最後の取引
「最後の取引」
悪魔と呼ばれるのを嫌がるくせに、それらしく見えるような漆黒の衣装。腹の中と同じぐらい髪や目の色が真っ黒のアイツが、目の前でにやにやと笑いながら私を見下ろす。
相変わらず腹立たしい顔だ。他の能力は信用ならないが、人をイラつかせる力だけは保証できるほどに。
《ほんっとさぁ、記憶がないアンタってバカだよねぇ。死ぬ結末を迎えるって分かってるくせにアンタに余計なこと言うわアレキサンドラへの想いを自覚させようとするわで…そんなに好きならあの時もあたしのことなんか無視すりゃ良かったのに!あははは!!》
記憶喪失中の私がどんな思いでアレキサンドラを忘れようとしたのかを知ってるくせに、ミカエラは本物の悪魔より意地悪な顔で笑い出す。
私はもう我慢できなかった。
「ッ……!!"ミーシャ"がどれだけ辛かったと思ってんの!?本当はアレキサンドラともっと一緒にいたかったはずなのに…っ…アンタが不安を煽ったせいで…!!」
ミカエラの胸ぐらを掴もうとしても、人間ではない相手には通用しない。怒鳴りつけても、何も響いた様子はない。堕天使に対する何もかもが、すり抜けていってしまう。
《でも、あたしがそうしなかったら今のアンタはどの世界にももう一度現れることなんて出来なかった。そうでしょ?》
「ッ……!!本当はこうして生きるつもりなんて全くなかった…!!変な取引のせいで勝手に生き返らせられて…しかもアレキサンドラが私を突き放す未来があるって分かってるから…生きるのも嫌になってたのに…っ」
勝手に生き返らされた時は、本気でそう思っていた。しかし、ここで過ごしていくうちに私の気持ちは変わっていた。サラやグレイ、アリス、それにアレキサンドラと仲良くなってしまい、死ぬことを意識しなくなっていった。
それだけではない。ユリアナが親友の柚莉奈だったと知った上に、今はアレキサンドラを好きだと認めてしまいそうで、まだ死ななくても良いと考えるようになっていた。
「ッ……ミカエラが余計なことしなければ…私はこんな辛い思いしなくて済んだ…!!それに…っ…アレキサンドラを好きだって認めたら……っ…!!」
こんなにも辛いことが、今まであっただろうか。
前世でいじめられた時や、真佑に裏切られたこと。"ミーシャ"の時に経験した、クローズ伯爵家による虐待。アレキサンドラを無意識に想う度に、血を吐くようになったこと。
どれも辛かったはずだが、それさえも霞んで見えてしまう。ミカエラの前で泣きたくないのに、涙がまた頬を流れていく。
《…どうしてもアレキサンドラの側にいたいなら、最後の取引する?それが終わったらもうあたしはアンタの前には現れないから》
空気も読まず、また妙な提案を持ちかけてくるミカエラは、堕天使ではなく本当の悪魔みたいだ。否、もう今では悪魔の方が全然可愛いとすら思う。
《死なずに済んでアレキサンドラの側にもいられる代わりに、前世のことも今までの記憶も全部忘れることになる。そうすれば魂のぐちゃぐちゃすら無くなって、いずれ壊れることもないよ》
「…………本気で言ってんの?」
《ちゃんと考えてるよ。そうするって決めたらあたしを呼んで。でも、その前にアレキサンドラを好きだって認めたら今と同じように死ぬのは変わらない。これでどう?美加理》
全ての記憶を失う。
それは私の人格が何もかも無くなってしまうことに等しい。
記憶が戻ったばかりの、人生に諦めていた頃なら、ミカエラのこの提案をすぐに受け入れていた。今もなお、死ななくて済む上に、まだまだアレキサンドラや友人の側にいられるというメリットもあり、揺らいでしまう。
初めてミカエラに契約を持ちかけられた時のように。
しかし、ミカエラの出す提案に乗ったらろくなことにならないのは身を持って知っている。死の危機に瀕しているのも、そのせいだ。
ここでちゃんと話をつければ、ミカエラが惑わそうとすることは二度とない。だからと言って、やはりミカエラを完全に信用することはできない。そんな相手に対して、最後には少しぐらいわがままを言っても、バチは当たらないだろう。
「………好きだって認めたら死ぬ?それって一瞬??少しは時間に猶予持たせるとかないの??うーわ心狭すぎ〜〜!!神にも等しい存在なんて自称してるくせにやってること普通に悪魔じゃん(笑)」
ただこっちから条件の付加を頼んだところで、ミカエラが聞くわけがない。だから、あえて煽ってやろう。
こういうのはアメリとマティルダを懲らしめた日以来で、今回はあの二人以上に腹が立っているため、煽ると心なしか気分が良くなってきた。
《…………………は??》
ミカエラは悪魔って言われた上に煽られてるせいで、余裕ぶっていた表情は一変し、怒りで震えていた。
「やってることが悪魔じみてるくせに神にも等しいなんて烏滸がまし過ぎ(笑)1日どころか数秒も時間くれないなんて外道だろ(笑)その辺の借金取りですら一応午後まで待つとか言ってくれんのに(笑)ミカエラって実は借金取り以下の下衆ですかぁ???(笑)やーい借金取り以下のクソ悪魔〜(笑)」
《ぁあああああもう!!!うるさぁああああい!!!悪魔なんて呼ぶなこの腹黒クソ女!!分かった!!あの男を好きだって認めた瞬間に残りの寿命1日にしてやるから覚悟してよ!!!》
ミカエラにとってトドメの一言を刺したら、いつものスカした意地悪な喋り方に余裕がなくなった。
1日ならば、このクソ悪魔にしては上出来だ。本当に数秒しか寿命の残り時間をくれなかったら、一回ぶん殴ろうかと思っていた。
「わ〜流石は神にも等しい美しきミカエラ様〜」
思っていたより良い条件だったため、心にもない賞賛の言葉をミカエラにかけた。
《どうせ褒めてんの嘘でしょ!?あーやだやだ!!記憶全部消すかどうかさっさと決めて!!》
ふん!!と吐き捨てて、ミカエラは砂のように消えていった。
さて、問題はここからだ。
本当に記憶を全部消すか、アレキサンドラを好きだと認めてしまうかを考えなければならない。
コンコン…
「お嬢様、どうかなさったのでしょうか?」
サラだ。私がミカエラといる時に騒いだせいで、わざわざ様子を見にきたのかもしれない。
「えっと…なんでもない。ちょっと発声練習を…」
変な心配をかけたくないので、貴族令嬢として有り得ない理由を使って誤魔化した。
ガチャッ
私の無理やりな言い訳に呆れた顔をしながら、サラが入ってきた。
「なんの発声練習ですか全く…まあ最近のお嬢様は暗い顔ばかりしていらっしゃったのでむしろ安心しますけど…」
暗い顔をしていただけで心配してくれるサラを見ていると、胸が痛くなる。もし、私が死んだら、どれだけ悲しませてしまうのだろうか。
私に忘れられることは、もうサラにとっては慣れていることだろう。むしろ、死なれる方が辛いかもしれない。
「それよりも…王妃陛下がお呼びですので、急いで支度を致しましょう」
「……分かった…」
恐らく、リナリア様に呼ばれたのはフェリシアのことだろう。
最近、二人にも会えていない。一時期、アレキサンドラの愛妾を辞めていたせいだ。
記憶を失うか死ぬ前に、ちゃんと会っておかないといけない人が沢山いる。
そう考えながら、私はリナリア様の元に向かう準備をした。




