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記憶喪失の転生者  作者: 川咲鋏
第3章
37/49

痛いほど染みる優しさ

ミカエラの話を聞いて、色々分かったこともあれば、聞いても分からないことがいくつか生じた。


転生して記憶を失った私は本作のミーシャ・グレイスを幼くした感じだったらしい。だからこれからは、その当時の私のことは"ミーシャ"と呼ぶことにする。

その"ミーシャ"は、転生直後のふわふわした状態で、黒髪の貴族の青年アレンに変装していたアレキサンドラに出会った。

ゲーム内では、社交界デビュー以前は一度もアレキサンドラと会ったことはない。だが、現実ではあの人は身分を隠して私に会っていたそうだ。

それでアレキサンドラは家にちょくちょく遊びに来るようになり、ミーシャにとっては兄のような存在だった。


しかし、アレキサンドラはゲーム通りに、ミーシャと出会う2年前の時点でリナリアと結婚していた。恐らく今は5歳ぐらいの娘と2歳ぐらいの息子がいる頃だろう。

それも知らずに好きになりかけている所で正体を知ったミーシャはショックを受けた上に、ヴィクトワール公爵の反逆が終わるまで、アレキサンドラと全く会うことがなくなったらしい。

そして、アレキサンドラが幽閉された時に育ての父親が亡くなり、天涯孤独の身となったところで、また不幸のどん底に落とされた。親戚の家のトニーという全てのルートにおける悪役キャラに、結婚を前提に引き取られる所までは、ゲーム通りの展開だった。

ここからはゲームと違って、トニーと過ごして完全に絶望し切った私を助けに来たアレキサンドラがここまで連れてきて、現在に至るというわけだ。


まあ、反乱などの時期の誤差には多少目を瞑っておくとして、私がまずツッコミを入れたいのは、アレキサンドラとの出会いだ。


ゲーム本編で出会うのは社交界デビュー時で、その後の関わりは反逆イベント終了後しかない。そこでアレキサンドラに話を聞いて欲しいと頼まれ、そこで『分かりました』と答えるか、『もう少し考える』のどちらの選択をするかが、バッドエンド回避の鍵になる。

結局アレキサンドラとそういう関係になってしまったため、今はバッドエンドの入り口には立っている状況だ。

それなのに何故アレキサンドラは、15歳ギリギリの"ミーシャ"に興味を持つことになったんだろう。ミカエラに聞いても全く知らないと言われる始末で、それが分からないとアレキサンドラに捨てられたり、その後も魔女みたいな女性であるカルミアに誑かされる心配は解消されない。

そもそも、転生直後から記憶喪失になってしまったせいで、社交界デビューをきっかけに誰かと出会うチャンスはなくなったも同然だ。今からやり直して他の誰かと恋愛ルートに進むことはほぼ不可能に等しく、よほどの奇跡がなければ人生は確実に詰むだろう。

しかも、記憶喪失状態の私は疑うことを知らなくて、アレキサンドラのことを優しくて格好良い人だと思い、最後には愛妾になるのを受け入れてしまったようだ。

ただ、単純に"ミーシャ"自身も知らぬ間にアレキサンドラの愛妾になっていただけなら、アレキサンドラとは適度な距離を保ちつつ、カルミアの接触を防げば穏便に事を済ませられると思っていた。


だが、今の私の状態についてもミカエラに説明されたことで、そう簡単にはいかないことが分かってしまった。

私に乗っ取られたミーシャの魂自体は失われたが、私自身の記憶が所々失われているせいで、魂としては完全にぐちゃぐちゃな状態らしい。このままではいつか魂が壊れてしまうため、その前にミーシャとして生きた自分と今の自分を全て受け入れ、それを行動に移す必要があるとのことだ。

だが、達成されれば私の魂はあるべき場所に還されてしまう。要するに、私もその器であるミーシャも本格的な死を迎えることになる。

そんな死を防ぐ方法は、『アレキサンドラを絶対に愛さないこと』だと、ミカエラは言っていた。


記憶が戻ったのがまだ見捨てられ寸前の状態なら、すぐにでも死ぬかアレキサンドラと穏便に別れるつもりだった。だが、よりによって愛妾になったばかりの時期に記憶が戻ってしまった。

まだ愛されている時期に突然アレキサンドラを置いて死ぬか別れを告げるのは、流石に心が痛む。だからこそ、向こうが飽きてくれるまでしばらく記憶が戻る前までの可憐な少女として過ごすしかない状況だ。

可憐な少女ぶって過ごした後にバッドエンドのように見捨てられたら、すぐにでもミカエルの言う通りに死ぬつもりだ。

正直、もうしぶとく生きるのはめんどくさい。見捨てられた後にカルミアの行動で宮廷がめちゃくちゃになること自体、はっきり言ってどうでも良い。

そう思えるぐらいこの場所には何の愛着も抱いていない。死ぬことに対する恐れは全くなかった。

今は、アレキサンドラに飽きられるまで"ミーシャ"だった頃の振る舞いをこなすことだけを考えよう。


そんな決意をしていると、ノック音が聞こえてきた


「お嬢様、そろそろ起床されてはいかがでしょうか。もう昼過ぎですよ」

「えっ……!?あ、ぁ…と…ぁあ…その……」

決意してから数秒しか経ってないのにいきなり実行するのは流石に無理だった。

"ミーシャ"のような喋り方はおろか、人としての喋りすら怪しい感じになってしまった。

「…お嬢様?もう起きていらっしゃるのですか?」

「は、はい…!!お、起きて…るよ…!」

「……?おはようございます、お嬢様。起床なさっていたのなら呼んでくだされば良かったのに…」

私に違和感を持ちながら入ってきたのは、ミーシャの専属侍女であるサラだった。またしても吃ってしまったものの、サラはこれ以上怪しむことなく挨拶をしてくれた。

「え、えっとミカ……じゃなくて起きてもちょっとぼーっとしてたから…」

危ないところだった。悪魔(みたいな奴)のミカエラと話していたから声をかけられなかったなんて、言えるわけがない。

ミカエラと呟きかけたのは、サラには幸い聞こえていなかったようだ。

「そうだったんですね…今度からこの呼び鈴で私のことを呼んで下さい。今日からいつもと違う生活になりますが、いずれ慣れるので大丈夫ですよ」

「わ、分かった…そうする…ね?」

「時期に陛下がこちらにおいでになるとのことでしたので、急いで着替えましょう」

「え」

「陛下が『あの子はまだ朝食も食べていないのでは?』と心配していらっしゃいましたよ。ですから昼食に付き合っていただけるそうです」

「えっ、ちょっ…それって本当の話!?」

「……??左様でございますが?ともかく、今は顔を洗ってください」

「は、はい」

アレキサンドラがご飯を食べるところに付き合ってくれるのは、口説き文句としての冗談だと思っていたが、まさか本当の話だったとは思いもよらなかった。

用意されたぬるま湯で、戸惑いながらのろのろと顔を洗うと、スキンケアだけでなく簡単な化粧まで施されていく。そして、されるがままに部屋着なるドレスに着替えさせられる。

身支度を何から何までしてもらうという、現代にいた頃では考えられない超絶高待遇に、私は終始ポカーンとしていた。


「ふう…なんとか間に合いましたね」

「……うん、ありがとうサラ」

「不思議とお嬢様がいつも以上に可愛らしいと感じたもので…つい気合が入ってしまいました…」

時間はかかったが、アレキサンドラが来る前になんとか終了した。簡易な身支度にしては、着せ替え人形ばりに色々着せられたり、化粧も結局簡易的では済まないぐらい手の込んだナチュラルメイクを施された気がする。

そして、サラの発言は何気に親バカのようだった。いつも可愛いと思ってくれるのは大変ありがたい話ではあるが。


(それにしても…作中では地味とか華がないって言われたりするけど、やっぱり"ミーシャ・グレイス"はヒロインなだけあって可愛いんだなぁ…)


手鏡で綺麗にしてもらった自分の姿に思わず見惚れていると、外からいい匂いがしてきた。

恐らく、昼食と共にあの人もいるのだろう。



「ミーシャ、入っても良いか?」


ついに来た。


昨日"ミーシャ"を抱いたであろうアレキサンドラの声が聞こえる。段々と"ミーシャ"だった頃の振る舞いの感覚がわかってきたため、もうサラの時のような失敗はしない。


「ど、どうぞ…………っ!?」


招き入れられて入ってきたアレキサンドラと共に、一人で食べるには絶対多すぎる豪勢な食事が運ばれてくるのが見えた。

「昨日までろくな食事ができていなかったと聞いていてな…色々と用意させたんだ。好きなだけ食べると良い」

「………あ、ありがとうございます」

「?どうしたんだいきなり?今は敬語などいらないから気楽にしてくれ、ミーシャ」


アレキサンドラの真の陽キャ特有の曇りのない笑顔は、私にはあまりに眩しかった。



      ーーーーーーーーーー


結構食べた気がするが、不思議と料理の皿がどれも空にならない。

少なくとも黄金色の滋味たっぷりの美味しいスープはさっき全部飲み干したはずなのに、何故か最初と同じ量が残っている。

それ以上に、サラダやパン、肉料理も種類があまりに多すぎて、一周回って食事の統一感がゼロのような気がする。


「どうだ?美味しいか?」

「……うん、美味しいよ。でも流石にこれ以上は…」

「クローズ家ではパンに酷いものを混ぜられていたと聞いている…だが今回は特別に質の良いものを作らせたから安心してくれ」

「いやだからその…」

「それにしてもトニー・クローズめ…ミーシャの腕がこんなに細くなるまで酷い食事をさせるとは本当に許し難い…!何が悪魔祓いだ…!ミーシャはこんなにも可憐な天使のようだというのに!」

トニーの奴はどれだけ酷い仕打ちを"ミーシャ"にしたんだろうか。それにしても、アレキサンドラのトニーへの怒りが、私を愛してるとかよりも過激オタに通ずるものを感じる。そもそも腕だって分かりやすくガリガリというほどには細くないと思う。

たしかにアレキサンドラは皆に平等で優しいが、ここまで誰かを特別扱いする描写は全くなかったはずだ。そういうキャラへの認識と現実での齟齬が、ここで生まれ始めていた。

「ミーシャ、お前には可哀想なぐらい痩せ細ってしまうよりも丸々と太ってくれる方が俺も安心するんだ…だから好きなだけ食べて寝て元気に過ごしてくれ」

「もう十分食べたから!!それに太るのは絶対嫌だっての!!!………あっ」

しまった。アレキサンドラの男としては理想的なはずの熱弁を、よりによって強い口調で遮るなんて、まだ"ミーシャ"として見られて愛されているであろう今はやってはダメなのに。

今更口を塞いだってもう遅い。アレキサンドラはポカンとして私を見ている。

自然とアレキサンドラに飽きられるつもりだったのに、今傷つけるのだけは絶対したくなかった。


「………ご、ごめんなさい…ちゃんと食べるから…」


良かれと思って折角してあげているのにと、責められるかもしれない。前世のいじめられていた時とは違って、アレキサンドラに悪意はないことを分かっている。だからこそ、余計に罪悪感が湧き出して止まらない。


震えた手でフォークを取ろうとすると、アレキサンドラの手がそれを止めた。


「ッ!?」

「ミーシャ、謝ることはない。それだけ喋れる元気があるなら俺としては十分だ。俺も悪かった…強要しているつもりはなかったんだが…いつの間にかトニー・クローズと同じ事をしてしまっていたかもしれないな…すまない、許してくれ」

「ッ……!!ん…っ…」


制止されて捕まれた手の甲に、アレキサンドラは軽くキスしてきた。

かなりキザなことをされたはずなのに、緊張が走って震えていた手は、いつの間にか震えが収まっていた。側から見れば些細なことでも、自身にとっては深刻に感じていた過ちを許されたことが、無意識に安心感を覚えたのだろうか。


「………もう、大丈夫だから…」


否、ダメだ。ここでアレキサンドラにときめきを覚えるのだけは絶対禁物だ。

バッドエンドになる可能性がまだ消えたわけじゃないのに、こんな所で情を抱いたら、自分は本当にゲームのバッドエンドと同じ結末を迎えてしまう。

アレキサンドラへの感情を誤魔化すように、私は話を現実的なものにすり替えた。

「そ、それに…太ったら太ったで食べる量も制限しなきゃいけなくなるからそれも困るし…」

「っ!はははっ、そうだな。それで病気になって死んでしまわないことも大事だ。ミーシャにはできるだけ長生きして欲しいからそのことも考えるべきだったな」


現実的な話も、アレキサンドラは全部愛情表現に変えてしまう。


"長生きして欲しい"


もし時期に飽きられたら、ミカエルの言う方法で死のうと考えている私には、痛いほどの優しい言葉だ。また、罪悪感が生まれてしまうくらいに。


「ミーシャ、夕食は好きなものだけを出すように伝えておく。今は公務に戻るが、夕食の後はずっと一緒にいるつもりだ。しばらく寂しい思いをさせるが、できるだけ早めに終わらせるから待っていてくれ」

「………うん、待ってる」


また、夜も一緒に過ごすことが決まった。

この世界で生きる貴族女性たちは、王妃のリナリアを除けば、アレキサンドラのように背が高く美形かつ最も高い地位の男性と夜を過ごすことは、非常に至福なことなのだろう。


しかし、私は素直に喜べない。喜んではいけないことだ。

好きになってしまえば、今後起こるであろう全てのことがただひたすら辛いものになるだけだと予感しているからだ。


私は、今アレキサンドラと過ごして、改めて決意を固めた。

死ぬとかそういうの以前に、アレキサンドラに本当に自然な形で飽きられるまでは、絶対好きにならないようにすることを。


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