あの天使はもういない
「あの天使はもういない」
「まさかあの可憐なミーシャ・グレイスがあのような腹黒女に変わってしまうとは…」
「いや、実は最初から記憶喪失になった女に乗り移られていて、記憶が戻った瞬間にああなったそうだ」
「ああ…俺の天使が悪魔になってしまった…」
「あんな女を未だに側に置くなんて…王妃陛下が病で伏せているというのに、陛下は一体何を考えているのやら…」
「転生者のことなんてこの際どうでも良いわ。そもそもミーシャ・グレイスという女自体、得体の知れない混血の孤児のくせに…陛下にどんな色目使ったのかしら」
周りの貴族達が、アレキサンドラの元に向かう私を見てざわざわとしている。私を腹黒だと陰口を叩く人間は勿論のこと、"ミーシャ"を恋しがる男や、生まれを持ち出して嫉妬してくる女が、口々に陰口を叩く。
それを見て、私は思う。
今の私の振る舞いとミーシャ自身の生まれについては全然関係ないことだ。この世界の考え方が現代とは違うのは分かっているが、混血の孤児がなんだって話だ。
生まれを気にせず、一応"ミーシャ"の中身を好きだと言ってくれていたアレキサンドラに好かれないのが悔しいのか知らないが、くだらない嫉妬をするくらいならそれを口にしないという簡単な努力ぐらいしろと言ってやりたい。
男に関しては普通にうるさい。清楚系女子のミーシャを求める様が気持ち悪すぎるし、私は元々お前のものじゃない。あの手の人間こそ処女厨というのだろう。好みの押し付けをしないタイプのアレキサンドラがだいぶマシに見える。
「ミーシャ、どうしたそんな暗い顔で。何か辛いことでもあったか?」
やっとアレキサンドラの元に辿り着いたが、このどんよりした顔を見るなり、アレキサンドラはわざとらしく心配そうな表情をしている。その口元は笑ってるのを私は見逃していないからな。
「はぁ?誰のせいだと思ってるんですか??」
この無愛想な口調が直る可能性が劇的に低いと見做されたのか、アレキサンドラだけでなく宮廷の人達もみんな黙認しているようだ。
「ははは、そうだったな!だがお前も悪いのだぞ。私の元から逃げようとしたのだから。今になって恥じらう気持ちも分かるが、もうそろそろ慣れて欲しいものだ」
「そういうことじゃないんですよ…」
一番の問題は、アレキサンドラ本人が今の私は愛妾であることが恥ずかしくなって、つい照れできつい言葉を投げつけていると思い込んでることだ。
要するに、アレキサンドラは私が"ミーシャ"として過ごしていた時から記憶喪失の状態で転生していることまでは理解していないようで、私のことはただのツンデレ扱いしている。その上、前世の記憶が戻って性格が今みたいになったことは理解していても、その代わりにここで過ごした今までの記憶がなくなっているとは微塵も思ってないようだ。
ただ、私が本性出した所であっさり捨てていたなら、ミーシャの分までこの男に恨みをぶつけるついでに、うっかり刺して自分の首を飛ばしていたかもしれない。ある意味、自分は幸運な方だ。
「それにしても今日は来るのが遅かったな」
「……その、ちょっと着替えで迷走して時間かかって…」
「それにしてはいつもの可愛らしい姿と変わりがないように見えるが?」
「………本当は…もっとユリアナみたいな格好したかったんです…」
私はここに来るまで、今着ているものとは真逆の見た目にしようと思っていた。
前の服装は全部白やら淡い色使いのものばっかりで、私の趣味とは真逆すぎて耐えられなかったからだ。だから今日だけでもと思い、前世の自身の趣味であり、ユリアナが着るような濃いめの色合いのドレスに着替えようとした。
しかし、顔がユリアナのような強い美女感がないことで、濃い色の服に着られているような感じになってしまった。それに合うようにと化粧もかなり濃くなったことで、出来上がったのは"ミーシャ・グレイスの良さ全殺しファッション"だった。
あの出来上がりを見た時、自分の好みを貫くとか関係なしに色々ダメな気がしたので、結局いつもの清楚系で可愛らしい雰囲気の服装で、唯一変わったのは三つ編みにした髪を纏め上げたヘアスタイルだけとなった。
「友人のユリアナ嬢のようになりたかったのか?」
「前世では好きでユリアナみたいな雰囲気の格好をしてたので…だってその方が強そうだし、男女問わず誰かに見下されたり虐げられることが減るじゃないですか。それに気づかなかった頃の私は、背が低いのもあって見下され放題でしたので、余計にそうでありたいって思ったんです」
「……意外だな。前世ではそのように過ごしたことがあったのか…」
そんな過去は知らんと好みを要求されるか、このままでいてくれと言われると思っていたが、意外にも真剣に聞いてくれている。この人は普通に話す分には良い人なんだと思う。
「私はもう二度とそんな目に遭いたくないって思ってるんです…それに男共が口を揃えて、『ナチュラルな方が良くね?』だの『俺的には口紅は赤より薄めのピンク派〜』だの、挙句には『女子は化粧薄い方が良いだろ普通(笑)』とか宣いやがるんですよ!!!」
「お前の周りにはろくな男がいなかったんだな」
「ほんとにああ言われると、『お前らのためにやってんじゃねぇよ!!私がこの格好してるのは主にお前らみたいな奴のせいだよ!!』って毎回思ってましたよ」
けれど、今の現状の方が貴族令嬢として行動は制限されているし、自由もクソもない。
前世の方は一応選ぶ自由があるだけマシだ。服装や化粧に文句つけられるぐらい、ここに比べれば平和なことだったのかもしれない。
「野に咲く花のように儚く愛らしいばかりだと思っていたが、折れない強さまで持っていると知れて良かった。前世のお前も、さぞかし美しかったのだろうな」
「ッ………!!あ、ありがとう…ございます。その…今とは全然違うから、びっくりするかもしれないですけどね」
私は今まで、自分の見た目で本心から褒められたことは一回もなかった。下心込みで褒められた時の適当な愛想笑い以外での返し方はまるで分からず、変なお礼をしてしまった。
この男は、前世の私を見てもこんな風に褒めてくれるのだろうか。
褒めた後も嘘偽りのない綺麗な青い目で見られると、調子が狂いそうだ。
しかし、それよりも私には気になることがある。アレキサンドラと私のやり取りの最中、一つの鋭く冷たい視線がずっと注がれていたことに。
その視線を確かめようと見回すと、見覚えのあるピンク色のストレートロングヘアの女が私のことを悔しそうな目で睨みつけているのを確認した。
今日はあのハーフツインテのオレンジ頭はいないらしく、誰とも絡んでる様子はない。やっぱりあの女は一人じゃ何もできないタイプだ。
嫉妬の目で睨みつけ、私が一人になったタイミングで性懲りも無くまた虐めようと企むその女に対し、沸々と何かが湧き上がっていく。
本性を露わにすれば、ミカエラの言う死ぬ条件が達成されるか実家に逃げられると思っていた。しかし、結局アレキサンドラの愛妾として縛られることになり、私はミカエラに頼るしかなくなった。
その上、前世の真佑のような裏切りを経験した私にとって、アレキサンドラからまだ愛されていると知ってしまった状況からバッドエンドのように見捨てられるのは、前よりも精神的に辛いことだろう。
今の私は、記憶が戻った当初よりも人生が詰んでいると言える。
ならば、せめて死んだ時につまらない後悔だけは残したくない。たとえば、"ミーシャ"を虐めて嗤っていたマティルダのような人間に痛い目を遭わせておけば良かったという後悔だ。
その後悔を残さないために、悪魔の如き所業をしでかそうと、神様から嫌われているらしい自分にはもう関係ない。
ついでだから、皆が求めている"ミーシャ"はもうここにはいないことを、この機会だからあの女を使ってはっきりと教えてやろう。
「陛下、私の新しい友人が来ておりますので、是非とも紹介させて下さい」
「どうしたのだ急に改まって。それにユリアナ嬢以外にも友人がいたのか…」
「ほんと失礼ですね。一応いますよ」
「ははは、冗談だ。お前の大事な友人なら是非連れてきてくれ」
私はアレキサンドラに向かって表面上だけ笑みを浮かべ、マティルダの所まで向かった。
「っ……ミーシャ・グレイスさん?何ですの?私の視界に入らないで頂戴」
お前から先に視界に入ったからこうして話しかけに来たんだよとは、言わないでおく。
「…マティルダ・フローレス様。先日私が貴女にしでかしたご無礼をどうぞお許しくださいませ」
「あら、少しは貴族令嬢として振る舞えるようになったのね。それでも貴女がこの私にあんな馬鹿をしでかしたことへの謝罪の念が全く見えませんわねぇ。謝るだけじゃ済まないのは分かってることでしょう?」
馬鹿にした表情をしたマティルダに、顎に扇をトントンと下から突かれる。本当に一回でも良いからこの女を引っ叩いてやりたい。所詮はただのアメリの腰巾着のくせに。
だが、そうやって調子に乗った振る舞いをしてくれるお陰で、ますます企みが面白くなってくる。
「勿論、謝罪だけで済まされることではないのは心得ております。なので、貴女を陛下に紹介するというのはいかがでしょうか」
「へ!?そそそそんなこと…っ…私は陛下のことは見てるだけで…」
本当の友人であれば、こんな反応されるとちょっとは応援したくはなる。けれど、生憎私はいじめっ子に大してそんな慈悲など持ってない。
「本当に見てるだけで良いんですか?美しい陛下のあの逞しいお身体に包まれて、優しく愛を囁かれたいと思ったこと…一回もないのですか?」
「わ、私はそんなはしたないこと………」
おっと、刺激が強すぎたか。
だが、マティルダ本人も考えたことがある様子のため、話が早そうで助かる。
「私が紹介すれば…もしかしたらその機会に恵まれるかもしれませんよ」
「……それなら貴女のことを許します!早く私を紹介して!!」
「マティルダ様の深いご慈悲、誠に感謝致します♡」
あからさまに浮き足立つマティルダを連れて、アレキサンドラの元に戻った。
「陛下、私の友人を連れて参りました」
「マ、マティルダ・フローレス…でございますっ…」
「……本当にミーシャの友人か?」
流石にこの間の本性丸出し事件に関わっていたせいか、マティルダに対するアレキサンドラの目はちょっと冷たい。
「マティルダ様は、亡き父の実家で過ごしていた頃も時折様子を見に来て下さっていた心優しい方でございます」
これは全部嘘だ。私の知ってる限りではアメリを含めてこいつに優しくしてもらったことなんてないし、ミカエラが見せた過去でも、マティルダ達は何度も"ミーシャ"に嫌味を言いに来ていた。
「……声を荒げなかったとはいえ、ミーシャが罵倒を浴びせるほど怒りを見せたのはマティルダ嬢に原因があると噂されている。そのことについてはどのように説明してくれるんだ?」
「……そ、それは……」
言えるわけないだろう。"ミーシャ"を虐めたのが原因だと、いじめっ子本人が言うわけがない。
まぁ、私としては単純にアメリとマティルダにいじめられたってアレキサンドラに言って断罪してもらうだけなのは面白くない。
「……確かに、あの場でマティルダ様がアメリ・ガルシア様と一緒になって私に対し快くない言動を取ったのは確かなことです」
「………やはりそうか…」
「ですが、そのせいでお二方が非難を受けるのは友人として耐えられなかったので、私が嫌味で底意地の悪い悪者として扱われるよう、敢えてそのように振る舞ったのです」
ざわざわッ……!
周りの人達は、一気にざわめく。
大半の人達は、私が元から性格悪い女だと思い込んでいたからこそ、今の話を聞いた途端に、今度はアメリとマティルダを悪者として扱うだろう。
名指しされたアメリは、遠くから見ていたのもあってこそこそと逃げていく。しかし、マティルダは自分が悪いということをよりによってアレキサンドラの前で明かされて、悔しそうに顔を真っ赤にしている。
だが、マティルダに関しては一応この辺にしておくことにする。アメリがいなければ、何もできないのだから。
「マティルダ様、このような未熟者の私ですが、末永く仲良くして下さいませ♡」
とびっきりの笑顔で言ってやったら、マティルダは面白いくらいに顔に悔しさと怒りを露わにした。
「ぅぅっ…忌まわしい混血のくせに……!!」
「ミーシャ、お前のことを混血などと中傷する女達と友好を築く必要などない。アメリ・ガルシアとマティルダ・フローレスにはしばらく謹慎を言い渡しておく。もうお前を傷つける者は誰もいないから安心しろ」
よし、ようやくアメリとマティルダが断罪される。
けれど、そこで「はい、お願いします」なんて言ったら、最初からそのつもりだったのかと誤解する馬鹿も出てくる危険がある。
だからこそ、そんなつもりはなかったアピールが必要だ。
「友人のアメリ様とマティルダ様にしばらく会えなくなるのは…とても寂しいです…っ…今ここで反省して頂けただけでも充分なのですが…」
優しくて健気な女アピールをするために、涙で潤んだ目をアレキサンドラに向けた。
記憶がまだ戻ってなかった頃の、純粋で素直な"ミーシャ"が言いそうな言葉と共に涙を見せれば、後はチェックメイトだ。
『あのような性悪女にもなんと慈悲深い…!』
『やっぱりミーシャは天使だ…!』
私の顔を見た男達のほとんどが、揃いも揃って惚けた顔をし始めた。
これで満足したか馬鹿な処女厨共め。
「……ミーシャは本当に心配になる程優しいな。そこまで言うのなら少し期間を短くしておく。それで構わないか?」
「は、はい…マティルダ様とアメリ様が戻って来てくださるのを心待ちにしております」
どうだ。悪役令嬢モノに出てくるあざといヒロインのような演技は。
前世でこういうのを読んでいた時はこの女さっさと成敗されねぇかなと思っていたが、アレキサンドラの愛妾である今は意外と役に立っている。
アメリの絶望顔までは見れなかったのは残念だが、マティルダの悔しそうな顔を見れただけで最高の気分だ。
謹慎の期間が短くなったと言っても、恐らく元々の一年からどうせ一ヶ月程度減るだけだろうから、そんなに変わりはない。
マティルダが逃げるように去っていくすれ違い様に、私は告げる。
「……アメリ様にも同じように言っておいて下さいよ?私が躾のなってない野良犬なら、アンタ達はずっと首輪をつけられていたせいで何もできなかった負け犬だってね」
「っ〜〜〜この女っ…!!覚えておきなさいっ…!!」
(前世の私はできなかったことだから本当にスカッとした…!こっちはもう虐められて怯えてたあの"ミーシャ"じゃないんだよ。それにしても…アレキサンドラの汚いものでも見るような目、ほんっと最高)
"ミーシャ"はアメリ達を友達だと信じているらしいから、こうして成敗して欲しくないのだろう。
しかし、今の私はそこまで優しくない。
むしろ、人を虐めるような奴は地獄に落ちれば良いと思っている。
"ミーシャ"の優しい気持ちを汲んだ上でアメリとマティルダを穏便に許して死ぬぐらいなら、アレキサンドラの愛妾のままでいて、そのうち捨てられるかもしれない方がまだマシだ。




