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また明日

作者: 神井
掲載日:2026/07/18


 赤茶けた平原がどこまでも続いていた。

 吹き荒れる砂塵が、鉄錆色に染まった地表をなでている。

 視界を覆うのはどこまでも続く朱色の荒野と、その先で不気味なほどに小さく瞬く二つの月だけだ。

 そして、赤い砂の吹き溜まりに、それは埋もれていた。

「あっ……何あれ!」

 岩陰に半ば埋もれていたそれへ、少年は何歩も近寄ることなく手を伸ばした。指先が届く。

「これ箱かな……なんだろ」


「お父さん、見て。面白いものを見つけたよ」

 持ち帰ったそれを家へ見せると、母は冷ややかな目で通り過ぎた。

「そんな、正体不明のゴミを拾ってくるなんて。今日の砂嵐は西からだったわよね。ちゃんと除塵フィールドは通ったの?」

「通ったよ」

「そう、ならいいけど……」

 母親は息子の頬を凝視した。

「耳まで赤くなってるじゃない。

 今日の紫外線指数はいくつだったの?」

「7だよ」

「だから言ったでしょ。正午は外に出ちゃだめって」

 兄弟たちは少年が持ち帰ってきたものを見て口々に笑う。

「またガラクタ拾ってきたのかよお前」

「でもまだ動くかもしれないし……」

「動くわけないだろ、こんなオンボロ!」


 しかし、父だけは違った。

 息子の前に屈み込み、真剣な表情でその金属の塊に触れた。父の双眸が光を反射し、虹彩の奥で幾何学的な輪紋が静かに渦巻く。

「……これは、多分……空の向こうからやって来たものだ」

 父は専用の端子を接続し、内部の腐食した回路をナノマシンで繋ぎ直した。何万年もの時を超えて、かすかな電子の鼓動が蘇る。起動したモニターに、古びた文字が浮かび上がった。

『Opportunity NASA Mars Exploration Rover』

「約二十万年前の文明だ」と父は解析結果を見て呟く。

「……だが、彼らはもういない」

「なぜ?」

「わからない。記録がないんだ」

 父はさらに深く解析を進め、探査機の保存領域から破損した画像ファイルを復元した。モニターに映し出されたのは、広大な宇宙の暗闇にポツンと浮かぶ、透き通るような青い球体だった。

「わあ……。綺麗な星だね」

 少年が感嘆の声を漏らす。

 父は画面を見つめ、静かに答えた。

「ああ。……こいつの故郷だよ」

 探査機は、関節の隙間に詰まった砂を振り落とすようにして、震える音を立てながら車輪を回した。何万年ぶりかにカメラがせり上がり、地平線からゆっくりと空へ向けてレンズを固定する。それは、ただひたすらに、遠い故郷の空を見つめる動作だった。まるで主人の帰りを待つ忠犬のような——。

『通信先:EARTH

 送信開始

 SOL 5499

 任務継続。

 異常なし。

 火星探査を継続中。

 帰還を待っています』

 父が翻訳機を操作し、その信号を少年にもわかる言葉へ変換して表示させる。

「……もう誰も受け取らないのに」

 少年は悲しげに言った。

「受け取る者がもういなくとも、約束を守り続ける者がいる」

 父は静かに応えた。

 画面のログには、探査機が最後に受信したメッセージが残されていた。

『See you tomorrow』

「どういう意味?」と少年が尋ねる。

 父は翻訳機のログを見つめ、静かに答えた。

「『また明日』……そう書かれている」

 その「明日」は永遠に来なかった。

 父は修理用のアームを操作し、探査機に語りかけた。

「君は、何と返信したい?」

 機械に心はない。

 だが、探査機はタイミングを見計らったように、再び空へ向けてメッセージを発信した。

『送信開始

 SOL 5499

 画像送信

 気象データ送信

 送信終了』

「……そうか」

 もう誰もいない、故郷の青い星へ向けて、その意志はただ繰り返される。父は深く息を吐き、探査機の送信ログに、最後に一行だけメッセージを追記した。

『送信先:EARTH

 あなた方の使者は、最後まで任務を果たしました』

 外では、二つの月が交互に空を横切っていた。沈みゆく太陽に照らされ、二人の肌が淡い緑色に輝く。

 その後、火星ではこんな昔話が語られるようになった。

 青い星には、「帰還」の概念を持つ種族がいた。

 そして、その使者は主人が滅びても、最後まで帰らなかった。




 fin.

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