四十三話『束の間の安らぎ』
――――場所は、零斗達が足を踏み入れている領域よりもさらに奥深く。
木々は風でざわめき立ち、動物の気配が一層減った場所に、ソレは立っていた。
「――――ひひ」
目を爛々と光らせて、口端を歪めたローブの人影は、気味の悪い笑い声を漏らす。
辺りには濃い鉄の匂いが立ち込め、血の海の中に幾多もの危険度『Ⅲ』相当の魔物が、体の一部を失った状態で息絶えている。その数は、認識できるだけで十数体以上。
中には体が真っ二つになっている個体もおり、まともな感性を持った者が居合わせたならば思わず吐き戻してしまいそうなほどの凄惨な光景。
「……遂に舞台は整った」
そんな場所で、今も血が滴る小刀に舌を這わせた後、彼はそう言った。
そして、おもむろにローブの内側から“小瓶”を取り出して、その中身を血だまりに向けて注ぐ。
一目見るだけで“異様”と形容するには十分すぎるほどの空間だが、残念ながらそう評する目撃者は誰一人としていない。
「――『惑いし魂よ我が元に集え。彼の鎖を我が手に』」
男の口から紡がれる『無属性』魔法の詠唱に呼応するかの如く、小瓶の中身――――『剛薬』が垂らされた場所を中心として、波紋が生じ、同時に魔物の血液が動き出して、“とある魔法陣”を形成していく。
「『応えよ。さらば導きを与えん』」
魔力が渦巻き、延べ三十三体分の魔物の死骸が魔法陣に溶けて、ある骨格、肉体を形作っていく。
その光景に、自分の『詠唱』が成功していることを確信し、薄ら笑いを浮かべて締めくくる。
「『其の名は――――【フェンリル】』」
――――刹那、紅色の稲妻が何本も魔法陣へ迸る。
枝分かれした紅雷が渦巻いて炸裂する様子は、見る者が見ればこの世の終わりと錯覚するだろう。
だが、その錯覚は正しい。
一際強い閃光が放たれ、男が思わず目を覆うと、間を置かずして、強烈な圧迫感が男を襲った。
「――――ひ、ひひひッ! やった……やりましたよッッ! 陛下ッ!」
そこに立っていたのは、まさしく神獣と呼ぶにふさわしき姿。
薄灰色の毛皮に覆われた体躯は、ざっと見て五メートルはあると見え、その双眸は一睨み効かせただけで並みの者なら失神するほどの鋭さを持ち、垣間見える牙は、一本一本が短剣に相当する大きさであった。
気高く、そして美しく、その黄色い瞳を、まるで見定めるかのように目の前の男に向けて、危険度『Ⅳ+』指定――――『フェンリル』は静かに佇んでいた。
しかし、それだけで完成しているはずの彼の首元には、やたらと主張の強い半透明の紅い首輪のような物が付いていた。
僅かに隙間が空いて、絶えずゆっくりと回転しているその首輪は、よく目を凝らせば、数多くの文字で構成されていることが分かる。
それを見た男は、歓喜に打ち震えるように手を握り、汗をにじませる。
「魔物を――――神獣を我らが手中に収めましたッ!」
男の左手の甲に刻まれた、フェンリルの主人であることを示す刻印が薄っすらと、彼に巻き付く首輪と同じ、紅色の輝きを放っていた。
「……これでようやく、最終段階へと踏み切れる」
僅かにうなり声をあげるフェンリルを前に、男はそんな言葉を口にした。
「――――ん?」
ピクリと、僅かに零斗が何かに反応するように肩を跳ねさせる。
『……零斗』
そして、イドリスが続いて『念話』で声をかけてきた。
武器として最上のものであると言って憚らないのは伊達ではなく、素早く主の身に迫る脅威を認識して警告したのだ。
だが、それに対し、言われるまでもないと、零斗は静かに気配の漂う方へと、歩きながら目を向ける。
――――距離は遠い。この位置ではまず鉢合わせることはないだろう。
だが、裏を返せば、それだけの距離があるにも関わらず、零斗の警戒を煽る程の濃密な存在感を漂わせているということになる。
(……こいつは厄介だな)
断言はできなかったが、その気配の主の実力は『迷宮』にいたとしても上位に食い込むものだと思われた。
「……なぁ、なんか急に冷えてきた気がしないか?」
「確かに……。雨でも降る前兆かしら」
そういってジーナが空を見上げるも、天候はここ数日で一番と言えるぐらいの快晴であった。
つまり、零斗の前を歩く三人も、無意識のうちに何らかの存在の気配を感じ取っているらしい。
「今のところそんな予兆はないが、いつ崩れるかもわからんしな。少し歩くペースを上げよう」
「はぁ、せっかくの天気も結局依頼で潰れるのかぁ……たまにはこういう日に買い物とかしたいものよねえ」
「そうは言ってもなぁ……冒険者は働いてなんぼだろ?」
しかし、その原因を探るまでには至らず、三人が雑談を開始する。
今歩いているのは、森の中と言っても、普通の商人や旅人も利用するような整備された道である。
見通しも良く、万が一魔物が飛び出してきてもすぐに対処できるため、気が幾分か緩んでいるのだろう。
その様子を見て僅かな笑みをこぼしつつ、零斗は再び気配がした方角へと、まるで威嚇するように細めた目を向ける。
(……流石に遠すぎて魔力量までは分からない……か。これは帰ったらアンナに報告だな)
タルデに在住している冒険者の最高ランクは『C』。
これは一人でも危険度『Ⅲ+』までの魔物と渡り合える実力があることが保証されたものであるが、零斗が感じ取った『ナニカ』の気配は明らかにその範疇で済みそうにない。
最低でも『B』が数人。可能ならば『A』が欲しい所だと、淡々と分析を進めていく。
「――――零斗はどうする?」
「……ん? あ、あぁ悪い。聞いていなかった。なんだ?」
そんな時、不意にロイに声をかけられて視線を前に戻す。
「はは、お前もまだこのパーティの一人なんだからしっかり聞いててくれよ? 戻ったらどうするか、という話だ。ほら、このペースだと街に戻るのは昼下がりくらいになるだろ?」
「……あー、特に考えてねえな」
「おいおい、たまには息抜きしろよ? 休みを取ったって言っても、前はあんな騒ぎだったからな」
「……そうだな」
確かに、先日の『魔力中毒』騒ぎが起こった日は、ちょうど休日にしていた日でもあった。
その晩、息抜きに森に出向いて、あの暴走していた男と出会ったのだ。
そのため、正直、休めたかと言われたら微妙なところであった。
「というわけで、今日は戻ったらそのまま休みにする。たまには買い物でもしてみなよ。どうせ貯金してるだろ?」
そう言われ、ここ数週間はまともに街を歩いていなかったことに気が付いた。
ここはひとつ、ロイの提案に乗っかって、英気を養うという意味でもしっかりと休ませてもらうべきだろうと判断する。
「……じゃあ、そうさせてもらうか」
考える仕草を見せた後、零斗はそう答えた。
「じゃ、この後は各自、自由行動ってことで良いな?」
「さんせー」
「異議なし」
ロイの言葉に、ジーナもアランも賛同の声を上げた。
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「……で、今日は休暇になったわけなんだが」
「はい」
「何でお前がいるんだ?」
そう言って、ギルドに戻った後、解散となった零斗はタルデを適当にぶらついていた所、この赤毛の少女とばったり鉢合わせたのだった。
何やら機嫌がよさそうにニコニコしているが、良いことでもあったんだろうかと零斗が見ていると、それを察したかのようにサリアが答える。
「弟の体がかなり良くなったので、何か作ってあげようと思って買い出しに来ているんですよ」
「あぁ、そういうことか」
「ほらほら、そこのお兄さんとお姉さん。この林檎なんてどうだい? 今日の一押しだよ」
屋店の前で話していたからか、店主であるおばちゃんに艶のある林檎を差し出される。
仄かに漂う甘酸っぱい香りから、かなり質が良いことが伺える。
「確かに美味そうだな。いくらだ?」
「一個につき鉄貨五枚だよ! どうだい?」
「えぇっ!? すごく安いですね……では私に五個いただけますか?」
「あいよ! お兄さんは?」
「……じゃあ俺は二個で」
「毎度っ」
豪快な笑みを見せたおばちゃんから林檎を受け取った零斗は、その一つにかぶりつく。
しゃくしゃくと瑞々しい果肉を噛むほどに、林檎のさわやかな甘みと仄かな酸っぱさが口に広がった。一瞬、また味の濃さにむせることを懸念したが、そんなことは一切なく、むしろ、濃縮された果実の風味を感じられて思わず笑みがこぼれる。
「……うまいな」
「そりゃ良かった! また来てね」
「ではレイさん、行きましょうか」
紙袋に入れられた林檎を胸元に抱え、サリアが言う。
「……どこに?」
「……え? お仕事終わって宿に戻るんじゃないんですか?」
小首を傾げて問い返すサリア。
それに対し、ああ、と零斗が納得したような表情で呟いた。
確かに、一日宿を空け、休暇になったと言ってこの昼下がりに冒険者である自分が通りをぶらついていれば、そう受け取るのはいたって当然だった。
そう思い、事情を説明するべく零斗が口を開く。
「たまには街を散歩してみようかと思ってな。今日は夜まで宿に戻るつもりはない」
「ほう、それは良いですね! 私もご一緒しても良いですか?」
「なんでだよ」
「良いじゃないですか。私も最近はあまり外に出ていなかったですし、デートしましょ! デート」
「……まぁ、良いか。ただ、そんな面白いことはないと思うぞ?」
『デート』と言う単語がえらく軽い響きで発せられた気がするが、こちらとしてもそういった感情は一切持ち合わせていないためお互い様だろう。
それはそれとして、特にこれといった予定も立てていなかったため、二人で行動することになったとしてもさして困らないだろうと判断し、サリアの提案を受けることにした。
その一部始終を見ていたおばちゃんが、何やらにニヤニヤしながら声をかけてきた。
「あらあら、見せつけてくれるねぇ……」
「もう、やめてくださいよっ」
からかうおばちゃんの言葉に、“一見”まんざらでもなさそうな言葉を返すサリア。
その様子を通りすがりの者達は、微笑ましい物でも見るかのように、または零斗に対して生暖かい視線を向けてくる。
――――だが、彼らは何か勘違いをしている。
彼女は『純粋』故に、そのような返答をしたにすぎないのだと。
大事なことなのでもう一度強調しておこう。
零斗は元より、サリアにさえもそういった感情は一切ない。
彼女が零斗に対し抱いている思いは、どちらかというと『親愛』と表現すべきものであり、異性として意識されているわけではない。
分かりやすく言えば、仲が良い兄妹に感覚は近い。
しかし、零斗のようにある程度その点を理解できる相手でなければ、そこを勘違いする者が少なからずいたであろう。
見た目も相まって、正直かなりの小悪魔的存在と化しているのだが、はたして本人に自覚はあるのだろうか。
「そうだ。お二人さん、デートなら最近できたあそことかどうだい? ほら、あの『ぱんけーき』ってやつが食べられる店」
「あぁ! 良いですね。ぜひ行ってみたいです!」
そう言って、期待の眼差しをこちらに向けるサリアに苦笑を見せて零斗は答えた。
「……任せるよ」
その返答に、ふわりと花が咲くような笑みと共にやったとはしゃぐサリアだが、それを見た通りすがりの男たちの表情が緩んでいることに気づく様子はなかった。
間が空いてしまいすみません……。
さらに恐縮なのですが、しばらくの間このくらいの投稿頻度になるかと思います。楽しみにしてくださっている方、本当に申し訳ございません……。




