第八話「火がもたらす涙」
「まだ……着かないのか?」
俺は重くなった足に心の鞭を打って、なんとか歩いていた。朝起きて今まで歩き続け、かれこれ五時間くらい歩いただろうか。筋力の労働以外は全くしていなかった体に、長時間の運動は負担が大きい。
少し先をスタスタと歩いているパレスが口を開いた。
「そう弱音を吐くな。もうすぐだろうから……ほら、見えたぞ」
そう言った直後、パレスがぴたりと制止した。俺は待ってましたとばかりにそこへ飛び出す。
パレスの隣に立って前方に目を凝らした。すると、草木の間から見える大草原の中に、ぽつりと一つ人工的な物が立っているのが見えた。その瞬間、付いていた重りから解放されたように足が軽くなった。希望に胸を膨らませながら、走りだす。と、
「止まれ!!」
パレスの声が聞こえたのは俺が走りだした直後。
「へ?」
急停止して振り返る。と、頬に微かな痛みが走った。
「いつっ!」
その痛みを感じた場所を手で撫でる。掌を見ると、それは血で赤く染まっていた。どこからか舌打ちの音が聞こえてくる。
「血?」「……ヤバい」
俺が呟いた直後、パレスが俺の手を引っ張って走りだした。
訳が分からず振り返る。突如森の暗闇から矢が飛んできて、俺のすぐ横の木に突き刺さった。
「ひっ!」「早く!!」
パレスが俺の手を強く引っ張る。視線を前方に戻すと、パレスが必死に走っていた。
「……分かったよ!!」
俺は掴まれていた手を振りほどき、森の出口へスピードを上げた。
耳にヒュン、ヒュンという音が伝わってくる。音の数からして相手は複数だ。
森を抜けて少し進んだ所でパレスが止まった。少し遅れて停止し、後方に目を向ける。
まだ矢は飛んできていた。しかし、射程圏内はもう抜けている。飛んでくる矢は俺達の目前にある地面へ突き刺さるばかり。
俺は背中から剣を、パレスは腰から短剣を抜き、臨戦体勢を取る。
その後矢の雨は止み、代わりに茂みの中から武装した人間が三人出てきた。
「いつから追ってきたんだコイツら……」
多分あの牢獄で見つからなかった衛兵が幹部か何かに命令されて追ってきたのだろう。しかし、武器は矢を高速で放つ銃器ボウガンが二人に剣一人とチームを組むにはうってつけな編成だ。それほど俺達のことは危険だと思ったのだろうか。
パレスが地面を強く蹴ってボウガンを持っている衛兵に突っ込んだ。短剣を構え、兜と鎧の隙間へ突きを放つ。言葉に表しにくい声を上げて、その衛兵はボウガンを地面に落とした。
俺も負けじともう一人のボウガンを持った衛兵へ走り込む。その衛兵は矢が込められたボウガンを俺に向け、引き金を引いた。すぐさま右にステップを踏んでかわす。反射神経だけはいいらしい。
ジャンプして、右足で胸に蹴りを入れると、衛兵は前方に大きく吹っ飛んだ。着地後、倒れた衛兵に素早く飛び付き、馬乗りになって剣を振り上げ、それを見つめる。
……それは、とても悲しそうな目をしていた。純粋に恐怖を覚えている。それは今まで人を襲おうとしていた者の目ではない気もした。
それを見ると、剣を振り下ろす気にはなれなかった。自分が罪人だとすら思えてくる。殺さないでいい人間を殺そうとしている、そう感じた。
――瞬間、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「タクト!!」
咄嗟にそちらを向く。しかし、視界は覆われていた、仲間の背中に。
その奥では、衛兵が剣を振り上げていた――。
鈍い音と共に鮮血が飛散する。俺と、仲間と、衛兵の体を赤く染めた。
「パレ……ス……?」
ゆっくりと、儚く、それでいて美しく……命が消えていくように地面へと崩れ落ちる。
嫌……嫌だ……なんで俺から仲間を奪うんだ……俺が悪いからか……? なら俺を殺せばいいじゃないか。なんで仲間を……
ふと我に帰った。何気なく視線を上に向ける。
赤く染まった剣を振り上げる衛兵がそこにいた。咄嗟に横へ転がって避ける。その勢いのまま立ち上がって剣を構えなおした。
そうだ。今は生きなきゃいけない。コイツらを倒して、絶対!!
と、辺りが急に静かになった。そして体が急激に重くなったように、動きが遅くなる。この感覚は、あの牢獄でも感じたことがある。
――君の願いはなんだ?――
この質問は前にも聞いたことがある。そう、あの扉の前で。あの時は唐突で少し悩んだ。しかし今回ははっきりしている。悩む必要はない。
「――生きたい。仲間と共に――」
――そうか。ならば私の指示に従え。君がその願いを叶えたいならばな――
まるで決められた台詞を坦々と流しているような会話。しかしこの会話にはとてつもない意味がある、そう感じた。
「――ああ、従う――」
もう迷わない。何がなんでも生きるんだ。それしか今できることはない。
――前方に掌をかざせ――
右手をかざす為、剣を鞘に直そうとすると、案外簡単に手は動いた。先ほどと何が違うのか、俺にはよく分からない。
剣を鞘に直し、そのまま手を開いて前方に突き出した。
――手に魔力を込めろ。扉を開けたあの時のように――
少し考えて感覚を思い出させる。左手で右腕を掴ませ、掌全体にまんべんなく力を込める。
――目を閉じて、それを掌の前方に流すんだ。丁寧に、力強く――
ここからは手探りだ。掌の力を押し出すようにして、掌の前方に丸く溜めるような感覚。
――そう、それでいい。あとはそれを飛ばすだけだ。では健闘を祈る――
瞬間、辺りの空気が軽くなった。またしても俺が質問する前に声は消えたのだ。しかし戸惑う必要はない。あの声は、俺に不可能なことなどさせない。
衛兵が迫ってくる。俺はまた目を閉じ、腕に力を入れ直した。
大丈夫……俺ならできる……
先程の感覚を思い出しながら、力を掌を前方に流し込み続ける。
少しそれを続けると、体から掌の前方への道筋が出来たのか、力が滑らかに流れるようになった。ここぞとばかりに力を込める。
できる……俺なら……
力を入れていると徐々に掌へ反発する圧力がかかってくる。これが魔力の性質なのだろうか。それと同時に掌が熱くなっていく。まるで火に手を近づけているかのように。
集中しろ……不可能じゃないんだ……
遂に掌へかかる圧力で、腕が震えだした。力を溜めるにはこれが限界だ。力を留めながら衛兵の足音に集中する。
後七歩……五歩……二歩……一歩――。
目をカッと見開く。頭に浮かんだ文字をそのまま叫んだ。
「万物をも溶かせし炎よ、力を我が手に。――『ファイア』!!」
掌の前方では紅い球体が浮いていた。それが高速で二人の衛兵に衝突した。直後辺りに爆音が轟く。その球体が衛兵に衝突して爆発したのだ。
やった……のか?
足から力が抜け、膝をつく。二つの炎上している人影を見ると、出したくもないのに涙が出てきた。
俺は、数分間涙を溢しながらそれを見つめた。