とりっく@メール
笹野葉笹乃は、悩んでいた。
『冤罪』という、人生において、できることなら関わりたく無い、その二文字に。
梅雨空の下で温い風が吹いている。
帰りのHRが終わろうとしている三年の特進クラス。その教室の前で、二年生の笹乃は七鎌柳が出てくるのを待っていた。
笹乃は柳に対して、面識がほとんどない。以前廊下ですれ違った時に、友人達がかっこいいだの、頭がいいだの、騒いでいたのを聞いたぐらいだ。
その後に、笹乃の薄っぺらい胸の中で急速に恋心が芽生えて、どうにもできなくなり、熱く燃え上がった思いのたけを打ち明けるべく――なんてことももちろんない。
柳の整った容姿などとは無関係に、彼がこの高校で一番頭がいいらしいから、自分でどう考えてもわからない悩み事を相談したくて、笹乃はここにいるのだ。
七鎌柳が非常にとっつきにくい性格らしいことも、友人から散々聞かされてはいたが、とりあえず、笹乃はお願いしてみようということにした。
「彼がこの学校で一番頭がいいのなら、彼に一緒に考えてもらうのが一番早いじゃないか」というシンプルで自己中心的な動機だけで。
手持無沙汰にブラウスのボタンをいじくっていると、HRが終わる気配がした。
そして、真っ先にクラスを飛び出した黒髪の青年と笹乃は目が合う。柳だ。
だがそれも一瞬のことで、すぐにまた速足で歩きだしたので、笹乃は慌ててしまい、結果、食いかかるような勢いで声をかけてしまった。
「ちょっと、あんた!」
男子にしては長い、肩にかかっているストレートの黒髪に、若干冷たい印象を与える切れ長の目。その目がぎょっとしたように大きく見開かれて、そのまま、笹乃の上履きの先から黒いロングの頭髪の先まで素早く視線を走らせる。
笹乃は、恐ろしく堂々と見られていた。
もちろん、いい気分がするわけない。
さらに、気分の悪いことに、柳は本当に残念そうな溜息をつき、至極がっかりした様子で、笹乃と向き合う。
「キミ、何を考えてるんだ? 僕に『あんた』と声をかけていいのは、茶髪や金髪の明るい髪色の女の子だけだ。君は黒髪じゃないか。前髪パッツンの真っ黒な長い髪をしてるんだから、僕に声をかける時は、敬語を使い、なおかつおしとやかにしてくれよ。いや、それよりも髪の方を変えるべきだ。全く似合ってない」
笹乃は初対面にして、恐ろしく失礼なことを平然と言われた。
「……なによ? 人の髪型なんてどうでもいいでしょ!」
むかついた笹乃は、そのまま初対面の先輩に敵意をむき出しにする。
「僕は整合の取れていない人がキライでね。君の髪型と気の強さは激しくかみ合っていないよ、ほんとに」
「あんた、だって、黒じゃん! ストレートじゃん! よく人の髪型をどうこう言えるわね! このバカ!」
笹乃のシンプルな思考は、すでに本来の目的を忘れていた。
「――き、キミ、今、なんて……」
それまで、悠然としていた柳だったが、その整った顔が泣きそうなくらいにみるみる歪んでいった。
「なによ……」
「なんでそんなひどいこと言うんだ!? そりゃ、僕の髪型は僕に似合って無いかもしれないよ! でも、それが何かキミに迷惑をかけたか!? 何を食べたらそんなに口が悪くなるんだ!? 鬼か!? 悪魔か? 僕の心をえぐって楽しいか? 満足か!? そうか! ひどい人だ」
本当に、子供が泣きだすようだった。小さく震えて、口の奥で音を溜めて、それを一気に外に噴き出すあの感じ。
「あたし、あんたと同じこと言っただけなんだけどさ」
笹乃は、子供染みた先輩に驚き、呆れながらも、それ以上にかなりイライラしてきていた。
「僕が言ったのは、キミにさらに綺麗になってもらおうという、遠回しの優しさだ! 明るい性格とそれよりも明るく輝くぱっちりした目をこれでもかというほど称賛しようとしたさ! しかし、若さ故の照れという巨大な壁に遮られてしまった。それだけのことさ! 悪意なんてこれっぽっちもない! シャイな男子高生の純真な真心が、キミにはどうしても理解できないってのか!?」
「あんたのどこがシャイなのよっ! ああっ、めんどくさいやつ!」
笹乃の右手が硬く握られ、瞬時に柳の薄い腹筋を打ち抜いた。
「うごっ……」
柳は悶絶しながら廊下の上に崩れ落ちる。帰ろうとしていた先輩様方が教室の中から、血の気の引いた顔でその様子を見ていた。
「あ、やば」
それほど慌てる様子も見せず、軽やかな足取りでぱたぱたと笹乃は逃げた。
そのまま真っ直ぐ家に帰った笹乃は、自室のベッドに身体を投げ出して、心底疲れ切った様子で項垂れた。
「ねえ、どうしよ。本当に困ったよ……。もう柳先輩には頼みづらくなっちゃったし、かといって、自分じゃさっぱりわかんないし――」
枕元に投げだした携帯がうなるように震える。笹乃はびくっと反応すると、一瞬躊躇したが、携帯を開いて、受信メール欄を見た。
アルファベットと数字がランダムに並んだアドレスの下に、元親友の高坂恵からのメッセージがある。
『正直に謝ってよ! 卑怯だよ!』
「ああ、もー。これだよ……。どうしたらいいかなー」
笹乃は帰ってからずっと、後ろをついてくる飼いネコの「ミイ」に話しかけていた。
「ミイは可愛いねー」
「茶色い毛がとっても似合ってるねー」
「ミイみたいになりたいなー」
笹乃は、近くに投げだしたスクールバッグから財布を抜き取ると、近所の美容室へ向かって家を飛び出した。
「けして、柳のうざったらしい言葉を真に受けたわけではない。
私はミイのふさふさした可愛さに憧れただけだ!」
と、頭の中で何度も復唱しながら――。
髪を茶色のショートカットにした笹乃は、昨日と同じように、特進クラスの前で待っていた。
柳も昨日と同じように教室を一番に飛び出してくる。
笹乃を見るなり「げっ」とわかりやすい一言を吐いて逃げようとする柳の襟首を、笹乃の右手ががっちり捕まえた。
「あの、昨日はごめんなさい」
「いいよいいよ。許したげるから離してくれ! 僕は塾に行かなければならない!」
「べ、別に昨日あんたに言われたから茶髪にしたわけじゃないから……勘違いしないでねっ」
白く細い右腕に血管を浮かび上がらせながらも、わざとらしく照れた様子を見せる笹乃。
「わかってる! わかってるから、ツンデレぶるのはやめてくれ! キミ、ツンデレじゃないだろ。ツンデレという奇跡の属性は、特殊な条件下でのみ現れるものだ。そんな打算めいたセリフに使わないでくれ」
「ん?」
「ツンデレというのは、惚れている男子に対して、照れ隠しに発現する高尚なものだ。キミ、僕に惚れていないだろう?」
偉そうに講釈をたれながらも、必死に手足をばたつかせる柳。
「ま、そりゃそうだけど」
柳が、無駄な抵抗をやめた。相変わらず背中を見せたままだが、首だけで笹乃を振り返る。
「どした?」
「自分から言っておいてなんだが、全く否定されないと、悲しかった」
「あんた、ほんとはバカなの?」
「ふ、だとしたら?」
「用が無くなる……」
「あ、実は僕、自分でも可哀想になるくらいバカなんだ」
「また殴るよ?」
笹乃は、襟首を掴んでいる右手を巻き込むようにして柳の首を圧迫しながら、柳に優しく話しかけた。
「ねえ、あたし……ちょっと困ったことがあるの。えーと、それで、頭のいい柳先輩に協力していただけたらなーとか、思ってるんですけど。協力してくれます?」
「……不思議だ。キミに聞かれると、自分の生死を問われているようだ」
柳は、渋々といった感じで引き受けた。
■
学校の裏手にある公園では、比較的新しいと思われるブランコや滑り台の遊具が点在しているが、子供の姿は無く、艶のある遊具がかえって寂しげに見える。
駅と逆方向に位置する為、同級生達の姿も無かった。
二人してベンチに腰掛ける姿は、まるで恋人同士の様だが、上機嫌な様子の笹乃とは対照的に柳は冷や汗が止まらなかった。
人気の無い公園では、笹乃の満足げな笑顔はその可愛さ以上に不気味なものに感じられるのだ。
「さ、じゃあ、早くその困ったことを説明してくれ! 僕はキミに協力したくてたまらないんだ」
正確には、協力した上で、早く解放されたくてたまらないのであった。
「ええ、わかった。えと、冤罪よ。冤罪。同じクラスの元親友から、私に秘密をばらされたってあらぬ疑いをかけられてるの!
さ、もうわかったでしょ? ずばばっと推理してよ!」
「わかるか! キミ、僕を超能力者か何かと勘違いしてるだろ」
「ん、じゃあ、どこから説明すればいいのか――」
その時、笹乃のブレザーの中で携帯が震えた。
開いて、恵からのものだと確認して柳に見せる。
『笹乃の裏切り者!』
「何、これ?」
「えっと、だから、その友達から……」
「ふーん……そういえば、キミの名前は笹乃っていうのか。それにしても、なんだって相手の元親友は携帯に名前が出ないのさ」
柳は、笹乃の要領を得ない説明に頼るのを諦め、目についたところから情報を集めることにした。
「ああ、むかついたからアドレス帳から消しちゃってさ」
「へえ、それにしてもずいぶんと面白みの無いアドレスだね。買ったばっかりみたいじゃん。暗号?」
「さあ。あんまり凝ったことする奴じゃないから、それは無いと思うけど。そういえば、それまで名前の入った可愛らしいアドレスだったのに、GWに入ってすぐ、あいつアドレス変えてたな」
「そっか、まあ、アドレスの話はいいや。その友達の秘密って何さ?」
「秘密なんだから、そんな簡単に言うわけ無いでしょ」
「ちぇ、キミがここであっさり言ってくれるようなら『犯人はおまえだ!』で片付いたんだけどな。つまり、キミがうっかり喋ったってことで」
「そんなことするわけ無い! 私だってこの前そのメールをもらってからは、どこでも絶対に口にしなかったし、携帯にもロックかけてたし……あいつだって、恵だって、きっと同じだよ。だから、どこから秘密が漏れたかわかんないの」
「その恵さんとやらは美人なの?」
「そりゃもう、あんたが知らないのが不思議なくらい。超可愛いよ。二年の間じゃ有名だよ」
「そっか。じゃ、ストーカーだな。キミもなかなか可愛いし」
「決めつけんの早いわね」
「だって、どうでもいいもん、犯人なんて。僕からすれば、キミのクラスメートのA君だろうがB君だろうが、あるいはCさんだろうが、知らないし、興味無いよ」
ついつい、日頃のぞんざいな口調で言ってしまってから、笹乃のこめかみがピクピクと動くのを見て、柳は慌てて言葉を繋いだ。
「そ、そんなことより、キミは犯人の手口が知りたいんだろ! それなら、早くそっちを解決しよう。僕は塾に行きたくて――違った。キミを安心させたくて仕方ないからね。さっき、ちらっと言ってたけど、その、友達の秘密を知る方法は、そのメールを見る以外に無いのかい?」
「うん。それは、絶対だと思う。恵も、恥ずかしいから、口にできないって言ってたし、私も口から出したことは無いし、傍から見ていてもわからないだろうし……」
「僕としては、なんだか俄然、その秘密を知りたくなってきたんだけど、教えてくれない? さっきは流したけど、こうして恵さんが怒ってるってことは、すでに二年の間じゃ噂になってるようなことなんだろ?」
「それはそうだけど、やだ。絶対。言わないって約束したもん」
「そっか、つまんないな。まあ、いいや。方法の方はもうだいたい目星はついた」
「お? 早いじゃん! どんな?」
とたんに、笹乃の表情が輝いた。やはり明るい髪色の方が似合っていると、自分のアドバイスに満足しながら柳は言う。
「あー、外してたら嫌だから確認するけど、恵さんがアドレスを変えてから、何か変わったことはなかったかい? 返信時間とか」
「ああ、そういえば、少し遅くなったかも……」
「それから、秘密の書かれたメールが来たのは、アドレスを変えた後だね?」
「うん、二週間ぐらい前だから、五月の下旬だよ」
「やっぱりだ。すごいことするな。なるほど、これなら、魔法も特殊な器具も使わずに、キミたちの携帯に触れることもなく、メールをゆっくり見ることができる」
「ねえ、早く教えなさいよ!」
「まあまあ、ちょっとしたヒントは出すから、自分で考えてみなよ。例えば――例えばさ、アドレスを変更したメールが届いた時に、そいつの名前が無くて、困った事とか無い?」
「あるけど、それがなんか関係あるの?」
「んー……じゃあ、もっとわかりやすく言うけど、例えば、僕が自分の携帯からキミに『アドレスを変えました 恵』とでもメールしたら。キミはそのメールをちらっとでも疑うかい?」
「……あ! え、じゃ、これ、恵じゃないの?」
笹乃は、持ったままだった携帯の画面を指差した。
「犯人はそいつだ」
「ちょ……ちょっと待ってよ! じゃ、私、今、誰とメールしてんの?」
「恵さん……とも言える」
「なにそれ? さっぱりわかんない」
「まあ、まだまだ楽しみたいから、焦らないでくれ。全部説明すれば、きっと納得できるから。ちょっとだけ説明するけど。GWに入ってすぐ、どっかの誰かが恵さんを名乗って、キミにアドレスを送ったのは、今説明した通りだよ。それをキミは恵さんと思い込んで、携帯に登録した。でも、これだけじゃ、なんの意味も無いだろ? 秘密のメールが恵さんから笹乃に送られてくる以上、彼女の秘密はわからないし、当然だけど、成り済ましてるのは、すぐにばれるよ。文面を似せたって、日常会話でメールの話の続きが出れば一発だ」
「……さらによくわかんなくなってきたんだけどさ」
ストレスが溜まってきたのか、笹乃の右手が硬く握られていた。
「ちょ……! まて、落ち着いて考えてくれ。確かに、非常に安全に『キミたち』のメールを盗み見る方法があるんだ。なぜGWに入ってすぐだったか。なぜ返信が遅れがちになったのか。なぜ、ランダムな文字列のアドレスだったか――」
その時、笹乃の手の中の携帯が震えた。
「あ、ごめん、恵からだ。ちょっと出るね」
『あ、もしもし――何? え、知らないよ――だから、言ってんじゃん――』
その後、ぐだぐだともめている様子の笹乃だったが、やがて怒った様子で電話を切った。そして、柳との会話を再開する間もなく、笹乃の携帯に一通のメールが届く。
『例の事でもう一回きちんと話したいから今から電話するね』とだけ書かれていた。
「何これ……あいつ、自分の勘違いも認めないんだ」
笹乃の右手の中で、罪の無い携帯電話がみしりと音をたてる。
「どうした? なんとなく想像つくけど」
「ああ、電話出たらすぐ『電話するからってメールしたじゃん』って言われたけど『来てない』って言って、ちょっともめたのね。そしたら、切った後に届いてんの」
「電波が悪かったとかじゃないんだよね」
「え、うん。メールの時間が送信時間の後になってるから、違うよ。電波が悪い時って、送信した時間で表示されるもん。あいつ、自分で送れてなかったのに気づいて、電話が終わった後に慌てて送ったんだ」
「犯人の思うつぼだね。友達は信じるもんだよ。じゃ、それが最後のヒントだ。なぜ、そんなことが起こるのか、考えてくれ」
■
日が暮れて、公園内にはぽつぽつとオレンジ色の外灯が灯る。夕方に人気が無くて寂しげだった公園はさらに静かにひっそりとしていた。
その下のベンチに変わらず二人は座っているが、手持無沙汰な笹乃に対して、柳はドイツ語の参考書を読んでいた。
「あんた、何ヶ国語喋れるの?」
「三ヶ国語」
「すご、漫画のキャラみたいだね」
「ドイツ語は日常会話程度だけど、日本語と英語は余裕で喋れる」
「日本語入ってんだ……」
「そりゃ、漫画じゃないからね。それに、僕は理系だ」
柳はパタンと参考書を閉じると、笹乃に向かって、半ば呆れたように言った。
「考えてくれてる?」
「ん? もう結論は出てるよ」
「な!? 早く言ってくれよ!」
「私、わかんないってことがわかったよ」
「そりゃ、ずいぶんと哲学的な答えだね。『無知の知』って言葉を知ってるかい?」
呆れて時計を見る柳。時刻はすでに八時を回っていた。
「じゃ、もう、纏めて説明するからちゃんと聞いてくれ。
まず、犯人はGWに入ってすぐ、自分の携帯から、キミの携帯に『アドレス変えました 恵』とメールを送る。さらに、それと同時に、恵さんの携帯にも『アドレス変えました 笹乃』とメールをする。すると、二人の送るメールが全て犯人の携帯に集まるから、犯人はその文面をコピーして本来の相手に転送するだけで、キミたちのやり取りしたメールは犯人の携帯に溜まっていくわけだ。
わかりにくいようなら、もう少し説明するよ。犯人のアドレスをAと仮定しよう。笹乃がAというアドレスに送る。Aというアドレスから、恵さんに転送される。簡単に言えば、中継地点になってるんだ。そして、そのアドレスAは、全く同じアドレスながら、笹乃の携帯には『恵』恵さんの携帯には『笹乃』の名前で登録されていたんだよ。キミは消去したみたいだけど。
だいたいわかった?
順次、ヒントの説明をさせてもらう。
まず、GWになってすぐだったのはなぜかだ。それは、学校が連休になって、二人が会わなくなる時期を狙ったんだ。なぜなら『あ、笹乃、アドレス変えたんだ?』『いや、変えたのアンタでしょ?』みたいに、その手の会話をされると非常に都合が悪いからね。連休が明けるころには忘れてるだろうって考えだ。『アドレス変えました』このメールだけは犯人は感づかれてはいけない部分だった。疑問に思われても、メールでその場で聞いてもらえれば、成り済まして説明することによって解決できるが、二人に直接話されるのだけはまずかった。もちろん、文面もある程度似せたのではないかと思われる。
次に、なぜ返信が遅れがちだったかだ。想像がつくと思うけど、このやり方、非常にめんどくさい。二人がやりとりするたびに、それを転送しないといけないんだから。しかし、犯人も人間だ。うっかり寝てしまったりすれば、普通に転送できなくて、遅れるだろう。しかし、それさえも大したことじゃないんだ。さっきの電話の様なケースを除けばね。この仕掛けに気づいてない笹乃からすれば、恵さんが寝ていたのかと思うぐらいだろうし。もっと言えば、転送する時に、犯人が『ごめん、寝ちゃってた!』みたいに文章を入れればいい話だ。会っている時の会話に支障をきたさない程度になら、やつはメールを捏造できる。
あ、もう説明したつもりだから省略するが、これでさっきの電話に関するメールの件もわかっただろ?
最後に、アドレスがなぜ不規則な文字列だったかだ。これは、二人に送ったアドレスが同じものだからという理由で片付けられる。そのアドレスに笹乃の名前を入れれば、それを高坂さんのアドレスだと思った笹乃が『なんで私の名前が入ってるの?』と不思議に思うし、その逆もまたしかりだ。つまり、意味を持たない文であることに意味があったんだ。
と、まあ、一気に話してしまったが、トリックについてはだいたいこんなところだ」
一気に話し終えて満足気の柳だったが、笹乃は、いまいち腑に落ちない顔をしていた。
「あの、なんとなくわかったけど、それって、ちょっとしたことでばれちゃうんじゃない? だって、さっきの電話の件だって、私が明日学校で直接会ってお互いに携帯を見せ合ったりしたら、明らかだし」
「うん、まあ、そうかもね。だが意外と、友達のアドレスが本当にその友達のものかという確認なんてしないもんだと思うよ。八割方ばれないと思うけど。さらに言えば、多分こいつ、ばれてもいいと思ってる」
「は?」
「まあ、方法はって話だよ。さっき『安全な方法』って言ったじゃないか。メールを盗み見られてたのがわかっても、その犯人まではわからないってことさ。ここまで二人に興味を持ってるってことは、割と身近な人物だとは思うんだよ。二人のアドレスをどうにかして入手しないと、最初のメール自体が送れないからね。だから、アドレスから辿られないように、普段使ってるアドレスとは別とか……さらに言えば、二人と同じ会社の携帯をストーキング用に準備してても不思議じゃない」
「え、警察とかに言えばなんとかなるんじゃない?」
「動かないよ。こんなイタズラ染みたことじゃ」
「なんだ……見つけたら殺そうと思ってたのに……」
さらっと物騒な言葉を使う笹乃に引きながらも、柳は話を続けた。
「それから、さらに、悪い……お知らせかわからないけど、もうそのストーキングにも飽きてきているように感じる。二人が今仲違いをしてるのが、その理由だ。犯人は、方法がばれてもいいと思いながらも、できるなら盗み見られていたことにさえ気づかれずに全てを終えようとしたんじゃないかな。一番の完全犯罪は、犯罪の存在自体を隠すことだからね。
方法は中傷ビラか、ネットの書き込みか知らないが、兎にも角にも秘密をばらしたのは、二人がケンカ別れしてくれれば、もういちいちメールの転送なんてめんどくさいことしないでいいからだろ。結果として、その秘密を漏らしたから感づかれたわけだが、それも、笹乃が本当に大事にその秘密を守っていたからこそだ。キミが、その秘密を軽く扱っていれば、可能性は無限に増えていた。ずっとメールでキミの性格を見ていた犯人は、きっと、キミがそこまで口が堅いとは思わなかったんじゃないか?
まあ、秘密をばらした動機に関しては、単純に恨みがあったとか、他の理由も考えつくから、いろいろと粗い推測だけどね」
「いいよ、もう。そいつが何考えてるのかなんて。気持ち悪い……」
笹乃の声が震えているのが、怒りによるものか、悲しみによるものか、柳には判断できなかった。
柳は笹乃のその様子を見て、少し思案した後で話しだした。
「……犯人をおびき出す方法なら、あるかもしれない。成功する可能性が高いとは言えないけど、僕の言う通りにやってみるか?」
「……うん」
「まず、恵さんに電話して、全てを話して和解する。次に仲直りしたことを匂わせながら『明日の夜、笹乃の秘密をメールする』という内容のメールを送る。これは、飽きかけてるかもそれない犯人に、まだ逃げられない為の撒餌だ。次に、明日の昼休みにでも、恵さんの目の前で、彼女にメールを送ればいい。不自然にならないようにね」
「うん、なんとなくだけど、何しようとしてるかわかった!」
「もう一度言うけど、確率は高く無いよ。そいつがクラスメートであるかわからないし、昼休みに教室にいるかもわからないんだから」
ぐっと伸びをして、柳はすっかり長くお世話になったベンチから立ちあがった。
「よし、じゃ、遅くなってきちゃったから、そろそろ帰ろうか。僕も、明日の昼休みはキミのクラスに行くよ」
「え、いいの?」
「うん、僕もどんなやつだか興味がでてきたし」
「ありがと! やっぱり、あんたに相談してよかった」
笹乃も、来た時と同じような笑顔で立ちあがった。
「そりゃどうも。キミ電車かい?」
「え、うん」
「そか、僕は徒歩だから、ここでお別れだな」
「わかった。じゃ、また明日ね!」
「うん、また」
去り際に、からかうような口調で柳は言った。
「あ――そう言えば、その髪型、よく似合ってるよ」
「な、なによ、今頃! あ、塾頑張って!」
すっかり忘れていたことに気づいて、柳は公園の砂の上に崩れ落ちた。
◆
翌日の昼休み。クラスの喧騒の中に紛れつつも、笹乃は先ほどから、教室の入り口に突っ立っている不審な人物が気になって仕方なかった。
七鎌柳である。
柳は半身を覗かせて、睨むような目つきで露骨に視線を走らせている。
周りの友人の「あ、七鎌先輩よ!」「何してるのかしら」「誰か気になる人でもいるのかしら」なんていう、浮かれた会話を耳にしても、笹乃から見れば、けして安心できない怪しさを全身からほとばしらせているようにしか見えなかった。
七鎌先輩、目つきがやべえですわよ……。
早くなんとかしたかったので、笹乃はすぐに席を立って、真っ直ぐに高坂恵の席に向かう。全てを打ち合わせておいたので、恵もそのくっきりとした瞳で笹乃を見ると、ポケットから自分の携帯を取り出した。
しばらく、お互いに雑談を交わすふりをしていたが、しばらくして笹乃は恵の携帯を覗きこんだ。そして、少し不自然なぐらいの大声で切り出す。
「あー! この写メ可愛い! 私の携帯に送って!」
それを受けて、恵も携帯を操作して、犯人のアドレスとわかってる宛先に写メを送る。
笹乃は、素早く視線を教室に走らせた。
もしも近くに犯人がいるとすれば――もしも今夜の私の秘密を知りたいと思っているならば――もしも、例の仕掛けを疑われまいとするならば――例えすぐそばにいても、すぐに携帯で転送をしないわけにはいかないはずだ。
その時、不意に目に入った柳が、素早く教室に飛び込んだ。そして、一人の男子生徒の前に躍り出て、クラス中に聞こえるような大きな声で叫んだ。
「キミか! そうか、キミなのか! いや、キミじゃないかと思っていたよ。僕はさっき来てから、ずっと教室の中を見ていたけど、キミほど犯罪の似合う男はいないと思っていたところだ! そのキミが笹乃の声に反応したように携帯を取り出し、さらには授業中でも無いのに、机の影に隠れるようにしてぽちぽちといじり始めたのだから、もう、間違いはあるまいよ!」
教室中の視線を集め、その男子(笹乃は同じクラスでありながら、名字すら覚えていなかった)の前で、柳はとうとうと語り続ける。その男子はぶるぶると唇を震わせ、自分の机の上によだれを撒き散らしながら、突然のことに何も言えずにいた。
「いや、本当に、キミってやつは、見上げたやつだ! 僕はキミのことを詳しく知らないけれど、その誰が見ても不愉快にしか感じないようなルックスに、犯罪者特有の空気! いや、もう、オーラとでもいうんだろうか! 言葉にできないほどの不快感を身にまといながら、実際に恐ろしく卑しい行為を躊躇わない!」
柳の彼を罵倒する声が教室内に響き渡る。すでにキレる寸前だった笹乃には、それが心地よく耳に入ってきた。
恵は、昨夜笹乃から全てを聞いたら、すぐに泣きだし、それきりすっかり元気を無くしてしまった。彼女のことを思えば、まだまだ足りない。
が、しかし――。
「いやいや、キミほど、素晴らしく完成された変態には、なかなか出会えないよ! もっと卑怯で、汚い、変態的な犯罪を、僕と一緒に考えないかい!? 僕はキミとならどこまででも汚れていける!」
ヒートアップする柳に対して、笹乃と恵は凍りついた。ちなみに、他のクラスメート達は、柳が教室に飛び込んで彼を勢いよく罵倒(柳本人にとっては称賛以外の何物でもなかったようだが)し始めた時から驚いて固まっていた。
「ちょっと、あんた! 何言ってんのよ」
たまらず、笹乃が椅子を飛ばす勢いで立ち上がる。
「ああ、キミか。すまない。僕は、彼のどこまでも純粋に濁りきった犯罪者気質に素晴らしい整合を見つけ出してしまった。キミもなかなかのものだけれど、今一歩、彼には及ばなかったようだ」
「ふ、ふざけんじゃないわよ! わ、私は、あんたのこといいやつだと……思ってたのに……!」
笹乃は、自分でも意外なほど、狼狽していた。
「き、キミ、もしや、その態度……。まさか、そんな……。
ここ、これは、まさか――ツンデレ!?
そんな! そんなバカな!? 一切の打算を無くし、純粋な乙女の恋心と、さらにその裏にある不安……反する二つの感情を高ぶらせなければ発現しえない、伝説の属性じゃないか! 漫画や小説の中にしかないと思っていたが……!
素晴らしい。素晴らしいよ! キミの持ち前の明るさと、ぴったり一致する!
これこそ、僕の求めていた究極にして、空前絶後の整合の美だ!」
柳は生涯最高の感動に震えながら、その後を続けた。三十近い視線が集まる中、教室中に響き渡る声で――。
「確認させてくれ! キミは僕に惚れているのかい!?」
「なななななな……何言ってんのよ!! このばかーっ!!!!」
笹乃は、恐ろしい速度で柳に詰め寄り、彼の腹に出会った時の倍以上の威力のボディブローを決めた。
頭を殴られたわけでもないのに、一瞬にして意識を無くして倒れるこむ柳。
笹乃は、呼吸を整える間もなく、血走った目で、ギラリと犯人の男子生徒を睨み――。
…………………………………………いろいろやった。
■
腹に鈍痛を抱えながら、柳はゆっくりと起き上がった。
見覚えのある、水色のパーテーション。ぼんやりと野球部の声が響いてきて、ここが保健室のベッドの上だとわかる。
時計を見ると、すでに五時半を回っていた。
ぼんやりと今日のことを思いだしてから、重い足取りで保健室を後にする。
結局、あの後はどうなったのだろう。よくわからないが、まあ、笹乃のことだから、なんとなくは想像がつく。隣のベッドを覗いて来ればよかった。もしかしたら、例の男子が寝ていたかもしれない。
教室に戻り、バッグを取る。笹乃と少し話をしたい気分だったが、もう帰ってしまっているだろうと推測し、柳はそのまま学校を出た。
夏の夕暮れ時はずいぶんと明るい。ぼやぼやと、昨日の公園の近くを通ると、昨日笹乃と話をしたベンチの上に、女子高生が一人で座っているのが見えた。
「やあ」
笹乃に近づいて声をかけた柳は、小さく声を漏らして驚いた。
「あ、起きたんだ。 ここにいたら通るかなって思って、待ってたの」
そう可愛らしく言う笹乃のブラウスには赤黒い血痕が無数にこびりついていたからだ。柳は生唾を飲みながらも、だいたいのことを理解し、何も見てないことにした。
「う、うん、僕もキミと少し話がしたいと思ってたところさ」
「あ、また殴っちゃってごめんね。あたし、昔から乱暴でさ……」
しんみりと話す笹乃の声には、意外にも憂いが浮かんでいる。
「いやいや、こちらこそ申し訳ない。彼が犯罪者として、あまりに整っていたからって、ついつい、キミや恵さんがどんな目にあったかも忘れてしまって……」
柳は自分の口調がどことなく言い訳がましくなっているのに内心焦ったが、笹乃の方はあまり気にしていないようだった。
少しの沈黙の後に、不意にぽつりと漏らした。
「いいよ。殴っちゃったの、それが理由じゃないし……」
笹乃は、脇に置いてあった自分のバッグから小さな可愛らしい紙袋を取り出した。
「これ……昨日の夜……何かお礼したいなって思って……さ」
笹乃は顔を真っ赤にして、どことなく息苦しい風で言った。
「あ……ありがとう」
受け取った柳が紙袋を開けると、中にはクッキーが入っている。
「あ、あの、初めて作ったから、おいしくないかもしれないけど……もちろん、ただのお礼だからね……別に、変な意味、無いから……ね」
「いやいや、嬉しいよ。期待して、食べさせてもらうよ」
笑顔の柳を見た笹乃は、耐えられなくなったように俯いて、そのまま動かなくなってしまった。
乱暴な笹乃の焼いてくれたクッキーを、柳はある種の覚悟と、期待を込めて口にいれる。
そして残念ながら、彼の期待は裏切られた。
「ああ、もう。キミは、自分のキャラってもんを理解してない。
腕っ節が強くて気も強いくせに、このクッキーときたら……すごく美味しいじゃないか」
夏の遅い夕暮れは、いつまでも二人の影を消さなかった。