三十一話『歪み』
しばらくして、ロイ達が目を覚ますと同時、驚愕した。
「……う……っ!? これは?!」
立膝を突き座る零斗の横に、皮の袋が三つ、膨らんだ状態で置かれていた。中を見ると、規則正しく並べられた、ロックリザードの血が詰められている小瓶がいっぱいに入っている。
何事かと、ロイが零斗の背後に目を向けると、血を抜かれたロックリザードの死骸が積み上がっているのが目に入った。
ロックリザードの血はかなり採集が難しい。小瓶と言っても、この数の血を集めるのには苦労するはずなのだが、当の本人はそんな様子もなく、目を覚ましたロイ達を相変わらずの不愛想な目で見ていた。
「……起きたか」
「レイ……これは、お前一人で?」
それ以外には考えられないのだが、念のためといった様子でロイが問う。
「あぁ、時間はかなりあったからな」
「時間って……。そうだ、あの女はっ!? あの後、どうなった!」
ロイが零斗に飛びついて肩を揺さぶりながら叫ぶ。
「……落ち着け、俺が目を覚ました時にはいなかったよ。調べたが、何かされたような形跡も特になかった」
用意しておいた台詞を淀みなく答える零斗。
「何もされていない……?」
「あぁ。ロックリザードの死骸も手つかずのままだったんでな。おかげで素材を集め放題だったよ」
「……ではあの女は一体何をしにここへ?」
気絶していて事のあらましを知らないなら当然の反応だろう。
魔物の素材は基本的に高値で取引される。それがロックリザードの血ともなれば、小瓶一本につき銀貨三枚はするはずだ。
それに一切手を付けずに立ち去ったとあれば、さぞ不可解極まりなく映るはず。
唯一、彼らの目的を知る零斗も、もし何も知らなければ同じような反応をしていたに違いない。
「……まぁ、何はともあれ、レイのおかげで依頼は達成だ。さっさと撤収しよう」
考え込むロイに、目覚めが悪そうなアランが言う。
「……そうだな。血を集めておいてくれたレイには後で飯でも驕るよ。一先ずここは引き上げだ。悪いが、その袋は三人で分担して持ってくれ。先導する俺が持っていては、いざという時に反応ができないからな」
「分かった」
ロイの指示に従って、手分けして袋を持つと、早々に空洞を後にした。
帰りの道で、三人が魔物の警戒をしつつ雑談し始めたのを零斗が眺めていると、イドリスが話しかけてきた。
『――おい、さっき言ってたことはどういうことだ?』
(……いつの話のことを言っているんだよ)
『だから、あれだよ。敵の総本山に警戒されてた方が何たらってやつ。考えても意味が分かんねえんだよ』
(あぁ、それか……)
イドリスから見た今までの零斗というのは、出来る限り――――少なくとも表面上では、多少腕の立つ程度の新人という役に徹して動いてきた。
以前、初めて森に魔物の討伐をしに行った帰り、クランツには零斗の実力が高く評価されたものの、まさか彼も倒した相手がパノルゴスだとは思わなかっただろう。精々、新人が相手できるスライム程度を想定していたはずだ。
このことからわかるように、零斗が噂されるような動きは一切せず、極力自分の素性が詮索されるようなことは避けてきた。
故にイドリスは、今回の大立ち回りを演じたことに未だ納得がいかずにいた。
(……俺が元居た世界に、俺達と同じ境遇を題材とした物語があるって話は前にしたな?)
『ああ、あの“異世界転生モノ”とか言ってたやつか』
俺達、と暗に自分を含めた勇者の話だと告げて、零斗は続ける。
(決まってそういう話は、バカげた力で無双していくってのが王道だ。無論、“冒険者”でもそれは同じ。平たく言えば――――“こんな新人冒険者、見たことないッ!!”……ってなところだ)
『なんだよ、それで良いじゃねえか。事実、お前はそんくらいできる力はあるだろ?)
確かに、零斗は『ギルド』設立史上、数えられる程度の者しか踏破したことのない『迷宮』――――その中でも、さらに攻略が困難だと思われる場所を、たった一人で制した者だ。
そんな者が、“普通”に活動すれば瞬く間にランクが上がっていくだろう。
――――そんな意図が込められたイドリスの言葉に、零斗は冷ややかに答える。
(だぁからそれじゃダメだっつってんだろアホが。考えてみろ。ここはラベンド国内。目立ったらどこの国よりも早くにロマノフの耳に入るだろ。元々『レイ』っていう冒険者がいる事自体、『灰瀬零斗』の生存に気づかれる危険を限りなく零にするためにあいつらから隠したいの。――――そんで、奴は“勇者”以外にも強力な戦力、兵器を欲してるときた)
アモンが言っていた内容から、それはほぼ確実と言い切っていいことだろう。
正直、勇者の力を目の前で見ていた零斗からしてみれば、それだけでも“過剰戦力”だと言わざるを得ないが、生憎この国の長はそれだけじゃ満足できないらしい。
(……奴らは“冒険者”でさえも、買収して自分たちの戦力にしようとしてる。流石に『S』ランクをそんな簡単に囲えるとは思えないが、俺の知る限りでは『A』ランクでラベンド国内にいる奴らはほぼ確実に買収されている。仮に戦争が起こったら、奴らはロマノフの指示にしたがって戦場に出るだろうさ)
本来、『ギルド』には国の区別がない。故に、絶対順守の“原則”として、冒険者たるもの、戦争に加担してはならないという規定がある。
何故なら、冒険者とは冒険者であって、傭兵ではないからだ。
仮に破れば、国際指名手配犯となり、違反した者、並びに匿うか、招き入れた国は厳しい制裁が加えられるようになっている。
――――だが、実際にそれが守られていることはまずない。
零斗を世間では国外追放と宣言しておいて、抹殺しようとしたことが明るみに出ないのと同じく、表に出ない所ではその手の闇が深い話は絶えない。
ならなぜそんなことを零斗が知っているのかといえば、初めに冒険者についての説明を受けた時、アンナが言っていたからだ。
そんなことを単なる新人にすぎない自分に言っても良いのかと思ったが、そんな風にならないようにという忠告の意も込めてのことだと彼女は言っていた。
(さて質問。そんな戦力に飢えているロマノフの監視下と言ってもいいラベンドで、俺が本来の力で活動したらどうすると思う?)
『……そりゃ』
(そうだ)
――――答えは簡単、手に入れようとする。
(手に入れようと思ったら、真っ先に“俺の弱み”を握るために詮索する。――――すると、不思議だな? 俺の経歴が一切不明。だが、それは冒険者なら良くある話だ。じゃあどうするか。次は接触しに来る。――――あわよくば、交渉しに、な)
経歴が分からないなんてことはそれほど問題じゃない。
本当に経歴を知られて不味い者は、経歴そのものを偽造する。零斗の場合、まだそこまでの金もコネもなかったため、仕方なくそのまま冒険者登録したが、それは致し方ないことだろう。
(金を積むか、脅しに来るか。どっちでも良いが、アモンの時とは違って、今度は明るい場所で顔を合わせる羽目になる)
そう。奇しくも、アモンと出会った一度目は闇夜の中。二度目は廃坑の空洞内と、どちらも顔の造形をはっきりと見ることができない状況下だったので、幸いなことに自分が『灰瀬零斗』であることを悟られずに済んだ。
――――だが、交渉の場となれば話は変わる。
(交渉に一人で来るなんて思えねえしな。その時、俺に対して少しでも違和感を覚えられたらほぼ詰み。そうでなくとも、時間が経てば俺の正体に気づかれる可能性は高まる。以上、俺が地味に動いている理由だ)
『……それも気になっていたが、お前の正体がバレた所で何か不都合でもあんのかよ。追手が来たところでお前なら返り討ちにできるだろ? それこそ今回みたいに』
(あのな、いちいちそんな奴らに構っていられる程こっちは暇じゃねえんだよ。第一、俺が死んだと思っているのは国の上層部だけで、大半の連中が『灰瀬零斗』は国外追放されたと思ってる。そのことを向こうが利用しないわけないだろ。……まさか、この国の全てを敵に回せっていうのか?)
イドリスの言う通り、多少手練れの騎士だろうが何だろうがを仕向けられたところで、零斗の前では塵芥も同然。文字通りの雑魚だ。
それだけの力と自信があると、慢心など一切抜きにして零斗は断言できる。
だが、それを『国王暗殺未遂犯が国内に侵入した』と報じればどうだ? 敵は騎士だけではなくなり、ラベンド国民……いや、ラベンド国内の『ギルド』でさえ敵に回る。
その全てを相手にしていては流石に零斗も身が持たない上に、今後の動きに支障が出る。
そんな零斗の返しに、どこか拗ねたような声でイドリスが言った。
『ならどうして、今回は本来の力ってやつを使ったんだよ』
(―――― 一つ、相手がかなりの強者だったから)
いくら零斗の持つ強さが常人離れしているとは言えど、その“距離”を理解できるものでなければ、アモンに言ったような零斗の脅しは効果が薄い。
だが、零斗は、彼が自分の強さを正確に値踏みすると判断した。
故に、仮に奴が城の誰かに報告して、連中が零斗を脅威と判断し、消そうと思ったとしても相応の準備期間を要するだろう。しかし、そんな時間があれば、こちらはさっさと獣人領に入っている。
もしくは先ほど言ったように、その強さを城の誰かが高く評価し、自信を懐柔しようとして交渉のために刺客を送ってきたら、それは報告をしたと自ら告白するのと同意である。
そうなったら、刺客から情報を絞り出して、さっさと王都に出向いてアモンやローブ女諸共、本当に――――殺すだけだ。
(二つ。俺の素顔がはっきりと見られていなかった)
ローブの女と、アモンとも、一度は接近戦をしたものの、二人とも顔を隠すような細工をしていたのと、ロイのランタンがあったとはいえ、うっすらとしか自分の顔を見られていなかった。
故に、彼らが零斗をかつて抹殺した勇者と結び付ける可能性は低いと判断した。
(三つ。アモンはまだ弱かった頃の俺を知っている)
あの夜の襲撃で、アモンは『灰瀬零斗』の戦闘力を知っている。
同時に、空洞内で受けた不意打ちはあの夜の攻撃とほぼ同じものだったが、それを今の零斗は難なく受け止めている。
まさか、これらが同一人物によるものだとは夢にも思わないだろう。
……と、零斗はかみ砕いてイドリスに説明する。
(っていうのを、わざわざ説明するのもめんどくさいんで簡単に言ったつもりだったんだが、わかんなかったのか?)
『……分かるわけねえだろ。武器の俺はともかく、あのやりとりだけでそこまで考える奴はお前くらいだろうよ』
(――――まぁローブの女だけだったら、情報を引き出した後に、お前の『悪食』を使って、俺と出会った記憶だけを消すつもりだったんだが、アモンが来たからな。その策はボツになった)
さらっと非道な案を口に――――訂正、念じた零斗に、イドリスが引いた声を漏らす。
『……お前も人のこと言えねえじゃねえか』
(殺さないだけマシだ。少なくとも、周りにロイ達がいなかったら確実に殺ってるところだ――)
――――ふと、ここまで零斗は言っていて、あまりに自然に――――。
――――自分が“殺人”を考えていることに気が付いた。
この世界でも当然、殺人は重い罪であり、万が一行おうものなら、軽くても禁固数十年、最悪死刑だ。
それに零斗は、元居た世界で人並の倫理観を教わってきたという自負がある。
にもかかわらず、冗談でもなんでもなく、本当に人を殺すという考えに、何の違和感も抵抗もなかった。――――数年前まで、ただの高校生に過ぎなかった自分が、だ。
(……『迷宮』にいる間に、感覚だけじゃなく、“感性”まで歪められたか?)
突然、零斗は薄ら寒い物を感じた。
それは――――自分が人として失ってはいけない何かを失っているのではないかという恐怖。
言い訳ならある。
城に居た頃の劣悪な環境、扱い。『迷宮』での神経をすり減らす鍛錬の日々に、魔物との命を賭したしのぎの削り合い。
……しかし、たったそれだけで簡単に人の心は、道徳は変わってしまうものなのだろうか。
また、これは決して、零斗が割り切った上で見出した発想というわけでもない。
しょうがなく、といった感情は一切と言っていいほどあらず、それが最善だと当然のように思った。
今は幸いなことに、まだ一線を越えずにいる。
だが、このままではいずれは必ず、その一線を超える日がやってくるだろう。
その時になって、自分は果たして躊躇うことができるのだろうか。
今も、目の前で他愛もない雑談を交わすロイ達を、一歩離れた所で零斗は見て思う。
――――自分と、『迷宮』にいた魔物との”差異”は、一体何なのかと。
結局、零斗は、黙り込んでいる自分に彼らが気づき、話しかけてくれるまでに、その答えを導き出すことはできなかった。




