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三十八話『葛藤』

 その様子を一言で表すなら――――『狂気』。


 血を流しながら。涎を垂らしながら。虚ろな瞳で手当たり次第に近くの木へと頭を打ち付け、拳を叩きつけ、脚で踏みつけ、森を荒らしていく齢四十前後の男。

 獣の如き叫び声に、魔物のような呻き声を漏らす彼を、もはや『人間』と呼ぶべきかどうか。


「……何なんだこいつ」


 一歩引いたところで気配を消し、数分程彼の様子を見守っていた零斗が、遂に我慢できず、思っていたことを口に出す。

 とても常人とは思えない――――いや、思いたくもない。

 だが、その一方で非常に気になることがある。


 それは、これだけ硬い木を何の装備もなく、その身一つで荒らしまわっているというのに、肌は多少の切り傷が付いている程度であり、行動そのものに支障をきたす怪我をしていないこと。

 さらに、魔法を使っている気配もないことから、生身で木々をなぎ倒せるほどの怪力を持っているという点。


 普通、これだけの能力を持った者は、『A』ランク以上の冒険者。または、かつて零斗に重傷を負わせたルークくらいのものである。

 だが、彼の風貌はといえば、ぼさぼさの髪に整えられていない髭。それに薄汚れたボロキレのような服。

 唯一外見について褒めることがあるとするなら、その()()()()()()()()()()筋肉くらいのものだ。


 正直、彼が前述したような強者たちと同類とは考えづらい。

 彼らくらいの実力者ともなると自然に備わっている“品格”という物が、あの男には一切ないのだ。


 なら目の前で今も暴れるアレは何なのか。

 疑問を解消すべく、零斗が身を潜めるのをやめて、男の前に姿を現す。


「ぁぁぁぁあぁあぁァァァァッッ! ――――あ?」


 それまで癇癪を起こした子供のように振り回していた手足を止めて、月明かりに照らされる零斗の方へと目を向ける。

 その眼は、黄色味を帯びて血走っており、飢えた野獣のようにギラギラとしていた。

 正気を失っているのは明らかだが、それでも何らかの情報を引き出せないかとダメ元で零斗が口を開いた。


「……こんな夜更けに何してんだ? おっさん」

「うぅぅうう、人……ゲン……」

「辛うじて言語は残っているか。なら質問に答えてもらおう」

「うぅ……あ……人間……? ヒト? あヒ……あひゃ……」


 タガが外れたような笑みを浮かべ、男はケタケタと笑い始める。


「ひゃひゃひゃひゃッ! コロ……スッッ!!」


 すると、男は地面を巻き上げて零斗の元まで勢いよく間合いを詰める。

 

「……会話は無理か」


 迫りくる狂気の笑顔を顔面に貼り付けた男を前にして、ただ双眸をやや鋭くすると、僅かに腰を落とす。


「……ふんッ」

「――――うぎゃッ」


 容赦のない蹴りが男の脇腹に直撃する。

 メシッという確かな手ごたえを感じ、そのまま零斗が足を振り抜くと、男は突っ込んできた時以上の速度で、自身が積み上げた樹木の山に叩きつけられる。

 盛大に木くずをまき散らして、山が崩れて男が中に埋まる。


「……何?」

「――――ガァァァぁアあぁぁぁッ!!」


 だが、それを男は払いのけて血を吐き出しながらも立ち上がる。

 

「今のを耐えるか」


 手加減したとは言え、気絶は免れない威力で零斗は攻撃したつもりだった。

 故に、男が立ち上がったことに対して僅かに動揺を見せる。


「ぁぁ―――――ヴァぁッッ!!」

「な――――」


 先ほどよりも速度が増した。

 並の人間ではまねできない俊敏さをもって、再び男は零斗の元へ迫る。


「このッ!」

「ゲぁっ」


 間抜けな声を出し、零斗の手刀を受けて男は全身を地面に打ち付ける。

 

 ――――しかし。


「……ひやひゃはははッ!」


 やはり何事もなかったかのように立ち上がる。

 

「……チッ。何なんだこいつの打たれ強さは」


 まるで零斗を嘲笑うかのような男に舌打ちすると、零斗は普段使っている方の短剣に手をかけ、鞘から引き抜きながら後ろに飛びのいて男と距離を取る。

 

「はは……オマエ……ヨワ……イ? 俺のほうが、ツヨ、イ?」

「挑発でもしてるつもりか?」


 男の言葉に表情一つ変えず零斗が淡々とした口調で返す。


「ケヒヒ……オレ、最強ッ」


 もはや速度だけならその辺の魔物すらも及ばないほどの動きで、男は一直線に零斗に向かって突っ込む。

 心なしか、最初に見た時よりも筋肉が隆起しているようにも見える。


「お前、何しやがった?」


 答えを求めない、単なる独り言をつぶやくと、零斗は短剣を逆手に持ち替えて『峰』の方で、突っ込んでくる男の鳩尾に強力な一撃を浴びせる。

 その瞬間、盛大にあばらが砕けるような音が聞こえてきたが、こうでもしないと止まらないと判断した故の攻撃である。


「――――がっはッ!」


 衝撃に耐えきれず、肺の空気を全て吐き出す咳をした後、男はこと切れたように零斗の持つ剣を支えにぐったりと倒れる。

 ずるりと音を立てながら地面へ横になった男。


 流石にやりすぎたかと零斗が心配するも、心臓の鼓動はしっかりと聞こえてきたため、一応まだ生きているらしいと安堵する。


「結局何だったんだ? ……まぁ良いか、街に運んで調べればわかることだろ。医者には……見つけた時はこうなってたって言えばいいか」


 まさか医者もこの怪我を自分が負わせたとは思わないだろう。

 何やら犯罪者のようで気分が悪いが、一先ず倒れている男を担ぎ上げようと短剣を収めて、手を伸ばした。



「ケヒャぁッ!!」

「――――ッ!?」


 気絶していたはずの男が急に飛び起きたかと思うと、零斗の喉元めがけて両手を突き出してきた。


(……やべ、間に合わ――――)


 そう思ったとき、何とか寸でのところで零斗は左手で男に渾身の殴打を叩きこんで、男の背後に立っていた木の幹に叩きつける。

 咄嗟のことで手加減ができず、かなり力の入った一撃を叩きこんでしまった。


「……クソが」


 左手についた血を振り払って。



 ――――無意識のうちに振り上げていた右手に持つ短剣を鞘に納める。


「なんとか……間に合った、か」


 決して、その言葉の奥にあるのは、“自分が男に殺されかけた”ことに対するものではない。


 むしろ、()()()()()()()()()()()()()()への言葉だった。


 自動的に短剣を抜いて、正確に男の頸動脈めがけて切っ先を振りかざそうとしていた手。それは、零斗が『迷宮』での幾百、幾千の戦闘経験から、もはや身に染みついてしまった本能のような物。

 自身の身に危険が迫った時には思考すら置き去りにして、条件反射的に繰り出してしまう行動。


 そんな機械的に動いた手は、何よりも先に“相手を殺すこと”を優先して動く。


 つまり、今零斗が咄嗟に殴らなければ、男は確実に()()()()()

 幸いなことに、今の動きはかなり強引に行ったものだった故に、拳の威力に『極撃』は上乗せされていない、素の零斗の筋力によるものだったので余程運が悪くなければ男はまだ生きているだろう。



 しかし、今の零斗の心境は下手すれば殺した方が幾分マシだったかと思えるほどの最悪な気分だった。


「……あぶねえ」


 今男を殺してしまえば、タルデに起こっている事件を解決する糸口になるかもしれない。

 故に、いくら反射的に手が出そうになったとは言えども、それをギリギリで回避したのは我ながらファインプレーだったと零斗は思う。


 なら、この得体のしれない今にも反吐を吐き出しそうな気分は何だ。

 

 決まっている。

 反射的に手が出そうになった瞬間、それまでの一切の経緯を忘れて、ただ『相手を殺す』ということしか頭になかったことから生じる、自分への嫌悪感だ。

 寸前で我に返り、幸いにもそれが現実になることはなかったものの、仮にも『人間』を相手にしているというのに、その瞬間、自分には躊躇いという物がなかった。


 そして、我に返った理由も、『今ここで殺せば情報が得られないから』という極めて打算的な判断からであり、決して()()()から生じたものではない。


 つまり、自分は――――『生かす理由』さえなければ、確実に、何のためらいもなく相手を殺すことができてしまうということ。

 そんなのは『人間』ではない。


 ただの『魔物』だ。


 つい数週間前に浮かんだ問いに対する答えが、思わぬ形で得られてしまったことに、零斗は思わず、拳を近くに生えていた木に叩きつけ、舌打ちをする。

 本来の力の乗った拳は、容易に木の幹を貫いてぽっかりと空洞を作った。


「……()()()()()

 

 虚しい問いが、森に木霊した。

 

※後半部、若干修正しました

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