願っていた再会
記憶喪失になってから数週間経ち、6月21日に誕生日を迎えた私は15歳になった。
ユリアナやグレイス家の人達が私にとって大事な人だと分かった今、私は早くその人たちのためにも、この世界のことを思い出したかった。
「そんなに一気に頑張らなくても良いというのに…」
「だって…お父様やみんなを安心させたいの!」
みんなは忘れてしまったことはゆっくり覚えれば良いとは言っていたけど、どうしても記憶喪失になった後のお父様の悲しそうな顔が忘れられなかった。だから私は、身体に染み付いているマナー以外で知っておかなければならないことを学ぶことにした。
「そんなことを言って…身体を壊してまたこの前のように記憶喪失にでもなったら…」
「私は大丈夫!だから…」
「……サラ、ミーシャを散歩にでも連れて行きなさい。息抜きだ」
「はい!旦那様!!」
「えっ……」
サラに無理やり中庭まで連れ出され、何故か花々と戯れることになった。
「………お父様もサラも強引…」
「旦那様も心配なのですよ。貴方はたった一人の娘ですから」
それだけお父様は私を大事に思ってくれているのだと思うと、今ものんびりしているわけにはいかないと感じる。
「それに記憶喪失になった時とは見違えるくらい明るくなられましたもの。また身体を壊されたらお嬢様のそんな姿を見られなくなるのが旦那様は辛いんですよ」
「そう…なの…?」
「家の中だけでもお嬢様には元気でいて欲しいとずっと願っていたそうですよ。だから旦那様のためにもご無理はなさらないように私からもお願いします」
「………………はぁい…」
なんだか上手く言いくるめられた気もする。ただ、サラの言っていることは真実であることも分かっている。
以前、夕食の時にお父様に出されるはずのピーマン入りの肉料理を私に出されたことがあった。以前の私はピーマンが吐くほど苦手だったらしく、料理を出し間違えた配食係の人はグレイに怒られていた。その最中に私が何の躊躇いもなくピーマンを食べただけで、皆は泣くほど喜んでいた。特にお父様が。
また身体を壊して、こんなにも優しい人達を忘れるのはもう嫌だから、従うことにした。
「サラ!少し手伝ってくれないか?」
背後から呼びかけてきたのは、お父様の執事であるグレイだ。あまり会うことはないけど、飛び抜けた背の高さと真っ白な髪が印象的だったから、遠くから見てもすぐに分かった。
そんなグレイは、サラに用があるみたいだ。
「は、はい!分かりました。お嬢様、ここから遠くまで離れないで下さいね」
「ミーシャお嬢様、サラをお借りしますね」
「うん…待ってる」
サラを連れて行くグレイは、淡い紫色の目を細め、優しく微笑んだ。サラと一緒にいる時のグレイは、なんだか嬉しそうだ。
一人取り残された私は、庭に咲く白百合の花を眺めることにした。その間も、今日学んだ王家のことについて脳内で復習をすることにした。
(私が記憶喪失になる前は前王の長男が継いだサッピールス家と、前王の弟が継いだルベウス家が政界の中で王位を争ってて…それで新しい王様が当時19歳だった長男アレキサンドラっていう、6月6日に21歳を迎えた若い方で…お父様の家はサッピールス家側だから大丈夫だって言ってたけど…)
私は、新しい王アレキサンドラのことも、その前のことも何も知らない。けれど、お父様は、『陛下は美男で人柄も優れているが、ご自身より一回りも若い娘を好むと噂されている。あの方に限ってそんなことはないだろうが、念のため注意しなさい』と言ってる。
そう言われると、もしかしたらアレキサンドラの人柄が良いのは実は嘘で、あの傲慢なトニーよりもずっと恐ろしい方かもしれないと考えてしまう。この前の綺麗で優しい男の人とは全然違うのだろう。
(……この前のあの人は…サッピールス家の領地に住んでるのかな…)
「…百合の花が好きなのか?ミーシャ」
またあの時と同じ声が聞こえてきた。私の名前を知っていて、名前で呼んでくれるのは、お父様以外ではあの人しかいない。
そこにいたのは、青い瞳が綺麗な黒髪の男の人だった。
「ッ………ぁ……その…」
こんなところで会えるなんて思わず、恥ずかしくてつい逃げたくなる。
「そう怖がらないでくれ、私は貴女に会いたくてここまで来たのだから」
逃げようと足を動かそうとした所で、腕を掴まれた。
掴む力は強くないから、いつでも振り払える。けれど、会いたかったと言うその意図が気になり、手を振り払わずに立ち止まった。
「………私に会いたいって思ってくれてたの?」
そう尋ねた私も、本当は密かに会いたいと思っていた。
名前も知らないこの優しい人に。
「あぁ、あの時泣いてばかりいた貴女のことがずっと忘れられなくてな…だが今日は涙を一粒も流していないようで安心したぞ」
優しい人だと思って気を許しかけていたが、まるで自分がずっと泣いてばかりの子供みたいな言い方をされてしまった。この前はあんなに優しかったのに、今日は意地悪な気がする。
「い、いつも泣いてるわけじゃないから…!」
「ははは、怒った顔も愛らしいな」
「っ〜〜〜〜〜〜!!」
私が怒っても、この人には全然通じていない。頭をぽんぽんと撫でられるのが年下の子供扱いされてるようで、ちょっと嫌な気持ちになる。
「そうだ、渡したいものがある。落としていったままだっただろう?」
そう言って私に差し出してきたのは、この前落として以来探すこともしなかった赤い組紐だった。
「ッ………」
それを見た瞬間、また前と同じように胸が苦しくなるのを感じた。
「やはり一つ足りないと不自然だ。私が結んであげるからじっとしていなさい」
「えっ……」
立ち振る舞いからして恐らく高貴な身分の人なのに、わざわざ私の前で跪いて、頬の横の髪と同じように赤い組紐でもう片方のを結び始めた。
髪を結んでもらうのはサラや他の使用人以外では初めてで、しかも男の人だから余計に緊張してしまう。
(いつ見ても綺麗な顔…黒髪も艶々してサラサラだ…)
私が見惚れているのも気づかないまま、黙々と髪を結んでいるが、慣れていないのか手間取って何度もやり直している。完璧そうに見えて出来ないこともあるのを知って、少しだけ親近感を感じた。
「ふう…できたぞ、この方が一層可愛らしいな」
結び終わったと知ると、何となく自分の姿を確かめてはダメだと感じた。だが、今の自分の姿を映す水溜まりが目に入った途端、突然胸が苦しくなってきた。
「は…っ……はぁっ……!ぅッ…!!」
「どうした?具合でも悪いのか?」
この人に変な心配かけたくないのに、動悸が治らない。
赤い組紐そのものより、それで結ばれた髪型が何かを彷彿とさせてきて、嫌でたまらない。
「はぁ…っ…私……今の私の姿見るの…凄く嫌で…っ…!胸が…苦しくなる…から…っ…」
「……何故だ?」
「分からないっ…思い…出せない…!はぁッ…けど…思い出そうとすると…っ…ぅ…」
元々この組紐は、東洋の国から亡命してきた母親の形見として、大事なもののはずだった。それが、いつのまにかこんなに忌まわしいもののように感じてしまう。
死んだ母親に対して寂しいという思いが今になって蘇ってしまっただけなら、ここまで胸が苦しくならない。
それ以上に何か辛くて苦しくて、憎しみすら覚える出来事があったのではないか。
あのトニーに襲われた時よりも。
「ミーシャ…大丈夫だ」
胸を押さえていた手をそっと引っ張られ、そのままゆっくりと抱き締められた。
「無理に思い出さなくても良い…余程辛いことなのだろう?そんなことを思い出す必要はない。今は私がいるから安心なさい」
慰めるように背中をトントンと優しく叩かれ、さっきまで胸が苦しくてたまらなかったのに、苦しみが和らぐのを感じる。
「っ…………どうして…私に優しくするの…?」
「………辛そうにしている女性を放って置けないだけだ」
私から身体を離し、何故か目を逸らしたままそう言う。それでも、私はこの人が嘘を言ってるなんて思えない。
「……ありがとう。心配、してくれて…」
この人は、トニーや他の男の人とは全然違う。
表面上のものなんかじゃなくて、心から私に優しくしてくれる。
それを当たり前のものとして。
「……ミーシャ」
その人は、また私の前に跪く。
「え…?」
そして、私の頬にそっと触れてきて、顔を近づけてくる。
「本当に貴女は純粋で可愛らしい人だ…」
言ってる意味が分からない私は、この人の顔が近づいてくるのを不思議に思いながら、じっとサファイアのような綺麗な瞳を見つめるだけだった。
「お嬢様!!お待たせして申し訳……!?」
互いの唇が触れそうになったタイミングで、サラが息を切らしながら走ってきた。
「サラ…!!」
けれど、私の近くにいる男の人を見るなり、また険しい顔をした。
「………貴方、お嬢様に一体何をしようとしていたのですか?」
「綺麗な瞳にゴミが入ってないか確かめていただけだ。貴女が心配するようなことはしていない」
「………本当ですね?お嬢様?」
「う、うん!この人はこの前落とした組紐をわざわざ届けに来てくれただけから大丈夫だよ」
「………お嬢様がそう言うのなら、信じます」
目にゴミが入ったかを確かめてくれていただけにしては、それ以上に距離が近かった気がする。
それでも、この男の人はそんな風に怪しまれるような人じゃない。急に苦しみ出した私を気味悪がることもなく、慰めてくれたのだから。
安心させるための事実を話したら、サラの機嫌も直ったようで安心した。
「そうだ、父君にもご挨拶させて貰うよ」
「えっ!?お父様に…?」
「ああ、だが貴女とはここでお別れだ。そこの侍女が心配するだろうからね」
また会えたのにここで別れるなんて、少し寂しくなる。
「……うん。でも…また来てくれる?」
「……私もできれば毎日来たいものだが…私を待っている人がいるんだ…拗ねるとと貴女以上に怖い人が」
この人は何度でも私を優先し、尋ねることができないくらい忙しい人なのだろう。私ばかりに構ったせいで怒られるのは、とても可哀想だ。
「……じゃあその人達が満足したらすぐに来て!」
「お、お嬢様ッ…!そんなわがままを言って困らせては…っ」
「構わない。この私…アレンは必ず貴女との約束を果たそう、ミーシャ・グレイス」
そう言って、アレンと名乗った人は、私の手の甲に口付けた。
(っ……!!さっきまで私のこと子供扱いしてたのに…急に大人の女の人みたいに…何か…心臓がうるさく鳴ってきてるような…)
「ミーシャ、サラ、一体誰と話をしているんだ?」
「お父様!グレイも…!」
「ッ!!旦那様…少しよろしいでしょうか」
お父様とグレイも、様子を見に来てくれたらしい。ただ、グレイはアレンを見るなり、何かに気づいたようにお父様にひそひそと何かを話し始めた。何を話しているのかが、とても気になってしまう。
グレイから話を一通り聞いたお父様は、声には出さないがとても驚いた様子だ。そして、今度はお父様の方がグレイに何か耳打ちしている。それが終わると、グレイがアレンから隠すように私の方に向かってきた。
「お嬢様、旦那様はこの方と大切なお話がございます。部屋にお戻りになりましょう。サラ、お嬢様を頼む」
「え、えっ!?」
「はい、ではお嬢様。部屋でお休みになってください」
「わ、私まだ眠くない…」
「カモミールティーを飲んで落ち着くのが良いかと」
グレイだけでなく、サラも半ば無理矢理部屋に戻そうとする。まるで、アレンと同じ空間にはいさせたくないかのようだ。
(お父様とアレンはなんの話をするんだろ…アレンとも…たくさん話したいことがあるのに…)
アレンとの別れに寂しさが残る中、強引に勧められたカモミールティーを飲んでいるうちに、様々なことがあった疲れで私は本当に眠ってしまったらしい。




