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記憶喪失の転生者  作者: 川咲鋏
第1章
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転生前夜

今日ほど一刻も早く終わらせたい日はないだろう。


「美加理ちゃんさぁ、そのくすんでるピンクのリップって彼氏の趣味なん?俺的にはもっと明るいのが良いと思うんだけどさぁ(笑)」

「ちょっとたっくん!セクハラだよそれ(笑)」

「えーまじで?(笑)美加理ちゃんごめんねぇ?」

「……全然気にしてないよー」


私は目の前にいるセクハラクソバイス野郎と、言葉に反してニヤつく女に対して内心はらわたが煮えくり返っている。

今はグループ課題の時間のはずだ。頑張らないと連帯責任で単位を失う非常に面倒臭い課題をやっているというのに、何故この男はその時間を無駄にしてまで私のメイクに口を出すのだろうか。

さっきまでは、目の前の二人が合コンかのように彼氏いるいないで盛り上がっていた。それだけなら放置すれば良いのだが、急に私に話題を振って絡んできて、この始末である。

同じグループであまり自己主張しにくいタイプでも、私と同じくちゃんと課題に取り組んでくれている男子も、この空気に困惑してしまっている。それにしても、課題に一ミリも取り組んでいない使えない奴らにクソうざくてクソくだらない絡みまでされて、怒らずにいられる自分を褒めたいぐらいだ。


それだけなら、まだ性格擬態をして冗談を言われても気にしない人間をちゃんと演じることができた。だが、こいつらは最近真佑と会えていないという傷を間接的に抉りやがったため、上手く笑えているか心配だ。


(はぁ〜〜〜〜〜…ほんっっっっっとクソだな。こいつらだけじゃなくてこういうリスクが付きまとう課題を平気で出した上にこんな班に組ませた教授のクソジジイも)


鬱憤をめちゃくちゃ溜めながらなんとか決めていた時間までやり過ごし、結局課題はちゃんとやってた男子と二人で集中的に終わらせた。

お互い、もう"たっくん"もとい拓実と、ベタベタしてた愛菜の二人とは一緒にいる時間を作らないという強い意志の元で。


同じグループの人と別れた私は、なんとなく真佑に会いたくなり、顔だけ見て帰ろうと思っていた。


(最近忙しかったとはいえ全然大学でも会えなかったな…向こうもあのクソ課題みたいな感じで悩まされてたんだろうか…)


政治学部の私と法学部の水瀬真佑は、外国語の授業をきっかけに、一年ぐらい前から付き合い始めた。学部が違うので、ばったり会うというのはちょっと難しいことは分かっていた。だが、数ヶ月前から会う時間は減り、連絡しかできていないのも珍しく感じる。


きっと忙しかったんだろうと、私は真佑の一人暮らし用のアパートまで向かった。



      ーーーーーーーーーーー



ピンポーン…


合鍵は一応持っているが、とりあえず来たことだけは確認させるため、毎回インターホンを鳴らしている。

そのまま、持っていた合鍵を使ってドアを開けた。



「………………ん?なんだこれ」


玄関に見知らぬ可愛らしい白パンプスが置いてある。私に余程のことがなければ一生かけても絶対履かないタイプの靴だ。

一瞬真佑の母かもしれないと思いかけた。だが、話を聞いた限りでは、あの母親が真佑のことを気にかけるなどあり得ない。そして、真佑は一人っ子で姉妹もおらず、幼馴染の女子などという存在もいない。


だからこそ、私は嫌な予感を覚えた。


真佑を信じたい気持ちで足早に真佑の部屋まで歩き、申し訳程度のノックと共にドアを開けた。



「………………は?」


私は、目の前の光景に、嘘だと言って欲しいと思わずにいられなかった。


顔を見るつもりで真佑に会いに来たのに、真佑が見知らぬ女と仲良さげに寄り添っていたからだ。



「真佑…その女誰?ちゃんとわかるように説明して欲しいんだけど」

静かに強めの口調で話し始めると、女の方は不安そうな目をして見てくる。怯えられるくらいならもっと開き直って欲しいし、怒りも余計に増してくる。

「……………俺の…好きな人だよ」

「はぁ?…何考えてんの?ただの好きな人をいきなり家に連れ込むとか倫理観終わってない?」


"私がいるのに他の女連れ込んでんじゃねぇよ!!"


なんていう、サレ彼女の典型的なセリフじゃなくて、思わず冷静に正論を言ってしまう。

本当はもっと怒りたいのに、何故か怒りをぶちまけることができない。


「………っ…俺、もううんざりなんだよ…!」

「え…」

「美加理の性格がころころ変わるとこも…俺の前ですらキャラ作るところがもう嫌なんだ!!俺のこと信じられるって言ってたのになんでもう本当の姿を見せてくれないんだよ!!」

「………は?本当の姿…?」


真佑の言葉に、訳が分からなくなる。

自分はいつだって、真佑の前だけでは"自然体"でいたはずだ。

それに、"キャラ"なんて一切作ってなかった。


あの幼少期を経験して以来、自分の身を守るためにしてきたことは、真佑にだけはしなかったはずなのに。


幼少期の私は、誰かと会話するのが苦手なだけならまだしも、物事をこなすことに関してあまりに要領が悪かった。

そのせいで、様々な虐めを受けた。

クラスメイトに掃除を押し付けられるのは日常茶飯事で、何も言い返せないのを良いことに、女子には悪口を言われたり、物を隠された。

中学に上がって、そいつらも所謂カーストがもっと上の人に絞められたおかげでやっと大人しくなったと思いきや、本当の地獄を知ってしまった。


新しくできた男友達のせいだ。趣味や話も会うし、男女とか気にせず話せると思っていた相手に、突然手を出されそうになったのだ。

体育館に忘れ物をしたけどどこにあるかわからないから一緒に探して欲しいと言われて、私は懸命に探した。なが、背後から抱きすくめられ、マットに押し倒されて胸を触られた。直に触られる直前で幼馴染の柚莉香が助けてくれなければ、本当にどうなっていたか分からない。


そのせいで、人格がぐちゃぐちゃにされてしまい、成長するうちにいくつもの顔を持つようになった。

それは教師、クラスメイト、見知らぬ大人、趣味が合う友人、家族など多岐に渡った。私のことをよく知ってる柚莉香を除いて。

それぞれに合わせ、キャラを擬態する日々を今まで過ごしてきた。今では無意識にそれを行うことができてしまうくらいに、何度もやってきたことだった。

そうして過ごしていくうちに、水瀬真佑という初めての彼氏ができた。中学時代のせいで男と関わるのが苦手になっていた私にとって、真佑は心優しく落ち着いた性格で、なんでも打ち明けられる相手だった。


そんな真佑と過ごしてやっと一年が経ったこの日、浮気が発覚した。浮気の理由は、私が今まで過ごしてきた日々を完全否定するものだった。


「……なら…私が今までしてきたことは全部無駄だったってこと?私が誰かに目をつけられたり嫌われないように頑張ったのも…全部…?」

「美加理がどれだけ苦労したかは分かってる…だけど…っ…俺の前ですら性格作るのは心を開かれてない気分で嫌だったんだ…!!」

「………は?ちゃんと心開いてましたけど?でなかったら色んな趣味嗜好の話とかしませんし?なのにそれ以上のことも求めてくるんですか?」

あまりにイラッとして、思わず敬語で話してしまう。心の距離が出来たと感じると、いつもこうなるのは自覚してる。

「だからっ…!!そうやってすぐに口調変えたりするのやめろって言ってんだよ!!ていうか前々から思ってたんだけど、余裕無くすとすぐ性格変わるとこ不気味なんだよ!!」

「はぁ…??そんなのみんなそうでしょ?ていうかあたしからも言わせてもらうけど…そいつもそいつでマウント取るとか喧嘩売るとかしないのかえって不気味で仕方ないんだけど…?」

真佑の後ろで怯えるだけの女に目をやり、睨みつける。

「ぇ……その…」

「あ、亜紗美は美加理と違って…裏表がなくて純粋な子なんだ!!」

まるで姫をお守りするナイトのごとく、真佑は亜紗美と呼ばれる女を庇った。

その姿には、怒りと共に生理的な気持ち悪さを感じる。

「……………あの……ごめん…なさい…っ」

私を見つめる浮気相手の亜紗美は、浮気のことを開き直ったり、私の方が愛されているとマウントを取ることもない。かと言って、真佑に対して守って欲しいと縋ることもしない。

ただひたすら、申し訳なさそうに幼げな黒い瞳に涙を溜め、外からの光で、明るい赤茶色に映るサラサラの髪を両括りにする赤い組紐を揺らしながら、一言謝るだけだった。

そんな純粋培養でできたような彼女に対し、怒鳴りつける気すら起きない。だが、心の中ではその言動が理解できなかった。


なぜそんな純粋な振る舞いをありのままの姿でできるのか。何より、こんな修羅場に直面しても、取り乱したりすることもなく、ただ黙ってその場に身を任せていることが、一番理解不能だった。


「とにかく俺は…もう美加理と別れて亜紗美と付き合うから!!」

「………最後に聞かせて。なんでこの人が良いと思ったの?」

「………亜紗美は、か弱くて純粋だから…俺が守らないとダメなんだ!!だから…」


クソみたいなしょうもない理由を聞いた瞬間、頭にカッと血が昇るのを感じた。


「ッ……!!ふざけんなよ!!!」


バチンッ!!


「うッ…!!」


思い切り振り上げた手は、真佑の頬にヒットした。


「私はキャラ作ってどうにかできるからもう守る必要ないってこと!?最初に私のこと守るとか言ってたくせに嘘つきやがってキメェんだよ死ね!!」

真佑に対する怒りが止まらず、思わず掴みかかる。裏切られた悲しみで涙も次から次へと溢れて、アイメイクが落ちてしまおうが最早どうでも良かった。

「ちょっと落ち着いて!一回話し合おう!」

「話す前に一回殴らせろこのクソ野郎!!」

真佑に引き剥がされ、話し合いを持ち出されたのが一層腹立たしくて、私はまた掴み掛かろうとした。

「うわッ…!?」

しかし、私は勢い余って足を滑らせてしまった。転んでみっともなく尻餅をつく…と一瞬だけ思っていた。

尻餅をつく寸前で、近くにあった机の角が私の後頭部に直撃した。その瞬間、視界と脳内が一気にぐらついた。


「ゔぅっ……ぁ、あ………」


ポタポタと、何かが垂れる音が聞こえた。それが額からツーっと垂れている感覚がする。


私の頭から、血がドロドロと流れている。


自分の状態を認知した途端、じわじわと重い痛みが襲い、目の前がぼんやりし始めた。


「美加理っ!!!ごめん!!大丈夫!?なんでこんなことに…っ」

「き、救急車……ッ…」


亜紗美がおろおろしながら救急車を呼ぼうとするのに対し、真佑は必死に謝って慌てるだけで、応急処置すらしない。

そんな真佑に対して、人が死にかけているのになんて頼りにならないんだろうと失望する。

だが、一番信じていた相手に裏切られた今は、助かったとしてもこの先頑張って生きる意味すら見出せない。

これからもまた、性格を擬態して過ごすことになるのはもううんざりだった。否、むしろそんな生活をしてきたから、報いとしてこんな結末を迎えてしまったのかもしれないと思った。


(生まれ変わったら…今度こそ本来の私で過ごしたい…誤魔化して生きるのはもういや…っ…でも……本来の私って………なんだっけ……………)


思考力もどんどん奪われていく。


何も考えたくなくて、私は静かに目を瞑った。


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