深まる蟠り
前半はアリス視点です
お姉様の夫であるグランディエ様の命令で物置部屋に閉じ込められてから、何日経ったのか分からない。
時間感覚が麻痺し始めているのだろうか。
否、もうそんなことはどうでもいい。今日にお姉様の情けでもらった林檎だけではとても耐えられない。たしか昨日までのお姉様は、グランディエ様に隠れて冷めたパンやスープを出してくれたはずだった。恐らく、それさえも今日で禁じられたのかもしれない。
そんな状況で行儀の悪い食べ方をしたから、お姉様に沢山の怒りを与えてしまった。
生みの親、育ての親を次々に亡くした後、親代わりになってくださったラルフお兄様に厳しくされていたことを思い出させ、私に見下されていた方がマシだったという悲しいことまで言わせてしまった。
全てを後悔しても、もう元には戻れないのは分かっている。
お兄様に対し、お姉様ばかり厳しくするなら私にも同じようにして欲しいと言っていれば、立派な淑女だと褒められるお姉様に対する劣等感もなく、対等な関係になれたのかもしれない。
必要最低限の護身術以上の剣術や運動ばかりに興味を持たず、自らお姉様のことを見習っていれば、常にお兄様やお姉様に迷惑をかけずに済んでいた。
そんな過去の後悔まで、蘇ってくる。
閉じ込められたことよりも、こうして無意識にお姉様を傷つけてきたという事実を痛感する方が辛い。
境遇は違えどお姉様とは似たような過去を持つグランディエ様は、お姉様の苦しみに共感したのだろう。二人にとって邪魔で憎い存在の私は、物置部屋に閉じ込められることになった。
私には、ここから救い出してくれるような婚約者もいなければ、想い合う恋人もいない。同じ年頃の令嬢達は、男の子みたいな遊びや趣味を好むと噂される私を敬遠していたため、友達も勿論いない。
ただ、そんな私の噂を全く知らない様子で話しかけてくれた人が、過去に一人だけいた。
ブルーグレーの綺麗な目が印象的だったが、その人も既に私のことなんか忘れたかもしれない。そもそも、素っ気なく逃げてしまった私と友達になりたいなんて思わないだろう。
所詮、私を助けに来てくれる人なんて誰も居ない。
家でも邪魔者で、男性だけでなく女性からも野暮ったくて男の子みたいだと敬遠される私は、居なくなっても悲しまないと思う。
(……このまま目を瞑って寝て…起きたら天国にいたら良いのに…)
そうだ。それならいっそここで目を瞑ってしまえばいい。
そんな考えに支配されて、私は限界で重たくなり始めていた瞼を閉じた。
ガチャッ…
目を閉じたと同時に、物置部屋の扉から開く音が聞こえた。
きっと私が怒らせてしまったお姉様の代わりに、グランディエ様が様子を見に来たんだろう。起きた方が良いのか、それとも気絶したフリのが良いのかが分からず、私は目をぎゅっと瞑るしかなかった。
「……アリス、僕だから安心して」
耳に届いた声は、グランディエ様でもお姉様でもない。
その落ち着きのある澄んだ声は、幼い頃に密かに恋焦がれたものの、結局は釣り合うわけがないと諦めたあの人のものだ。
長い睫毛で縁取られたエメラルドグリーンの伏し目が、私を見ている。常に冷静な表情は、埃まみれで酷い有様の私を心配するものになっていた。
「……セルレウス…様…どうして……?」
「ずっと心配していたんだよ…いつも元気な君が最近宮廷でも全然見かけないから何か病気に罹ってるんじゃないかって。でも、そんなことじゃ済まない目に遭ってたんだね…」
そう言いながら、セルレウス様は髪にかかった埃を払ってくれる。だが、いくら幼馴染の関係でも、王族であるセルレウス様に埃を触らせているという状況に、私は恐れ多い申し訳なさで顔から火が出そうだ。
「っ……申し訳…ありません…っ…ご心配をおかけするだけでなく…こんなことまでさせて……」
「アリスが謝る必要なんかないよ!グランディエ兄様の企みで一方的に閉じ込められて…実の姉にまで冷遇されていたっていうのに…僕が兄様の違和感にもっと早く気づけてたら……っ…ごめんね、アリス…!」
セルレウス様の謝罪と共に、身体が温かいものに包まれた。今にも泣き出しそうな顔をさせてしまったのに、私は罪悪感を抱く余裕も持てない。ずっと好きだった人に抱きしめられた安心で、涙が止まらなくなった。
「っ……!!……ぅ……ひぐ…っ…ぐすっ…」
「……アリス、早くこんな地獄みたいな所から抜け出して一緒に暮らそう。また…アリスが昔みたいに元気に笑ってる顔が見たいんだ…」
「っ……私…みんなから男の子みたいって言われてるのに……私なんかで良いのですか…?」
「いや、むしろアリスのそういう所が好き…だったんだけど…そっちこそ僕で良いの?アレン兄様達みたいに背も高くないし逞しくもないけど…」
「……っそんなこと考えたことありません!わ、私は…セルレウス様のことは改めて自覚する前から…密かにお慕いして…おりましたので…」
昔から抱いてきた想いを口にした途端一気に顔が熱くなり、セルレウス様の顔をまともに見れなくなった。
それ以上に、向こうも私のコンプレックスを含めて好きでいてくれたことが嬉しくて、外に聞こえてしまうんじゃないかという勢いで心臓が鳴り止まなくなっていた。
「……アリス、裏口から逃げるよ。グランディエ兄様はまだ帰ってきてないみたいだから今のうちに行こう」
「は、はい…!」
差し出されたセルレウス様の手を取った私は、久々に家から出ることができた。
外はもうすっかり夜だったが、同じ暗い場所でもさっきの物置部屋よりもずっと空気が澄んでいた。
「あ、そうだ。言い忘れていたけど、ミーシャ・グレイスがアリスのことを心配していたらしいよ」
「えっ…そうだったんですか…?」
「うん…でもいきなり何で心配したのか謎だし陛下の愛人だからとは思うんだけど…あの子は嘘をつくような子には見えないし…一応陛下が代わりに伝えておけって仰ってたからそれだけ言っておくよ」
ミーシャ・グレイスのことは、時々噂には聞いたことがあった。
亡命した東洋の姫とディアナ王国市民との混血の孤児出身で、アレキサンドラ国王から気に入られてることで男ばかり誑かすだの、世間知らずで恥知らずと中傷されていたことも知っている。
私と同じで周りから避けられている境遇に置かれていると思い、噂を聞く度に同情していた。そのミーシャが間接的な形でも私を助けてくれたのだと思うと、私はミーシャという人のことが一層気になり始めた。
(前に何も知らずに話しかけてくれた人と同じ人…だったりして…もしそうだったら、仲良くなりたいな…)
ーーーーーーーーーー
「っ………アリス…?どこに行ったの…?」
グランディエ様が帰って来ないまま迎えた翌朝、アリスのいる物置部屋の様子を見に行ったが、そこには誰もいなかった。
窓も隠し扉もない部屋から逃げる術はないため、物置部屋の扉から出るしかない場所だ。しかし、アリスが内側から扉の鍵をこじ開けられたような形跡もない。となると、他者が物置部屋の鍵を入手するかピッキングで入った可能性が大きい。
鍵は自分の手で持っていることから、恐らくピッキングされたのだろう。
(グランディエ様に言うべきだろうか…?でもどう伝えれば良いの…?アリスが勝手に逃げ出したってことにするのは無理がある…どうすれば…!?)
不測の事態に戸惑っていると、邸の入り口が開く音が聞こえた。
「ルイーズ?まだ寝てる?」
グランディエ様が、帰ってきてしまった。昨夜は何をしに行ったのかと不信感を抱いていた。だが、今はアリスがいなくなったと知ったばかりで対処法がわからない時だからこそ、しばらく一人でいさせて欲しかった。
「お、おはようございます…グランディエ様…その…アリスのことなんですが…」
「ああ、知ってるよ。セルレウスや兄さんから破茶滅茶に怒られてきたから」
「え……?知っていらっしゃったのですか…?」
怒られると思って身構えていたが、グランディエ様は怒るどころかいつもの飄々とした顔をしていた。
「だからまあ…君は妹と土地を分け合うことになるんだよ。アリスはセルレウスと結婚するからね。かなり不本意だけど、どの道こうなるって分かってたから怒る気はないよ」
「………っ…そう…ですか…」
「それよりも俺は兄さんのことが気にかかってんだよね。王妃陛下がいながら愛人の子の所にばっかいるらしいよ。あの子も世間知らずそうだから普通に可哀想っていうか…色々やっかまれたりとかしそうだな〜って」
また、グランディエ様の口からは陛下の愛人の話題が出てきた。
あれだけ気にしていたヴィクトワール公爵領の土地相続の希望が破綻したにも関わらず、そんなことはどうでも良いかのように、むしろ愛人を憐む気持ちの方が強く見える。
グランディエ様のことは、陛下の結婚をきっかけに周囲から女好きという仮面を付けることを強要されたことで、性格が歪んで承認欲求を拗らせるばかりでなく、狡猾にまでなり果てたような人だとは思っていた。
しかし、言い換えれば冷静に物事を見ていて、兄からの理不尽とも言える教育に悩んだ私を唯一理解してくれる人だったため、グランディエ様との結婚を受け入れる気になれた。
そんな人が、"陛下の愛人"という存在だけでも下世話な話を優先し、高みの見物で憐れむ様子がフリにしか見えないぐらい、その愛人を欲しているように映る。
その姿に、失望を覚えそうになる。
常に皆に平等な国王陛下を誑かし、飄々とした表情の裏は冷静なグランディエ様をこんな愚かな人に変えてしまう愛人というのはどんな女なのだろうか。
若くて美しいだけの、下品で物を知らない女だとしたら、グランディエ様だけでなく王にさえ軽蔑を覚えてしまう。
(っ……何を考えているの…汚らわしい存在のことで振り回されるなんて…)
存在自体が汚らわしいもののことを、これ以上考えていたくない。せめてグランディエや王が心根まで愚かになっていないことだけは信じていたい。
むしろ、アリスに罪悪感を感じられず、いなくなってむしろ清々してしまう自分の方がずっと愚かだ。
だが、今後自分の方が愚かだと思えないようなことが起こることを、この時の私は全くわかっていなかった。
ヴィクトワール公爵家のゴタゴタはひとまず終了です




