四十八話『信用』
零斗が執務室を出ていってしばらくしてから、カリスは大きくため息をついて、上等な革が張られた椅子に全体重を預けて伸びをする。
それを見たアンナも、彼ほどではないにしろ、ようやく緊張が解けたのか、小さく伸びをしている。
「……はぁ。カリス、あんた、誰に物を頼んだのか分かっているでしょうね?」
そして、二人だけになった室内でアンナが言う。
相手は『国王暗殺』を企てたと、少なくとも世間ではそういうことにされている人物。
さらに言えば、零斗の言っていたことが真実であるという保証もない。
確かに、彼の言っていたことはある程度筋が通っていた。
だが、それら全てがでっち上げではないとも言い切れない。もしかしたら、本当に彼は一国の王を手にかけようとして追われる身になった可能性もあるわけだ。
腕の傷も、あれが磔にされた際に付いたものと限らない。
全ては、言い訳をするための偽装なのかも――――。
「やめなよ。そこまで考えてたらキリがない」
と、アンナが思考を見透かしたかのように、カリスが答える。
「……でも、レイ君が言っていたことが本当だろうが嘘だろうが、どちらにせよかなり危険じゃない」
そう、これはいわば賭けだと、アンナは思う。
……それもかなり分が悪い、『ハイリスクローリターン』も良い所の。
仮に零斗の言っていることが本当だったとしても、『国外追放』を受けたという事実がある。
そんな人物を匿っていることが世間にしれれば、おそらくこの場にいる二人は厳罰を受けることになる。
良くて解雇。最悪の場合、投獄なんてこともありうるわけだ。
そうなりたくなかったなら、自分達が取るべきだった最善の選択は、すぐにでも王都へ連絡して、自分達の身の潔白を証明することだった。
――――いや、それですらダメなのだ。
彼の口から語られたことが仮に真実だったならば、何を聞いて、何を知ってしまったのかを確かめるために、おそらくロマノフは手を回すだろう。
それも、口封じという最悪かつ、最も効率の良い手段で。
疑わしきは罰せよ、という奴である。
故に、それも織り込んで考えるならば、“零斗とかかわりを持つこと”自体が悪手だったのだ。
「……ああ、だからあの時」
そこまで考えた上で、アンナがかつて、彼に告げられた言葉の意味を理解した。
――――“言ってもいいが、その場合は間違いなく巻き込むぞ?”と。
あれは、彼なりの警告だったのだ。
深く関わった時点で、もう後戻りはできないと。
(でも警告をしたってことは、少なくとも自分に関わらせないようにする優しさはある……。大罪を犯すような人物がわざわざそんなことを? それとも、単に自分の詮索をさせないため……?)
「……アンナ」
「――――ッ」
カリスの一声で、思考に呑まれていた意識が現実に戻る。
「良いかい? 彼の話が本当かどうかはさておき、零斗君がロマノフ陛下に対して良い感情を抱いていないことはまず間違いない」
「……えぇ、そうね」
零斗が本当にロマノフを殺そうとしていたならば、それは紛れもなく、敵意を持っていることに他ならない。
逆もまた然り。『国家反逆罪』などという濡れ衣を着せた者達へ、憎悪こそあれど、好意なんてものは一切持っていないだろう。
カリスの言葉をアンナが肯定する。
「今回の異変は、ロマノフ陛下の意図したものである可能性が高い。なら、これ以上の適材はいないだろう?」
「……あ」
アンナが以前に要請した冒険者は、全てギルド本部によって集められた者達。
出来れば迅速に人手が欲しいという条件を付けた以上、ラベンド国内の冒険者が集いやすいわけだ。だが、高ランクであるほど、この国にいる者はロマノフの息がかかっている可能性が高いという話は、以前アンナが零斗にしたばかりである。
裏で何をされるか分からない以上、その疑いがある人物に依頼をすることは極力避けたい。
それが零斗の場合はどうか。
ロマノフを良く思っていない以上、彼に協力している可能性は皆無。故に、変に探りを入れる必要もない。
さらに『迷宮』を攻略するほどの実力の持ち主。余程のことがない限りは『調査』する程度、造作もないことだろう。
さらにここまでの行動を鑑みれば、虚偽の報告をするような迂闊な真似をするとも考えづらい。
確かに、カリスの言う通り、最適な人材というわけだ。
「単純に考えるんだ。彼は僕の提示した“報酬”が欲しい。その代わり、僕らは彼を使い倒す。それだけの話だろ? それに今更引き返せない。――――彼が終わるときは、僕らも終わるだけさ」
その言葉に、今度こそ、アンナの背筋が凍り付いた。
軽薄な笑みの裏にあるのは、果てしない“覚悟”。
そして、アンナが今まで出会ってきたどの人間よりも有能と評する彼に、そんな表情をさせるまでに今この街は切迫しているということの表れでもある。
「……さて、話が済んだところで、彼の言っていた“報酬”の準備と行こうか。流石に僕だけじゃ骨が折れるから、アンナにも手伝ってもらうよ」
「……当然じゃない」
――――全く、割に合わないことをしたものだと、アンナは、ある書簡とギルド規定が書かれた本を取り出してにらめっこし始めたカリスを見ながら、笑いを漏らすのだった。
■■■
さて、時は進んで夕暮れ時の森の中。
普段と異なり、好んで使うことはまずないと思っていたコートを身に纏い、零斗は慎重に気配を探りながら森の奥へと足を踏み入れていた。
ひとたび道から逸れれば、そこに広がるのは何かが潜んでいるのではないかと思わせる不気味さ。昼間ですら陽光が十分に差さない森に、黄昏という要素が加わることでより恐怖心を煽り立てる。
だが、そんな状況に慣れ親しんだ零斗は、以前に腕ならしと称して足を運んだ時と同様、まるで近所の公園でも歩くかのように進む。
……もっとも、その身の運びは見る者が見れば舌を巻くほどに洗練されたものだったが。
ちなみに、いつもなら置いてくるはずのコートを着ているのは、戦闘を出来るだけ避ける方針のため、あっても邪魔にならないと判断したことと、単に色合いが黒に近いため迷彩としての機能することを期待したことが理由である。
『ちなみにそのコート。『気配遮断』効果があるから、お前が殺気を出さない限り勘付かれる心配はないぜェ?』
「……補足どうも。んで、何でただのコートにそんな物騒な効果が付与されているんですかねぇッ!?」
耐熱、防寒、防塵、防水その他諸々が付与されている時点で“ただの”もクソもないが、まさかそんな効能まであったとは思っておらず、つい零斗の口調が荒ぶる。
元々零斗は気配を絶つ技術自体、『迷宮』で暮らす上で必須スキルだったため既に会得している。よって、最初からコートの効能をあてにしていなかった。
だが、そこに『気配遮断』なんていう魔法が加われば――――
「『冒険者』から『暗殺者』にジョブチェンジってか。笑えねえな」
『冒険者じゃなかったら、そんな道もあったかもなァ?』
「ねえよ」
多少歪められている節はあるものの、まだ零斗は自分の感性がまともに属するものだと信じている。
少なくとも彼に、好き好んで人を殺めるつもりはないし、それで食べていくつもりもない。
「こっちは二年前まで学生してた身だぞ。そんな発想浮かぶわけねえだろ」
しかし、口でそう言っても『血』の類に全く抵抗感がないこともまた事実。
ここだけの話、『迷宮』で魔物と戦いすぎた弊害か、零斗が『パノルゴス』達を初めて仕留めた際に“死体が残る”という常識的なことが抜け落ちていて、一瞬驚いたのだが、逆にそれだけだった。
死体や、流れ落ちる臓物、血液に対し、全く嫌悪感を抱かなかったのである。
――――果たして、それが魔物だけに当てはまることなのかどうか。
「……それよりも今は依頼だろ。あれだけの威圧感を放つような魔物が人目に付いていないとなれば、それほど動いていない筈。さっさと依頼を終わらせて、報酬を受け取ったらタルデとおさらばだ」
だが今は、そんな疑問に気づかない振りをした。
それから、またしばらく歩いた。
どうせ一晩中森を探索するつもりだったので、接敵しないことを念頭に置いて行動した結果、今ではすっかり日が沈み、時刻は七時前といったところか。
先ほど空から覗いていた三日月が何とも印象的だった。この世界も、元の世界同様『月』があり、周期までもほぼ地球と同じらしい。
何とも良くできた話だと思いながら、零斗が再び空を見上げると、思わず歩みを止めてしまった。
「ほう……今まで気にしてこなかったがこれは……」
――――そこにあったのは、写真でしか見たことの無いような、満天の星空。
排気ガスやら塵やらで汚れ切った向こうの世界の空気と違い、こっちの大気はかなり澄んでいる。おかげで、地球ならば人の手の入り込んでない場所でしか拝めなかった星空も、ここではどこでも見放題だ。
これでこっちの世界の方が死が近いというのだから、何とも皮肉な話だ。
「……と、気が逸れたな。進むか」
まだ綺麗なものを綺麗だと思える程度に「心」は残っているらしいと確認したところで、零斗が調査を再開――――しようとしたところで踏みとどまった。
「――――近い」
零斗の『魔力感知』網に、件の魔物らしき魔力が引っ掛かった。
だが、距離は辛うじて探知できる程度なのでまだ遠い。
「これでどっか行かれても面倒だな。急ぐか」
時たま吹き抜ける風に乗じて、僅かな痕跡も残さないように突き進む。
目と鼻の先で魔物とすれ違う時ですら、彼らに違和感すら与えずに悠々と通過して、一切自分の存在に気が付かせない。
仮に零斗がやろうと思えば、きっと彼らは殺されてもなお何が起きたか分からずに散っていくだろう。
それを思えば、以前、彼が敵意をむき出しにして森を闊歩していたのは、ある種の“慈悲”なのかもしれない。
(……あそこか)
カンテラらしき光が見えてくると、零斗がさらに気配を薄れさせ、身を隠す。
距離で言うとおおよそ二十メートル前後と言ったところだが、夜の森は静かなもので、僅かな物音でも聞き取れる。
大前提として、人間離れした聴覚が要求されるのだが。
「……ったく、何でこんな所まで歩かされなきゃならねえんだよ」
――――目の前の光景に、零斗の思考が凍り付く。
「はは、そう言うなよ。ちゃんと『魔物避け』の聖水はやっただろ?」
「それでも限度があるだろうが」
――――何の冗談だと、喉の奥がいやに乾くのを感じる。
「それで? こいつが、お前らの言う新兵器ってやつか?」
「ああ、だが気安く触らない方がいいぞ? 従属させているとはいえ、万が一ということもありうるからな」
「はは、そりゃおっかねえな」
「――――名前は『フェンリル』。お前らで言うところの危険度『Ⅳ』以上ってところだな」
――――今も視界に入っているアレは何だと、鼓動が加速する。
「……にしても酔ったフリして抜け出すのもかったるいんだ、今度は場所を考えてくれ」
「まぁそう言うなよ。ほら、今日で最後だ」
そう言って、かつて川で見たローブの男が、もう一人の男に“透明な液体の入った小瓶”を二本、渡す。
「……なぁ、本当に効果あんのかよ。これ」
「急になんだ?」
「いや、お前の指示通り飲んでるがよ。ひでえ二日酔いみたいになるだけじゃねえか。おかげで昼間で寝る羽目になるし……お前、実は俺に毒を渡しているんじゃねえだろうな」
「はははっ。んなわけねえだろ? そうだとしたら俺の首が飛ぶっつうの」
「……んで、その『剛薬』ってのがこれか?」
――――以前、零斗が立てた仮説は当たっていた。
やはりあの男が持っていたのは『剛薬』のサンプル。奴の言っていることが真実かどうかは、こんなところで密会をしている時点で考えるまでもない。
問題があるとするなら……。
「ああ、そうだ。ここ数か月、少しずつお前にはそれを薄めたものを服用させて体を慣れさせた。それはその原液。飲めば一時的に人智を越えた力を手に入れることが出来る。耐性が付いているお前なら、副作用もさほど大きくならんだろう」
「そんで、機を見計らい、そこのでっかいのと戦って、『実験』は終わりか。……お前が主人なんだから、くれぐれも俺を殺すなよ?」
「あぁ、分かってるさ。危険だと判断したら止める。じゃ、手筈通りお前にはそのうちの一本は確実に服用してもらうが、もう一本は何かあった時のための予備に取っとけ」
『フェンリル』
零斗も一度は耳にしたことがある、地上の魔物の中でも抜きんでて危険度の高い魔物。一匹地に舞い降りたが最後、幾多もの都市を壊滅させる災厄の一つとして語り継がれている。
また、高い知能とプライドを持ち、誰かの元につくことなど本来あり得ない筈なのだが、それをあの男は従えているらしい。
ましてや『新兵器』などと、聞き捨てならない単語が出たが、正直零斗はそんなことはどうでも良かった。
「任せたぞ――――アラン」
たった今、確かにローブの男にそう呼ばれた人物に、零斗は終始驚愕の目を向けていた。
――――なぜお前がこんなところにいるのか、と。




