真相に近づく
「んんッ……もう朝か…」
もう朝を迎えていると気づき、私は眠い目を擦りながら背伸びと欠伸する。
そこで、私は気がついてしまった。
今、服を着ていないことに。
「っ!!はぁ……"ミーシャ"か…」
前にも同じようなことはあった。しかし、今の私は何故こうなったのかを一瞬で理解してしまう。
真佑のことで落ち込んでいた所を、アレキサンドラに慰められていたのは明確に覚えている。
一番謎なのは、自分にはアレキサンドラに抱かれた覚えなどないのに、その時の様子も感触も何故か鮮明に記憶に残っていたからだ。
幸いアレキサンドラがもう帰っていたから良かったものの、今はそういう事実があったというだけで、顔が熱くなってしまう。
(はぁ…もうどうしよう…アレキサンドラを好きだって認めたくないっていうのに……ん?っていうか、そもそもなんで好きになっちゃいけないって頑なに思うんだろ…?)
好きになってはいけないと思うのは、後々新たな愛妾に心変わりされて裏切られるという最悪な可能性を考えたからではないのではと、今までは思い込んでいた。しかし、改めて考え始めると、頭の中で異様なほどに思考が働き出す。
(そういえば昨日の夜…もう一人の私に乗っ取られる前に…"アレキサンドラを好きになったら死ぬ"って冗談みたいなことを思ってたような………っ……!なんか……頭…………が……)
何気なく思っていたことを考え出した途端、頭の中で前にも見た光景が流れ出そうとする。
同時に、何かを思い出そうとすると頭にもやがかかって頭痛を覚える現象にも襲われた。だが、私はその現象に抗おうとは思わなかった。
そのまま、頭の中に流れる光景を覗き込むため、その副作用で起こる目眩に誘われていった。
ーーーーーーーーーーーー
「ッ……!?ここは……!?」
"ミーシャ"━━記憶喪失中の私が目の前にいるミカエラと共に真っ暗な空間に立っている。
アレンと結ばれて眠りに落ちた時、ミカエラによってゲームの一番最悪なバッドエンドを見せつけられ、今は幸せでも、そのうちアレンから冷たく突き放されるかもしれないと恐れる気持ちを抱いている。
アレンに突き放されるのは嫌だ。
だからと言って、アレンのことを嫌いになりたくないと。
いっそ、今知ったことを全部忘れられれば良いのに。
そう考えてる私に向かって、ミカエラはいつもの意地悪な話し方とは違い、気味が悪いとすら感じる優しげな声で告げる。
《あたしはアンタのその気持ち、救ってあげられるよ》
それはまるで、悪魔の甘い囁きかの如く。
「え……どういうこと?」
《アンタの人格を前世の『天音美加理』のものに戻してあげる。その代わり、"ミーシャ・グレイス"として生きた記憶を全部消して、アレキサンドラのことを信じて疑わなかった時までのアンタの人格は魂の中で眠ってもらう。
もう二度と思い出すことなんてできないように…ね》
ミカエラが、私に向かって妙な取引のようなものを持ちかけてくる。今とは違って意地悪そうな顔をして笑ってはいないのが、一層不気味だ。
「………そんなことできるの?」
今の私がしないような、純粋無垢な返答だ。
つくづく自分とは真逆だとぼんやり思っていると、頭の中で"ミーシャ"の思いが流れてきた。
アレンのことを、もう二度と思い出すこともできないのは嫌だ。
しかし、ゲームのバッドエンドのように自分が不幸になり得るアレンを憎みたくない。だからこそ、愛する気持ちを忘れた方がずっとマシだ。ミカエラの提案に心が揺れ動いてるのが、ひしひしと伝わってくる。
《できるよ。人の心と記憶の操作なんて容易いし。で?どうする??》
ミカエラに究極の選択を迫られ、私自身は泣いているわけではないのに、涙が零れ落ちるのを感じる。
「ッ…………わ…たし…は………」
辛い思いをしないで済むために、アレンとの記憶を無くすべきなのだろうかと迷う気持ちが、頭の中をぐるぐると回る。
離れていた時間を取り戻すように、アレンと一緒に過ごしたい。この先、どんなことがあろうと、愛妾として周囲に疎まれる日が来ようと構わないと思っていた。その気持ちは絶対に変わることはない。
アレンを愛し続けると決めた。アレンは何があってもそばに居てくれると信じていたい。そう思っていたのに、突き放される日が来るかもしれないことを知ってしまった。いつか訪れるその日に怯えて過ごすのは、耐えられない。
何より、そんな不安な気持ちを隠してまでアレンのそばに居たいと願ってしまう自分が嫌だ。
"こんな自分に、アレンを愛する資格なんてない"
その思いが頭に浮かんだ途端、口が勝手に動き始める。
「……全部消す。このまま過ごしていたら……アレンを傷つけるかもしれない………」
悩みに悩んで決断したこの時の気持ちは、どういうものだったのか。私自身は覚えていないはずなのに、こっちまで心が締め付けられる。
いつか本当に突き放されると分かっていながら、このまま愛し続けるのは無理だ。その嫌な気持ちを抱えたまま、アレキサンドラを好きでいるのは嫌だ。あの人を憎みたくない。
それなら、全部なかったことにすれば良い。
苦しい想いが胸の中で溢れ出して、"ミーシャ"だけではなく、自分までも涙が止まらない。
《…ならその対価として、アレキサンドラを愛する気持ちを貰うよ。消した記憶が二度と戻らないようにね》
ミカエラはそう言っているが、対価として取られたはずの"ミーシャ"のアレンに対する想いは、今の私にまで芽生え始めている。
想いは簡単に消すことも、奪われることもできない。"ミーシャ"も私も、今までそんな当たり前のことが分からなかった。
《それと…後でごちゃごちゃ言われたくないから、先に今からやる記憶操作の仕組みについて説明するね。記憶を操作して、前世のアンタの人格を復活させたら、『天音美加理』の魂はぐちゃぐちゃになる。その魂を元に戻さず放っておくと、いつかアンタの魂を入れてる『ミーシャ・グレイス』という器ごと壊れるよ。それを防ぐために元に戻したら、器も魂も天に還れる》
「ぐちゃぐちゃになった私の魂を戻さずに今の身体が壊れたら…天には還れないの?」
《天に還れないなんてものじゃない。魂と肉体が滅んでも、どこにも還れず、地上で彷徨うことになる。要するに、一生成仏できない幽霊みたいな存在になるよ》
今のミカエラの話は、この暗闇から抜け出し、記憶を奪われた翌朝に本人から聞かされた話だ。
魂がぐちゃぐちゃなのは、ここ最近"ミーシャ"が目醒めている現象が関係しているのだろう。
流石に当時その話を聞かされた私も、地上で彷徨う幽霊になるのは嫌だと思った。しかし、それ以上にアレキサンドラと結ばれた後のバッドエンドルートを避けたい気持ちの方が強く、成仏できない幽霊になることは二の次にすらなっていなかった。
《魂を元に戻すには、またアレキサンドラを愛する気持ちを思い出す必要がある。アンタのアレキサンドラへの想いが、魂をぐちゃぐちゃにする代わりに記憶を操作する要因だからね》
アレキサンドラを愛していると認めた瞬間、私は死んでしまう。
ミカエラに言われた死ぬ条件は、首を絞めたり、毒を飲んで死ぬことよりも簡単なようでいて、非常に残酷なものだった。
《要するにあの男をまた愛したら、『天音美加理』の魂は今度こそ天に還ることになる。それでも構わない?》
ダメだ。
絶対に頷いて良い話じゃない。
こんな残酷な提案に乗ってはいけない。
"ミーシャ"が、何を不安に思っているかは分かっている。
だが、その不安はミカエラの出した死ぬ条件に比べれば、大したことはなかった。
たとえアレキサンドラに突き放される時が来て、最悪の場合はカルミアに心変わりする姿を見ることになっても、私のそばにはサラやグレイ、今なら柚莉奈やアリスがいる。
何も不安に思うことなどない。
できることなら、記憶がない私にそう強く訴えかけたい。しかし、もう何もかもが遅すぎた。
「………前世の私がアレンを好きになることはない…だって真佑に裏切られて死んだばかりだから、冷たく突き放される未来を私よりも恐れるはず…だから私の記憶を消して。ミカエラ」
私がいくら願ったところで、"ミーシャ"の決意は簡単に変わってくれない。
望まない答えを、口が勝手に紡いでいた。
《……最後に約束。記憶が消えて、前世の性格に戻ったアンタは、絶対に転生してすぐに、記憶が無くなった理由をあたしに聞かないこと。今起きてることも全部忘れること。分かった?》
「……うん、分かった」
《じゃあ決まり。目が覚めたら、前世のアンタに戻るから。ばいばーい》
満足そうに悪魔みたいな笑みを浮かべたミカエラは、砂のように消えていった。
その瞬間に、視界が別の場所に切り替わる。
真っ暗な空間から、今度は真っ白で何もない空間に映っていた。
目の前に神様らしき人がいるのを見つけた時、私はいつかの夢でこの光景に直面していたことを思い出す。
しかし、私の口は前とは違って勝手に動いたりはしない。手も動かせるから、今は夢を思い出しているのではないと悟った。
その神様は、恐ろしい目で私を見据え、睨みつけながら口を開いた。
《お前はディアナ王国の王と結ばれた翌日に死ぬ予定だったはずだ。なのにまだこの世界に留まっているとはどういうことだ?まさかあの堕天使の口車に乗せられたとは言うまいな?》
本当はアレキサンドラと結ばれた翌日に死ぬはずだった私が生きていること。その原因である堕天使━━ミカエラが関わっていたこと。
ミカエラと取引をした私は、神様にとっては重罪なのかもしれない。
《堕天したくせに大天使の名を語る不届き者の言葉に耳を貸し、二度の記憶操作という禁忌の契約を交わすなど…恥を知れ》
神様の怒り混じりの冷たい声が空間に響き渡る。声は淡々としている割に恐ろしい剣幕で、夢で見た時と同じように反射的にビクッと怯えてしまう。
《お前がこんなにも愚かな奴だとは思わなかった。そうと分かっていれば異世界の穢れなき器に憑依させるなどなかったというのに。お前のような奴はいずれ、私が天使の生まれ変わりとして創った"ミーシャ"を、ミカエラと同じ堕天使に変えてしまう日が来るだろう》
まるで私を疫病神か悪魔とでも言うような神様の眼差しは、忌避から軽蔑へと満ちていく。
そんな目で見られるのは当たり前だ。
私は、記憶がなくても戻っていても、結局は愚かな人間であることに代わりはなかった。むしろ、記憶がある今の方が余程最低だ。
勝手に未来を決めつけ、勝手にそれを恐れ、アレキサンドラを信じたいと言いながら、幻に惑わされていずれ本当に突き放されるかもしれないと疑っていた。
私は、神様の言うとおり、"ミーシャ・グレイス"の身体を借りてまで生きる価値がない。
《しかし…あの堕天使と交わした契約を全て破棄した上でお前の命を天に還すことは私でも叶わない。だが、その代わりに死ぬ時は極限まで苦しんで死ぬように呪いをかけてやる。
お前は今のことを夢として全て忘れ、死の条件を偶然果たした際に訳も分からぬまま苦しむが良い》
いつかの夢で神様から恐ろしい天罰を与えられていた事実を知った途端、視界がブラックアウトした。
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「………っ!!はぁ…っ…はぁ…!!」
涙が止まらない。アレキサンドラのことを考えるだけで、胸が締め付けられる。
全部、思い出してしまったせいだ。
バッドエンドの未来を恐れて、ミカエラと記憶操作の契約を交わしたこと。アレキサンドラを愛する気持ちを思い出した途端、私は完全な死を迎えてしまうこと。
死を迎える時は、極限まで苦しむ呪いを神様から天罰として与えられたこと。
ここ最近血を吐くことが多い原因も、理解してしまった。
アレキサンドラを愛する気持ちが芽生えてきていたことで、死に近づく証として血を吐くようになったのだと。
《あーあ、とうとう全部思い出しちゃったか。もう一人のアンタが最近でしゃばりまくってたせいかな〜?あいつはずーーーっと身体の中で眠るはずだったのに》
久々に聞く、私を馬鹿にするような話し方。
聞いた途端、今まで抱いた分も含めて怒りが一気に湧いた。
「ッ………!!ミカエラ…!!」
忌まわしい名前を呼ぶと、空中で姿が顕現されていく。
その堕天使は、相変わらず人を馬鹿にするような顔で私を見下ろしていた。




