四十二話『三歩』
パチパチと弾ける焚火を前にして、“鼻呼吸”を極力避ける零斗が、再び寝息を立て始めたロイに安堵の息を漏らす。
(……バレたと思ったが、そんなわけないか)
最初に彼と出会った際、内心で自分が指摘したことを本人の口から聞くことになるとは思いもしなかったため、咄嗟に抑えつけたとはいえど、僅かに驚きを見せてしまった。
冷静に考えて、ロイが自分が『灰瀬零斗』だということに気づくわけがない。
そう思い、すぐに平静を取り戻したものの、未だに心臓はうるさく鳴っていた。
「……やっぱくせえな」
鼻をつまみながら、零斗は嫌悪感に目を細め、今も匂いをまき散らす『魔物避けの香』を見つめる。
本来ならば人体にとって害がないはずの代物であるが、こと嗅覚が異常発達している零斗にとっては、魔物と同様、いっそこの場を離れてしまいたい衝動に駆るものであった。
ロイに風邪と誤解されたのも、おそらくこれが原因だろう。
『これじゃまるでお前が『魔物』だなァ?』
「……どうなんだろうな」
珍しくイドリスの軽口に対し、零斗は悪態をつかず、焚火を見つめたまま小さく答える。
『あァ……?』
「……自分でもよくわかんねえんだよ」
例えば、『人を殺してはいけない』ことへ理屈を求めるようなことはしないように。
人には、本来備わった価値観、倫理観がある。
だが、零斗は『迷宮』で過ごしているうちに、それらの一切を削ぎ落され、奪われ、食い尽くされた。
奪わねば奪われる。
殺さねば殺される。
それが摂理としてまかり通る、文字通りの『魔境』。
この世のありとあらゆる理不尽、不条理を煮詰めて、さらに濾過したような――――まさに野生の極致ともいえる場所。それが『迷宮』
そんなところに長く身を置きすぎたせいか、再びその命題を問われた際に、零斗は知っているはずの『常識』に理屈を求めてしまった。
『なぜ悩むのか』と問う自分と、『なぜ悩まないのか』と問う自分がいる。
お互いに対立して、決して交わることのない価値観が同時に自身の身に存在するという矛盾。
三人が寝息を立てる他、薪が燃える音しかしない静かな洞穴で、零斗は息をすることを忘れるほどに思考する。
「……なぁイドリス――――『人間』ってなんだ?」
人間離れした力を持ち、人間離れした五感を持ち、人間離れした思想を持つ。
ならば自分は何なのだ――――そう、虚しい問いを投げかける。
『……さぁなァ。難しいことは俺には分かんねェ』
「……だろうな」
答えなど端から期待していなかった零斗は、イドリスの言葉に苦笑も漏らす。
「俺は、何の容赦もなく同族を殺せるようになったら、そこが向こうへの第一歩だと思ってる」
昨晩、暴走状態にあった男と対峙してから、ずっと悩んで、考えて、どうにか導き出せた一つの回答。
それを口にし、零斗は洞穴から僅かに見える星空に決然とした眼差しを向けて続ける。
「もしその時が来たら俺は――――」
それ以上の言葉が零斗から紡がれることはなかった。
■■■
「……くッ!」
短い声がロイから漏れる。
大剣を巧みに操るも、やはり木々が生い茂る森の中で彼の持つ大型の獲物は不利である。
故に、今も彼らが対峙する魔物相手に、唯一、ロイのみが動きに制限をかけられた状態での戦闘を強いられていた。
今彼らが接敵している魔物『クレイド』。体長三メートルほどの蛇のような魔物であり、その実態は土で出来た外殻を身に纏う『肉食ミミズ』である。
絶えずその体からは特殊な粘液が染み出ており、それにより地中にいる間に土を身に纏って少しずつ『鎧』を形成していくのだという。
たかが土と侮るなかれ、粘液により硬化した外殻は、その辺の岩よりも硬い。
その危険度は『Ⅲ』
基本的に単体で行動するため、想定外の事態が発生することは少ないが、油断ならない魔物である。
今はロイに攻撃をした直後に、地面に潜って次の奇襲を伺っている。
魔物にしては珍しい一撃離脱戦法を取るのも、クレイドの特徴である。
だが、その手の攻撃方法を主とする『D』ランクの冒険者にしてみれば、知識の足りず、詰めも甘い彼の攻撃は些か粗末と呼べる代物であり、油断さえしなければ十分に対応可能なものだった。
「皆、分かってるな? 足元に違和感を感じたらすぐに飛びのけよ!」
ロイの掛け声に全員が頷く。
そして、三人が緊張した顔もちで足元に神経を張り巡らせるのに対し、零斗は聴覚にも集中を割いていた。
(……この位置と角度だと、行く先はアランか)
常人離れした感覚の片鱗を以て、一瞬で化け物ミミズの潜行位置を割り出し、相手の矛先が向いたアランへと零斗が目を向けるとほぼ同時。
地面が僅かに震え、アランの立つ場所が僅かに盛り上がる。
「――――俺かッ」
咄嗟にその場から飛びのいて、アランが、自身を喰らうべく開かれたおぞましい大口を回避する。
攻撃に失敗したとみるや否や、すぐに潜り込もうとするクレイド。
だが、逃がさんとばかりに、アランが一気に飛びのいた先から加速して魔物に肉薄すると、その手に持つ長剣を最短で振り抜く。
「逃がすかぁッ!」
最速で繰り出される、長剣の『柄』による攻撃は、アランの手を痺れさせるほどの衝撃を伴うも、その強固な外殻に罅を入れることに成功する。
そして、その瞬間を待っていたロイが、その質量に任せて、すぐに身を屈めたアランの頭上に大剣を通過させ、罅の入った場所へダメ押しの追撃を叩きこむ。
すると、彼の本来の姿であろう、薄汚れた苔っぽい色の表皮が見えた。
『ピィィィィイイッ!!』
甲高く気味の悪い悲鳴のような鳴き声を上げたクレイドは、自身の鎧が一部剥げたことを理解し、怒りを露わにするように、ロイとアランの元へ、目のないのっぺりとした顔を向ける。
「――――ほっ」
ヒュンと、風を切る音と共に飛来した矢が、ちょうど防御が薄くなったクレイドの表皮に突き刺さり、緑色の血液を流させる。
狙い通りといった顔で、ジーナが小さく笑みを作り、突然の激痛に再び絶叫を上げるクレイドを見やった。
「まだまだァッ!!」
アランが長剣を振りかざして、鎧の穴を起点に脆くなった外殻に次々と罅を入れていく。
大剣ほどでないにしろ、それなりの重量があるであろう長剣を、アランは体に染みついた技量と筋力で制して何度も振るう。
一流と呼ぶにはまだ及ばないが、それでも駆け出しの冒険者とは比較にならない洗練された剣さばきで着実にダメージを蓄積させていく。
だが、それを黙って受け続けるクレイドではなく、限界に達したのか、悲鳴を上げながら身をくねらせて地上で暴れ始めた。
その様子は傍から見ている者からすると『キモイ』の一言に尽きるものだったが、生憎そんなことを言っていられる程余裕はなく、その暴走に巻き込まれないように一度距離を置くことを余儀なくされたアランとロイは後ろへと下がる。
「……うわぁ」
――――訂正。
目立たぬよう、かつ必要があればいつでも加勢できるようにと、適度な距離感を維持しながら様子を見ていた零斗は、ドン引きした目でクレイドを見ていた。
基本的に零斗のパーティ内における立ち位置は、相手の意識外に陣取り、隙を見ては奇襲するというものだった。
本来ならばロイとアランに加勢してやるべきなのだろうが、当の本人たちから「そんな武器で正面から戦うのは無謀」と言われて、ジーナと同じく支援重視を言い渡された。
確かに、一般的に見て零斗の持つ短剣は、廃坑探索から新調したとはいえど、正面で魔物と戦えば武器による重さが乗らないために、ぶつかり合った際に競り負けるのは必至だろう。
むしろ、重さがない分、短剣は機動性が高く、その点、今の零斗の役割は最も理に適っていると言える。
――――尤も、その『武器の重さ』という恩恵がない短剣一本で、龍と渡り合う程の実力を零斗が保持しているという事実がなければの話だが。
「……さて、どうしたもんか」
今も暴走しつつも、着実にしみだしてきた粘液で鎧を纏い直すクレイド。
流石は危険度『Ⅲ』の魔物というべきか、自分の武器がなくなった際の対処法も本能で理解している。
このままでは、せっかく彼らが剥いだ外殻もいずれ再形成されてしまうだろう。
その前に何とか手を打ちたいところであるが――――。
「こいつを使ってみるか」
零斗がポーチから取り出したのは、薄青色の煌めきを放つ魔法石の一種の『魔封結晶』だ。
中に『魔力』と共に『魔法』がそのまま込められており、砕け散る時に一度だけ発動できるという代物である。
原理上、魔力を持たない零斗にも使うことが出来る便利な代物だが、込められる魔法には限りがあり、さらに込められる魔法の規模が大きい『魔封結晶』程希少という側面もある。
そのため、強力な魔法を宿した『魔封結晶』は普通、市場に出回らず、あったとしても超高額ということが多い。
今回零斗が手にしたのは、『氷凍』という下級魔法が込められた物。
効果は一定範囲内の温度を急激に下げる程度だが、ミミズという変温動物の代表格ともいえる生物相手なら、今も奴が見せる気持ちの悪い動きを鈍らせることが出来るだろう。
「……じゃあな金貨一枚」
興味本位で買ったとはいえ意外に値が張った『魔封結晶』に名残惜しい目を向けながらも、コイントスの要領でクレイドの方へ飛ばす。
暴れているクレイドに踏みつぶされ、すぐに砕け散った魔封結晶は、込められた魔法を即発揮して、辺りの木々の葉に霜が降ると同時、クレイドの動きが明らかに鈍くなる。
「……! ナイスだレイッ!」
突然訪れた好機に、それを生み出した功労者への称賛を忘れずに口にしながら、笑みを浮かべたロイが一気にミミズの首元へと接近し、地面を踏みしめて大剣を振りかぶる。
一方でアランはというと、決着がついたことを確信し、既に長剣を収めて、僅かに訝しむような眼差しを魔封結晶が飛んできた方角へと向けていた。
「いやーレイ、助かったよ。ところで、どこで魔封結晶なんか手に入れたんだ?」
「屋台で偶然見つけてな」
「なるほど、珍しいこともあるもんだな……って、あれ地味に高いんじゃなかったか!? 使って良かったのか?」
「気にするな。汎用性もそれほどなさそうだったし、魔封結晶を使う機会がなかったもんで試しに使ってみたかっただけだ」
魔封結晶の相場を理解しているロイが遅れて零斗に確認するも、本人は特に気にしていない様子なので、「そうか……」と短く言ってそれ以上追求することはなかった。
「――――それよりレイ。お前、俺達よりも先にクレイドが狙っているのが誰なのか気づいていなかったか?」
「……いいや? どうしてだ?」
突然のアランによる指摘に、零斗は自然を装って答えると、彼は続けた。
「……奴が襲ってくるのに俺が気づく前、一瞬お前の目がこっちに向いた気がしてな。……いや、たまたまか」
零斗がアランの方へとクレイドが向かったことを悟ったのは、まだ揺れが小さく、他の三人では感知不可能だった領域にいた段階だ。
アラン達にしてみれば、零斗がそんな段階でクレイドの位置を特定できていたとしたら、当然違和感を覚えるわけで。
だが、アラン以外は気づいていなかったのか、彼の言葉に否定的な意見を口にする。
「流石にそうだろう」
「そうね。いくらレイ君が優秀な子とはいえ、流石にそんな力はないわよ」
「……そうだな。悪いな、レイ。変なこと言った。忘れてくれ」
「……あぁ」
ロイとジーナの言葉に、些か腑に落ちない表情を見せつつアランが言う。
(……これは、もう長く居ないほうが良いかもしれないな)
しかし、アランの言葉に遂に零斗が最も憂いていた『綻び』を感じ取り、いつこのパーティを抜けるかを考え始めていた。
(おそらくタルデの異変はあと二日三日で収束する。……そうなったら、すぐに俺もここを抜けるか)
――――そして、彼の予想通り、三日後に事態は収束することになるのだが、その時に彼は自分の判断を呪うこととなる。
なぜあの時、無理にでも街から離れなかったのかと。




