堕ちてゆく愚者
葡萄酒に釣られてグランディエと二人になった時点では、そこまで警戒もしていなかった。まだお互い酔いが回っていなかったため、意外と楽しく会話できていた。
今から、10分ほど経つ前までは。
酒が本格的に回り始めたところで、グランディエが段々と酔いを見せ始め、今現在では世間話から一人愚痴大会に発展していた。
「本当だったら今は俺が次期王のはずだったんだよ…でも王妃が世継ぎを産んだせいで用無しになってしまったんだ…ならせめてヴィクトワール公爵の広大な土地を得れられればと思ってアリスをわざわざ閉じ込めたと言うのに…セルレウスが余計なことをするからあいつと分割しなきゃいけなくなったんだ…!」
「……それはお気の毒なことですね」
何で私はテーブルで向かい合わせになってグランディエの長い愚痴に付き合わされてるんだろうか。知らねぇよ帰る、と言い捨てることもなく普通に耳を傾けてしまっている時間は、本当に無駄だ。
葡萄酒をくれたのは嬉しいが、正直言って葡萄酒以外ではこの男に用などないため、さっさと帰りたい。
こちらは3杯目で満足しており、向こうはもう10杯飲んでいるというのに。
「兄さんも兄さんだ…!俺のことは引き立て役みたいに扱ってきたくせにセルレウスのことは贔屓してさ…いくら末の弟の方が歳も離れてて可愛いからって…!」
酔いが完全に回ってきたのか、グランディエのアリスを閉じ込めたことへの開き直りは、今度はアレキサンドラへの恨みごとに変わっていく。
アレキサンドラは別にグランディエを引き立て役みたいに扱っているわけではない。むしろ、ずっと周りからそういう扱いを受けていたことに気づけなかったことを悔やんでいたぐらいだ。
中間子が長子とは別の意味で不遇な扱いを受けるのは本当にどこも同じなんだなと、ルイーズやグランディエを見ていると前世の家族のことまで思い出させられる。
少々ノリはアホだが優しくて面白い翔兄ちゃんが短大に行った代わりとして、冷静沈着で頭の良い沙月姉ちゃんが良い大学、その次は良い会社に行けと両親にプレッシャーをかけられていた。
それが、私の前世の家での常だった。
あの時の沙月姉ちゃんは、ラルフに貞淑な女性であれと教育されていたルイーズのようだった。加えて、兄の引き立て役か身代わりのように扱われていたグランディエにも、いくつか重なる部分があった。
私は、沙月姉ちゃんがあれ以上圧をかけられて潰されてしまうのを見たくなかった。
翔兄ちゃんみたいに、馬鹿のフリをして親からの圧をスルーして要領良く生きられない辛さを、私は理解できる。姉と同じように要領よく生きられないルイーズと、引き立て役か身代わり扱いをされるグランディエの苦しみも。
だからこそ、私はアメリやマティルダのように心底憎むことができない。
だからといって、グランディエの心の闇にはほとんど関係ないセルレウスまで恨むのはお門違いだ。
流石に本人もそれ自体は理解しているのか、それ以上弟への恨みを話すことはなさそうだ。
「大体…皆昔から兄さんばかりちやほやしてさ…だからあのように調子に乗るんだ!!」
「えっ…」
ただの恨み言が、アレキサンドラ自身の悪口になっている。確かに私も、前世で『花園の天使』をプレイし始めた時に一度ぐらいはそう思った。
調子に乗っているという様子も、本人は別にそういうつもりではない上に、仮に調子に乗っていても無自覚だろうから、どちらにせよタチが悪い。
しかし、ゲームを進めるごとにアレキサンドラの孤独を知っていくうちに、調子に乗っているかもしれないとか関係なしに、推しとして好きだと思っていた。リアルで愛妾にはなりたくはないのは変わらないが。
「くそっ…!!誰か兄さんを殺してくれれば…!!あの人の引き立て役であり続けるのはもううんざりなんだよ!!」
「そ…そんなことまで考えてるんですか……?」
苦しみを吐露すると共に、グランディエが本音なのかただの失言なのか分からない言葉を発した。
だが、殺して欲しいという言い方は、失言というには本気のようにも聞こえてしまい、グランディエのことが恐ろしくなった。
(この人ちょっとやばいんじゃ?アレキサンドラに対してそこまで思うって……っ…アレンは私を救ってくれた人なのにっ…!!っ………あれ?今の誰?私じゃないよな…?)
私の中で、別の誰かが喋った気がする。その時一瞬自分の意思が消えていたが、こんな現象が前にもあったことだけは覚えている。
今の声が誰なのか、その人の思いがどんなものか、私は絶対知っているはずなのに、なかなか思い出せない。
私の状況を露知らないグランディエは、悪口をエスカレートさせる。
「あの人さえいなければ俺は……俺はっ…!!」
アレキサンドラの悪口を聞いていると、また私の意思がよく知っている誰かに掻き消されていく感覚に陥り始める。
この現象は、本当になんなのだろうか。
そんなことを考えている余裕もないまま、私の口が勝手に言葉を紡ごうとしていた。
「ッ……お願い…だから…アレンを……悪く言わないで…ッ…」
私にとってアレンは、あの牢獄から救ってくれた優しい人なのに。
「……?ミーシャ?」
「ッ…………!?」
グランディエに話しかけられて、我に帰った。
何故か、心臓の辺りが苦しく感じる。
「………そういえばミーシャにとって兄さんは、あの傲慢なトニー・クローズから助け出してくれた救世主様だったな…悪かったよ。こんな恨み言を聞かせて…」
「…………え?私…クローズ伯爵のことをグランディエ様に言ったことありました?あ、陛下から聞いたのか……それより、私何か言ってましたか?」
グランディエがアレキサンドラを殺したいと言っていたことまでは覚えていた。しかし、その後からは何も覚えていない。
「………何も…覚えてないのか?」
「……はい、何も」
「兄さんのことをアレンという愛称で呼んでたことも?」
「え?そんな呼び方したの一回もないですけど…」
公共の場に近い状況で、アレキサンドラのことを愛称で呼ぶなどあり得ない。
二人でいる時でさえ、そんなに本名で呼ぶこともないのに。
「……やっとあの子が戻ってきたと思ったのに…ミーシャに会えたと思ったら…また兄さんのことばかりだ……っ」
「え?何か言いました?」
「ッ〜〜〜〜!!ミーシャッ…!!」
「えっ…!?痛っ…!!」
グランディエが何やらぶつぶつ呟いたかと思うと、いきなりテーブルの上に押し倒された。
逃げたいのにグランディエの腕を押さえつける力が強すぎて、殴ることもできない。
「な、なんで…私を押し倒してるんですか…?」
「ミーシャを好きになったのが…君が兄さんに救い出された時でなければ良かったのに…!俺はずっと…そのブルーグレーの綺麗な目が忘れられなくなってるんだ…!!」
まさか、この男はまだ記憶が戻ってない"ミーシャ"の目を一回見ただけで、一瞬で惚れてしまったとでも言いたいのだろうか。
その時には既にルイーズという、大事にすべき妻がありながら。
「ミーシャ…俺の愛妾になってくれ…!兄さんみたいにいつか飽きて捨てるなんてことは絶対しないと誓う!!だから…っ」
押し倒されたまま、グランディエに顔を近づけられる。このままキスでもされそうな勢いだが、拒絶しようにも腕が動かない。
強引に唇を奪おうとするこの男の姿に、私の中の何かが切れ、全ての感情がすーっと消えていくのを感じた。
「……言いたいことはそれだけですか?」
「え?」
この男はもうダメだ。
ゲーム内での爽やかな外面どころか、それを装う裏での腹黒な姿の悪魔的魅力さえも、すっかり失せ果てている。
私が知っているグランディエ・サッピールスは、もうここにはいなかった。
妻がいるのに私を愛妾にしようとすることは勿論問題だ。だがそれ以上に、口説き文句はアレキサンドラをしょうもないことで比較した上で出来て当たり前のことを言ってるだけだ。はっきり言って、何も響かない。
そもそも、私はもう純粋無垢な"ミーシャ"には二度と戻れないことなど宮廷の馬鹿な男共でさえ頭だけならちゃんと分かっているぐらいだ。今更"ミーシャ"を追い求めること自体、ちゃんちゃらおかしいのだ。
「私は、二度と貴方が求めている純粋だった頃の"ミーシャ"には戻れないです。戻りたくもないです。愛妾にしたいのに好きだとか愛しているの一言も言わないなんて…私を馬鹿にしているんですか?ていうか普通に馬鹿なんですか?」
「なっ…!?馬鹿だと…!?俺が誰だか分かってて言ってるのか!?」
「ルイーズ様と一緒になって、私の大事な友人のアリスを冷遇した最低最悪のクズ野郎ですよね?違いますか?」
「く、クズッ…!?」
最低の自覚はあってもクズまでは自覚していなかった様子は、見ていてちょっと笑えてしまう。
「私的には、グランディエ様が王にならなくて良かったと思ってますよ。だって…もしそうなってたら、私は今ごろあの傲慢で変態野郎のクローズ伯爵と結婚させられて不幸になってたかもしれないんですから」
「お、俺はそんなこと絶対にしない!!トニーの悪評はちゃんと知ってて…」
「でも、その頃の貴方は私とトニーのことを詳しく知らない。元々知っていたとしても、アレキサンドラみたいに私情を挟んででも結婚を認めないって言い切れますか?」
国王ともあろう人が、それも皆に平等と言われるアレキサンドラが人の結婚の反対に私情を挟んでいるというのは、本当だったら有り得ない話だ。
私とトニーの結婚が不幸を生むことを裁判にかけたりグレイの実家の協力を得て押し通さなければ、今の私はいない。
しかし、当時のグランディエは私の事情なんて知らなかった。そんな人が、平等を求められる国王としてトニーの望む結婚にずっと反対し続けるのはほぼ不可能だ。
それこそ、体面を保てという周囲の圧に悩まされて従わされたグランディエには、トニーの結婚にずっと反対し続けるなんてできない。例えば周りの顔色を伺い空気を読むという、生来から身につけてきてしまったことはなかなか解放されないものだ。
それを、本人はちゃんと分かっているのだろうか。
「トニーと結婚させられるか貴方の愛妾になるぐらいなら、国王としての体面を無視してでもトニーからずっと守ろうとしてくれていたアレキサンドラの愛妾になって、後に飽きられて捨てられる未来の方がずっとマシです」
グランディエの愛妾になるなんて、冗談じゃない。
飽きられて捨てられるよりも不幸な目に遭う可能性から救ってくれたアレキサンドラが国王で良かったと、今は本気で思っている。
「良いこと教えてあげましょうか?貴方はいずれこの報いを受ける。新たに現れるであろう女が国王に近づいたことをきっかけに、妻共々罰を与えられるということを」
ゲーム全体のバッドエンドを迎えた場合、アレキサンドラや攻略対象を含めた宮廷の人達が堕落するきっかけを作るカルミアの最初の罠にかかるのは、グランディエとルイーズだ。
ゲームのヒロインはその前に自殺してしまうため、宮廷の堕落のことは一切知らない。
どちらにせよ、その前に私は死ぬつもりだから、絶対にカルミアと会うことはない。そもそも会いたくもない。グランディエ夫妻がどうなろうとも、私には関係ないことだ。
「君は…何も辛くないのか…?兄さんがその女を愛妾にしてしまう可能性だってあるのに…」
「……別に辛くないです。だって私その前に死ぬつもりですから。ていうかそろそろ離してくれません?帰りたいんですけど」
「えっ……あ…!待ってくれ…"ミーシャ"!!」
グランディエの力が抜けたタイミングで、やっと腕を離すことができた。死ぬことに対しては特に言及はしてこなさそうだ。なので、とりあえず今一番言っておきたいことを伝えてやろう。
「グランディエ様。私に金輪際近づかないと約束してくれるなら、貴方のこの不埒はルイーズ様には黙っておきます。極力あの人には近寄りたくない気持ちだけは理解できますので」
私はグランディエに連れ出された場所を後にし、自室に帰ることにした。
『君は…何も辛くないのか…?兄さんが他に愛妾を作る可能性があると知ってて…』
グランディエに言われた言葉が、何故か頭に残って離れない。
辛くなんかない。私はアレキサンドラのことなんて本気で愛していないのだから。バッドエンドとはちょっと違った展開で、カルミアを愛妾にしたところで、『ですよね〜』ぐらいにしか思わない。
胸が締め付けられる気分になる方が、むしろおかしい。
アレキサンドラのことで胸が苦しくなるのは、あってはならないのに。
「………げほっ……げほっ…」
咳が出てきた。また口の中で鉄の味が広がっている。グランディエに連れ出された時よりも、その嫌な味が強くなっている気がする。
(本当になんなんだ…?今日はよく咳が出る…もう今日は休もう…)
自分の部屋まで戻ろうと歩いていると、その近くに人影が見えた。
(ん………?なんだ…あれ…??)
一瞬サラかと思ったが、今日はグレイの元に行っていて休みのはずだ。それに、サラにしてはかなり背が高かった気がする。
誰だったんだろうと思いながら、部屋に入った。
ガチャッ…
「美加理っ…!!グランディエと一体どこに行っていたんだ!?」
通常通り、アレキサンドラが私の部屋にいた。しかし、前とは違うのは私が部屋にいる前から来ていて、ずっと待っていたらしいことだ。
「え?そ、その…酒飲まないか?って言われて…」
「……まさかあいつとよからぬことをしでかしたとは言わないな…?」
「はい!?そんなことしてないですし、むしろ二度と近づくなって釘刺してきたくらいです!!」
変な誤解を抱かれるのは、本当に勘弁して欲しい。あのグランディエとのよからぬことは、死んでも嫌だというのに。
「……わざわざあいつに近づくなと言ったのか?」
「当たり前です!愛妾にならないかとか言う割に好きの一言も言わないなんて舐めてますよほんと!!まだ…貴方の方が本気だって伝わるっていうのに…!」
最後にいらないことを言ってしまった。
グランディエが用意してた酒のせいでかなり酔っているとはいえ、何故こんなことを言ってしまったんだろうか。
そう考える余裕は、段々と消えて無くなっていく感覚に陥り始める。
「それに私はぁ〜…貴方がいなかったら不幸に一直線なんですよ〜〜…」
「美加理…?何を言ってるんだ?酔っているのか?」
頭がふわふわしてくる。
気分が妙に高揚して、アレキサンドラがいつもの何倍もイケメンに見えて眩しい現象に襲われる。
「グランディエなんかよりも〜…トニーのクソやろーから救ってくれたアレキサンドラの方がぁ〜…何百倍も何千倍もカッコいいに決まってんらろ〜〜」
「ッ……!?」
抱き着いたアレキサンドラの服がひんやりとしていて、気持ち良い。優しくて良い匂いもするため、ずっとこうしていたい。
今自分がどんな姿を晒していようが、もうどうでも良かった。
「………だから…私は………アレンに会えて…ッ…良かったって…思ってる…………」
この瞬間に、私は猛烈な眠気に襲われて、眠りに誘われていった。
「全く…お前は本当に見ていて飽きない子だ…」
グランディエは当て馬にすらなれずにここで退場となるのか否か…今後もこのアル中メンヘラ男を温かく見守ってやってください笑




