安寧は儚く
明日にはルベウス家を去り、レイヴァン様とはもう会うことはないはずだった。
一緒に同行していたトニーが、宴に浮かれて酒を飲んで騒いだせいで二日酔いになり、私まで今日から二日ほどルベウス家で過ごすことになるなど、思ってもいなかった。
「……少なくとも今日は絶対トニーに何もされないんだ…」
トニーはしばらく動けず、別室のベッドで休んでいるため、触られることもなければ、話しかけられることもない。二日間限定だろうと、トニーが近くにいないというだけで非常に安心できる。
「そうですよお嬢様、あのドラ息子…いえ、トニー様が眠っているうちにしたいことがあるのでしたら今のうちにやりましょう」
「したい…こと…」
したいことと言われて、まずはゆっくり休みたいことよりも先に、病気から回復したばかりのユリアナへのお見舞いを思い浮かべた。
トニーによる監視とレイヴァン家への移動で忙しかったこともあり、手紙すら送る暇がなかったが、トニーが寝ている今のうちなら大丈夫だろう。
「サラ、ペンと紙ある?ユリアナにお見舞いの手紙を送りたいの」
「はい、すぐに持ってきます」
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急いでユリアナへの手紙を書き終え、後は伝達役の人にアイリス家まで届けてもらう…はずだった。
「この邸から手紙を送りたいのであれば一度確かめさせてもらいますよ」
「っ………は、はい…」
伝達役の人に手紙を渡そうとしたところ、現ルベウス家の家臣の立場であるラルフ・ヴィクトワール公爵に見つかった。そして、その手紙を怪しまれたことで、その場で検閲されることになってしまった。
ヴィクトワール公爵に怪しまれるようなことは書いていない。内容はただのユリアナへのお見舞いだ。
そもそも、私を疑うこと自体無駄なような気がする。
そう思いながら待っていると、読み終えたヴィクトワール公爵が呆れたように溜息を吐いた。
「……正直なのは良いことだが、あけっぴろに全部書きすぎだ」
「え……?」
お見舞いの手紙で手間取らせるなという意味での溜息だと思い、嫌味を言われる覚悟だった。だが、ヴィクトワール公爵は別の意味で呆れているらしい。
それに対して戸惑う私に、ヴィクトワール公爵は指で文字を追いながら手紙を見せつけて説明を始めた。
「まず、ルベウス家にいることまで書くんじゃない。サッピールス家第一主義のアイリス家に不審がられる。そうなればその病み上がりの令嬢も実家のごたごたに巻き込まれかねない。君はユリアナ嬢がそんな目に遭っても良いのか?」
「そ、それは嫌です…!!」
「なら、全部ここで書き直しなさい。それとここの綴りが間違っている」
「うぅ……すみません…全部やり直します…」
第一印象とユリアナの話で怖いとばかり思っていた相手から、何故か誤字の修正と手紙の書き方を教育されている。
ヴィクトワール公爵は実は世話焼き気質で面倒見が良い人なのだろうか。引き取られた義理の妹達の親代わりとしてルイーズ様に極端に厳しい教育を施していたと聞いていたため、意外な一面だと感じた。
「……昔も、ルイーズがまだグランディエ殿下の婚約者候補ですらなかった頃にこうして教えたこともあったな。父上の血筋か、私と共にあまり要領は良くなかったが、人一倍努力家だったからこそ今は貞淑な令嬢になってくれた…ただ、もうあの子にはすっかり嫌われてるだろうがな」
手紙を書いている最中に、ヴィクトワール公爵がルイーズ様の話を懐かしそうにし始めた。
ルイーズという令嬢は、不器用なりに人一倍努力した結果、貞淑で品行方正な女性へと成長したこと。しかし、そのために厳しく育て上げたラルフという兄を嫌っていることを。
「何故ルイーズ様が貴方を嫌うと思うんですか…?」
「………立派に育って欲しいと思うばかりで、ルイーズのしたいことをろくに聞かず、何もかも反対したのが原因なのだろう。末の妹には同じ思いをさせまいと好きにさせたが、それがかえって反感を買ってしまったかもしれん。ルイーズには本当に酷いことをしてしまった…」
ルイーズ様のことを想い、ヴィクトワール公爵は寂しげにそう語った。
「………それは本当に酷いですね」
「ぅっ……見かけによらず率直に言ってくれるな君は…」
「けど…ルイーズ様には愛情があった上でのことだと分かって、ヴィクトワール公爵はそんなに怖い人じゃないんだと思えました。だから今言ったことを伝えれば、ルイーズ様のお考えも変わると思います」
ヴィクトワール公爵は、最初はお父様とは真逆のタイプの人間だと思い込んでいた。
時代だから仕方ないとはいえ、特に男尊女卑的な考え方をしていて、やりたいことも自由にさせてくれず、意思を受け入れてくれないくせに末の義妹のことはとことん甘やかす酷い人だとも。
だが、ヴィクトワール公爵は完全な男尊女卑というわけではなく、ルイーズ様に厳しくしたことにもちゃんと理由を持っていた。そして、アリスさんを甘やかしているように見えていたのも、ルイーズ様と同じ思いをさせまいとした上でのことだった。
やり方は間違っていたかもしれないが、ただの冷酷非道な人だと思っていたことを謝りたいと思うぐらい、ヴィクトワール公爵は妹思いな人だと分かった。
そう思ってたことまで、流石に全部話そうとは思わないが。
「………まだこんな状況になる前に君がそう言ってくれたのなら、ルイーズに伝えられたかもしれない。だがもう遅い。アレキサンドラの敵となった今、勝っても負けてもルイーズと直接会うことは叶わないだろう。グランディエ殿下との婚約がある限りは…」
「で、でもそれこそ今手紙で伝えればまだ…!!」
アレンの敵というだけで、ヴィクトワール公爵はルイーズに正直な思いを伝えられないなんて残酷すぎる。
直接会うことができなくても、手紙でなら想いを伝えられるはずだと思い、私はそう言って出て行こうとするヴィクトワール公爵を引き留めようとした。
しかし、本人は首を振って「無理だ」と呟いた。
「もう書けただろう。早くユリアナ嬢に送ってあげなさい」
「っ…………はい…その、ありがとうございました」
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伝達の人に手紙を渡した直後、すぐに帰らされてしまった。
ヴィクトワール公爵は最後までルイーズ様と話すのはもう不可能だという考えを変えなかった。手紙で詫びたとしても、どうせ読まずにすぐに燃やされるだろうとも言っていた。
その一言を聞いた瞬間、自分が数ヶ月前にアレンから出された手紙をずっと無視してしまっていたことを思い出した。
ヴィクトワール公爵が想像していたように、私はアレンが手紙で思いを伝えていたにも関わらず、王だと怪しむ意地で読まずに捨てる行為を平気でしていた。
当時の自分はアレンに対して、非常に残酷なことをしていたのかもしれないと、今になって罪悪感を覚える。
アレンも読んでもらえないことを覚悟で、みんなに怪しまれないようにしながら私に手紙を送っていたというのに、それを意地だけで踏み躙ってきた私は、誰よりも最低な人間だ。
もう私にはアレンに会う資格など本当にないのだと、今思い知らされた。
「っ………ごめん…なさぃッ……ぅッ…ぐすっ…うぅ…」
人気のない渡り廊下でも、啜り泣く声が響いてしまう。そのせいでアレンのことを考えて泣いているのを知られれば、ルベウス家にいる人達から怪しまれる。
そう思った時、私はある場所を思い出した。
(………あそこなら誰も来ない…この顔を見られたくない人は絶対…)
他の人に顔を見られないよう、私は昨夜行った庭に向かった。
望まぬ人は絶対誰も来ない、静かな場所まで。
「………っ!!ミーシャ!また会え………!?どうしたの…?どこか痛い?」
庭の先客が、私を見て一瞬嬉しそうな顔をした。だが、涙目になっているのを見た途端に、心配そうな表情で駆け寄ってきた。
「ぐすっ……レイヴァン様…っ…私…アレンに酷いことして……ぅッ…」
「………君も…アレンのことで悩んでたんだね」
「っ………謝りたいって思ってても…それすら聞いてくれないぐらい…私は……」
「……僕で良かったら全部聞くよ、ミーシャ」
レイヴァン様は本当に優しい人だ。人の苦しみや、最早自業自得のような悩みであろうと、親身になって聞いてくれる。
その姿は、私の亡き父レオン・グレイスを思い出させられるものだった。
「………私は…元々アレンがこの国の王だということを全然知らないまま、ただの貴族の友達として接していたんです。けど、あるきっかけがあって国王かもしれないと怪しむようになってから…その日からアレンが送ってきた手紙は全てご機嫌取りだと思って無碍にして…っ」
元はと言えば自分があまりに世間知らずなのが悪かったというのに、勝手に裏切られたと勘違いしていたのが恥ずかしくなってくる。
話を聞いてくれているレイヴァン様も、さぞかし呆れ果てていることだろう。
「……僕は…アレンに裏切られたと感じる君の気持ちには寄り添いたいと思う。けど…ミーシャに拒絶されたアレンの気持ちの方が分かってしまうんだ」
「……………やっぱり…そうですよね…」
「ミーシャが悪いって意味で言ったんじゃないよ。ただ…そのアレンが昔の僕と似ていたからそう思っただけだよ」
昨日話していた時にも話題に出されていた、レイヴァン様とアレンの過去で知っているのは、王位争いなどの外的なものだけだ。その実情は何も知らない。
拒絶について話した時のレイヴァン様の哀しげな表情からして、アレンに拒絶されて深く傷ついたことがあったのだろうか。
「……そういえば、レイヴァン様もアレンと何かあったんですよね…?」
「うん…僕の叔父にあたる前王アウィンが亡くなられて、本格的に僕の家とアレンの家で王位争いをし始めた時から…かな」
昔話をし始めるレイヴァン様は、懐かしそうにしつつも、そこで起きた背景もあるせいでやはり憂いを帯びた表情をしていた。
「でもアレンとは小さい頃から同い年の従兄弟同士で仲も良好だったんだ。弟達のグランディエやセルレウスともね。あの子達と遊んだり、一緒にレオンに勉強を教えてもらって…たまにサボったりイタズラをして世話役のラルフに怒られたけど、すごく楽しかった」
レイヴァン様やアレンに勉強の時間をサボられたお父様の話も出てきて、怒るよりも困ってる様子が思い浮かんでクスッと笑ってしまった。
前まではお父様の話を聞くと、亡くなった時の悲しみが甦っていたが、今はただ懐かしいと感じられる。
「けど、前王が亡くなられてから全てが変わってしまった。僕はアレンと次期王位を争うのは嫌だって言ったんだ。アレンとはまだ友達でいたいって。それでももうどうにもならないって言われて…悲しかった」
アレンと王位を争うことになった時の話になると、レイヴァン様はまた辛そうな表情を見せる。今思い出しているだけでも苦しげなのに、当時感じていたこの人の悲しみは、どれほど深かっただろうか。
「だから僕は争いをやめれば良いと思って、『王位なんかいらない、アレンのが相応しい』って言ったんだ…けど、優しかったはずのアレンがそれを聞いてすごく冷たい目でこう言ったんだ……」
"お前まで俺に全部押し付けるのか"
レイヴァン様の口から聞いた当時のアレンの言葉は、私の知るアレンの姿からは想像し難いほどに冷たく、どこか苦痛を感じさせられるものだった。
「………僕は…あの一言でアレンを傷つけたのかもしれない。アレンには誰よりも次期王に相応しいと期待される重圧があったことを…近くで過ごしていた時も痛いほど分かっていたのに……」
レイヴァン様の声が震え始めたと思ったら、アレンを傷つけた後悔でボロボロと涙を流していた。
話を聞いた私は、強くて優しい人だと思っていたアレン━━アレキサンドラ・サッピールスを今やっと理解できた気がした。
アレンは今までずっと王として過剰に期待され、正しく皆に尊敬される人物として振る舞わなければならない苦しみに耐えていたのかもしれない。周囲に反対されたと言われるリナリア様との契約結婚も、その覚悟で決めたのだろう。
そう思うと、理由は違えどレイヴァン様だけなくアレンも王位争いなどしたくないと考えていたのかもしれない。
「僕は……っ…またアレンと王位なんかのために争うのはもう嫌だ…!!アレンやグランディエ、セルレウスと僕を隔てるあの存在自体が憎いぐらいだ…!僕はそんなことのために…誰かを苦しめたり、傷つけたいわけじゃないのに…!」
レイヴァン様の話を聞いていると、王位争いだけでなく今行われている反乱は人を傷つけるだけのものだと思えてくる。
「………アレンも…本当は望んでいないと思います…」
アレンがヴィクトワール公爵の反乱に立ち向かおうとしているのも、本心では望んでいないことのはずだ。
「っ……そうだと、いいな…それで早く反乱が終われば…マリアンヌをこれ以上巻き込まずに済む…でも…僕はもうこのまま逃げてしまいたい」
「ッ………!?」
弱々しい声で本音を口にしたレイヴァン様が。ゆっくりと私の方にもたれかかった。
肩にサラサラとした翡翠色の髪の毛がかかってくすぐったい。
そんなレイヴァン様の姿は、まるで大きい子供みたいだった。
「ミーシャ…いっそ君と一緒に逃げたいよ……」
本当なら、そんなことはできないと言うべきなのだろう。しかし、アレンとレイヴァン様の過去の話を聞いた上に、私もトニーという存在に苦しめられている。
だからこそ、レイヴァン様と一緒に逃げてしまいたいと本能的に考えてしまった。
アレンには、傷つけたせいで嫌われてるだろうから、もう前みたいに戻ることなんてできない。
このまま逃げれば、トニーに辱められることもなく、アレンに嫌われているかもなんて辛いことを忘れられるかもしれない。
だが、もし本当に逃げたとしたら、サラやグレイ、ユリアナとは永遠に別れることになる。
私を大事に思ってる人を簡単に捨てることなんてできるわけないという理性は、必要なはずなのに不思議と邪魔をしているように感じてしまっていた。
「私は……っ…」
レイヴァン様に何を言えば良いかわからず、言葉を詰まらせていると、突然邸内全てに渡って轟音が鳴り響いた。
「ッ………!?な、なに…今の…」
「…………アレン達が、来たのかも」
武装した大勢の人達が、物凄い勢いで邸内の中に侵入し、ルベウス家関係者が恐れ慄いて逃げる姿まで見える。レイヴァン様の呟きで、ついにアレンが反撃を開始したのだと察知した。
『裏切り者のラルフ・ヴィクトワール!!覚悟しろ!!!我が兄上アレキサンドラ王の王座を脅かすレイヴァン・ルベウスを引き摺り出せ!!!』
兵の中にいる銀髪の少年が、ヴィクトワール公爵とレイヴァン様を今にも殺す勢いで兵士達を奮い立たせ、邸内を荒らしながら対象を探し始めた。
幸い、滅多に人が近寄ることのないこの中庭を探そうとする兵士はまだいないようだ。今の状況は非常に恐ろしいが、このまま隠れていれば見つからずに済むかもしれない。
「…レイヴァン様、ここで隠れ……っ!?」
「ごめん…今は付いてきて欲しい」
提案を遮るかのように、レイヴァン様は私の手を掴み、わざわざ邸内に入ろうと歩き始めた。
「で、でもこのままだと見つかってしまいます…!」
「大丈夫、君だけは絶対に見つからないようにするから」
そう言われても、レイヴァン様の意図がわからない。
さっきまで逃げたいと言っていたのに、何故自ら姿を現すような真似をするのだろうか。
引き留める言葉すら届かない様子のレイヴァン様に、私はただ腕を引かれるしかできなかった。




