誕生日ケーキと黒い月
本編が重くなってきたので気分転換
「じゃあ明日お前誕生日なわけ?」
昼休み、流れで誕生日の話題になった。
「そう。地央さん9月っすよね?要は学年共に地央さんと同いになるわけっすよ」
俺は椅子の後ろに大仰に体を仰け反らせると、食堂のテーブルの上を顎で示した。
「お、地央、そこのアレ取ってくれ」
ドサクサに紛れてその名を呼びつけにしたドキドキは、多分体温を1度近く上げてるだろう。
が、しかし元先輩に表情のない視線を向けられ、0.5度程体温が下がった。
「……うそです。調子に乗りました」
顔が綺麗な分、無表情が逆に怖い。
すごすごと椅子の背から体を起こすと、ドキドキをよそにおとなしく卵丼を片付けにかかった。
キスを交わす……ってまあ極希にではあるが、そういう仲になっても、元々先輩後輩を引き継いでいるためか、俺の想いの方が確実に強いせいか力関係は変わらない。
いや、ますます弱くなった気がする。
まあハッキリ言ってしまえば地央さんが情にほだされてくれたことで成り立ってる関係だから頭が上がらないのだ。いわば地央さんの情の深さにつけこんでいるという情けなさ。
それでも、どんな形であれ傍に居られるなら構わない。
なんたって数週間前の地央さんのいなかった時を思えば今は毎日がお祭り気分だ。
「なあ」
呼ばれて再び横を見ると、ゴツいフレームの眼鏡の奥から見える目元が優しく下げられた。
ドクンッ。
心臓が跳ねる。
その微笑みは反則だろ、くそうっ。
優しい流し目。
ダブルパンチだ、バカヤロー。
ああ、あのダサい眼鏡が邪魔だ。
地央さんは目の病気のせいで視界の中央が見えない。
曰く「黒い月が真ん中に居座ってる」そうで、黒い満月の外側に残る視野でものを見るため、どうしても流し目になってしまうのだ。
その流し目には俺でも未だ慣れずにドキドキしてしまうわけだから、初対面の人間や地央さんの病状を知らない人間にしてみたら何だって話だろう。
学生がサングラスというわけにいかず、極力不審感を抱かせない為にわざと太いフレームの眼鏡をかけているのだ。
「なんか欲しいもんある?つっても金ないから大したことできないけど」
「いや、そんな……」
だって、ねえ。
あれっすよ。
「欲しいもんは……」
基本的に金なくても大丈夫っつうか、むしろ何もつけずに……。
「ちひ……っ」
「あー、黒川ーっ、ちょうど良かったー!」
俺の言葉は射撃部女部長のデカイ声に遮られた。
丁度よくねえっ!
全くよくねええっ!
「ああ!平林さんだっ!もうっ、たまには部活遊びにきてくださいよお!」
部長の目に、普段とは違う女の色がともる。
いや、肉食獣か?
「俺行っても邪魔になるだけだからなあ」
地央さんは首を押さえて曖昧に笑っている。
「何言ってるんですかあ!平林さん居てくれるだけでテンションあがるんですからあ!」
部長はといえば、今にも地央さんに掴みかかりそうな勢いだ。
「てめ、なんの用だよ」
部長の前に足を出してそれ以上の接近を阻止した。
「ああ、今週末練習試合決まったから、課題ある奴は早めに片付けとけって久我ちゃんが」
「マジで!?頭おかしいだろっ」
土日にまとめて片付けようと思ってたから正直全く手をつけてない。
「じゃあ平林さん。あ、よかったら練習試合、見に来てくださいねえ」
友人を待たせている為だろう、うしろ髪引かれるように体の前で両方の手をフリフリ離れていく。
「うん」
地央さんは立ち去る部長に軽く手を振った。
前年の在学中にはなかった最近の柔らかい雰囲気に、この頃はそれまで遠巻きに見てた奴らが絡んでき始めやがった。
「もてもてっすね」
独占欲と嫉妬心が頭をもたげ、つい嫌味っぽくなる。
「うーん。久しぶりに試合観に行こうかなあ」
ランチをつつきながらもらされた地央さんの言葉に思わず目を剥く。
「はあ!?なんすか?女子にチヤホヤされたいと?」
地央さんは下がった眼鏡を手の甲で押し上げると、優しい表情をくずすことなくそのままその手の人差し指を俺に向けた。
「お前、試合の時カッコイイから見たい」
「……ぐ……」
さらりと出る殺し文句に息がつまった。
寮の部屋のドアがノックされた。
夜11時の訪問なんてそうあるもんでもない。
誰だろうと開けたドアの向こうにはTシャツとジャージ姿の地央さんが立っていた。
うわぁ。
風呂上りだぁ。
火照って朱のさした頬。赤い唇。桜色の肌。
まだ乾ききってない髪からのぼるシャンプーの香りが鼻をくすぐった。
やばい。
眼鏡かけてないから美しさと色っぽさのリミッターが解除されてる。
思わず喉がなった。
「課題進んだ?」
地央さんはドアを支える俺の腕の下をくぐって中に入ると、いつもの場所に腰を下ろし、手に下げてきた白いレジ袋の中からマニアックな種類のペットボトル紅茶を取り出して勝手に飲み始めた。
「ん」
「ども」
差し出されるコーラを受け取り、形を成し始めた股間を見咎められないよう、やや前傾姿勢で窓際の椅子に座った。
「ど、どうしたんすか、珍しい」
目を悪くしてから寝るのが早くなったらしく、いつもならもう寝ている時間だ。
「ん。眠いから起きてらんないと思って」
可愛らしい飾らない笑顔が向けられると、自分が的になって射抜かれた気分だ。
下半身がいよいよ祭りの前夜のように浮き足立ってくる。
「あ、これ、ケーキ的なやつ」
大きく開けられたレジ袋の中にはコンビニのケーキがひとつ。
「え?」
「どーせなら一番に祝いの言葉を送ろうと思って」
少し照れたように視線を泳がせる地央さんがやたら可愛い。
「マジで?」
地央さんの話は前後が飛ぶのでたまにわかりづらいが、要は明日誕生日の俺を一番に祝いたいが、一人だと寝てしまうので部屋に来た、と。
改めて心うちで確認して体温が上がった。真ん中が一層ズクンと熱くなる。
「えーと、あの、それは……」
黒川、誕生日おめでとう。プレゼントもらってくれる?……俺、なんだけど、的な?
うわああぁー!!
助けてえー!!
ヤバすぎるーっ!!
「おい黒川、変なことしたら速攻帰るからな」
鋭い刀がバッサリと袈裟がけに下ろされた。
「ええー……」
「さっさと課題やれよ。俺のことは気にするな」
言いながら勝手にポータブルテレビをつけている。
っくそー。
俺は机の上にセミナーとペンを手にして、ドッカリと地央さんの横に腰を下ろした。
すると、片耳のイヤホンを外して「机でやれよ」と言いながら迷惑そうな視線を向けてくる。
何なの?
デレツン?
「酷いっ!私のテレビだけが目当てなのね!?」
俺の悲痛な声は「はいはい」ととんでもなく軽くあしらわれ、視線は完全にテレビに持って行かれた。
うー。なんか釈然としない。
ん?
なんだかんだで課題に集中していたところ、右肩に感じた重み。
見れば地央さんの頭が乗っかってきていた。
脱力しきった両の手足と小さな寝息に眠ってしまったのだとわかる。
あと数分で日付が変わるわけだけど、これは起こすべきなんだろうか。
いや、でも、これは俺的に非常に嬉しい状態なわけで……。
あ、やばい。なんかドキドキしてきた。
誕生日ってこんな浮つくイベントだったか?
この年齢になるとさすがに誕生日だからって何の感慨もわかないけど、愛する人が――まあ若干押し付けがましいものの、自分を祝おうとしてくれるなんて嬉しくないわけがない。
なんたって今こうしていられるのが奇跡みたいなもんだから。
シャンプーの香りの残る暖かい頭の質感と重さが心地いい。
ああ、起こすのも名残惜しいよなあ。
もうちょっとこのままこうしてたい……。
肩に寄せられる頭を落とさないように、ゆっくりと右腕を上げて支え顔を覗き込む。
改めて間近で見ると、肌理の細かい白い頬にはごく薄いソバカスが散っていた。
手の甲で滑らかな光沢の頬を撫でる。
うーわ、つるすべ。
マジで10代後半男子かっ?
ああーっ、やばいくらい撫で回して頬ずりしたい!
そもそもフェロモン垂れ流しで夜中に人の部屋来ておいて「変なことすんな」って発言は、もう遠まわしで誘ってる。
薄く開けられた、しっとりとした唇。
ううーっ、キスしてえっ!
ベロ突っ込んで中かき回してえええぇー!!
しかしそこは紳士な俺だ。
寝込みを襲うことはできないと、一度きつく目を閉じて五本の指を何度か開け閉めし、なんとか劣情をやりすごす。
息を吐きだし、気持ちを整えて目を開けた。
自由な左手を伸ばして、柔らかい前髪をそっとかきわける。
指先に触れる肌に理性の檻の中からほんの少し本能が逃げ出し、そっと額にキスを落とした。
―――好きだ。
溢れる想いが自分で怖い。
ああ、好きすぎる。
今度は唇に近い頬に、さっきよりも強めに唇を押し当てた。
その時――。
学習机の上のスマホが硬質な音を立てて暴れだす。
静かな中いきなりの音に驚いて、大げさなくらい体が揺れた。
時間は丁度24時。
ちょ、もうっ!多分おめでとうメールだろうけどガタガタうるさい!!!
できるかぎり静かに地央さんの頭をベッドにのせると、慌てて机に飛びついて騒がしいスマホを手にとった。
「……わ、寝てた。え……今何時!?」
急に上がった声にまたビックリする。
「あ、12……時っす」
思わず出た俺の声に、地央さんは視線を送って目を眇めた。
すぐには焦点が合わないらしく、何度かまだ眠そうな目をこする。
「ああーっ!お前、まだメール開けてないだろうな!?」
いきなり指をつきつけられ、大きな声を出されて三度目のビックリ。
「っええ?……ええ、まあ」
「よしっ」
地央さんは捻っていた体をきちんとこちらに向けると、花開くように屈託のない笑顔を浮かべる。
「誕生日おめでとう」
……うう……。
もうね、射抜かれた音が聞こえたよ。
「よし、勝った!」
得意げにクシャリと笑み崩れる。
何だ、この人。
何と戦ってたのかしらないが、俺をどうしようというんだ?
あまりの可愛さに目眩がしそうだ。
「いや、メール送っても一番に届くかわからないから直接が間違いないだろ?っつか、なんでお前起こしてくんないんだよ。焦ったわ。はい、これ、ロウソクないけど」
しつこく手の中で震え続けるスマホを放り出して、ケーキのパッケージを開ける可愛すぎるその人を横から抱きしめた。
「むちゃくちゃ嬉しい」
目を閉じ、華奢な地央さんの体を腕の中に感じながら感動に打ち震えている俺の鼻先に漂う甘ったるい香り。
「はい。口開けて」
口よりまず目を開けると、茶色いチョコレートケーキが大きめの一口分差し出されている。
言われるがままプラスチックのスプーンに乗ったそれを口に入れた。
甘い。
チョコレートの香りが鼻を抜けた。
「美味い?」
横目で覗き込むように聞かれる。
ああ。だからその流し目は反則なんだって。
「……味見、する?」
こみ上げる衝動を止められず、次の瞬間には地央さんの後頭部に手を回して、笑顔の形をとる唇を自分の唇で塞いでいた。
地央さんが両手で押し返そうとするのを無視し、舌を侵入させ、歯をなぞり、その先にある舌に舌を絡める。
「…ん……んん…」
鼻にかかったケーキよりも甘くもれる声。
角度を変えて深く口付けるうちに地央さんの突っぱねようとする力が弱まり、辿たどしく舌先を絡めてくれる。
その反応に一瞬我を忘れそうになり、当然俺のセンターは存在を主張してくるわけだが、今までの経験上、調子に乗って先に進もうとしようものならそこでそれまでの甘い時間に終止符が打たれることはわかっている。
息苦しい程に地央さんの中を貪ってから、吐息とともに、寝起きのぼんやりにつけ込んだ口づけを外した。
「……ケーキの味、どうだった?」
絞りだした声は掠れてる。
地央さんは若干潤んだ目を下げて今度こそ俺の体を押しのけると、かすかな声をあげた。
「……長いから、忘れた」
ああっ、もうっ!!ちくしょー!
ケーキを塗りつけて舐め回したいっ!!
地央さんは視線をそらしたまま照れ隠しの仏頂面を作ってケーキを押し付けてきた。
「とりあえず食えよ」
「うん。はい、あーん」
受け取ったケーキをすくい、地央さんの口元に持っていく。
やっとこっちを見てくれた。
「味、わかんなかったんでしょ?」
少し意地悪目にいってやると、耳まで赤くして俺の手首を掴み、噛み付くようにその先のケーキを口に入れた。
甘いものが得意ではない地央さんは、その激甘さを舌に感じたらしく眉をさげてなかなか嚥下しない。
ああ、やっぱ可愛い。
俺の誕生日だからってので地央さんがかなり譲歩してくれているのがわかる。
だから俺も少し調子に乗ってみよう。
俺は地央さんの口元を指さすと、
「プレゼント、そのケーキでいいや」
言って、その愛しい人に再び口づけた。