだった。
そんな声に、できるだけ普段通りのトーン、表情で応えるべく努める。
「……あぁ、なんとかね」
「こいつはまた……とんでもねえのが出てきたな……」
アランが嘆きにも近い呟きをする。
――――ああ、全くもって同感だとも。
なぜ自分達の前に立つ彼らは、あんな化け物と相対して平常心を保っていられるのか不思議でならない。
「――――これはこれは。冒険者総出での出迎え感謝するよ」
フェンリルの背に乗った人物から声が発せられる。
「おかげで呼び出す手間が省けた」
「そういうお前は何者だ? その言い分だと端から俺達に喧嘩を売るつもりだったように聞こえるが」
ゴウゼルの問いに対し、ローブの男は微かに笑ったような気がした。
尤も、それなりに距離があり、さらにこの暗さとあっては表情の変化を見ることなど望むべくもないのだが。
「私が何者であろうとどうでも良いことだ。それよりも、お前たちの前にいるのは、かの神獣と謳われた魔物『フェンリル』だぞ? そんな悠長なことを聞いている場合か?」
「……あぁ、そうだな。お前をぶっ飛ばして口をわらせりゃ良い話だったなッ!」
ゴウと、殺気とも違う圧力がゴウゼルから放たれる。
『強化』の類である魔法を使ったのだろう。彼の周りには自分達とは比較にならない魔力が渦巻いている。
同じ大剣使いだが、彼と自分の実力は、まさに天と地の差があるだろう。
魔力を見ただけでもそれが痛いくらいに伝わる。――――いつか自分も、あの領域にたどり着ける日が来るだろうか。
「……ま、この筋肉ダルマに同感するのは癪だが、そう言うことだなッ」
ゴウゼルの隣で槍を立てて、同じくサイケが『強化』を使用する。
瞬く間に、この場にフェンリルとも引けを取らない存在が二つ誕生した。
この二人さえいれば、どんな強敵だろうと全く相手にならないのではと、錯覚だろうとそんな期待が出来てしまう。
これが『A』ランク。……これこそが『A』ランクなのだ。
求心力、実力、品格のどれをとっても一流と呼ぶにふさわしい。
――――羨望。
この場に似つかわしくない感情が芽生える。
同時に、自分はこれに追いつくために冒険者になったのだと再認識した。
一体、何年、何十年かければあの高みに自分も至れるのだろうと、先見えぬ目標に眩暈さえした。
だが、それがどうした。
上を目指さずして、何が冒険者。何が剣士か。
己は、俺は、何が何でも上り詰めて見せる。
「――――俺は、あそこに行く」
そして、誰に言うでもなく小さく、しかし力強く自分への誓いを口にする。それは、心に纏わりつく霜を溶かし、余計な熱を燃やし尽くす。
気が付けば恐怖はどこかに消えていた。
■■■
「始まった……か」
フェンリルが一つ吠えると、目まぐるしい攻防が始まった。
こうなったら彼らの領分だ。後は、多少ざわつく者達に指示を飛ばし、出来る限り前線の者達の助けになるようにこちらで操る。
……これは言うなれば茶番だ。
向こうの狙いとしては、アランなる者を引き立たせるために名だたる強豪たちを蹂躙することが出来れば良いわけで。
それに対し、こちらはそれまでに何とか死傷者を出さずに持ちこたえれば良い。
知らず知らずのうちに両者の間で成立している八百長。
そうと知っていれば欠伸が出そうになるこの戦い。
だが、戦っているフェンリルが、手加減しているとはいえ、冒険者を殺そうとしているのは確かだ。
油断すればすぐに死者が出る。
――――そんなことを誰が許すか。
こんなくだらない茶番で命が失われることなどあってはならない。
この場にいる者達を招集したのは自分だ。ならば、ここの命は全て己が背負っている。
――――故に、誰一人として死なせない。
それが、ギルドマスター『カリス』に課せられた責務だ。
「さぁ、怯えている場合ではないぞ! 諸君、君たちの仕事は前線で戦う者達のサポートだ」
声高らかに激励を送り、委縮してしまっている中級冒険者たちに指示を飛ばし始める。
「攻撃魔法は僕が指示するまで絶対に使わないように。回復魔法は緊急性を要する者から優先的にッ! 近接戦闘を主とする者は、前線で一人倒れた場合にはパーティ単位で助けに行け!」
「――――応ッ!!」
威勢よく自身の言葉に応える冒険者達に笑みを浮かべ、アンナの方を見やる。
「……っていう感じで良いかな?」
「……その一言がなければ完璧だったわね」
呆れたような眼差しを向けながら彼女は言った。
「毎回そういうこと言うから残念なことになるのよ。もう少しギルドマスターに相応しい威厳を……」
「興味ないし、僕には似合わないさ。僕は必要な時に必要なことさえやっていれば良いんだよ」
フェンリルとゴウゼルがぶつかり合う衝撃が、自分と彼女の髪を揺らす。
そんな至近距離で行われ、直に届く戦の呼吸に、自然と血が滾る感覚がする。
「……本当なら僕もこの戦いに加勢したいところなんだけど」
自ずとそんな呟きが口を出た。
「ダメに決まってるでしょ」
「だってほら、一応武器もあるし」
そう言って、腰に携えた細剣をアンナに見せつける。
しかし、彼女は頭を振って。
「それは護身用に許しただけで、誰も戦闘に参加していいなんて言ってないわよ」
「……はぁ、ケチだなぁ」
どうあっても前に出ることを許してくれない優秀な補佐に、ため息をつく。
だが、そのやり取り自体で満足したからか、自分の口角が僅かに上がっている気がした。
元々、自分は冒険者だったからだろう。
命のやり取りをこうも見せつけられては、腕が疼いてしょうがないのだ。
冒険者をやっていて、死線をいくつか越えると、それまで恐怖を抱いていた物事に対して、むしろ衝動と呼ぶにふさわしい感覚が芽生える。
おそらく、本能的に恐怖を抱くことが無駄だと理解し、一秒でも長く生き残るため興奮するように体が変化していくのだろう。
それ故、上位のランクになればなるほど、いわゆる『戦闘狂』という者達は増えていく。
「――――これでも元『A』ランクなんだけど」
「……そういえば、レイ君に気を取られて忘れてたけど、貴方も十分バケモノだったわね」
齢二十前にしてランク『A』まで上り詰め、当時若き才能と話題になっていた『天才少年』――――“カリス・ローデンヴァルト”。
今思い返すと、やや気恥ずかしさがある二つ名だったがあれはあれで悪くなかった。
その才能を買われて、今度はこっち側へ来ないかと勧誘されたのがギルドマスターへ至るきっかけだったか、と、僅かに回想に耽る。
「でもダメよ。立場を考えなさい」
「あはは、分かってるって。僕が出るときは、前線が全滅したときだ」
「……笑えない冗談はやめて」
そんな物騒な会話を繰り広げながらも、的確に前線の状態を見極めることは忘れずに指示を続けるのだった。
■■■
「流石は『A』ランク。『隷属』がかかっているフェンリルとここまでやり合えるとはな」
自身が使役する神獣と戦う彼らの様子を見守っている時に、そんな言葉が口からもれた。
彼らが戦っているのは、『隷属』による強化まで施された危険度『Ⅳ+』の魔物。
正真正銘のバケモノなのだが、それと渡り合う奴らもまたバケモノなのだろう。
「――――ここで高みの見物か? 良いご身分だな」
背後から不意に声がかかる。
それに対し、「思った以上に早かった」というものと、「想定通り」という二つの感想を抱いた。
「……ふむ、一応分身を乗せているはずなんだがな」
今もなお戦うフェンリルの背には、魔法で作り出した自分の分身が乗っている。
本体である自分自身は離れたところにて『気配遮断』を使用していたのだが、気づかれたらしい。
「そんなもんが俺達に通用すると思ってるのか? すぐに分身ってことも、お前がここに隠れていることも気づいた」
「はは、流石は上位クラスともなるとすごいものだな」
そう言って指を鳴らし『虚像投影』と『気配遮断』を解く。
「どうやらフェンリルを魔法で操っているようだな。……なら、お前を潰せば格段に戦いやすくなる。覚悟を決めてもらおうか」
「ほう、そうかそうか……」
周りを見渡すと、自分の元へ来た冒険者は五人。
報告によれば、ここに滞在していた『A』ランクは二人。そしてどちらも今はフェンリルと交戦中。
となれば、ここにいるのは全員『B』ランク以下ということだ。
「……くくく、舐められたものだな」
「――――は?」
囲まれている状況には似つかわしくない発言だったか、冒険者の一人が間の抜けた声を漏らした。
そう、こいつらは一つ、重大なことを見落としている。
「……『破衝』」
手を前に掲げ、魔法名を口にする。
たったそれだけで、体を内部から強く揺さぶる魔力の衝撃波が、自身を中心に展開された。
「がふっ……」
「……んだよっ……コレっ!」
「……ふむ、全員を持っていくには些か出力が足りなかったか」
こいつらには知る由もない、魔力による直接攻撃。つい最近になって生み出された魔法であるため対処できる者はそうそういない。
だが、加減に慣れておらず、全員を気絶させるはずが、後衛の二人以外はまだ気を保ったままだった。
「まぁ良い」
懐から小瓶を取り出し、『剛薬』の製造過程でいくつも生まれた失敗作の一つを口にする。
一滴が舌先に触れただけで体内に豊潤な魔力が満たされていくことが分かる。
同時に、僅かな眩暈と幸福感に襲われるが、事前に対策するために薄めていたのですぐに収まった。
自分は『剛薬』に順応していないため、これ以上の濃度の物は口にすると正気を失ってしまうが、十分すぎる魔力を確保できた。
「『隷属』『虚像投影』『気配遮断』。これだけ同時に展開している魔法使いが――――弱いわけないだろう?」
見えているかどうかは分からないが、口元に笑みを作ってそう言うと、冒険者達は苦虫を嚙み潰したような表情になる。
「まぁ、それでも貴様らを倒せるほどの力はないのだが……『A』ランクが倒れるまでのつなぎくらいは演じて見せようか」
そういってすぐに次の魔法を詠唱。
自身の周囲に手のひら大の火球をいくつも生み出して漂わせる。
「悠長に声をかける暇があったなら攻撃すれば良かったものを。その剣は飾りか?」
「……その程度の挑発に乗るとでも思っているなら心外だな」
「おや、これは残念。そうだったら卸しやすかったのだが」
杖代わりの指輪を追加ではめて、火球を手繰る。
「精々楽しもうじゃないか」
「ああ、最高に楽しませてやるよ」
殺意が零れ落ちそうなくらい込められた笑みに、指を一つ鳴らして、浮かべた火球を放った――――。




