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事故物件ファイル04:マンション1階庭付きワンルームの恐怖 幻魔怪奇な物語に魅せられた美青年の自殺、そして女の子の失踪事件 凄惨な「解剖実験室」から明かされた冤罪事件とは!? 濡衣塚

作者: 大濠泉
掲載日:2026/03/19

★本作品には図面が挿入されています。

 が、表示されない場合があります。

 そのときは右上の回る矢印マーク(リフレッシュ/更新マーク)を押すか、再度、この画面に入り直すと表示されます。運営には問い合わせ中です。

◆1


 今、私、神原沙月(かみはらさつき)が目の前にしているマンションは、赤いレンガで外壁を覆った、格調高い、有名ブランドのマンションだ。

 十階建てのオートロック付きで、セキュリティーもしっかりしている。


「これが事故物件なんですか?

 まったく、そう見えませんが」


 私は事故物件を専門的に扱う「竜胆不動産」のスタッフである。

 セミロングの髪を後ろで束ね、ベージュのスーツを着込んで、物件の内見に訪れていた。

 そんな私の問いかけに、隣に立つ竜胆光太郎社長が、水色スーツの襟を正しながら答えた。


「マンション一棟ってわけじゃない。

 この建物の中の一室だからね」


 竜胆社長は目前のマンションを上から下まで眺め渡し、殊の外、嬉しそうだ。

 私もちょっと興奮気味に相槌(あいづち)を打った。


「たしかに、ここら辺の物件を安く手に入れられれば、かなりの収益が見込めますよね!」


 地価が高い場所で、しかも築浅マンションだ。

 地下鉄駅も近いし、天神にも博多にも近い好立地。

 近所を歩いてみたら、市民体育館や福岡県庁、福岡県議会の建物があったりする。

 それらの手前にあるTH公園も緑豊かだ。


「こんな好立地で、事故物件になったんだ。

 お買い得だろ?」


「どうして事故物件に?」


 と私が尋ねると、美顔の青年社長は、片目でウインクしながら答えた。


「あまり知られていないオフレコ情報らしいんだけど、一週間ほど前に、この部屋の住人だった青年が、睡眠薬を大量に飲んで自殺したんだそうだ。

 典型的な、曰く付き物件ってヤツだ」

 

 笑顔を見せながら口にする内容ではないと思う。

 竜胆社長は、美青年ながら、ちょっと常人とは異なるセンスの持主らしい。

 でも、この事故物件が、転売業者にとって、特に美味しい物件なのは事実だ。


 仲介した大手不動産会社に勤める古賀渚さん(竜胆社長とは古い付き合い)は、マンションのオートロックと、物件のドアを開けるための鍵を渡す際に、言っていた。


「事務所には最適の立地だと思う。

 県関係の施設は多いし、立地も抜群。

 地下鉄空港線の駅からすぐ近くで、値段も手頃だし、初めて会社を起こす人にとっては、良い物件じゃないかな。

 この広さで、この値段は、本来だったら、とてもじゃないけど買えないわよ」


 と得意そうに胸を張って、この物件をお勧めしていた。


 間取り図を見る。


挿絵(By みてみん)

★〈図面表示があります。もし図面が表示されていない場合は、右上の回る矢印マーク(リフレッシュ/更新マーク)を押すか、再度、この画面に入り直すと表示されます。運営には問い合わせ中です〉

◇◇◇


「たしかに、これなら期待できますね。

 かなり広いうえに、一階だから庭付きだし」


 私もウキウキしてきた。

 私はインテリアコーディネーターとして、リフォームデザインを担当している。

 こうした都会にある広めのワンルームを手がけてみたかったのだ。


 鍵でオートロックを外し、長身の竜胆社長がマンションの中に入る。

 私もそれに続いた。


 エントランスに入った。

 そこから右奥に進むと、エレベーターがある。


 だが、私たちは今回、エレベーターに用はない。

 目的の物件は一階にあるからだ。


 ロッカーを右目に、そのまま廊下を真っ直ぐ進むと、横に管理人室があった。

 が、管理人はいないようだ。

『清掃中』との札がかかっている。


 竜胆社長は柔らかな髪を片手で掻き分けてから、前方を指さした。


「不動産会社から玄関の鍵はもらってるから、直接、部屋に向かおう」


 その部屋は101号室。

 管理人室の前を通った突き当たりにあり、一階にある部屋はここだけ。

 あとは駐車場になっている。

 それゆえ、一室だけが他の部屋とはかけ離れた存在だった。


 私は、浮かれた調子が一気に冷めるのを感じた。


(使いようによっては良いのかもしれないけど……。

 なんだか、このマンションで余っちゃった空間ーーというか、物置みたい。

 無理に部屋を作ったって感じね……)


 さらに私は異変を察知した。

 緑の絨毯が敷かれた廊下を進むにつれ、物凄い悪臭が漂ってきたのだ。

 目的の101号室に近づくほど、臭いがキツくなる。


「何の臭いでしょう?」


 と問いかけたが、竜胆社長は何も答えず、即座に目的物件の玄関ドアに鍵を差し込んで、押し開けた。


 その途端ーー。


 めまいがするほどの強烈な臭いが、部屋の中から押し出されてきた。


「なに、これ、鼻につく!

 すえた臭いってやつ!?」


 私は思わず鼻をつまむ。

 腐敗臭だ。


 しかも、昼だというのに、部屋の中が真っ暗だ。


 パチ! とスイッチを入れる音がする。

 玄関脇にあるスイッチを、竜胆社長が押したようだ。

 だが、視界が明るくなることはなかった。


電灯(あかり)がつかないな。

 電気は通ってるはずなのに。

 ショートでもしてるのか。

 仕方ないなぁ」


 竜胆社長は右肩に()げるショルダーバックから、懐中電灯を取り出して()ける。

 そして、もう一本の懐中電灯を、私にも渡した。


「随分と用意が良いですね」


 私、神原が頭を下げて懐中電灯を手に取ると、美形の青年社長は軽く手を振った。


「備えあれば憂いなし、ってね。

 まあ、今はこのまま手探りで進んで、奥の窓を開けて、日の光を入れるしかないな」


 私たちは一緒に靴を脱いで、携帯スリッパに履き替えて、部屋に上がる。


 真っ暗な中、懐中電灯で周囲を照らしつつ、部屋の中へ入っていく。


 玄関から入って、すぐ左手のドアを開けると、お手洗い+洗面所があった。

 電灯で照らして中を見ると、洗面所と便器が並んでいる。

 私は間取り図を手に、声を出す。


「あれ?

 バスルームがなくなってますよ?」


 元々はユニットバスであった名残りなのか、間取り図では、このトイレ+洗面所の部屋から、バスルームに入るようになっていた。

 押し開き扉があって、バスルームに入れるはず。

 だけど、扉がなく、普通の壁になってる。


 竜胆社長は壁を見据えながら、暗がりの中で推測する。


「これだけ広いのに、ユニットバスみたいな形状なのが嫌だったんだろうね。

 きっと改修したんだ。

 バスルームには別の出入口があるってことさ」


 すぐさま私たちは、トイレ+洗面所の部屋から出る。


 それからさらに部屋の奥に向けて電灯を照らすと、玄関からすぐの位置に、引き戸が二つあった。

 まずはトイレの反対側ーー玄関を入ってすぐ右手の側に、引き戸が一つある。

 だがしかし、開けようにも、鍵がかかっていた。


 手にした間取り図に電灯を当てながら、私は(つぶや)く。


「この向こうにはキッチンがあるだけでしょう?

 だったら、とりあえず今は確認しなくても良いんじゃないですか?」


 キッチンルームの形状は、間取り図とさして変わらないようだ。

 社長も目を細めて同意する。


「ま、良いか。

 明かりもない今は、後回しで。

 問題は、玄関の真正面の引き戸だ」


 磨りガラスの引き戸。

 こちらにも鍵が掛かっている。

 引き戸に手をかけながら、社長は首を(かし)げる。


「間取り図での位置でいえば、バスルームってことになるんだろうけどーー。

 いくら何でも広すぎるよな」


 これも鍵がないから、今は開けられない。

 だが、いったい何の部屋になっているのだろうか。

 巨大なスペースが取られているようだ。

 おかげで玄関から入ってすぐに、壁に立ち塞がれているような格好になっている。

 

「なんで?

 こんなの間取り図にはない」


 本来なら、広いリビングが一つあるだけのはず。


「とりあえず、この壁の向こうは無視して、鍵がなくとも行けるところをドンドン奥へ向かって進もう。

 窓がある突き当たりまで」


 気を取り直して、私たちは懐中電灯を手に進む。


 幸い、玄関からすぐのところ、フロア辺りは綺麗だった。

 壁際に大きいクローゼットが一つ。

 開けてみると、ハンガーには綺麗なジャージや様々な色をしたパーカー、ジーンズなどが並んでいる。

 いかにも服装にルーズな金持ちのボンボンが、外出用にしている服があった。


 そこから少し曲がって、壁伝いに奥へと進み、簡易レールで区切られただけのリビングへと入って行く。


 ところがーー。


 暗いから、何があるかは、ハッキリとはわからない。

 だが、足の踏み場がないほどに、残置物がたくさんあることだけはわかった。

 大きいものから、足に触れる、柔らかく小さなものまで、まさに、めちゃくちゃ。

 そして、鼻がひん曲がるほどの腐敗臭が感じられた。


 竜胆社長はショルダーバックから、今度はゴミ袋を何枚も取り出す。


「またも、用意が良いですね。

 目に付いたゴミは、入れろってことですね」


 半ば呆れたように私が言うと、社長は照れたように頭を掻く。


「いやあ、仲介業者づてで、あらかじめ売主さんから言われてたんだ。


『残置物があるから、捨てておいてくれ』って。


 でも、これほどの残置物ーーゴミがあるとは思わなかった。

 現況優先で買い取ってくれという話だったけど、ひどいよね。

 知り合いの清掃業者を呼んだ方が良いかも。

 片付けるだけでも何十万円もかかるのかもしれない」


 それくらいの汚部屋ぶりだった。


 ガサ、ゴソ。

 ガサガサ。


 足下から、様々な音がする。


 床方面を電灯で照らすと、多種多様なゴミが散見された。


 空になったコンビニ弁当。

 インスタントラーメンのカップ。

 甘味が入ったアルコール飲料の缶。

 そして、ネバネバした腐った汁ーー。


 何かの残り物や食べカスを踏んづけた感触が、スリッパ越しに、足の裏に感じられる。


 思わず鼻をつまむ。

 強烈な異臭ーー腐った臭いが、部屋中に蔓延(まんえん)していた。


「痛ッ!」


 中途半端に開けられた缶詰が捨ててあって、缶切りで切られた蓋のギザギザになった部分が足に触れてしまった。


 様々なゴミが散乱していて、文字通り、足の踏み場がない。

 暗くなくとも、物理的に床が見えない状況だった。


 私は胸の動悸を感じた。


「あまりの汚部屋っぷりに目を奪われてましたがーー。

 これ、普通のワンルームの間取りじゃないですよ。

 鍵のかかった部屋もあるし」


 不動産会社から手渡された間取り図では、ワンルームの割にはリビングだけで約二十四帖、43・77平米と広いものの、ごく普通のデザインだった。


 ところが、今、莫大なゴミに埋もれる状態ながら、目にしている、この部屋の間取りは、何だかおかしい。

 玄関前のスペースを除けば、奥のリビングがかなり狭い、屈折したスペースに限られており、十二帖の半分、約六帖、11平米だけになっていた。


 そして、住居スペースの左側の壁の向こう、磨りガラスの引き戸の向こうにも部屋があるらしい。

 トイレのすぐ隣にバスルームがあったはずだから、その広さも加えると、おそらくは約十四帖分、25・5平米もある。

 そうなると、浴槽を取り替えて拡張しているに違いない。

 だとしたら、図示すれば、こんな感じか。


挿絵(By みてみん)

★〈図面表示があります。もし図面が表示されていない場合は、右上の回る矢印マーク(リフレッシュ/更新マーク)を押すか、再度、この画面に入り直すと表示されます。運営には問い合わせ中です〉

◇◇◇


 今現在の間取りでは、最も広いスペースがバスルームということになる。


「こりゃあ、住居スペースを削って、限界までバスルームを広くしたんだろうな。

 なぜだか知らないけど」


 暗がりの最中で、あれこれ考察する社長に対し、私は気持ち悪くなって、


「こんな所、早く出ましょうよ!」


 と根を上げた。

 だが、青年社長は威勢良く声を張り上げるばかり。


「泣き言を言っちゃいけない。

 普通じゃないから、ウチに回って来たんだろ?」と。


 こんな汚くて、狭い空間で生活していたヒトは、いったいどんな人物なのか。

 私は、自殺したという、この部屋の住人について、思いを馳せた。


 私は素朴な疑問を口にした。


「でも、やっぱり、おかしいですよ。

 ここが事故物件っていうのなら、こんな状態で放置って、あり得ます?

 薬で自殺ってことですけど、警察とか、最低、救急車のヒトとかが、この部屋に来たはずですよね?」


 竜胆社長は頭を掻く。


「じつは、この物件、所有者は住人だった青年・上原大輝じゃない。

 その青年のお父さん、上原憲一さんだ」


「つまり、父親が息子に、この部屋を貸していたっていうことですね。

 じゃあ、自殺した息子さんの第一発見者は、そのお父さんなんですか?」


「たぶん。

 でも、だからといって、この部屋がこのありさまーー手付かずの汚部屋であるってことの説明にはならないな。

 ーーうん。良い指摘だ。

 だけど、今はとりあえず、我々がこれから購入するであろう事故物件の現況確認を優先しよう。

 それと、鍵のかかっている内部屋があることを、不動産会社に連絡しないとな」


「そうですね。

 不動産会社の古賀さんが直接、私達に鍵を渡しているから現場は知らないんですものね。

 古賀さん、この状況を見たら卒倒しますよ」


「まぁ、訳ありの物件には良くあることだよ。

 だからこそ、安く買えるのさ」


 気を取り直して、私は(うずたか)く積もったゴミの山を掻き分けて、薄明かりの方へ進もうとした。

 ところが、すぐさま足止めする事態となった。

 ゴミ山のど真ん中に、布団が敷かれていたのだ。

 現況保存のためにも、少し迂回して進む。


 それにしても、何を考えて、こんなところに布団を敷いているのか、疑問だらけだ。

 ほんとにこんなゴミの中で毎日、寝ていたのだろうか?

 理解に苦しむ状況に、頭が混乱していく。


 気色の悪い空間だった。

 口の中にまで、腐った、カビ臭い空気が入り込んで、喉や肺に浸透する。


 それでも、私は腹を(くく)った。

 ダンダンと足を踏み鳴らして、奥へと進む。

 ひたすら窓のある場所に向かって。


 リビングから開く窓は一つだけだった。

 換気し得るのは、この大きな窓からだけ。

 けれども、なぜか窓は大きなベニヤ板で覆われていた。


「ったく、これだから暗いんだ。

 陽の光さえ入ればーー」


 竜胆社長は前へ進むと、両手を広げて板の両側面を掴み、ガタゴトと音を立てる。

 大窓にふさがっている板を取り外して、横へとズラした。


 が、案に反して、それでも陽光が、充分に差し込むことはなかった。

 部屋の中は相変わらず薄暗かった。

 隣接する商業ビルのせいで、日光はほとんど入ってこない。

 風通しも悪かった。


 社長は窓を開け、そのままベランダに出る。

 そして、すぐ外に(そび)えるビルを睨みつける。


「隣のビルの裏面ってやつか。

 まあ、窓がない、壁だけみたいなものだから、プライベートが覗かれる心配はないか。

 それなのに、板で部屋を覆うとは、どういう了見だ?」


 ちょっと斜め横を振り返って、隣の、鍵に閉ざされた大部屋の窓を覗き込む。

 が、暗くて、中が良く見えない。

 懐中電灯の灯りもガラスが跳ね返す。

 窓は内側から鍵がかけられていた。


「窓を蹴破って中に入ることもできるがーー。

 まあ、売主から鍵をもらうか、扉を壊す許可をもらうなどして、出直す方が無難か」


 竜胆社長は、隣の大部屋に入るのは諦めたようだ。

 私も社長の背中に辿り着き、バルコニーへ出る。


 バルコニーの端には、幾つもの大きな黒いゴミ袋が置いてあって、その周りを蝿がたかっていた。

 飛び切り臭い、異臭の発生源のようだ。

 それでも、ゴミ袋を縛った結び目は固い。

 匂いはビニール越しに漏れ出ているようだった。


 中を見るために、仕方なく、竜胆社長は屈んで、ゴミ袋を破く。

 すると、そこから、たくさんの生肉らしきものが溢れ出てきた。


「うわっ、汚いなあ。

 変な病気になったら、どうしてくれる!?」


 美青年社長は濡れた手をパッパッと振って、水飛沫を飛ばす。

 黒いゴミ袋の中は、謎の液体で満たされていて、鳥の胸肉らしき生肉がそこに浸されていたようだ。


 私も庭先に歩を進めてしゃがむ。

 ベランダを出た先、庭の部分には、不恰好な箱が十個以上置いてあった。

 中にはガムやら弁当の食べカスが、腐った肉や皮らしきものと一緒に詰め込まれていた。

 思わず、鼻をつまむ。


「なんで、こんなところに生ゴミを捨ててるんですかね!?」


 胃液が喉元まで込み上げるような気持ち悪さだった。


 庭にあったのは、それだけではなかった。

 ごく狭い、畳十帖ほどの広さの庭を見渡すと、異様に盛り上がった盛り土が無数にあり、その近くには腐葉土を詰めた袋や、青いバケツが幾つも置かれていた。


 竜胆社長は、それらを眺め渡して慨嘆した。


「掘り返そうにも、今はスコップもないからね。

 庭は後回しってことで。

 とはいえ、僕らがやることに変わりはない。

 臭くってたまらない部屋だけど、僕らは、これらのゴミを片付けて、部屋をリフォームして綺麗にして、新たな住人に住んでもらう。

 やることはそれだけだ」


 確認作業を続行するため、私たちは元いたリビングに引き戻る。

 そして二人で残置物をベランダへと掻き出していく。

 用意していたゴミ袋にゴミを放り込んで、ベランダへと集めていく。


「ゲホゲホ……」と、二人して咳き込む。

 これ以上、片付け作業するには、マスクが必要だった。


 ゴミを取り上げるだけで、青いカビが混じった空気が舞い上がる。

 涙が溢れ、目がしばしばして仕方がない。


 そんなとき、小さなサンダルが見つかった。


「これ、どこにあったんですか?」


 と私が問うと、社長は額の汗を手で(ぬぐ)いつつ答えた。


「ベランダの下だよ。

 まるで隠すように置いてあった」


「でも、変ですよ。

 これ、小さくて赤い。

 どうみても、小さな女の子用です」


「うん。

 独身男性の部屋だよな、ココは。

 ってことはーー?」


 またもや、事件性が濃厚な物件なのか?

 社長と私は互いに顔を見合わせた。


 私と社長はリビングに戻り、ゴミで散乱した部屋を見回した。


 社長は住人の寝床の辺りを探っていた。

 せんべい布団と薄汚れた枕が、形ばかり残っていた。

 枕の下から少しはみ出していた、灰色の手帖があった。

 社長はそれを手に取った。


 私も何か見つけようと、足でゴミを掻き分けた。

 薄暗い中、革製の真新しい赤い物が目についた。

 私はそれを引っ張りあげた。


「何ですか、これ?

 犬の首輪でしょうか?」


「さあねえ……」


 社長はこっちを見ずに、手帖をパラパラめくって、顔を(しか)めている。


 手帖には、大量の写真が挟まれてあったようだ。

 可愛い顔をした、犬や猫が写っている。

 みな、首輪が嵌められていた。


 私は赤い首輪を社長に手渡しながら、問いかける。


「この首輪もペットのためでしょうね。

 布団が敷いてあるところにあったってことは、室内で飼っていたみたいです。

 ちなみに、この汚部屋の住人は、この布団の上で亡くなったんでしょうか?」


 竜胆社長は手帖をポッケに仕舞うと、首輪を受け取りながら、首を横に振った。


「いや、バスルームって聞いてる。

 バスタブの中で、眠るようにーーと」


「だから、警察も救急隊員も、ここには踏み込んでいないってことですかね?」


「いや、さすがに、この現場を目にしたら、放っておかないと思うけどーー。

 とにかく、今、鍵が掛かっているバスルームの確認が、より重要になったみたいだ」


「亡くなった場所がバスルーム。

 そこに鍵がかけてある。

 何か隠したい事があるんでしょうか? 

 怖いけど、気になります」


 竜胆光太郎社長は首輪に腕を突っ込んで、クルクル回しながら言った。


「ちょっと、外へ出ようか。

 たしかにこれ以上、ここに居たら、気が滅入る。

 それとホームセンターに行って電気のプラグや電球、そして特殊清掃用の防護服や消毒薬など、必要なものを買って出直そう。

 電灯で照らされていないと現状の確認が良くできない。

 それに、リビングですら、あれほどのゴミがあるんだ。

 鍵が掛けられた区域には、何があるか、わかったもんじゃない。

 鍵で閉じられてることもあるし、古賀さんに連絡しないと」


◆2


 竜胆社長と私は、事故物件があるマンションから外に出て、スーツに付いた(ホコリ)や汚れを手で払い、近辺を歩いた。


 旧K街道沿いに、I寺という寺院がある。

 そのお寺の境内に入って進み、ひとつのお墓に向けて手を合わす。


「どなたのお墓ですか?」


 社長に率いられてやって来たが、私は手を合わす相手のことも知らない。

 すると竜胆社長は、少々驚いたように目を見開く。


夢野久作(ゆめのきゅうさく)っていう作家。

 知らない?

『ドグラ・マグラ』っていう『日本一幻魔怪奇の本格探偵小説』ってのがあってね。

『この本を読んだら、一度は精神に異常をきたす』って(うた)われた奇書なんだけど」


「なに、それ?

 怖いです。

 呪いの本ですか?」


「ははは。

 煽りまくった宣伝文句でしょ?

 だけど、実際、変わった推理小説というか、ホラー小説で、面白いよ。

 閉鎖的な空間で、精神を病んだ主人公が自分探しを強要されることからスタートするんだけど、隣室には自分のことを『お兄様』と呼んで慕ってくる女性がいるし、細胞やら胎児やらが原因でいろいろとあってーーという、どう説明しても、何言ってんだかわからない作品。

 僕のおばあちゃんが、こういうのが好きでさ。

 子供には刺激が強すぎる女性のエロい表紙絵が描かれた文庫本を僕にくれたんだけどーーうん、読んでみても理解不能で、とにかくまったく推理小説には見えなかった。

 で、そういう変な作品を書いた人のお墓なんだよ、これ。

 今回の事故物件のご近所さんにあったから、せっかくだから、一度はお参りしようと思って」


「あの部屋を見た後に、なんか、キツイです。

 精神を病むような重い話はーー」


「でもね、沙月さん。

 なんの因果か、この人の作品が、今回の事故物件の原因になった自殺者に関わってるんだと、僕、気付いちゃったんだよね。

 亡くなった住人ーー上原大輝の手記に、この作品の文章が引用されてたんだよ」


「本当ですか? 

 そんな確率あります? 

 偶然ですよね。

 怖いです。

 目に見えない力が働いているとか?」


「なあに、そんなにオカルトなことでもないさ。

 おそらく、大輝くんは、自分が住んでいるところの近くに、この作家の墓があるのを知って、それから代表作を読んでみて、気に入ったんだろう」


 竜胆社長の読書法は変わっていて、頁をパラパラめくるだけで、頁単位で記憶して、後で頭の中で文章に起こすのだそうで、とにかく記憶力が抜群に良い。


 私は怖さ半分、好奇心半分で尋ねた。


「ちなみに、どんな文章なんです?」と。


 竜胆光太郎社長曰くーー。


「そうだね。まずは冒頭歌ってやつ。


『胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって 恐ろしいのか』。


 他にもあるよ。

 目に付いたのを取り上げるとーー。


『……私は親を呪い、恋人を呪い、最後に見ず識らずの男女数名の生命までも奪うべく運命づけられた、稀有の狂青年であったのか…………』とか、


『……おれはまだ母親の胎内にいるのだ。

 こんな恐ろしい『胎児の夢』を見てもがき苦しんでいるのだ……。

 ……そうしてこれから生まれ出ると同時に大勢の人を片ッ端から呪い殺そうとしているのだ……。

 ……しかしまだ誰も、そんなことは知らないのだ……』とか」


「なんだか、おどろおどろしいですね」


「ほんと、ね。

 さっそく、彼の遺書ともいえる手記に書いてあった内容を、語って聞かせよう。

 今回の、異様な事故物件を上手くリフォームする着想を得られるかもしれない」


 竜胆社長は境内にあったベンチに腰掛け、私にも隣に座るよう、促した。

 そして、再度、自殺者が遺した灰色の手帖の頁をパラパラとめくってから、パタンと閉じ、膝の上に乗せた。


◇◇◇


 それは正確な記録というよりも、多分に創作めいた、雑感の殴り書きであった。

 101号室の住人・上原大輝(享年27)の手記だというのに、出だしの主人公は自分ではなく、その母親・上原(旧姓・宮古)和美だった。

 彼女ーー大輝の母親が置かれた環境から、話は書き起こされていた。


 自分が生まれる前だというのに、大輝による、若い頃の母親・和美についての描写は、やけに細かかった。

 大きな瞳が輝く、笑顔が美しい女性で、淡い紫色をしたワンピースを身にまとった姿で、白魚のような手をしており、その指にはいつも薄いピンクのマニュキアが塗られているイメージで固定されていた。

 おそらく大輝の母親に対する思慕の情が反映しているのだろう。


 そんな和美が嫁いだ上原家は、室町時代から続く、由緒ある家柄だった。

 その後継息子・上原憲一の許に、若いお嫁さんがやって来た、という格好だった。


 和美は気立ての良い、明るい性格のお嫁さんだった。

 そして、夫婦の間に男の子が生まれた。

 それが手記の執筆者である上原大輝であった。


 彼、大輝が五歳くらいまでは、親夫婦は仲良くしてしていた。

 けれども、ある日を境に、上原家では夫婦喧嘩が絶えなくなり、奥さんの和美さんが旦那さんの憲一さんの浮気を疑うようになり、ヒステリックになっていった。


「あんた、また浮気したでしょう!?」


 奥さんがヒステリックに叫んで、夫婦喧嘩が絶えなくなった。


 それ以降、手記の主人公は上原大輝、筆記者本人になる。


 幼い息子ーー自殺した青年・上原大輝は、両親の不仲を見せ付けられ、心を痛めたまま、成長していった。


「お父さんとお母さんの仲が壊れるかもしれない。

 だけど、それを止められるのはボクだけだーー」


 と大輝少年は思い詰め、周囲に気を遣った生活をしていた。

 だが結局、大輝が十六歳のとき、母親・和美は家から出奔し、行方がわからなくなってしまった。


 父親と母親との罵詈雑言の喧嘩を毎日聞きながら少年期を過ごし、母親が家出した後は、口汚く母親を(ののし)る父親の愚痴を聞かされ続けた結果、上原大輝は名前に反して、暗い少年になってしまった。


 大輝の成績は良く、有名進学校に合格していた。

 けれども、高校三年に進級する時期に、プッツリと高校を中退してしまった。

 父親の憲一が新たな女性・鹿野順子と同棲し始めて内縁の妻としたこともあり、漫画喫茶やサウナ施設を転々とする毎日となったのである。


 この頃の上原大輝には、明るく優しい少年だったときの面影はなく、人間ーー特に女性に対する憎悪が、いつも胸の内にふつふつと湧き起こって、持て余す状態になっていた。

 それでも、大輝はそれなりに顔の造りが良く、イケメンだったので、今まで中高生の時、何人かのカノジョができた。

 けれども、付き合いがうまくいかなくて、いつも最終的にフラれていた。


「大輝くんは、何を考えているのか、わからない」


 女性からはそう言われて、別れを告げられてばかりだった。


 この頃には、父親の内縁の妻の連れ子・さくらがいて、大輝にも、血が繋がらないながらも、事実上、三歳下の義妹(いもうと)が出来ていた。

 が、彼女にも大輝は馴染むことができなかった。


 優しかった母親の突然の出奔、そして、そのことに起因する、過度な女性不信ーー。

 そんなことも、引き金になったのかもしれない。

 大輝は十七歳になると、父親と内縁の妻に暴力を振るい、上原家内で忌避された。

 その結果、大輝は父親が所有するマンションをあてがわれ、出ていくように言われた。


「出て行ってくれるなら、月々の生活費を仕送りしてやろう」


 と、父親の上原憲一に言い渡された。

 息子の大輝は、その提案に乗った。

 彼はそれ以来、引き籠るようになったーー。


◇◇◇


 事故物件の住人だった男の短い半生を訥々(とつとつ)と語り終えると、スーツ姿の社長は膝をパシン! と打った。


「そんな人物が住んでいたのが、このマンションの101号室ってわけ。

 上原大輝は絶えず、


『俺には呪われた血が流れているんだ』


 と言って、自分の腕を錐で刺したりして、血を噴き出させていた。

 彼の手記には、


『俺は狂っている。

 汚れた血が流れている。

 呪われているんだ』


 といった趣旨の殴り書きが、やたらとあった。


『自分がこうなったのは、血が汚れているからだ。

 母親から遺伝した、狂った血が脳内に流れているせいだ』と。


 きっと、父親の上原憲一に、出奔した和美に対する深い恨みがあって、散々恨み言を言われ続けたんだろうね、大輝くんは。

 可哀想なことだ」


 私は肩をすくめた。


「夢野久作とかいう作家のお墓に手を合わせても、何も解決策が出てきませんね。

 というか、社長はいったい何を探ろうとしているんですか?

 自殺した青年の動機ですか?

 動機を知れば、物件が安く買い叩けるのですか?」


「いや。動機なんか、どうでも良いんだ。

 僕が知りたいのは、ほんとうに上原大輝は自殺したのかっていうことだ」


 私は目を丸くした。


「また、事件が隠蔽されてるって言うんですか!?」


 社長は口では答えなかった。

 が、確信を持った表情をしている。

 私は吐息を漏らす。


「わかりました。

 だったら、まずは大輝っていう青年を知る人から、話を聞いてみなくちゃ」


◇◇◇


 事故物件の向かいのマンションの住人に話が聞けた。


 たまたま、犬の散歩帰りの主婦二人が立ち話しをしていた。 竜胆社長が、二人に声をかけた。

 どちらの主婦もカットソーにカーディガンといった姿で、トイプードルを連れていた。

 トイプードル二匹は、色違いのピンクとブルーの服を着せられていた。


「可愛らしいですね。

 お揃いの服を着て」


 自分のペットを褒められると、自然と笑顔になり、心を相手に開くのが飼い主だ。


「触っていいですか?」


 と聞きながら、もう社長は犬の頭を撫でていた。


「この()、人見知りしないから大丈夫よ」


 と主婦は笑顔で言った。

 二匹の犬は、鞠が跳ねるように尻尾振って、社長の足にじゃれついた。


 竜胆社長は名刺を二人の主婦に渡して、自己紹介をする。 名刺を渡され、女性たちは『事故物件取り扱い専門』という文字に反応した。

「ああ、やっぱり、なにかあったと思ってたんです」


「夜、遅くに救急車が来てたものね」


 主婦たちは、互いに顔を見合わせて声をひそめた。


「若い男性が自殺したって、噂は聞いてました」


「あの青いパーカーの青年じゃないかと、推測はしてたのよね」


 二人の主婦は、上原青年について知る限りのことを、思いつくまま話し始めた。



 上原大輝は青いパーカーをまとって、毎日必ず、犬を散歩に連れて行った。

 ただ一ヵ月ほどもすると、犬の顔ぶれが変わっていた。

 連れている犬は決まって子犬だったが、犬種は様々だった。

 チワワ、トイプードル、パグといった小型犬から、ゴールデンレトリバー、シベリアンハスキーといった大型犬まで、首輪を付けて、近在のTH公園にまで引き連れていた。

 同じく犬を散歩させている近所の人たちからは、気味悪がられていた。


 初めて見かけた人は、大輝が可愛い子犬を連れているので、


「ワンちゃんの名前は、なんて言うんですか?」


 などと親しげに声をかけていた。

 が、彼が連れ回す犬の犬種が変わっていることに気付く。


 飼っている子犬や子猫の顔ぶれが絶えず変わって薄気味悪い、と近隣の人たちは思っていたのだ。


 勇を鼓して、その青年に「そのワンちゃん、可愛いですよね」と話しかけると、


「最近、買ってきたんです。

 名前はロンです」


 などと言って、新しい首輪をつけた犬を紹介する。


 だけど、また今度会った時には、違った犬種のペットを引き連れてお散歩しているので、その都度、(前に見たあの()はどうしたんだろう?)と思って、訊いてみたところで、


「どうでも良いでしょ、そんなこと。

 あなたには関係ない。

 飼主は俺です。

 おばさん、ロンに何か関係あります?」


 と反問された。

 冷たい目で睨み付けられ、取り付く島もなかったという。


 やがて誰もが違和感を感じて、大輝から遠ざかるようになっていた。



 向かいのマンションの主婦たちも、大輝と距離を取ることにしていたそうだ。


「あれはちょっと、おかしかったわよね。

 狂った目をしていたわ……」


「あのヒトが猫を抱いて、外に出る姿を見かけたこともあるけど、猫ちゃんの種類も様々だった」


 上原大輝は通常、青のパーカーに黒のスラックスといった姿で、毎朝七時に犬の散歩をしていた。

 それなりに規則的な生活をしていたようだ。

 なのに突然、ある日を境に、プッツリと見かけなくなったらしい。


 竜胆社長は笑顔で、


「ありがとうございます。

 亡くなった先住者の人となりがわかって、助かりました」


 とお礼を言って、頭を下げた。


◇◇◇


 有益な情報を得て、私と社長は事故物件のマンションに戻った。


 竜胆社長は、今度は管理人から話を聞くつもりらしい。


 エントランスに入ると、私は社長に期待を込めた視線を送った。


「向かいのマンションの人ですら上原大輝さんのことを知っていたほどですから、マンションの管理人さんは、確実にもっと詳しく知っているでしょうね。

 同じマンションの一階で過ごす、お隣さんのようなものだったのですから」


 だが、生憎、管理人は不在だった。

『各階フロア巡回中』という札が受付の窓に立てかけてあった。


「沙月さん。

 せっかく時間ができたんだ。

 大輝くんが散歩に行っていた公園に行ってみよう」


 社長は時間を無駄にしたくないタイプのようだった。

 竜胆社長はグレーのワイシャツの襟首を緩めながら、(ほが)らかに言った。


「なんだか安心したよ。

 自殺した青年が引き籠りだったとは聞いていたけど、しょっちゅう犬の散歩には出ていたみたいだ。

 だったら公園に出向いて、大輝くんについて聞き取りに行こう」


◆3


 私、神原沙月は、社長の竜胆光太郎と一緒に、体育館や県庁、県議会の建物がある、まさに福岡県の政治中心地へと向かう道を歩いた。


 そうした県の中枢施設の手前に、TH公園はある。

 かなり大きな公園で、ランニングをしている人たちの姿があった。


 犬の散歩をしている愛犬家も多く、トイプードルやチワワといった犬種を連れている人が見られた。

 子猫をバスケットに入れて歩く愛猫家もいる。

 各人、自分の可愛いペットと散歩の時を楽しんでいる。


 場所柄、県庁や県議会関連の職場に勤める人が多いから、物腰が柔らかで丁寧な人が多かった。


 しかも、思いの外、上原大輝を見知っている人たちがいた。

 どうやら大輝は朝の散歩だけでなく、昼も夜も、犬の散歩をしていたらしい。

 じつにマメなことだ。


 ところが、公園では、尋ねた人それぞれで、大輝について言うことが違っていた。


「あの人、多頭飼いでしょ?

 広い庭がある、豪邸で暮らしているんですって。

 途中まで車で通ってるって」


「そうなの?

 バイトで散歩させてるって聞いたわよ」


「私はペットショップの関係者って聞いたわ。

 でないと、あれほどの犬種を連れている説明がつかない」


 大輝が何者か、という点については、様々に見解が分かれていた。

 だが、公園にたむろする人々が共通に持っていた上原大輝についての印象は、口数の少ない、ぶっきらぼうな、それでいて細面なイケメン青年というものだった。


 青のパーカーに黒のスラックスという姿は知っていても、彼が汚部屋に住んでいるとは思いもしていない。

 ただ、彼の身体に染み付いた腐敗臭を感じ取った人もいたようで、何より自分の飼い犬が警戒するので、距離を取るようにしていた、と言う者もいた。


 そして、大輝が自殺したと知っている者は、ほとんどいなかった。


 でも、それよりも、小一時間の聞き込みによって、興味深い事実を知った。

 上原青年には、年下の美しい恋人がいたようだ。


「いつも若い娘と一緒だったわよ」


 その「若い娘」は、シックなスーツを身にまとっていたらしい。

 ショートボブの髪型で、大きな瞳が輝く、笑顔が美しい女性で、白魚のような手の指には薄いピンクのマニュキアが塗られていたという。


「彼女の方が、ダイキくんに惚れていたみたい。

 ほんと、わかるわあ。

 陰のあるイケメンって、それだけで惹かれるものがある」


「そんなに年齢も離れていないようだった。

 カノジョさん、カレシのことを『お兄様』とか呼んでいたわ。

 兄妹でもないのに、変な呼び方よね。

 相手のダイキくんも、満更でもない顔をしていた」


 愛犬家、愛猫家たちによれば、その多頭飼いの謎のイケメン大輝くんについての来歴は、そのカノジョさんから聞き出していた、ということだった。

 つまり、公園の人々が、大輝についての話が多岐に分かれていたのは、その女性が様々に言い(つくろ)っていた結果だと思われた。


 俄然、私たちの興味は、そのカノジョさんに移って行ったのだが、その正体が(よう)として掴めなかった。

 二十代前半の容姿で、短髪、いつも地味なスーツ姿で、大輝くんとデートしていた。

 フード付きのパーカーに黒のスラックスを穿く上原大輝とは、まるで違うファッションである。

 そうした服装や振る舞いから、ここら辺の県中枢施設に勤めている人だと思われた。

 名前は「モヨコ」と名乗っていたという。


「でも、その女の人も見かけなくなったわよね?」


「ちょっと前、一ヶ月くらい前のことだったかしら」


「ダイキくんは、ひとりぼっちでーーそうそう、その頃は犬も連れてなかったような」


「何かを思い詰めたような表情をしていて、ちょっと怖かったわ」


「それぐらいからかしらね。

 この公園に、散歩で犬を連れて来る人が、めっきり減ったのは」


 そういえば、近所の電柱を見たら、

『飼い犬を探しています』

 という張り紙が、あちらこちらに貼られてあって、ここら辺は「ペットにとって怖いところ」と評判になってしまった。

 犬の散歩をする人もいなくなっていた時期があった。

 今は、こうしてペットを公園で遊ばせる人たちも復活してきたらしいが。


「なんでも、飼い犬や飼い猫が、いつの間にか居なくなってしまうんだって」

 

「リードを持っていたり、カゴに入れているときは安全みたいよ。

 ちょっと目を離した隙にとか、自宅の庭で遊んでいた時にいきなり、とか」


 ペットを探す他にも、ここら近辺で見かけるようになった貼り紙があった。

 四歳の鈴木琴葉ちゃんという女の子が、一ヶ月前から行方不明になっていたのだ。


(あ、これニュースで見た……)


 と、私は思った。

 赤いリボンを髪に付けた、赤と黒のチェックのスカートを穿いた女の子だ。

 愛らしい笑顔がテレビ画面いっぱいに映し出されていたので、強く印象に残っている。


 ごく普通の中流家庭の女の子なので、世間では、営利目的ではなく、変態男による誘拐事件では、と取り沙汰されていた。

 地下鉄の最寄駅などで、ご両親が必死の形相で、娘さんの行方を尋ねるチラシを配っているのに、私も遭遇したことがある。

 その様子を見るだけで心が痛んだものだった。


◇◇◇

 ひと通りの情報収集を終え、事故物件の内見に必要なプラグや防護服などを揃えた。 そんな折、竜胆社長は、仲介業者である古賀渚さんに連絡を入れた。

 その結果、内見できなかった、鍵のかかった部屋については、売主の上原さんから「鍵は持ってないので、扉を壊してくださって結構です」と伝えてもらった。


「よし。

 これで隅から隅まで内見できるようになった。

 あとは管理人から話を聞くだけだ」


 マンションに戻ってみたら、『各階フロア巡回中』という札が、受付の窓から外されていた。

 ようやく管理人に会うことができる。


 竜胆光太郎社長は改めて髪型を整え、マンション受付で管理人に挨拶をした。

 管理人はグレーの上下の仕事着を着た、四十前後の中肉中背の男性で、首に紐の付いた名札がかかっていた。佐々木と書かれていた。


 竜胆社長は、名刺を渡して、


「101号室の上原さんのこと、少しお聞きしたいのですが……」


 と切り出した。

 管理人は名刺と竜胆社長を、交互に見比べて少し頬を赤く染めた。

 そして伏目がちに、


竜胆光太郎(りんどうこうたろう)ーー素敵なお名前ですね」


 とはにかんだ。

 横で見ていた私は、


(もしかして、このヒト………男性が好みなのでは?)


 と、感じた。

 もしそうだとしたら、竜胆社長ほどの美形青年はそうそうお目にかかれないので、とても平静ではいられないはず。 案の定、管理人の佐々木さんは、竜胆光太郎社長に甘えるように話しだした。


「じつは、私、大輝くんのお父さんから、大輝くんを監視するように頼まれていたんです。

 七年前に一人暮らしを始めて、大掛かりな部屋の改装があり、お父さんも心配されて。


『狂暴で危険な子だから、何を考えているからわからないし、会話もできない』


 と嘆いておられました」


 竜胆社長は、大きく(うなず)いて、佐々木さんに同情の籠った眼差しを向けた。


「部屋が汚部屋になっていたし、この廊下にも悪臭が漂っていますね。

 あの部屋でお亡くなりになったのだから、仕方がないですが」


 佐々木さんは、両手を揉みながら、モジモジと身体をくねらせた。

 そして上目遣いで、社長をじっと見詰める。


「どうしようかな、言っちゃおうかな、でも、まずいし。

 でも、竜胆社長には言いたい……」


 社長は、佐々木さんの両手を、自分の手で優しく包んだ。


「誰にも言いませんよ。

 約束します。

 佐々木さんと僕だけの秘密にします。

 ぜひ、教えて下さい」


 そう語ってから、疑問に思っていたことを問いただした。


「上原大輝さんが自殺したとき、救急隊員が来たはずでしょ?

 自殺だったんだし。

 その後、警察関係者とかが来なかったんですか?

 あの部屋の状態ーーとてもそういった方達が踏み込んだ後とは思えないんですよ」


 すると、管理人の佐々木さんは身を屈め、声をひそめる。


「じつは、ですね。

 大輝くんの死亡が確認されたのは、あの部屋じゃないんですよ。

 七階のお部屋でして」


「は?

 101号室の住人が、七階の部屋で亡くなった、というのですか?」


「そうなんですよ。

 101号室の区分所有者が、七階にも部屋を持っていましてね……」


 大輝の父親・上原憲一は、一階101号室の汚部屋とは別に、七階の706号室を所有していた。

 だから、咄嗟に、息子の大輝を七階へと運び出し、「706号室で死んだ」と警察に供述していたのであった。

 実際に、その706号室から息子を病院へ搬送したらしい。

 救急車に乗せた段階ですでに大輝に意識はなかったそうだが、正式に死亡が確認されたのは病院に搬送された後のことである。

 それでも一応、死亡原因を調べるために、警察関係者が706号室に乗り込んで現場検証をしたらしい。

 だから、706号室が「事故物件」扱いとなった。


 社長は水色スーツの襟を正して、腕を組む。


「なるほど。

 だとしたら、救急隊員や警察関係者が(おもむ)いたのは、その七階の部屋ということですね。

 その部屋は今、どうなってるの?」


「もう借りてる人が居まして。

 博多の料理学校に通う学生ですが」


「そうですか。

 よくわかりました。

 だから101号室で大輝くんが死んでいたというのはオフレコになってるんですね」


 一階の部屋で息子の大輝は生活していたのに、警察に調べられたら困るからだろう。

 101号室は、真の意味で「隠れた事故物件」となっていた。


「他にも、何かありましたら、お話し下さい」


 と社長が促すと、顔を上気させながら、佐々木さんは語り出した。


「ここだけの話ーー。

 彼、大輝さんが亡くなる前日に、父親の憲一さんが訪ねて来ましてね。

 部屋の外にまで聞こえるような大声で、罵り合っていたんです……」


 そう言ってから、佐々木さんは、おびえた目で社長に訴えた。


 その翌日から、息子の大輝くんの姿が一切出てこなくなった。

 そして、睡眠薬か何かで自殺したことになっていた、という。


 しかも、いつの間にか、大輝の身柄が七階の706号室に移っていたようで、その際の移動についても、管理人が休暇をとる日曜日に実行されたらしい。

 住民が誰も気付いていないところをみると、深夜にでも大輝は七階に運び込まれたようだった。


 ちなみに、706号室に賃借人が入居してきたのは、つい最近のことで、


「事故物件扱いで安かったから助かった。

 住人が亡くなったと言っても、睡眠薬の飲み過ぎなんでしょ?

 だったら、殺人事件のような怖いことはなかったわけだし、俺、幽霊の類いは信じてないんで、お得だった」


 と、部屋を借りる専門学校生は、二日前に語っていたという。


 そういった諸々の事柄を語りながら、管理人はゴソゴソと部屋の中で探し物をする。

 そして50本以上もある USBメモリを、箱ごと、竜胆社長に手渡した。


「これ、私が持っていても仕方ないので、差し上げます。

 彼、大輝くんはイケメンだったんだけど、この画像を見ると、人の心の闇っていうか、性癖っていうのか、びっくりするモノが映ってます。

 映像の右端に日付がありますから、いつの頃の映像かはわかるはずです」


 思いもしなかったブツが手に入ったので、竜胆社長は目を丸くした。


「まさか、これ、盗撮ーーですか?」


「だって、監視するよう頼まれたんですよ?

 お父さんの憲一さんに」


 区分所有者の上原憲一から、


「息子は凶暴なので、何をしでかすかわからない。

 だから見守ってやってくれ」


 と無茶な要求をされた折、管理人の佐々木さんは一応、渋ってみせたそうだ。


「監視の方法は、どうするんです?

 私だって四六時中、管理人室にいるわけではないので……」


 すると、101号室の所有者である上原憲一は、胸を張って断言したそうだ。


「監視方法は自由だ。

 君に任せる。

 ちょうど息子は我儘(ワガママ)を言って、大規模な改装工事をねだりおった。

 これを機に、カメラでも何でも、仕掛けることができるだろう。

 君のことは、内装を手掛ける業者にも、自由にさせるよう、伝えておく。

 私は大輝の親で保護者なんだし、実際に区分所有者なんだから、誰にも文句は言わせん」


 そのように言質(げんち)を取った管理人の佐々木さんは「わかりました」と応じたーー。



 佐々木さんは当時のことを説明しつつ、竜胆社長に向かって生唾を飛ばす。


「かなり卑劣な手段かと思ったですけど、仕方ないじゃないですか。

 私なりに、大輝くんを心配していたんです。

 でも、私はこんなの要りません。

 あなたが見てください」


 逃げるようにして、佐々木さんは窓口を閉じて、管理人室に閉じ籠ってしまった。


◆4


 その日の午後ーー。


 私、神原沙月と竜胆光太郎社長は、立体マスクとゴーグルを顔に付け、特殊掃除用の防護服に身を包んで、 101号室の前に立った。

 

 すでに狭いリビングを探索しただけでも、弁当の食べ残しや、腐った生肉などの、とんでもない量のゴミの山に囲まれ、異臭の只中で、ペットの首輪などが発見された。

 それなのにこれから、鍵がかかったキッチンルームやバスルームに踏み込もうとしている。

 心だけでなく、身体の準備も必要だったのだ。


「よし、行くぞ!」


 と竜胆社長が声をかけるので、私も、


「はい!」


 と威勢良く答えて、ガチャと玄関ドアを開けた。


 幸い、プラグを取り替えただけで、部屋の電灯がバッチリ()いた。


 となると、まず、探索するべきは、キッチンルームだ。

 すでに売主からの了解は取り付けてある。

 社長は引き戸を思い切り蹴飛ばして壊し、強引にこじ開けた。


 その途端ーー。


「うわっ!?」


 羽音を立てた銀蝿の群れが、私たちを出迎えた。

 両手で払い除けながら、私たちはキッチンルームに入り、殺虫剤をかけまくる。

 防護用のゴーグルとマスクを装着していて良かった、と心底、思った。


 蝿があらかた出払ったあと、キッチンルームの周囲をぐるりと見回す。

 予想に反して、かなり使用感に溢れた様子だった。


 正面、シンクがあるタイル貼りの壁には、一面、刃物類がズラッと並んでいた。

 刃渡り三十センチを超えるほどの巨大な肉切り包丁から、鋭利で小さなナイフまで、様々な種類の刃物が陳列され、中には、赤黒く錆びついていたものもあった。

 が、魚を(さば)くような、小さくて鋭利なナイフの種類が特に豊富なようだった。


 そんな凝った道具類を目にしただけで、私たちは妙な違和感にとらわれた。


(カップ麺やコンビニ弁当を食い散らかす独身男が、こんなに凝った料理道具を揃えるものなのか?)


 と疑問に思ったのだ。


 だが、一歩前に進んで、やけに大きいシンクの中を覗いたら、疑問が氷解した。

 シンクには赤黒い血で汚れた皿が、山のように重ねられていた。

 そして、犬や猫の、バラバラになった手脚や頭が、グチャグチャになった状態で押し込められていたのだ。

 当然のように、大量の蛆の棲家になっていた。


「うえええ!」


 口を押さえて、私は視線をシンクから逸らし、隣のIHヒーターに視線を移す。

 ところが、吐き気はますます高まってしまった。

 ヒーターの上にあるフライパンや鍋の中には、白い脂肪の膜がかかった、半乾きのネバネバした赤い液体に浸って、犬猫の肉や骨が沈んでいたのだ。


「うわあ! 気持ち悪い。

 異常よ、こんなの!

 まともな人間のやることじゃないわ。

 動物保護の法律で、一発アウトですよね!」


 半泣き状態の私とは違って、社長は眉を(しか)めながらも、フライパンや鍋の中をマジマジと覗き込む。


「これはーー動物の肉の食べ残し、か。

 犬猫の手脚を刻んだものにーーこの白くてブヨブヨしたのは脳味噌か。

 ったく、気色悪い。

 血のように赤黒くなってないから、汁が赤くなってるのは、ケチャップか何かで煮込んだんだな。

 大輝くんは、マジで、犬猫を喰っていたらしい」


 あまりの悪臭に、胃液が込み上げ、吐きそうになる。


「げえ!

 ゲホゲホ……」


 吐かないように、身を屈めた私の背中を、竜胆社長がさすってくれた。


「無理しないで、沙月さんは出て行っても良いよ。

 あとは僕がひとりで見るから」


「大丈夫です。

 事故物件を扱う仕事ですから、頑張って慣れます」


「ありがとう、沙月さん。

 頼もしいよ」


 私たちは二人がかりで、慎重に部屋を見回した。


 (おぞ)ましいスプラッタはまだまだ続いた。

 視線を横に向けたとき、私の全身に悪寒が走った。

 巨大な冷蔵庫があったのだが、そこから異様な気配が漂ってきたのである。


 竜胆社長と一瞬、目があった。

 社長が(うなず)くと同時に、私は冷蔵庫の取っ手に手をかける。

 バシュッ! と空気が抜けるような音とともに、冷蔵庫の扉が開いた。

 すると、目の前に、犬や猫の頭が、霜が降りた状態で、皿に載せられて並んでいた。


 私は思わず、身を仰け反らし、大粒の涙を流した。


「もう、信じられない!

 なんて酷いことをするの!?

 犬も猫も、ほんとうに健気で、可愛い生き物なのに。

 ペットは家族の一員よ。

 私から言わせれば、これは悪魔の所業です。

 許せない!

 飼い主に懐いてるのを良いことに、ペットをこのように残忍に殺して、身体を(もてあそ)んで……ああ、信じられないーー」


 やはり、大輝という、この部屋の主人は、犬や猫を殺して、解剖していたのだ。


 冷蔵庫の扉を閉めて、私はキッチンルームから飛び出す。

 胸に手を当てて、深呼吸し、ひたすら吐き気が収まるのを待った。


 それでも竜胆社長は、私の後ろに歩み寄りながら、こともなげに言う。


「さあ、次は、バスルームと思しき大部屋の中だ。

 中のありさまは、だいたい察しが付くが、どうする?

 沙月さんには刺激が強いか?

 だったら、僕がひとりでーー」


 私は屈んだ状態から立ち上がり、口許を手で(ぬぐ)って、胸を張る。


「いえ。私は負けません!

 私、事故物件転売業のスタッフとなったからには、どんな物件からも逃げないようにしよう、と心に誓ったんです!」


 竜胆光太郎社長は笑顔を向けた。


「大いに結構!」


 と言って、大部屋に通じる引き戸を蹴り壊し、扉を開いた。



 その大部屋はバスルームというよりは、犬や猫の死体放置所とも言うべきものだった。

 ここでも、大量の蝿が空中を飛び交っていた。

 殺虫剤を撒いて、羽虫を殺した。

 タイル貼りの床の上には何十個もの、様々な色をした首輪が放置されていた。

 部屋の真ん中にはステンレス製のテーブルがあり、鎖や革製の拘束具が取り付けてあった。


 竜胆社長は人差し指で、テーブルのぬめりを弾きながら、吐息を漏らす。


「これは解剖台だろう。

 ここで様々な動物を(さば)いていたんだ」


 私が目を向けた先、壁際には、鉄棒のような、懸垂(けんすい)をするような器具があった。


「これは?」


 と(つぶや)くと、社長も視線を上にあげた。


「おそらく、動物の血抜きをするための設備だろうね。

 ここに犬や猫を吊るして血を抜くんだ。

 豚で、そうやってる映像をネットで見たことがある」


 次いで私は、壁近くにあった巨大な浴槽の中を覗いた。

 その結果、肝を冷やし、再び強烈な吐き気を催した。


「もう、嫌……」


 眩暈(めまい)がして、タイル貼りの床にへたり込んだ。

 その一方で、竜胆社長は鼻を摘みながらも、抑揚のない声をあげる。


「やはりバスルームを、動物の解体場所として使っていたんだろうな。

 だからこそ、大きく拡張したんだ」


 浴槽の中には透明な液体が張られてあり、そこにはたくさんの動物の死骸が沈んでいた。

 犬や猫だけではない。

 ウサギとかリスなどの、頭だけの死骸がたくさんあった。

 目玉や舌が引き抜かれているのもあった。

 心臓や肝臓、そして束になった腸が幾つも発見された。


 さらに浴槽の横には、大きな木製の樽が並んでいた。


「見ろよ。大型の樽が四つもある。

 都合良くハンマーが置いてあったから、開けてみるか!」


 竜胆社長は重そうなハンマーを両手で振り上げ、巨大な樽の蓋をバカン! と叩き割る。

 それから、


「よっこらせッと!」


 と声をあげて、社長は樽を床へと蹴り転がす。


 バシャ!


 と派手な水音を立てて、褐色の液体が、床にぶちまけられた。

 同時に、樽の中から、たくさんの小動物の身体が出てきた。

 どこが手やら足やらわからなくなるほど、溶解したフニャフニャの胴体だった。


 液体が迫ってきたので、私は床にへたり込んでられず、慌てて立ち上がった。

 全身から血の気が退く思いだった。


 対照的に、竜胆社長は足取りが軽いようだった(どんな神経してんだ!?)。

 フットワーク軽く動き回り、今は、バスルームの洗い場にある洗剤置き場で身体を屈め、たくさん並ぶ瓶のラベルを見ていた。


「消毒スプレーにエチルアルコール、クロロフォルムにホルマリン、そして塩酸……。

 いろいろ試していたようだね。

 この巨大なバスルーム、いや私設動物解剖室で。

 どうやら大輝くんはペットを一定期間、可愛がってから殺害してるようだね。

 その後、風呂場で解剖・解体をして、食べられない部分は切り刻むなどしてから、酸の樽に放り込む。

 ーーああ、酸の濃度は薄くなってるようだから、足に触れても害はないだろうよ。

 そして、食べられる部分はキッチンルームに持ち込んで、フライパンや鍋で調理して食べたってことだろう」


 社長はさらに奥へ進んで、バスルームの窓をガラッと開ける。

 外気が入ってきたが、室内のどんよりした空気を払い切るには至らなかった。

 解体のためのチェンソーと、スコップなどの道具類が、窓際の壁に立てかけてあった。


「スコップか。

 ちょうど良い。

 ここから庭に出てみるか」


 ベランダ向こうに広がる庭には、ホームセンターで買ったであろう腐葉土が十袋以上も、山積みにされていた。

 竜胆社長はせせら笑った。


「これほど日当たり悪いってのに、花壇を造るとはやっぱり思えんなあ。

 穴を掘って、死骸を埋めた後、土を被せるために使っていたのだろうよ」


 庭には、盛り上がった、小さな山がいくつもあった。

 その山をザクッと掘ってみたら、案の定、すぐさまカチッと固形物がスコップに当たる音がした。


 上に被せた土を掘り返してみたら、骨がぎっしり詰まっていた。

 明らかに動物の骨だ。

 その盛り土の近くに放置されていた、数多くのバケツの中にも死体があった。

 バケツ中には、塩を振りかけた猫や犬の頭が詰まっていた。


「腐敗を止めるため、塩を振ったってか。

 どれほどの効果があったものやら」


 世にも(おぞ)ましい庭の中で、竜胆社長は背筋を伸ばすと、


「今回、これまで探索した結果と、近所の人々や管理人からの聞き込みや、先住者の手記などを合わせると、どうやってこの事故物件が出来上がったのかが窺われるーー」


 と、あたかも自分に言い聞かせるように概括を始めた。



 101号室の住人・上原大輝は、ペットショップで子犬や子猫を買ってきては、三ヵ月ぐらい可愛がった後に、惨殺する生活を十年ほど(特に七年前に室内改装をしてバスルームを解剖室にしてからは激しく)行っていたようだった。

 他にも、近隣の犬や猫をさらったり、野良猫を捕まえては、その首を切り落とし、血を飲み、食い散らかしていたようだ。


『無垢な動物の血を、自分の体内に入れたら、自分は真人間になれるはず』


 という奇怪な仮説を立てて、上原大輝は、体内に流れる汚れた血を浄化するために、犬や猫の血を欲するようになったのだった。

 彼が遺した手記によると、


『犬や猫は、なんて愛らしくて、清らかなんだ』


 と言っては、最後の日には一緒に寝て、翌日には、彼らの血を分けてもらうことにしていた。

 兎の血を注射器で自分の体内に入れて、苦しんで病院送りになったこともあった。



 でも、おかしなことがあるーー。


 そんな猟奇趣味の上原大輝が、睡眠薬を大量に飲んで、自殺したことになっている。

 しかも、バスタブで眠るようにーー。

 まったく、らしくない最期である。


 実際、101号室からゴミを掻き出していくにつれ、膨らむ疑問があった。

 このような(おぞ)ましい環境下にありながら、それでも上原大輝は快適であったはずだ。

 それぐらい、大輝は健全な心身からは程遠い人間であった。

 が、それゆえに自殺する理由が思い当たらない。

 カップ麺やコンビニ弁当を食べ、安いアルコールを摂取しながら、犬や猫を殺して解剖し、肉を喰らい、血を飲む。

 何かの感染症で亡くなるならともかく、自殺するキャラにみえないのだ。

 金もあるようなので、ペットショップに行けば、犬や猫はすぐ買える。

 一つの店で一気にペットを購入したら怪しまれるが、福岡全市に渡れば、ペットショップもそれなりの数になるだろう。

 それぞれで二、三匹ずつ買えば、不思議に思われることもない。

 陰惨な性格ながら、気晴らしの方法は幾らでもあったわけだ。

 しかもこのマンションでは、管理人以外に、動向を怪しまれた気配はない。


 社長は盛り土の上に腰を落ち着けると、溜息をつき、


「やっぱり、ここから先の推察には、実際にイケメンと評判の、大輝くんのご尊顔を拝して、その行状を目の当たりにしなけりゃ、だな!」


 と声をあげ、ショルダーバックからタブレットを取り出す。

 そして、管理人からもらったUSBを差し込んだ。

 101号室を盗撮した映像が、「玄関フロア」「バスルーム」「リビング」「ベランダと庭」の四箇所に画面が区分された状態で、一挙に映し出される。

 私も横から覗き込む。


 ところが、記録映像を観た途端、私は激しく後悔した。

 まさに酷い殺害現場を目にすることになってしまったからだ。



「バスルーム」の映像では、ステンレスの解剖台に拘束された猫が、ミャアミャアとか泣きながら命乞いをしているところを、ナイフで腹を切り刻む様子が映し出されていた。

 しかも、腸を掻き出して笑う大輝の顔が、アップされる映像もあった。

 他にも、犬を解剖するさまも記録されていた。

 大型犬ゴールデンレトリバーが後ろ脚を持ち上げ、逆さにして、鉄棒みたいな設備に吊るしているシーンもあった。

 それなのに、大型犬はまだ死んでいなかった。

 脳震盪を起こしただけで、心臓の鼓動は続いていた。

 そこを頸動脈をスパッとナイフで切断したので、すごい勢いで血が噴出する。

 血抜きというやつだ。

 下に置いたバケツに血がいっぱいに注がれた後、逆さになった犬の腹を割き、内臓を取り出すーー。



 そこまでの段階で、それ以上、私、神原沙月は映像を観るのをやめた。

 吐き気がした。


 たしかに上原大輝くんの顔はそれなりに整っていたが、眉間に皺を寄せっぱなしで、せっかくの土台の良さを台無しにしていた。

 これなら竜胆社長や、先輩の藤野亨の顔の方がよほどイケてる。

 だから余計に、彼が口許を歪めながら行い続けた残虐行為ばかりが印象に残ってしまう。


 私が吐き気と闘いながらうずくまっていると、十分ほど経ってから、


「待たせたね、沙月さん。

 望外なことに、ほんとうに欲しい映像が見つかった。

 これで売主と交渉できる。

 今日の内見、良く頑張った」


 と竜胆社長は言い、タブレットの電源を落として、私を気遣ってくれた。


 それからスマホを取り出し、仲介不動産会社の古賀渚さんに連絡し始めた。


「ああ、渚ちゃん?

 俺、竜胆だけど。

 単刀直入に言う。

 今、例のワンルーム物件に来てるんだけど、やっぱ売主さんを呼んできてほしい。

 明日で良いから、ぜひとも、じかに会って話をしたい」


「また!?」という声が、スマホ越しに響く。


 それでも平然とした様子で、竜胆社長は話を続ける。


「仕方ないんだ。

 ちょっと、怖い事情が、背景に入り込んでいるようだから」と。


 スマホの向こう側で、社長と付き合い慣れた女性の溜息が洩れていた。


「私も忙しいのよ、ほんとに。

 明日は他の仕事で手いっぱい。

 身体をそっちへ持っていくこと、できないから」


「構わない。

 内密な話もあるから、できれば売主の上原憲一さん一人を呼び寄せて話をしたいんだ。

 割と緊急事項だよ、これは。

 ヘタをしたら、テレビでも話題になってる誘拐事件に絡んでいるんだから」


「ちょっと、脅さないでよ!

 なに、まさか、あの琴葉ちゃんの行方不明ってやつ?

 待ってよ。

 警察案件なんて、抱え込みたくないんだからね、こっちは。

 そんなに危ない物件だったら、売主に断りを入れようか?

 幸い、まだ購入してないんだから」


「いやいや。

 危ない物件であればあるほど、俺には美味しいんだから。

 警察のご厄介になることがないよう配慮するためにも、売主さんと話をしたいんだ」


「わかったわよ。

 先方には連絡しておくので誰か、使いの者を寄越して」


「わかった。

 ウチのスタッフの藤野亨くんに行かせるよ」


 こうして、竜胆社長と私は、今回の事故物件の売主と面会する運びとなったのだった。


◆5


 翌日、晴れた日の午後ーー。


 ベージュのスーツを着込んだ私、神原沙月は、水色の麻のスーツをまとう竜胆光太郎社長と一緒に、地下鉄空港線の某駅を降りた。

 そして、国道を越え、M川の手前で足を止めた。

 S橋近くの川縁にある、石碑の史跡に到着したからだ。


 ここで、事故物件の売主・上原憲一と会うのだと、竜胆社長は言う。


 何体もの地蔵が川を背に立ち並び、石碑の左右には花が供えられている。

 すぐ傍に国道3号線が通っていて、斜め上には福岡高速環状線もあって、ひっきりなしに車が通っている、かなりうるさい場所だ。


 私と社長が二人して持ってきた、折りたたみ式の椅子を二つ並べて待つ。

 社長と上原さんが座るために用意したものだ。


 すると、数分後ーー。


 売主の上原憲一と、その内縁の妻・順子さんがやって来た。

 先輩スタッフ藤野亨の案内によってであった。

 彼らは藤野先輩が運転する車に乗って来ており、近場の駐車場から歩いて来たらしい。


 竜胆社長は立ち上がり、


「初めまして、竜胆光太郎と申します」


 と言って、売主の上原憲一に名刺を渡した。


 上原憲一は青いストライプが入ったワイシャツに薄茶のジャケットをはおり、グレーのスラックスを穿いていた。

 いかにも小金持ちな人物の姿で、そうした雰囲気は、同行してきた内縁の妻・順子も同様に醸し出していた。

 彼女は紺のワンピースを着込んで、金のネックレスを付けて、手には金の指輪が光っている。


「急に、こんな所に呼び出して何がしたいんだい、君は。

 非常識にもほどがあるぞ!」


 と売主の上原憲一が吐き捨てるように言うと、隣にいた順子さんも、声を荒げた。


「普通、話し合いは事務所で行うものでしょ?

 路上なんて、びっくりしました。

 それで、私も心配でついて来たのです」


 社長は夫婦をなだめながら、折り畳み椅子に座るように促した。

 

 ふん、と鼻息を荒くして、五十代の上原憲一は周囲を見回す。


「道路と川に挟まれた、狭い所だ。

 なんだね、此処は!?」


 ちょっと居丈高な態度の売主に対し、竜胆社長は揉み手をせんばかりに腰が低い。

 でも、口調はどこか馴れ馴れしく、売主に対して「あなた」呼ばわりで、会話を始めた。


「いやあ、ほんとは、あなたが売ろうとしている物件で話し合おうと思ったんですが、あの散らかりようでしょ?

 だから、別の場所で会おうかな、と。

 で、此処は『濡衣塚(ぬれぎぬづか)』って言います。

『濡れ衣を着せる』

 っていう言葉の語源になった史蹟ですよ。

 いやあ、『濡れ衣』って、史実に則ってできた慣用句だったんですね。

 しかも、史蹟がこんな街中の道路ばたにあったんだ、と驚きました。

 あなたが売り出した物件の近くなんで、思わず来ちゃいました」


 梵字が刻まれた板状の石碑が中心の史蹟である。

 濡衣塚の板碑には康永三年(1344年)の銘が刻まれていた。

 元々は由緒あるお寺にあった碑を、江戸時代にM川の東に、次いで平成の河川改修工事を機に、ここに移されたものだそうだ(造りも新しい)。

 それゆえか、道路の側なこともあって、恐ろしい雰囲気はない。


 さっそく、売主は身を乗り出すようにして、切り出した。


「不動産会社の古賀さんが言うには、君が私の物件を買い取ってくれるそうだね?

 だったら、早く手続きをしてくれ。

 早々に処分したいんだ。

 値段はアレで充分だろう?」


 竜胆社長は低姿勢を崩さない。


「そうなんですがね。

 私も商売でして、出来るだけ適正な価格で買い取りたいと思っていまして」


 ごほ、ごほっ!


 と、上原憲一は口に拳をあて、大袈裟に咳き込む。

 なにやら落ち着かない様子だ。


「だからと言って、場所を選びたまえ!

 車が通って、排気ガスが充満しているこんな場所で会うこともないだろう!?」


「都市高速と国道の脇ですもんね」


 と同意を示しながらも、竜胆社長は話をはぐらかす。


「ーーでも、そんなに空気、悪いですか?

 川縁なんで、存外、風が抜けて気持ち良いですよ。

 せっかく来たんです。

 史蹟に向かってお祈りしませんか?」


 売主の上原憲一にとっては、竜胆社長の態度は不真面目なものに映ったようだ。


「興味ない。

 さっさと本題に入れ」


 と、話を()かす。

 すると、いきなり竜胆光太郎社長は身をそり返すような姿勢になって、


「わかりました。

 では、さっそく本題に入るとしましょう。

 私があなたに確認を取りたい事柄は、数多くありますのでね」


 と前置きしてから、滔々(とうとう)と語り始めた。


「上原憲一さん。

 あなた、今、売ろうとしている101号室とは別に、七階の706号室を所有してますね?

 息子の大輝くんは101号室ではなく、なぜ、706号室から病院へ搬送されたのですか?

 ほんとうの死亡現場は、一階の101号室ですよね?

 良くないですよ、それ。

 息子さんの住居は101号室です。

 それに、せっかく七階の良いお部屋を、事故物件として安く貸すだなんて勿体無い。

 ーーとはいえ、それだけ、一階のあの部屋を調べられたら困るからでしょ?

 真の隠れた事故物件を。

 すでに息子の大輝くんが、あなたに金を無心する際の脅しの手紙ーー『死んでやる』『俺は呪われている』等の言葉を連ねたモノはあったから、それを遺書と看做すことによって警察を騙し、あなたは息子の死を自殺と決め付けることに成功した。

 方法は睡眠薬を使っての殺人だと思いますがーーまあ、そこら辺の方法については、僕は興味がありません。

 問題なのは、ほんとうの死亡現場であった101号室は手付かずだった、ということです。

 おかげで、不動産転売業者である僕が、要らぬ妄想を(たくま)しくする機会を得てしまった。

 どうせ公的には七階の部屋を事故物件扱いにしてたんなら、こっちの101号室は清掃業者にでもお願いして、綺麗さっぱり掃除して、普通の物件の顔をして、そのまま売るなり、貸すなり、すれば良かった。

 なのに、それをしなかった。

 それは清掃業者が、あの動物解剖の現場を目にして大騒ぎすることを恐れたからですね?

 だったら、私のような転売業者にタダ同然で売りつければ、その者が利益を得たいばかりに、101号室が『動物解剖に使われていた汚部屋だった』とか、『真の死亡現場だった』とかに気が付いたとしても、呑み込んで黙っていてくれる、と踏んだのでしょう。

 たしかに、良い目の付け所です。

 ほんとうに、大輝くんが自殺しただけで事件が終わっていたのなら、僕もあなたの目論見に、敢えて乗っていたところでしょう。

 でも、残念ながら、事件はまだ終わっていなかったんです。

 あなたは、息子さんの手記が、あの気色の悪い汚部屋に遺されていたとは知らなかったようですね。

 それに、サンダルも。

 え? やっぱり、知らなかったんですか?

 大輝くんの部屋で、なぜか女の子用の、赤い、小さなサンダルが見つかったんです。

 不思議ですよねえ?」


 売主の上原憲一は、血相を変えて叫ぶ。


「そ、そんなもの、何処にあった!?」


「ベランダの下にありました。

 ほんと、奇妙ですよね。

 二十七歳の独身男性であった大輝くんが、どうしてそんな女の子のサンダルをこんなところにまで持ち込んでいたのでしょう?

 ーーそういえば、話は変わりますが、たしか、あの近辺で、小さな女の子の行方不明事件があったそうですね。

 まだ何も明らかになっていないのに、テレビを始めとしたマスコミでは『鈴木琴葉ちゃん誘拐事件』などと銘打って報じているようですがーー」


 憲一は青褪めた。

 そして、慌てて、


「そのサンダルは孫のものだ!

 遊びに来たときに忘れたんだろう」


 と言って「返してくれ!」と訴えてきた。

 竜胆社長は平然とした調子で、顎を突き立てる。


「嘘言っちゃいけませんよ。

 大輝くんは、あなたと血が繋がった唯一の息子だったじゃないですか。

 その一人息子が、結婚もしないままに死んでしまった。

 そして、大輝くんの義妹・さくらさんは最近、結婚式を挙げて(とつ)いだばかり。

 よって、まだ大輝くんにとっての姪も甥もいない。

 だから、あなたに女の子の孫なんていない。

 そうですよね、上原憲一さん」


「……」


「あなたは焦ったのでしょう?

 これまでは、大輝くんがどれほど奇矯な振る舞いをしようと、実の息子だから仕方ない、と諦めていた。

 彼が引き篭もりでも、許してきた。

 ところが、大輝くんが一線を超えてしまったーーそう思った。

 四歳の女の子ーー鈴木琴葉ちゃんの行方不明事件。

 テレビでも報道されてますし、近所の地下鉄駅で親御さんがビラを配ってました。

『娘を見つけてください』と。

 それでも、いまだ見つかってない。

 案外、あなたの所有する101号室の庭の地中に、琴葉ちゃんの骨があるのかも……」


「ま、まさか、見つけたのか!?」


「いえいえ。

 犬や猫の骨はわんさか見つけましたがね。

 わざわざ地中深くにスコップを入れて、無数の骨の中から、女の子の骨を選び出すなんていう、そんな面倒臭いこと、やってませんよ。

 僕は一介の不動産転売業者に過ぎませんから。

 でも、疑ってるんですよ。

 大輝くんが琴葉ちゃんを誘拐して殺したと思って、あなたが実の息子を殺したんじゃないのかって」


「そんな証拠はどこにある!?

 実の息子を殺すわけなどない!

 自殺だ。残念なことだがーー」


「いいえ。

 あなたは大輝くんが、行方不明の女の子ーー鈴木琴葉ちゃんを殺した、と確信した。

 どうして、そう思ったか。

 それは、大輝くんが101号室を空けた機会を窺って、部屋の家探しをしたら、女の子の洋服が丸めてあったのを見つけてしまったからだった。

 だから、あなたは思った。

 ついに息子は、動物では我慢できなくなって、人間の女の子に手を出してしまったんだ、と。

 動物に慣れると、今度は人間の血をーー。

 そう思ったあなたによって、大輝くんは殺されたのです」


 中年男は声を裏返す。


「な、なんとでも言え!

 俺は悪くない。

 仕方なかったんだ。

 あんな息子は、人様に迷惑をかける前に、息の根を止めるしかなかったんだ」


 (うつむ)く父親の上原憲一に、内縁の妻・順子が寄り添った。


「憲一さんは、悪くないんです。

 私たちは大輝くんを理解しようと努めてきました。

 努力してきたんです。

 でも、理解できなかった。

 無理だったんです。

 あの凶暴な趣味には、付いていけませんでした。

 でも、大輝くんにも、仲良くなった女性がいたんです。


『私、大輝くんのことが、良くわかります。

 まるで幼馴染のように』


 と言ってくれた娘さんーー夢野モヨ子さんがいました。

 モヨ子さんは、大輝くんより三歳年下の二十四歳。

 県の施設にお勤めの公務員で、スーツが良く似合う、しっかりした女性でした。

 そのモヨ子さんと大輝くんは、仲良く公園でデートしていたようです。

 ところが、理解者のモヨ子さんまでも、大輝くんはフッてしまいました。

 裏切ったのです。


『アイツはーーモヨ子は、気に入らない。

 何か下心があって、俺に目を付けたんだ』


 と、大輝くんは被害妄想に囚われてしまいました。

 そして、琴葉ちゃんに手を出したーー。

 残念でなりません。

 でもーー。

 あの段階で別れて、モヨ子さんにとっては良かったのかもしれません。

 大輝くんはたしかに、私に向かって言っていたんです。


『いつか、人間を割いてみたいと思っていた。

 だったら、まずはアイツーーモヨ子だ。

 あの女は危険だ。

 殺さねばならない!』と。


 あれ以上、付き合っていたら、モヨ子さんが殺されていたかもしれません」


 父親の憲一も、両手で顔を覆い、喉を震わせる。


「大輝はーーあれでも、幼い頃は可愛く、優しかったんだ。

 でももう、優しかった頃の大輝は、この世にはいない。

 絶望していた矢先に、女の子の失踪事件だ」


「やはり息子さんが犯人だとお思いですか?」


 と竜胆社長が尋ねると、父親の憲一は怒声を張り上げた。


「当然だ!

 俺だけじゃない。

 差出人不明の投書が、我が家のポストに投函されていたんだ。


『ダイキという男が、女の子を連れ込むのを見た』と。


 そして決定打となったのは、息子が留守中に、あの部屋に入ったら、女の子の服があった。

 テレビやチラシで見た、行方不明になった女の子のモノと一緒だった。

 それに、革製の首輪がゴロゴロと。

 きっと、女の子の首に付けて、部屋内で引き摺り回したに違いない……」


 私が見つけた赤い首輪は、どうやら幾つもあった首輪の一つだったらしい。

 バスルームにも首輪が幾つもあったが、憲一さんはあの「解剖室」には踏み込まなかったのだろう。


 私は怖気をふるった。

 その一方で、竜胆社長は手を顎に当て、興味深そうに瞳を輝かせる。


「だったら、あなたが向かうべきは、まずは警察でしょう?

 たとえ息子さんが誘拐犯だとしても、早く警察が動いていたら、琴葉ちゃんの生命は救えたかもしれないのに」


 顔を真っ赤にして、白髪混じりの中年男は立ち上がる。


「大輝のヤツが誘拐犯だ、と警察に伝えるだと!?

 そんなこと、できるものか。

 義娘(さくら)の結婚式直前だったんだぞ!」


 一週間前に盛大な結婚式を挙げ、上原さくらは、好きな男性のもとに嫁いで行った。

 義理とはいえ、兄の大輝に不幸があった直後だというのに、挙式を諦めなかった。

 そのように上原憲一と順子が強く望んだので、婚家も承知したのだ。


 内縁の妻・順子がピッタリと上原憲一に身を寄せる。

 竜胆社長は溜息を付いてから、それまで黙っていた藤野亨という、私の先輩スタッフに向かって、目で合図した。


「さて、ここらへんで、ここの史蹟のお話を。

『濡れ衣を着せられる』という語源について、うちのスタッフに話してもらいます。

 これ、今回の事件、息子の大輝くんの死にも関わる話なんで、拝聴願います」


 藤野亨は、赤と緑のチェックのワイシャツに、黒のジャケットにジーンズという、随分と派手な出姿(いでたち)をしていた。

 そんな彼が、不自然なほど居住まいを正し、透き通るような声で喋り始めた。



「『濡れ衣を着せる』という言葉が生まれたのは、かなり昔のことです。

 西暦七百年代、聖武天皇の御代に、佐野近世という男が、京から妻と娘を連れて、筑前の国司に赴任しました。

 が、妻が病死してしまったので、仕方なく筑前の女を後妻にもらい、子供をもうけたそうです。

 ところが、よくある話で、後妻が前妻の娘である春姫を邪魔に思い、罠を仕掛けました。

 地元志賀浦の漁師に頼み、


『春姫が釣竿と釣衣をたびたび盗んで困る、返して欲しい』


 と、佐野近世ーーお父さんに言わせたんです。

 お父さんの近世は信じられなかったものの、後妻に(そそのか)されるままに、夜に娘の寝所を覗いたそうです。

 すると、どうでしょう。

 濡れた釣衣をかけて、娘が寝ていたではありませんか!

 お父さんの近世は激怒し、娘、春姫の弁明も聞かず、袈裟懸けに斬って捨てたんだそうです。


 ーーとまあ、お話としては、以上なんですが……。

 でも、これ、良くわからない話だと思いませんか?

 まさか京から下ってきた貴族のお姫様が、漁師のまとう釣衣なんて盗むものですかね?

 冤罪をでっち上げるにしても、無理筋じゃね? と思えてなりません。

 ですから、ボクは思ったんです。

 要するに、下人である現地の漁師ごときと、愛する娘が肉体関係を持ったのではないか、とお父さんが邪推したんじゃないか、と。

 釣衣って、要するに漁師のユニフォームじゃないですか。

 しかも男性の。

 それを娘の寝所で脱いで、立てかけるってことはーー、と。

 つまり、愛する娘が、身分卑しい男と、夜な夜な逢引きしている、と。

 そのように後妻が、夫に思わせようとしたんじゃないかと。

 そして、まんまと引っかかってしまったわけですね、お父さんは。

 でも、怒りのあまりとはいえ、実の娘を袈裟懸けに斬り捨てたっていうのはーー。

 なんとも、直情径行な父親で、酷いもんです。

 とはいえ、それだけ娘を可愛がって、信じていたんでしょうね。

 田舎の漁師ごときに、肌を許すはずがない、と。

 当然、お父さんは愛娘を斬って捨てたことを、深く後悔することになりました。

 翌年になって、夢で女が歌を詠むのを聴いたんです。


『脱ぎ着する そのたばかりの 濡れ衣は 長き無き名の ためしなりけり』


『濡れ衣の 袖よりつたふ 涙こそ 無き名を流す ためしなりけれ』


 お父さんの近世は、その歌を詠んだのが、娘の春姫と悟り、初めて後妻が春姫に『濡れ衣を着せた』と知った、というわけなんです。

 結果、悔やんだ佐野近世は、後妻を離縁して出家し、塚を建てたーー」



 上原憲一は苛立ちの声をあげた。

 苛立たしげに貧乏ゆすりをしながら史蹟の逸話を聴いていたが、我慢できなくなったようだ。


「それが何だ!?

 そんな千年以上も昔の、事実ともわからない話と、息子の死とに、何の関係がある!?」


 竜胆光太郎社長が、溜息混じりに答えた。


「まだ、おわかりにならないのですか?

 まったく似てるんですよ、その近世という父親と、あなたが。

 斬って捨てた相手が、娘と息子という違いはありますが。

 ああ、もっとも、春姫さんは大輝くんのような、動物虐待の性癖はないでしょうけど」


 上原憲一は、反射的に、自分に身を寄せる後妻・順子の顔を見る。

 順子は、すっかり青褪めていた。

 でも、憲一はそれを認めなかった。

 認めたくなかったのだ。

 憲一は激昂し、顔を真っ赤にして、竜胆社長に喰ってかかった。


「貴様、まさか順子が大輝に濡れ衣を着せた、というのか!?

 馬鹿を言え!

 何をどうやれば、そんなことになるんだ!?


「もちろん、彼女は主犯ではありません。

 いわば従犯ってやつです。

 ほんとうに恐ろしいのは、あなたが激発し、息子の大輝くんを手にかけるように、アイテムを仕込んで、計画を立てて実行した人物です。

 乗せられたという意味では、あなた同様、順子さんも同じ被害者とも言えるでしょう」


「誰が主犯だというんだ!?」


 額に汗を浮かべ、拳を握る上原憲一に向かって、社長は背筋を伸ばし、冷然と見下ろす格好で断定した。


「『夢野モヨ子』と称する女性です。

 ちなみに、知ってました?

『モヨ子』という名前は、ここの近所にお墓がある、夢野久作という作家の作品『ドグラ・マグラ』の登場人物の名前です。

 主人公を『お兄様』と呼びかけて慕う女性で、彼女のことを大輝くんはとても気に入っていました。

 だから、大輝くんに近づくために、その女はモヨ子と名乗っていたのでしょうね」


「そんな……。

 なんで、彼女はーー。

 いったい何が狙いだったんだ!?

 そうだ、アイツらは別れたって聞いたぞ。

 どうしてなんだ!?」


「さあ。男女の仲は移ろいやすいですからねえ。

 最初は純粋に大輝くんに対して好意を持って、近づいただけなのかもしれません。

 が、何かがあって変化したのでしょう。

 一ヶ月ほど前のことですから、ちょうど鈴木琴葉ちゃんが行方不明になった頃ですかね、二人が別れたのは。

 それからのモヨ子さんは、大胆に方針転換をして、順子さんと懇意にして、着々と罠を張り巡らせたようです。

 大輝くんに『琴葉ちゃんの誘拐犯』の嫌疑を向けて、お父さんであるあなたに殺させるために」


「つまり、俺は誤って息子を殺したと言うのか!?

 馬鹿な。

 証拠はあるのか!?」


「ありますよ。

 ほら、ご覧ください。

 これは息子さんの手記よりも、より客観的な証拠です。

 管理人の佐々木さんからもらった監視映像です」


 USBをタブレットに挿し込む。


「憲一さん、あなたもコレ、持っているんでしょ?

 あなたは『誰にも観せるな』と管理人に釘を刺したようですけど、彼、映像をコピーしてたんですよ。

 おかげで、琴葉ちゃんを誘拐した真犯人が分かりました」


 その盗撮録画は、大輝くんが死ぬ前日まで続いていた。

 おかげでその直近一ヶ月間の映像を、竜胆光太郎は手に入れることができたのである。



 犬猫を切り刻む残虐シーンを見るのは心が痛むから、竜胆社長は映像を早送りにした。


「僕が検証したかったのは、誰があのサンダルを置いたのか、ということです」


 結果、息子の留守中に女二人が入り込んで、女の子用のサンダル、そして衣服を隠していくさまが映っていた。

 大輝が死ぬ前々日の、昼過ぎのことであった。


 上原憲一は両目を見開いたまま、全身を小刻みに震わせていた。

 そんな、驚愕する売主に、竜胆光太郎社長は問いかける。


「この女性二人ーーご存知ですよね、憲一さん」


「ま、まさか……」


「僕はあなた一人をこちらへ呼び寄せて、この記録映像を観せるつもりでした。

 陰謀を働いた本人ではなく、騙されたあなたに、まず確認を取らせたかったからです。

 ですが、私にとっては、奥さんを連れて来てもらって助かりました。

 おかげで、ここに映っているうちの一人が、順子さんだと僕にもわかります。

 そして、もう一人、女の子用のサンダルを持って、リビングの外にまで出向いて、いったんカメラ画像から見切れてしまっている女性がいます。

 ほら、ベランダを映した画像の方に移動していますよ。

 僕にとっては会った事がない女性ですが、憲一さん、あなたなら見知った方ですよね?」


「大輝のカノジョだ……」


「やはり、そうでしたか!

 一人は息子の大輝くんとお付き合いされていた、夢野モヨ子さん。

 そして、もう一人は、あなたの現在の奥さん、順子さん。

 彼女らが置いていったんですよ。

 あなたが、息子さんが少女を誘拐したと確信するに至った『証拠品』を。

 それこそ、息子の大輝くんに『琴葉ちゃんの誘拐』という『濡れ衣を着せる』ために」


「嘘だ。信じたくない。

 順子、おまえ……!」


 上原さんは、顔に青筋をたて、頬を痙攣させた。

 目は吊り上がっていた。

 思わぬことを聞かされて、頭も心も混乱状態になってしまっていた。


 竜胆社長は、水色スーツの襟を正しつつ、まっすぐ上原憲一を見据えて語る。

「あなたは、女の子の服が、大輝くんが住む部屋で、丸めて置いてあったのを目にしただけで、息子さんが琴葉ちゃんを誘拐した、と決めつけた。

 首輪までがゴロゴロとあったから、きっと女の子を裸に剥いて首輪で繋ぎ、ついには解剖したのだ、と。

 ところが、その女の子の服は、後妻である順子さんと、息子さんと付き合っていた元カノであるモヨ子さんが仕込んだ罠だった。

 あなたはまんまと騙されて、息子の大輝くんを殺害してしまった。

 そしてその後、証拠隠滅を図って、女の子の服とたくさんの首輪を抱えて出て行って、これらを捨てた。

 でも、あなたはサンダルの存在に気付かなかった。

 サンダルだからって、モヨ子さんが、ご丁寧にベランダの外に置くものだから、あなたは気づかなかった。

 あなたにしてみれば、こんな気色悪い場所ーーしかも息子が明らかに常軌を逸した、残忍な性癖を持っている証明となる現場なんかに、長居したくない。

 できるだけ早く逃げ去りたい。

 だからこそ、ベランダにまで足を伸ばすことがなかった。

 そのため、サンダルに気付かなかった。

 モヨ子さんのキッチリとした性格が、かえって仇となったわけです。

 奥さんの順子さんも、証拠となる衣服を、あなたの目に付くところに捨てるだけで手一杯で、モヨ子さんがサンダルを何処に隠したか、見定めていなかったんでしょう。

 彼女にしてみれば、大輝くんに濡れ衣を着せて、あなたに殺させるだけで十分だった。

 女二人は、見事に、大輝くんに『濡れ衣を着せる』ことに成功したわけです。

 そしてそれから、憲一さん、あなたは大輝くんを殺した後、息子が生きた証とも言えるこの部屋を所有していること自体が気持ち悪くなったんじゃありませんか?

 だから、部屋ごと処分してしまおうと、性急に物件の売却を決めた。

 おかげで、不動産転売業者である僕が、あなたの息子である大輝くんを、あなたが殺害したんじゃないか、と『妄想する』端緒を得てしまったんです」


 上原憲一は後妻・順子の身体を突き放し、怒りと侮蔑の滲んだ目を向けた。


 憲一と順子は数分間、睨み合っていた。

 長く重苦しい沈黙が続いた。


 が、やがてその場の空気を裂くような、順子のけたたましい笑い声が響いた。

 内縁の妻は気が狂ったように、笑い転げたのだ。

 ついさっきまで青褪めていたのに、証拠映像を目にした後は、完全に開き直っていた。


「だって、仕方ないじゃない!

 私はいつまで経っても、『内縁の妻』。

 憲一さんとは結婚できないんだもの。

 前妻の和美が、あなたと正式に離婚しないせいで。

 だからせめて、目障りな継子の大輝を排して、自分の娘さくらの幸せを願って、何処が悪いの!?」


 ここまでの激しいやり取りを耳にして、ようやく私にも事件の全体像が掴めてきた。


 近所で行方不明となったペットは、上原さんの息子、上原大輝だけではなく、謎の女・夢野モヨ子によっても、何匹も連れ去られていたのだ。

 大輝と同様、動物を(もてあそ)び、解剖するために。


 モヨ子は、やがて同じ趣味を持つ存在、上原大輝に気が付き、接近した。

 ひょっとしたら、「鈴木琴葉ちゃんを誘拐して、解剖しよう」とでも持ちかけたのかもしれない。

 だが、大輝の方は、人間にまで手を出すつもりはなかった。

 だから、付き合いをやめた。


 予想外の反応に、焦ったモヨ子は、一転して、大輝を亡き者にしようと決心する。

 結果、大輝の義理の母である順子に急接近した。


「じつは私、大輝くんの動物虐待に我慢ができなかったのです。

 このまま悪趣味の彼を放置しておくと、娘のさくらさんの縁談も危うくなりますよ」


 などと脅して、協力を取り付ける。


 そしてモヨ子と順子の二人で、大輝が少女誘拐の犯人と思わせ、父親の上原憲一に殺させるよう計画を立てる。

 実際の琴葉ちゃんの衣服を大輝の部屋に仕込んで、父親、憲一の疑念を確信に変えて、見事に嵌めることに成功したーー。



 ということは、おのずと、鈴木琴葉ちゃんを誘拐した真犯人は誰か、明らかになった。

 琴葉ちゃんの衣服、そしてサンダルを持ち出してきた人物が、真犯人だ。

 つまり、「夢野モヨ子」が、琴葉ちゃん誘拐の真犯人だったのだ。



 それにしても、順子さんは、どうしてモヨ子が、それらの「証拠品」を持ち出してこられたのか、疑問に思わなかったのだろうか。

 テレビなどの報道を元に、自前で買うなどして用意した、とでも聞かされていたのだろうか。

 良くはわからないが、仮にモヨ子が誘拐犯とは思っていなくとも、順子さんは、義理の息子の大輝に「濡れ衣を着せる」気は満々だったわけだーー。



 社長と上原憲一の話し合いは、佳境に入っていた。


「上原憲一さん。

 あなたも僕と同じ監視映像を観ていたんじゃないのですか?」


「あ、あんなおぞましいもの、観れるか!

 息子が、嬉々として犬や猫を切り刻む姿などーー」


「ごもっともです。

 が、その結果、あなたは息子を手にかけることになった。

 残念です」


「ああ、俺は息子を信頼できなかった。

 あいつは、危ないヤツとずっと思っていたんだ……」


 憲一は呆然として、項垂(うなだ)れてしまった。

 竜胆光太郎社長を相手に、ついに降参したのだ。

 竜胆社長の「妄想」が、息子殺しの父親を降伏させたのである。


 だが、そんな内縁の夫を、後妻が励まそうとする。


「仕方なかったのよ。

 大輝さんはいずれ酷いことをするに決まってるんですから。

 さくらの幸せのためには、他に方法が……」


 中年女が泣きながら、内縁の夫に抱きつこうとする。

 経緯はどうあれ、自分たちは正しかったという思いを、順子は捨てる気はなかったのである。


 だが、中年男は、そんな後妻の執着を、身体ごと思い切り突き飛ばした。

「きゃあ!」と悲鳴をあげて、椅子から転げ落ちる順子を尻目に、夫は天をふり仰ぐ。

 そして、おおおお! と叫びながら、S橋に向けて走り出してしまった。


 内縁の妻・順子は泣き崩れて、顔を覆うばかりだった。

 濡衣塚の史蹟でーー。


◆6


 それから十日後ーー。


 鈴木琴葉ちゃんを誘拐した真犯人が逮捕された。


 警察に差出人不明の投書があったことが、犯人逮捕のきっかけとなった。


『TH公園に出没する「夢野モヨ子」と自称する女が、琴葉ちゃんを自宅へと連れ込んで行くのを見た』


 という投書だった。


 やはりあの、上原大輝にまとわり付いた女ーー「夢野モヨ子」が誘拐犯人だった。

 鈴木琴葉ちゃんを(あや)めて獲得した証拠品(トロフィー)は、赤いリボンだった。


「このリボンは、琴葉ちゃんのお気に入りだったから。

 コイツを強引に頭から引き剥がしてやると、あの子、わんわんと泣いてねえ。

 悲しむ琴葉ちゃんの顔を見るのは、最高だったわ」


 とモヨ子ーー本名・木村聡子は述懐した。


 彼女の供述によって、福岡市の某山間部で、鈴木琴葉ちゃんは遺体で発見された。

 わずか四歳の女の子の、あまりに酷い姿に、両親は正視に耐えられず、泣き崩れたという。


 誘拐殺人の動機を問うたら、モヨ子を自称する、公務員の女は、淡々と語った。


「人間を(さば)いてみたかった。

 犬や猫には飽きたから」


 福岡県警での取り調べの際、「どうして女の子を狙ったのか?」と問われたときには、


「もちろん男の子でも構わなかった。

 でも、女の子を生贄にすると、犯人は確実に男だと思うでしょ?

 だからーー」


 と答えた。

 そのとき、モヨ子は薄っすらと口の端を(ほころ)ばせていたそうだ。


◇◇◇


 結局、有名ブランドマンションのワンルーム事故物件101号室は、古賀渚さんの仲介によって、竜胆不動産がタダ同然の値段で買い取ることに成功した。

 上原憲一の行方は依然として知れないが、非通知設定の電話があって、


「竜胆不動産に、社長の言い値で、101号室物件を譲る」


 との連絡があったそうだ。

 必要書類が何処からか送付され、不動産売買の契約を結ぶことができた。



 そして、天神の都心部でオフィスを構える、竜胆不動産ではーー。


 無事に手続きを終えて、101号室のリフォームのアイデアを出し合っている最中、私、神原沙月は、竜胆光太郎社長と、今回の「事件」の後始末について質問した。


「お父さんの息子殺しについて、警察にはーー?」と。


 すると、竜胆社長は、椅子の背もたれに体重をかけて、脚を組み直す。


「もちろん、告発なんて、しないよ。

 そんな面倒臭いこと、する必要ないでしょ?

 犯人の上原憲一は現在、行方が知れないし、それを広域捜査にかけるよう警察に訴えて動かせるほどの物証なんてない。

 監視映像の証拠も、女二人組が上原大輝に『濡れ衣を着せた』証拠になるだけで、父親の上原憲一が息子の大輝を手にかけた証拠にはならない。

 実際、憲一がどうやって殺して、息子を自殺したと見せかけることに成功したのか、まるでわからないのだからね。

 つまり、例の如く、僕の推理は、ろくな証拠もない『妄想』に過ぎないのさ。

 それに、息子殺しをヘタに暴露すれば、結局、上原さくらさんの家庭を壊すだけだろ?

 盗撮カメラを設置した佐々木さんだって、無事では済まない。

 そもそも大輝くん自身、このまま野放しにしていたら、いずれはエスカレートして、モヨ子と同じく、人間相手に解剖実験を始めたかもしれないんだ。

 そう考えると、お父さんの憲一は、将来の禍根を摘み取った、ということになる。

 正義の行為と言えるだろ?

 もちろん僕だって、警察が、息子殺しの嫌疑をかけて上原憲一を逮捕するなら、それでも良いと思ってる。

 あの父親が、進んで自首するなら、なお()しだ。

 でも、義理の娘さんの幸せを思うなら、そんなこと、憲一さんに出来はしないさ」


「でも、内縁の妻が酷くない?

 大輝さんに濡れ衣を着せて、そのままっていうのはーー」


「おいおい。

 あれだけの犬や猫の生命を残酷に奪ったオトコに、君は同情するっていうのかい?

 これは意外だな。

 てっきり、あの血濡れた凄惨な現場が、連日連夜、悪夢として現れて困っていると思っていたのに」


「いえ……実際に、今だに、うなされて夜中に起きたりしてるんですが……」


 竜胆光太郎はティーカップに手を伸ばして紅茶を飲み干した後、一気に(まく)し立てた。


「訳あり物件や事故物件を扱うと、どんな物件にも、様々な、複雑な事情が背景にあるとわかってしまう。

 けれども、僕は売主と買主という以上の、踏み込んだ関係は持とうとは思わない。

 物件を売りに出した事情の詳細は、転売のために調べはするけど、他人には口外しないことをポリシーにしている。

 だって人間、誰だって、叩けば(ホコリ)が出るものだからね。

 別に僕は世直しをしてるんじゃないし、正義の味方を気取るつもりもない。

 人間のあり方を、他人が変えるなんて、そもそも無理な話なんだ。

 そんな自己満足に浸っていたら、利鞘(リザヤ)は取れないよ。

 君も将来、会社経営をしたいのだったら、もっと現実的になるべきだ。

 そもそも、ウチは小さな会社だ。

 しかも、訳あり物件や事故物件を扱っているんだからね。

 お客様の信用を得るためにも、お客様のプライバシーについては、承知したとしても、それを公表なんてしない。

 物件を売るためのデータとして、下調べをする以上のことを、やる気はない。

 そうした事情は竜胆不動産(ウチ)に入ってきた全員に叩き込むつもりでいるから、君もよく覚えていてくれ」


 そんなことを言いながらも、


『TH公園に出没する「夢野モヨ子」と自称する女が、琴葉ちゃんを自宅へと連れ込んで行くのを見た』


 という手紙を、竜胆社長が、わざわざ複数の古新聞から切り取った活字を貼り付けて作っていたのを、私は知っている。

 他にも、事故物件を購入した直後に、なにやら怪しげな呪文めいたものを、社長が物件に記していくことも。


 事故物件購入の三日後、知り合いの清掃業者に頼んだおかげで、すっかり掃除をし終えた101号室に訪れた際、今回は黒い線で、三角形に囲われた怪しげな図を、七つも101号室の巨大なバスルームの床に、竜胆社長は記していた。

 そして、変な字を書く。

 たしか、濡衣塚で見た梵字というやつだ。


 リフォームで寸法を測るために同行していた私に、先輩の藤野亨が教えてくれた。


「あの梵字は、大日如来(だいにちにょらい)宝幢如来(ほうとうにょらい)天鼓雷音如来てんこらいおんにょらいを表す言葉なんだそうで、それぞれに意味があるらしいよ。

 良くは知らんけど」


「ふうん……」


 そうした怪しげな振る舞いをするときの社長は、いつも凄みを感じる表情をしていた。


 竜胆光太郎社長は謎多き人だけど、この人なりに、なにか信念を持って、この仕事をやっているみたいだ。

 たしか「霊道」を塞ぐために、日本全国を渡り歩いているーーと、藤野先輩は言っていた。

 その信念の内容を、私が具体的に知る日が来るのだろうか。

 それが待ち遠しいとも、一切、知りたくないとも、思われる。

 まったく相異なる、正反対の思いが、私の心の中で渦巻くのを感じていた。


◇◇◇


 そして半年後、上原憲一が四国遍路の旅に出ていたことが判明した。

(ちなみに、そのときには、私を含めた竜胆不動産の面々はすべて福岡にはいなかったが)


 上原憲一は、ゆっくりと遍路を終えてから警察に出頭して、息子殺しを自供したのだ。

 その頃には、とうに例の101号室の転売を終えており、結果として、竜胆不動産は警察に関わることを避けることができた。


 ちなみに上原憲一は、将来を悲観して、自分が息子の大輝を殺したこと、そして息子のカノジョである夢野モヨ子(本名・木村聡子)に嵌められたことを明かすのみで、内縁の妻・順子が、モヨ子と共謀して、自分を息子殺しへと誘導したという事実については、伏せられたままであった。


 だが、公的に罪を得ることがなかった内縁の妻・順子であったが、彼女には幸福は訪れなかった。

 幸い、娘のさくらは夫婦円満で、半年後、上原憲一の自首後であっても、さくらの夫や義両親はさくらを守った。

 今回の息子殺しの大罪について、それは義理の父と兄の間で起こった事件であって、直接、さくらとは血の繋がりはないということで、夫が愛する妻・さくらを手放さなかったのだ。


 だが、さくらの実母である順子が、この事件に関与しているに違いないと勘付いていた娘夫婦は、順子に心を許そうとしなかった。

 一切、会おうともせず、翌年、男の子が生まれたものの、その孫とも順子に会わせようとしなかった。

 完全に、娘夫婦は、母・順子との縁を切ったのである。


 もとより内縁の妻だったので、順子は上原憲一から離縁されることがなかったものの、実の娘のさくらから離縁されるに至ったのは、じつに皮肉な結果だった。


 なお、自称・夢野モヨ子こと、木村聡子は、精神鑑定を受け、いまだ裁判での結審を得ていない。


(了)





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