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三十九話『二歩』

 落ち着け、と自分に言い聞かせて、両目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。

 夜の冷たい澄んだ空気が流れ込んでくることで、幾分か取り乱していた思考がマシになる。


「……何取り乱してんだ俺は」


 向けられた敵意、殺意に対して、戦慣れしている者が、真っ先に相手の無力化を図るのは至って当然のことだろう。

 相手は正気を失った危険人物。そんな者を相手にして手加減をする方が傲慢だという物だ。

 それに、たかが条件反射で動いた手に、何を自分はこんなにも動揺しているのか。


「“殺されかけたから殺す”。……当たり前だろ」


 そう呟いて瞼を開くと、呻き声を上げている男の元へと歩いていく。


「おい、どうせ生きてんだろ。まだ狂ったままか?」

「あ……う、ぅぅ……コロ……ス、コロ……」


 白目を向いて、血が混じる泡を吹きながら、なおも、零斗に対して粗野な殺意を隠そうとしない男に、零斗は嘆息一つ吐いて頭を掻く。

 

「どんだけ打たれ強いんだよお前」


 指一本触れることができなかったとはいえ、常人ならばとっくに気絶するか、最悪死んでいる程のダメージをこの男に与えたつもりだった。

 だが、現実はかなりの重傷を負わせたものの、男は意識を失うことなく、今も立ち上がろうともがいていた。


「がふ……オデ……は、ヅヨイ……ツヨイんだ……」


 舌が回らないのか、しゃがれた声でまるで自分に言い聞かせるかのように繰り返す男。

 流石に怪訝に思い、何らかの洗脳系魔法が使われているのではないかと、零斗が『魔力感知』の感覚を引き上げて、男の体内を視る。

 ――――すると、驚くことが判明した。


「――――お前、マジで何をしやがった」


 驚愕に目を見開き、零斗がじっくりと男の『魔力回路』を観察する。

 ……そこに流れていたのは、『魔力』ではなく『魔素』そのものであった。


 つまり、本来魔物以外にとっては直接摂取することが『毒』でしかない『魔素』を、この男はそのまま体内に宿しているのだ。

 一応、徐々に『魔力』に変換されているようだが、全く変換が追いついていないのだ。


 このままでは、いずれ男は『魔素』に侵食されきって確実に死ぬ。


 ……だが、原因さえ分かってしまえば対処のしようはある。

 

「イドリス、喜べ。まともな“飯”だ」

『お、マジかよ。ついてんなァ』


 零斗の言葉で何をしようとしているのか見当のついたイドリスは、久々に取り入れられる魔素に喜びの声を上げ、『悪食』としての機能を発動させる。


 それは、あまりに不吉で、ともすれば呪われてしまいそうな、夕暮れ色よりさらに濃い赤黒い光。

 『悪食』の発動を表すその発光は、容赦なく男の体内に溜まる魔素を吸い上げていく。


『あ゛ぁぁぁ……やっぱ美味えなぁ』


 仕事終わりに乾いた喉をビールで潤すおっさんのような声を、イドリスが上げる。

 その様子を引き気味で零斗が見守っていると、男の筋骨隆々とした肉体が、魔素を吸い上げるごとに段々と萎んでいっていることに気が付いた。

 それまでは血管が浮き出て引き締まっていたはずだった体は、どういうわけか、ぜい肉でたるんだ小太りの親父へと姿を変える。


 ますます理解の及ばない変貌っぷりに零斗が困惑の声を漏らす。


「ますます訳がわかんねえ……なんだこれ」

「……う、あぁ――――こ、ここは……どこだ?」


 弱弱しく覇気が一切ない声で、しかし、確かに理性が感じられる言葉を男が初めて発した。


「漸くお目覚めか」

「……にいちゃん、あんたは……?」

「通りすがりでな。傷だらけで倒れていたもんでどうしようか途方に暮れてたところだ」


 男が正気を取り戻した瞬間、素早く零斗がイドリスを収める。幸いなことに、男はそのことに気づく様子もなく続けた。

 

「そうか……、そいつは悪かったな。……がふっ、痛え……。にしても、なんでおれはこんなボロボロなんだ?」


 どうやら正気を失っていた間の記憶はないらしい。

 苦痛に表情を歪めつつも、不思議そうに傷だらけの自分の身体を見下ろし、零斗が咄嗟に吐いた嘘に気づく様子もない。


「……これでも飲んどけ」


 そう言って、零斗は最近新たに購入したレッグポーチから、以前ロイに貰ったままで使用していなかった小瓶入りの『ポーション』を取りだして男に渡す。

 『回復』といった魔法が込められているわけではないので、直接傷を癒す効果などはない。

 しかし、先ほどイドリスが男から魔素を吸収した影響で、男の魔力がかなり少なくなっている。

 なので、多少なりとも生命力に近い『魔力』をポーションから補充すれば楽になるだろうという、若干の罪悪感から生じた提案だったのだが――――。


「……ひっ、に、にいちゃん。悪いが、遠慮させてもらう……すまねえ」


 何やら怯えた顔で、男は零斗の好意を拒否した。

 

「……?」


 様子のおかしい態度の男に、些か疑問に思い、目を細める零斗。

 それを気分を悪くしたと受け取った男が続ける。


「い、いや、別ににいちゃんの好意を無碍にしたいわけじゃねえんだ。……ただ、今はどうしてもポーションを飲む気分になれなくてよ」

「……どういうことだ?」

「……にいちゃんと会う前によ、それに似た『ポーション』みたいなのを渡されたんだよ」


 そう言って、男は目線を下げたまま語り始めた。


 男も冒険者をやっており、ランクはロイ達と同じく『D』らしい。

 が、歳を取るにつれ、腕が衰え始めていることに気づいた男は、冒険者を引退しようと考えていた。

 そんなところへ、ある人物が、零斗の持っていたような小瓶入りの液体を男に渡してこう言ったそうだ。


「それを飲めば、今よりはるかに優れた力を手に入れることができる。何、お代は結構。憐れな冒険者に可能性を与えただけなのでね」


 そう言ってすぐに立ち去っていた者に対し、最初は胡散臭いとしか思っていなかった男も、日に日に衰えていく自分の冒険者としての腕に耐えられなくなり、物は試しと思って、遂にその液体を飲んだ。

 すると、突然、えも言えないような万能感と、溢れ出んばかりの活力が漲り、男の全盛期以上の力を発揮できるようになった。

 早速それを試すべくここへ出向いたところ、最初の方こそ良かったが、段々と自分が自分でなくなっていく感覚がしたそうだ。

 

 曰く、頭の中で何者かの声がして、止まろうに止まれない。

 気が付けば自分は眠っており、暗闇の中をさ迷い歩く夢を見続けていたという。



 その話を黙って聞きながら、零斗は、この男が渡された液体と、川に流していた液体の関係を確信していた。


 似たような話を、零斗が以前に目にしていたからである。

 ――――かつて、新たに『剛薬』が開発され、聖戦時のポーションの供給はより安定するかのように思われた。

 だが、現実は、逆に()()()『剛薬』の生産が望まれたのである。


 そして、その事実こそが『剛薬』の生産が全種族間で禁忌とされた()()()()()でもある。


 それは。


「……まるで、ヤバい薬に手を出した気分だったよ」


 男の恐怖に満ち、俯かせた顔が全てを物語っている。

 

 『剛薬』に含まれる魔素は、一滴口にするだけでも常人ならばその日は魔力切れの心配をすることなく活動することが出来るほどのものだ。

 ――――それを、小瓶一杯。

 それがなにを意味するか、想像に難くないだろう。


 零斗は、屋敷で『剛薬』の華々しい成果を目にしたわけだが、その一方で――――()()()()にも渡る問題点が書かれていたことを知っている。

 

 そのうち、特に零斗が目を引いたのは、『剛薬』をそのまま摂取することによる、“身体能力の劇的な向上”、“強力な全能感”、“思考能力の著しい低下”。


 ――――早い話が、バーサーカーと化すのである。


 そして、男の語る症状は零斗の知る物とほぼ完全にといっていいほど合致していた。


「つうわけで、ポーションはしばらく飲みたくねえんだ」

「……そいつの顔は見たか?」

「……いや、()()()()()()()()()()良く見えなかった。……それに、ポーションを渡された時も人目のつかねえ路地裏だったし……思えば、初めから疑うべきだったんだよな。もう冒険者は廃業するよ」


 そう言った直後、男は咳き込んで血が混じったつばを吐きだして零斗に笑いかけながら言う。


「……にいちゃん。そろそろ限界近ぇ……悪いんだが、タルデに戻るまで肩を貸してくれねえか?」

「……あぁ、歩けるか?」


 元より街まで連れていくつもりだった零斗は素直に手を貸して、男が立ち上がるのを手伝う。


「悪いな、多分、気を失っている間に魔物に襲われてた所を助けてくれたんだろ? その上こんな面倒をかけさせちまって」

「……気にするな」


 その怪我の大部分。特に致命的な物は自分の攻撃によるものなのだが、そうとも知らない男の純粋な感謝に、零斗が思わず目を逸らしながら答える。

 そうして、魔物と遭遇しない道を選び、接近してきた場合には男に気づかれない程度の威嚇をしつつ、二人はタルデへと歩き出した。


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