三十三話『トロイの木馬』
今回はちょっと短めです
幾多にも並べられた試験管。
その中に入っている色とりどりの液体。
とても飲む気は慣れないような毒々しい色をした『ポーション』には、アモンが熱心に羊皮紙に自身の研究結果を綴っていく様子が反射していた。
広さは大体五畳半と言ったところ。
その部屋の中には、これでもかというくらいの金属製の棚が立ち並び、そこに余すことなく何らかの書類が詰め込まれている。
彼の性格を表すかのように、それらは几帳面にラベルで分けられ、部屋の中も整然としていた。
そこに漂う薬品と紅茶が入り混じったような匂い。
――――そこへ足を踏み入れた、今はローブを脱いでいる少女にも見える容姿の彼女は、薄緑の髪を揺らし、相変わらずの匂いに顔を顰めつつアモンに声をかける。
「……アモン様。お聞きしたいことがあるのですが」
声をかけられて振り返るアモンの顔には――――やはり仮面が付けられたままだった。
「はて、何かな? アルス」
今度はしっかりと名を呼んで、アモンは彼女の目を見た。
「……何故、あのような交渉を律儀に守っているのですか?」
「やだなぁ、私が約束一つも守れないような男に見えるかい?」
「率直に申し上げまして――――はい」
「はっはぁ、そりゃ手厳しい。流石の私も傷つくよ? アルス」
そうは言いつつも、全くそんな様子を見せないアモンに対し、アルスはため息一つ吐いて続けた。
「何よりも、守る意味がないでしょう? 確かに、奴の威圧感と実際に剣を交えてみてかなりの実力があることが伺えますが、所詮は個人にすぎません。さっさと報告してから、騎士たちに見回りを強化するように言えば済む話ではありませんか」
「……ふむ、確かに一理あるな」
「では――――」
「――――だが、君は彼を甘く見すぎているよ?」
たしなめるような口調でアモンが言った。
「……分かりません。何故アモン様がそこまで奴のことを警戒しているのか」
今までアモンがここまでの警戒を見せたことはなかった。
それは、生まれて間もないころから彼のすぐそばにいる彼女が一番よく知っている。
故に、疑問だった。
なぜ一介の冒険者に過ぎない相手にここまで注意を払っているのかを。
そんなアルスの困惑が入り混じる声に答えるわけでもなく、アモンは椅子を回転させ、考察の続きの執筆に戻ってしまい、取り付く島もなかった。
これ以上自分と会話する気がないのかと思い、落胆した様子でアルスが部屋を出ようとしたとき、アモンは口を開く。
「……そもそもの話、何故私自らあの場に行ったと思う? 君に監視の目をつけている私自身が」
言われてみればと、アルスは彼の言葉にはっとしたような表情で振り返る。
あの時、万が一対処できないような魔物が現れても援助できるようにと、アモンはアルスに対し『視覚共有』の魔法をかけていた。
初めにその提案をされた時は、あまりに距離が遠いためにアルスは彼の過剰な魔力消耗を懸念したが、難なくこなしてしまい、改めて桁違いだと思ったものだ。
そんな監視の目がある状況、普段のアモンであれば的確な判断により、例え首元に刃が付きつけられている状況であろうとも自分を救い出せる者を送り込んだはずだ。
そんな者が、自分の仲間にいくらでもいることを知っている。
だが、実際に来たのは彼だった。
「わかったかい? 私以外の者が行っていたら、その者と君は間違いなく、彼によって殺されていた」
「……」
そのトーンには、普段の彼女を茶化すようなものは一切ない。
つまり、アモンは冗談でもなんでもなく、本気で、言っているのだということ。
それを理解させられる。
だが、いまいちアルスは腑に落ちていなかった。
「……いくらアモン様といえど、にわかには信じ難い話です」
「だろうね。自慢に聞こえるだろうが、私はここで五本の指に入る自信がある」
「……そうですね」
苦笑交じりにアモンが言う。
ここ――――すなわち、ロマノフが一日の多くを過ごすこの城は、ラベンド王国の中でも選りすぐりの騎士や魔導士が集う場所だ。
そこで五本の指に入ると自称するのは伊達ではなく、アルスもそのことに疑いを持ったりはしなかった。
だが、何故その話を今持ちだすのかと、アルスが怪訝な顔で答えると、アモンは次の瞬間、信じられないことを口にした。
「――――だが、彼にとっては私でさえ、取るに足らない相手だろうさ」
「な……何をおっしゃいますか……」
「事実だ。君も見ただろう、彼の強さを」
そう言われ、アルスが言葉に詰まる。
「だからこそ、だ。仮に私が報告したとして、警戒されていることを悟れば、彼は迷わず私たちを殺しに来る。……それに――――」
書き込む手を止めて、アモンは言った。
「――――彼がこの国にとって脅威になろうとも、私にはどうでも良い話だからね」
「……」
それは城に使える者として、あってはならない発言。
ともすれば、不敬ともとられかねない言葉を前に、アルスは特に表情を変えることなく聞いていた。
「と、いうわけだ。アルスも、上に彼を報告するのは禁止だ。良いね?」
「……わかりました。――――ところで、一回会っただけだというのに、随分と彼を評価するのですね」
思えば、アモンがここまで他人に関心を持つのは珍しいことであった。
勇者でさえも、特に興味を示さなかったアモンが高く評価している。
それがアルスには些か引っかかった。
今のところは敵でしかない彼をここまで買いかぶる理由。それを聞いてみたかった。
それに対し、アモンは一瞬ポカンとしたような表情を見せて、その後、くつくつと笑いだす。
我が主人ながら、あまりに意味不明すぎる行動にアルスが眉をひそめていると、アモンが答える。
「……あぁ、そうだった。言ってなかったね。私が彼と会うのは、実はこれが初めてじゃないんだ」
「……なるほど」
そう言われ、アルスは以前にも彼が関心を寄せていた人物がいたことを思い出し、ようやく彼のこれまでの言動に納得がいった。
「――――『無加護』ですね」
本人の素知らぬところで、最も避けていた事態が発生していることを、零斗は知る由もなかった。




