五十四話『狼煙』
そして、遂にその時はやってきた。
今宵は雲が多く、残念ながら月の姿は拝めなかった。空に蓋をするかの如く、月の光を遮る叢雲がいくつにも連なり風に流れている。
これではひとたび街の外に出てしまえばまともな光源は期待できないだろう。
ただでさえ強力な相手だというのに環境にも恵まれないとは、さてはこれも奴らの作戦の一つか。
『フェンリル』の討伐にあたって、余計な混乱を防ぐために、タルデの一般住民には特に何も伝えられることなく、選抜された冒険者達だけが当日の数時間前になって知らされた。
一部狼狽える者らもいたらしいが、口外しないということさえ守れば参加は強制しないとカリスが宣ったところ、騒ぐ者は口を噤んだそうだ。
しかし、そう言われても『B』『A』ランクの者達で辞退するという輩はおらず、むしろ『フェンリル』とあいまみえることができるこの機会に積極的ですらあったらしい。
やはり、ランクが上の者であるほど思考がややおかしな方向にいくようだ。普通なら狼狽えるような反応の方が自然だというのに。
そんな彼らの様子に触発されたのか、乗り気でなかった者らも奮い立たされて参加するに至ったと。何やら有名どころの冒険者が数人いたらしく、彼らに顔を覚えてもらおうと躍起になっているようだった。
自分としては、全くもってその手の話に興味がないため、名前も知らない“有名人”とやらを一目拝んだ後、さっさとギルドを抜け出してきた。
ちなみに、最後までカリスに粘られたがしつこいと一蹴してきたのはここだけの話である。
「ん、ここなら良く見えそうだな」
さて、そんな自分は今どこにいるのかと言うと、タルデを守るようにそびえ立つ街壁である。
結構な高さがあり、ここからなら『フェンリル』との交戦の様子をじっくりと見物することが出来るだろう。普段なら見回りの哨戒兵でもいるのだろうが、余計な噂が立つのを避けるべくカリスが手を回したのか、今日は不在のようだった。
まぁ、凄腕の冒険者があれだけいれば哨戒も何もなかろう。こんな時はゆっくり家で休んでいれば良いのだ。
「しっかし……よくもまぁあんだけの人数を集められたな」
森から『フェンリル』がやってくるのを待ち構えている一団を見て、自然とそんな呟きが口に出た。
あれで一人一人がそこらの魔物を蹂躙できる実力を備えているのだから恐ろしい。
カリス曰く、「向こうから攻めてくるはずなので、それを万全の状態で迎え撃つ」とのことだった。何故そんなことが分かるのかというもっともな問いが投げかけられていたが、“勘”の一言で一蹴されていた。
それに対し、腑に落ちない質問主は不服そうにしていた。……だが、存外馬鹿にならない。
何せ、支部とはいえ、この街を支える施設のトップに立つ男の“勘”だ。
『勘』と言っているが、おそらく幾多もの修羅場をくぐった経験から生じる、そこらの者では理解の及ばない複雑な思考のプロセスの果てをその一言で括っただけで、本当に適当を言っているわけでもあるまい。
むしろ下手な推測、根拠を並べられるよりも余程説得力がある。
彼らなりにそれを察したのか、その後は特に揉めることもなく会議は円滑に進んでいた。
それを見届けた後、こうして文字通り、高みの見物に赴いているわけだ。
高所だからか、幾分か地上よりも強い風に吹きつけられ、長くも短くもない白髪がなびく。それを若干うっとおしく思いつつも、街から少し離れた場所で『フェンリル』を待ち受ける彼らの更に向こう。森へと視線を向けた。
直接視認するにはやや遠く、姿を捉えることはできなかったが、その気配と魔力が、確かにアレがこちらへ向かっていることを物語っている。
カリスの読みは正しかったわけだ。
まぁ、相手から出向いてきたのを返り討ちにしたという方が、演出としては映えるという向こうの判断だろう。
何にせよ、衝突は近い。
既に『A』ランクと思しき二人が真っ先に気配の方へ注意を向け、続いて『B』ランクの数人が同じ方向を睨んだ。
そして、そんな彼らを見てようやく警戒に至る、後衛で松明やら魔法やらの準備をしている『C』『D』ランクの面々。
こうしてみると、実力の差と言っては何だが、それに近しいものが顕れるため中々に興味深い。
……尤も事情を知っていて、後衛に立つアランだけは周囲の者よりも反応が幾分か早かったが。
よくよく見れば、彼のすぐ近くにはロイとジーナの姿もあった。普段通り、ロイは動きが妨げられない程度の鎧と、ジーナは比較的軽装に弓という見慣れた格好だった。アランも彼ら同様、特に普段と変わったところは見られない。
「……アレがどうなんのか。見ものだな」
少なくとも一本は入っているであろうアランのレッグポーチに目を向けながらそう呟く。
『……お前、こんな暗いのに良くそんなに見えるな』
と、一部思考が『念話』に漏れていたのか、イドリスがそんなことを口にした。
「暗いって言っても『迷宮』と大差ないしな。目を凝らせばこんくらい見えるさ。反応が遅れるから探索中にはまず使わねえけど」
いつ敵と出くわすか分からないようなときは、肌で気配を感じ取った方が抜群に対処しやすい。そのため、以前腕ならしと称して森に入った時は目を殆ど使わなかった。
だが今は見晴らしが良いのでそこまで警戒する必要がなく、こうして存分に視界に集中できるということだ。
「つかお前こそ、この景色が見えてんのか?」
『お前の目を通じてしっかり情報が入ってきてるよ。他にもある程度の感覚はお前と共有している』
「……そんな機能、武器にいるか?」
『じゃねェと意志疎通するときにめんどくせえだろうが』
「そもそも意思疎通って機能が無駄だと思うんだが」
『あーーもううっせえェッ! 細けえことは気にすんじゃねェよ!』
疑問をまくしたてられることに嫌気がさしたのか、イドリスが叫び、それ以上の追求を拒んだ。
「……ま、減るもんでもないなら良いか」
『そうだ、それで良いんだよ。ったく、余計なこと聞きやがって』
「――――お、お出ましみたいだぞ」
森を抜けた先で、悍ましい量の魔力を纏った神獣は姿を現した。
その背に件のローブ男を乗せ、尾を二、三回ほど振った後、敵を認識したのかフェンリルはその黄色く鋭利な眼差しで睨んだ――――こちらを。
「……嘘だろ?」
確実に目があった。
一応自身へ矛先が向かないように気配を絶っているつもりだったのだが、身を隠していないことが災いしてか、フェンリルは何よりも自分のことを警戒している。
あのコートまで羽織っているのだが、彼の視界に入ればそんなのは関係ないらしい。噂に違わずの怪物っぷりというべきところか。
だが自分が一切の敵意を放たなかったためか、途端に興味を下にいる冒険者たちの方に移した。
脅威たりうる存在よりも、遠慮なく殺意をぶつけてくる“羽虫”を先に片づけるべきと判断したのだろう。
対する冒険者は、戦う意思のある者だけを数えて、およそ二十人。
『A』ランクと思しき二人が持つ武器は大剣と槍。どちらもかなりの業物と見える。
大剣を持つ男は、巨人を思わせる肉体に丸太のような腕。ひとたび剣を振るえば、後に残るのは更地だと確信できる力強さを放っている。
槍の使い手は一言で表現するなら『豹』。
前者に比べれば細いという印象を受ける。しかし、その実、しなやかな肉体は俊敏性に重きを置いて鍛えられており、よくよく見れば、横に並ぶ大男に負けず劣らずの技量を持っていることがうかがえた。
流石は人間の一つの到達点と称される『A』ランク。
纏う雰囲気が他の者とは別格である――――そう、二人を取り囲む者らは感じているのだろうと、冷めた目を向ける。
「――――まだ足りないな」
下の者が聞いたならば耳を疑い、また撤回を求めるべく掴みかかるであろう言葉を口にした。
念のために言っておくと、自分なりに彼らの強さは評価しているつもりだ。
“足りない”と言っても、あの『フェンリル』と善戦するには事足りる実力は備えている。それは間違いなく彼らが強者であることの証だ。
――――だが、同時に彼らと『S』ランクを隔てているであろう、さらなる壁の正体がわかってしまった故に思わずそう口に出してしまったのだ。
そして、善戦はしても勝利することはないだろうと、確信にも近い予感を覚え、『A』ランクの彼らに興味を無くし、後ろで構えるアランを見ていることにした――――。
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実際に相対して見るソレは、想像の上を行く存在感だった。
白髪の青年が言っていたように、かの神獣の首元には、魔法文字で象られた赤い首輪のようなものがゆっくりと廻っている。
その背に乗ったローブを身に纏う人物こそが今回の一連の騒動の主犯格なのだと思うと、後ろで指揮を執らねばならない『ギルドマスター』という役割に、些か歯がゆさを感じた。
「……あれが、フェンリル」
誰が言ったのか。その言葉を皮切りにして、自身のすぐ目の前に立っている『C』『D』ランク冒険者達の間に僅かな動揺が伝播していく。
「あんなのに本当に勝てんのかよ……」
「あ、当たり前だろ……俺達の前にいるのはゴウゼルさんやサイケさんなんだぜ? いくらフェンリルでもあの二人にはかなわねえだろ」
今挙げられた名前の者は、どちらもここに召集された『A』ランク冒険者だ。
それ以外にも、二人には及ばずとも歴戦の猛者と称される『B』ランクの者達が控えている。その事実が広がる不安の波をすぐに打ち消した。
……しかし、全てを把握する者として、そんな単純な理由では全く安心などできなかった。
「……どう思う。アンナ」
自身の横に立っている長年の部下に、短くそう問いかけた。
ちらりと視線を送れば、いつになく険しい表情をした彼女の姿があった。その手には、使用者の視覚情報を専用の魔法石に保存する魔道具が握られている。
出発する前に言わずとも持ち出していたところを見た時は、流石の察しの良さに苦笑したものだ。
漠然と投げかけられた問いに、アンナは少し間を置いて答える。
「――――五分五分ってところかしら。……いや、あの『首輪』のことも加味するなら、おそらく――――三対七」
どちらが三なのか。
そんな返しが出来るくらい愚鈍だったならどれほど良かったことだろう。
やはり、長いことギルドの受付を務めているということもあってか、こと観察眼という点に関して、彼女はこの場で五本の指に入る。
それこそ、目の前で狼狽える冒険者達より余程現実というものが見えていた。
一切の希望的観測を持たない、どこまでもリアルな意見に自然と笑みがこぼれる。
それでこそ、自分が最も信頼する者だと。
「妥当なところだね」
「……こんな時だって言うのに何笑ってるのよ」
「いや、気にしないでくれ。こっちの話だ」
間違っても他の冒険者に聞かれないよう、小さく言葉を交わす。
そして、会話が途切れた後に、ふと空を仰いだ。
風はどこか生暖かく、そして強い。雲は分厚く、月光を遮って幽幽たる天を作り出している。
そのどれもが、幾多の修羅場を抜けてきた自分の勘に不吉な何かを告げていた。
「……雨でも降りそうな空模様だね」
的外れなつぶやきが、張り詰めた空気の前に小さく消えていった。




