記憶と引き換えに
「美加理、あの子の言っていたことは本当か?」
フェリシアと使用人がいなくなると、すぐに病気のことを言及された。
「っ…………本当です。ただ、死が近いことを言われたのは昨日の夜だったので…それにライヤ様のこともあって…なかなか言うタイミングがなかったんです…」
「何の病気にかかっているんだ…?」
「………たまに咳が出て、血を吐いたりする……今の所はそんな感じです」
「ッ……!!何故そのことを早く言わなかったんだ!?昨日宮廷で咳をしていた時にでも言ってくれれば良かったものを…!!」
私がどんな症状を患っていたのかを知った途端、アレキサンドラは血相を変えて私の肩を掴み、平静を失って問い詰め始めた。
「ッ!?えっ…あ、その…だって愛妾辞めたって噂広まってましたし…そんな中でわざわざ言いに行くのも…」
私は、アレキサンドラの愛妾を辞めることを始めた時から死が近づいていることはなんとなく悟っていた。
私が血を吐いたりしたのは、今思えばアレキサンドラのことで主に悲観的なことを考えていた時であり、好きだと自覚しかけていた頃のことだった。
ミカエラの言う通り、アレキサンドラを好きだと認める瞬間に死を迎えるというのなら、少なくとも初めて血を吐いた時点でアレキサンドラを好きになっていたということなのだろう。
「ッ………俺を愛した記憶がないと言われたあの日…無理にでもお前を引き留めていれば…こんなことにはならなかったのか…?」
後悔に苛まれるように、アレキサンドラは静かに涙を流した。
この人の泣く姿は、今まで一度も見たことがない。普段は辛そうな顔を全く見せなかった人だからこそ、目の当たりにして胸が締め付けられる。
私が死にそうになっていることで、アレキサンドラや大事な人をこんなにも辛い思いをさせ、苦しませている。
もう、これ以上悲しむ人を増やしたく無い。
記憶を消す代わりに、健康な身体に戻した方が良いかもしれない。そうすれば、私の身体は少なくとも死なずにいられる。
「………大丈夫…です……私……死ななくて済む方法を……見つけ………ぅゔッ…!!」
言葉が、途切れ途切れになっていく。
また、あの現象が起きようとしているのだ。
もう一人の私━━"ミーシャ"が目醒めている。しかし、今は意識を乗っ取られている感覚が一切ない。
「っ………私は…アレンのことも…大事な人のことを…もう二度と忘れたくないっ…」
「……!?美加理…?」
"ミーシャ"が、自分の思いを喋り出す。
やっと記憶を消そうと決めたのに、その気持ちを揺るがそうとしないで欲しい。
このままアレキサンドラの近くにいたら、私はミカエラを呼ぶよりも先に好きだと認めてしまいそうなのに。
「ぅううッ…!!認めたくなんか…ないっ…!もうこんな苦しい思いするくらいなら…全部忘れた方が…っ……そんなのだめ……私は忘れる方が嫌…っ…!!」
また邪魔をされてしまう。"ミーシャ"も、死んでアレキサンドラや他の大事な人たちを悲しませたくないはずだ。悲しませるより、忘れる方が嫌だと言うのは、"ミーシャ"らしくない。なにより、これが私の本心であることを信じたくない。自分のそんな我儘で、大事な人を傷つけたくない。
"ミーシャ"の想いを掻き消そうとすると、胸がぎりぎりと締め付けられる。
「うぁあッ…!!ぁあッ…!!邪魔…しないで…っ…はぁっ…はぁっ…!!ぅ……うぅ…」
「美加理…!?苦しいのか…?今医者を呼んでやる…だから持ち堪えてくれ…!」
息が苦しい。
心を押さえつけようとすればするほど、限界に近づいていく気がする。
そうでもしていないと、私は好きだと認めてしまう。その瞬間に、一日経ったら死んでしまう呪いがかかる。死ぬことで悲しませるくらいなら、記憶を全部消して生き延びる方が良い。
記憶が無く純粋無垢でまっさらな人格や、前世で生きるために作り上げてきた人格だけではない。好き、嫌い、楽しい、悲しいといった様々な感情を抱いた思い出も何もかもだ。
サラには何度も面倒をかけてしまったが、その分愛情を持って世話をしてくれたこと。
腹黒同士でグレイと主従関係なく砕けた会話をしたこと。
本来なら交流すら叶わなかったはずのアリスと友達になれたこと。
フェリシアと何度も遊んで、いなくなったら嫌だと言ってもらえるほど仲良くなったこと。
前世の幼馴染かつ親友である柚莉奈と、ユリアナに転生した形で再会し、また前世のように話せたこと。
既に妻がいるグランディエに迫られて腹立たしさを覚えたが、最後にはカンナの魔の手から守ろうとしてくれていたのを知り、最終的に和解できたこと。
ライヤの身体に転生した元彼の真佑に、今までの努力や全てを否定され、絶望したこと。
アレキサンドラが、どんな私も受け入れてくれたこと。
それらの大事な記憶を、全て失おうと。
《っ……今ここで死んで…アレンのことを悲しませるのも嫌だけど……っ…でも…私は…それと同じように……》
ついに"ミーシャ"は、脳内で喋り始める。
嫌だ。
もう喋らないで。
これ以上、私を苦しめないで欲しい。
《私は…っ…貴女の…美加理の心も守りたいの…!》
"ミーシャ"がそう言った途端、何かが破裂した。
「がはっ………げほっ…!!ぅえッ…ゲホッ…!!!」
自分の心がぐちゃぐちゃにされた衝動があまりに強すぎて、今までとは比べものにならない大量の血を吐いてしまった。
「美加理…!?大丈夫か!?」
吐き出された大量の血は、私やアレキサンドラの手も汚していく。
死にたくない。
苦しい。
怖い。
誰か助けて。
それでもなお、血は口から出続ける。
血はもう見慣れたはずなのに、怖くて涙が出てくる。
次第に眩暈がしてきて、頭は真っ白になり始める。身体が耐えきれず、私はアレキサンドラの腕の中で倒れ込んでしまった。
「美加理っ!!」
アレキサンドラの、涙が滲んでいる綺麗な青い瞳が、今ではこんなにも愛おしいと思ってしまう。
それぐらい私はアレキサンドラのことを好きになっていたのだと、こんな時に実感してしまう。
このまま死んだら、もう好きだとも言えなくなる。
「…アレ…ン…ッ……死にたく…ない…っ…」
「ッ〜〜〜!!!誰か来てくれ!!美加理が…っ…!!」
目を開けているのも限界で、周りが大騒ぎになっている中、私は目を瞑った。




