運命に翻弄される者達
「…貴方がトニー・クローズ?ラルフ・ヴィクトワールの味方に真っ先についた方と聞いているわ」
私とトニーを迎え入れた金髪の美しい女性は、本当に自身の味方なのかを見定めるように尋ねてきた。
「ッ!!ま、マリアンヌ様!!あ、いえ…マリアンヌ王妃陛下!ご挨拶が遅れて大変申し訳ございません!!」
声をかけられて緊張丸出しのトニーは、いつになく恭しく挨拶をしながら、マリアンヌと呼ばれる女性の手を取ろうとした。
だが、マリアンヌ様は触るなとばかりにトニーから手を振り払った。その気持ちはとてもよく分かる気がする。
「貴方がこちら側なのは分かったけど、まだ私は王妃じゃないからそんな恭しい呼び方をしないで。それより、私たちと同じように貴方にも色々あったのでしょう?そちらのお嬢さんのことも含めて」
マリアンヌ様の目が、私へと向けられる。
「ッ……!!お、お初にお目にかかります、ルベウス公爵夫人。み、ミーシャ・グレイスと申します…」
トニーに失礼のないようにと言い付けられていたためか、その緊張のせいで噛んでしまった。
「そんなに緊張しなくても良いのよ、私のことはマリアンヌと呼んでも構わないわ。それより貴女はこの男の元に嫁ぐつもりなの?」
「え……ぁ…その…」
「はい!今日はそのお許しを頂くためにルベウス公爵家の当主にあらせられるレイヴァン様の元に参ったまででございます!!」
私がそんなつもりはないと否定することもできず、戸惑っている間にトニーがへこへことした態度で勝手に話を進めてしまう。
マリアンヌ様が今の話で納得してしまわないか、不安を覚えた。
「残念だけど、あの人は邸の外を好き勝手に彷徨いていて誰も見つけられていないから、また日を改めた方が良いわ。全く…また迷子になってないと良いけど」
遠い場所から何時間もかけて来たのに、レイヴァン様がここにいないとなったら、また同じように帰らなければならない。
トニーはまた同じような手間をかけることを嫌うタイプなため、レイヴァン様がいないことに非常に悔しそうな顔をしていた。
私としては、結婚を認めてもらうのが少しでも遅れたことで、むしろ少しだけ安心していた。
「……そ、そうですか…ではまた…」
「トニー!!こっちに来てゲームでもしないか?」
「その声はクリフ殿か!!今行く!!」
帰ろうとしていたのに、トニーはクリフとかいう友人らしき人の遊びの誘いにすぐに乗ってしまい、挨拶もせずさっさと行ってしまった。
「……せっかちな男だこと。ミーシャ、今日は遅いから泊まっていきなさい。念のため、あの男とは離れた部屋にしておくわ」
「あ…ありがとうございます」
帰れなくはなったが、泊めてもらえるのは助かった。マリアンヌ様がトニーのことを一人の男性として危険視しているお陰で、部屋も離してもらえた。
「それより貴女、ミーシャ・グレイスとか言ったわね?」
マリアンヌ様の目が再びこちらに向けられ、緊張で背筋が伸びてしまった。
「は、はい…っ」
「あんな下品で卑しい男に嫁ぐことになるなんて不運なことね…その消えかかっている鬱血した跡と言い、いつもあの男に何か良からぬことでもされているの?」
「………っ!!」
マリアンヌ様が指差した鎖骨辺りには、まだトニーに直接身体を触られていた時に付けられている赤い跡があった。
まだ抵抗して逃げようとする気が残っていた私の腕を縛って、無理やり触ろうとした時に付けられた時のものが、まだ残っていたらしい。
「ッ……………はっ……はぁ…っ…!」
もう消えかかっているから気にしないようにしていたのに、改めて指摘されるとあの恐ろしい日々を思い出してしまう。
首を舐められ、吸血鬼かの如く吸い付かれるあの気持ち悪い感触を。それを一度考えてしまった今、マリアンヌ様の前で息が上手くできなくなくなり、喋れなくなってしまった。
マリアンヌ様は、トニーだけじゃなく私まで失礼な人間だと思ったかもしれない。
だとしても、取り繕う余裕など、今の私にはなかった。
「……ミーシャ?顔色が悪いけど大丈夫?」
あまりに様子がおかしいことに気づいたのか、マリアンヌ様が気の強そうな目と眉を下げてまで心配してきた。
この人は強いだけじゃなくて、なんて優しい人なのだろう。いっそマリアンヌ様にあのことを全部話してしまったら、トニーとの婚姻の話はなくなるかもしれない。
トニーと結婚させられるくらいならと思い、私は勇気を振り絞って口を開こうとした。
「……っ……実は…そ、その…クローズ伯爵に…っ」
「マリアンヌ様、ヴィクトワール公爵が直々にお話ししたいことがあると申しております」
話そうと思ったところで、従者の人がマリアンヌ様を呼びに来てしまった。
「………分かったわ。ミーシャ、変なことを聞いて悪かったわ。今日はゆっくり休みなさい」
「っ………はい…」
マリアンヌ様と側近はさっさと移動してしまい、私は一人取り残された。
(………遊んでるトニーの所には行きたくないし、近寄りたくもない…誘っていた人も軽薄そうな雰囲気だったから…一緒にいるのは嫌だ…サラもまだここに着いてないみたいだし…しばらく散歩でもしてようかな…)
どこにも行けない私は、当てもなく城の中を歩くしかなかった。
私の家の何倍も大きいこの邸は、さっきまでいた場所から離れてしまえば、すぐに迷ってしまうほどのものだ。それでもトニーがいる場所から離れたくて、迷子になろうがなんだろうが、私は歩き続けた。
「っ…………森…じゃない…ここって庭??」
しばらく歩いていると、私達を出迎えた美しい花々が咲くものとは違い、草や葉っぱばかりの質素な庭らしき場所にたどり着いた。
(……派手なことが好きなトニーもだけど…ここには誰も来ないよね…しばらくここにいよう…)
庭に出て、私は思いっきり深呼吸する。
久々に澄んだ空気をたくさん吸ったような気がした。
ここには誰もいないため、宮廷やクローズ家のような張り詰めた空気も重苦しい空気もなくて落ち着く。美しい花の香りも好きだが、草木の香りも落ち着きがあって心地良い。
のんびり中庭を歩いていると、私よりは大きいであろう人影がちらっと見えた。
「ッ……!?ひ、人…!?」
こんなところに来る人なんていないと思っていたから、驚いて後退りしてしまった。
その人影を確かめるために、気づかれないようそっと近づいた。
その後ろ姿は、華奢ではあるものの、かなり背が高いことと、骨格の造りのおかげで、見ただけで男性だと分かった。
トニーのせいでまたグレイス家の人以外の男性が苦手になってしまった私は、やっぱり見なかったことにしようかと考え、引き返そうとする。
しかし、そんな考えは一瞬のうちに消し去られることとなった。
私の視線に気づき、振り向いたその男性は、翡翠の髪を持ち、月光に照らされた琥珀色の瞳が輝いていた。
「ッ………綺麗…」
アレンのような、見る人の心を奪う華やかさはない。だが、それとはまた違う清廉な美しさに、思わず声に出してしまった。
「ッ………!!君は…誰?」
男の人は警戒しているのか、眉を下げて弱々しい子犬のようにそう尋ねてきた。
「…ミーシャ・グレイスです。貴方は……?」
「僕……?僕は…レイヴァン・ルベウス」
"レイヴァン・ルベウス"
この華奢で綺麗な男性が、次期王になり得る人らしい。
噂には聞いていたが、改めて子犬のような目で見つめてくるレイヴァン様は本当に儚げというより、頼りなげな雰囲気だ。
アレンみたいに振る舞いに迷いがなく、意志が強い人が国王になると思っていたから、レイヴァン様が本当に今アレンと王位を争っているという事実は、あり得ないんじゃないかと思えてくる。
だが、トニーには失礼のないように振る舞えと言われているため、レイヴァン様を国王として恭しく呼ばなければならないのだろう。しかし、本当にそう呼ぶのが正しいのか、今の私には分からない。
先ほどのマリアンヌ様との会話からして、トニーが勝手にルベウス家が勝つと思い込んでいるだけか、単に目の前の王位候補に媚を売っていただけという可能性があると、頭の中に浮かんでしまったせいだ。
否、今はここに来た理由を話さなければならない。それだけは、レイヴァン様が王位候補とは関係なしにするべきことだ。
そう思い直し、私は口を開こうとした。
「ッ……あの…」
「僕がここにいることは皆に内緒にしておいてくれないかな?」
「は、はい…?」
「元々張り詰めた空気で嫌だと思っていたのが…アレンと争うことになった今は本当に皆の側に居るだけで辛いんだ…頼むよ、ミーシャ」
そう語るレイヴァン様は、アレンの名を口にしてからは一層哀しげな表情を浮かべた。
この人はアレンと争うのを望んでいないのだろう。
レイヴァン様を見ていると、ついお願いを聞いてしまいたくなる。そもそも、最初からここにいることを話すつもりなど全くないが。
「わ、分かり…ました。私も…今はトニーと…あの場にいたくないので…」
レイヴァン様のお願い以上に、トニーと少しでも離れていたい。居場所を知られることで、連れ戻されて酷い目に遭うのが怖かった。
「ありがとう。ところで…君はそのトニーという人とどうして一緒にいたくないの?」
「っ……私が今日ここに来たのは…ルベウス家が王位を得た時のためだと言って…トニーが私との婚姻を認めてもらおうとしたからなんです…でも…私はトニーと結婚したくない…恐ろしい日々を送ると思うと……っ」
だが、不思議なことに私は、トニーにされたことを答えられた。
マリアンヌ様に聞かれた時は、トニーに辱められた記憶を鮮明に思い出させられて、息が上手くできなかった。
分かってもらえなかったらどうしよう。時間が待ってくれると、頑張って主張すれば良いと言われてしまうかもしれない。
マリアンヌ様はそんな軽率なことを言う人じゃないと信じたいのに、そう思うだけで何も言えなかった。
だが、目の前にいるレイヴァン様に聞かれた時、息苦しさを感じなかった。自然と、この人になら話しても大丈夫だと思えたのだろうか。
「ミーシャは…トニーから何か酷いことでもされてるの?」
「………もう…あの人に触れられたくないっ…無理やり服破られたり…人形みたいに扱われるのを…もう耐えているのは限界で…っ…」
ここまで人に話したのは、レイヴァン様が初めてだった。
トニーへの恐怖を改めて吐露したことで、涙がじわっと溢れそうになる。泣くのを堪えていると、頭に温かいものを感じた。
「っ………?」
「………可哀想に。何の罪もない君が何故そのような仕打ちを受けて…天罰を与えられるべきなのはその彼だというのに…」
レイヴァン様は労わるように頭を撫でながら自分のことのように涙を流している。
噂に聞いていた以上に、レイヴァン様は本当に優しい人だ。アレンとはまた違った優しさが、胸に沁みてくる。
「……ミーシャ、僕もそんな風に辛くてたまらない時があると…いつもここに来てたんだ。以前のようにアレンと王位を争った時は毎日だったと思う」
「レイヴァン様も…アレンのことで辛いことがあったんですか?」
「僕はずっと…従兄弟のアレンと友達でいたかっただけだったんだ…王位さえなければ…僕とアレンは友達でいられたのに…!」
レイヴァン様もアレンのことで悩んでいて、それも王位というたった一つの要因を恨んでいることを知り、私と悩みが似ていると思った。
「私も…アレンが………」
「お嬢様!!こんな所にいらっしゃったのですか!?」
ずっと来るのを待っていたはずの声が、背後にある城の中から聞こえてきた。
「ッ………!?さ、サラ…!?」
レイヴァン様にまだ話したいことがあったから、サラには少し待ってて欲しかったと、身勝手に思ってしまった。
「あっ…申し遅れました、レイヴァ……んぐっ!?」
「サラ!!この人はここで知り合っただけのただの友達だから!!」
サラの声で居場所がバレてしまうかもと思い、言い終わる前になんとか遮った。そのせいでトニーに居場所を知られるよりも、レイヴァン様がまた辛そうな顔をするかもしれないのは嫌だった。
「んんんッ…!!はぁッ…わ、分かり…ましたっ…そ、それとお嬢様。そろそろ就寝のお時間です。今日は私が付きっきりなので心配するようなことはありませんよ」
今日はこれで、レイヴァン様と別れる。明日からまた、会える日があるのか分からないまま。
サラに連れられた私は、レイヴァン様を置いてその場から離れていく。
「ッ……ミーシャ!!」
中庭から城に入ろうとした瞬間に、後ろから呼びかけられた。
「いつかまた…こうして二人で話そう…!」
期待に満ちた琥珀色の目は、一層輝いていた。
また会えるかどうかに対しても、何の疑いも持たない表情をしているレイヴァン様は、本当に純粋な人だ。
「……はい!」
あの人といると、トニーへの恐怖や、アレンへの苦しい想いを何もかも忘れられる。
私は、そう逃避的な考えを思ってしまうほどあの空間が心地良かった。
だが、もう会うことはないのかもしれない。苦しみを吐露できた、たった一日限りの友人ができたという思い出になるだけだ。
そう思いながら就寝したその翌日、宴で浮かれ騒いでいたトニーが二日酔いとなってしまい、しばらく帰れないことを知った。




