気づかぬまま、すれ違っていく
突然記憶喪失になり、"美加理"ではなくミーシャ・グレイスとして過ごすようになってから3年が経った。
記憶喪失については、少しずつだが自分の本当の両親のことや、今のお父様とサラ、グレイ、ユリアナと過ごした日々を思い出してきた。
未だに自分が美加理と呼ばれていた時のことは、全て思い出せていない。ただ、思い出そうとすると頭が痛くなるだけでなく、息が止まるぐらい胸が苦しくなる。それに、私は今が辛いわけではないため、もう二度と思い出せないままでも良いのではないかと考え始めていた。
宮廷に初めて入った時から数ヶ月経つ中、忙しい合間を縫ってアレンが来てくれたのは、たったの一回だけだった。
お父様からは会えなくなる可能性があっても気にしないようにと言われていたため、私に会うのが面倒になったのではと心配することはなかった。それでも、やっぱり会えないのはとても寂しくて、胸が締め付けられる心地だった。
アレンとは社交界デビュー以来一回しか会えないまま、私は一ヶ月前の6月に誕生日を迎え、もう17歳となっていた。
(それに…もうこれ以上嫌なこと…考えたくない…)
そう思うのは、お父様やユリアナから聞かされる最近の宮廷についての話を聞いたからだ。
私がアレンと出会う前に、ディアナ王国の国王アレキサンドラが、敵派閥ルベウス家の娘であるリナリア様を王妃にしてからもそうだったらしいが、最近は宮廷の人達がピリピリしているのが顕著になっているそうだ。
お父様はそれに悩まされて、見るたびに顔色が悪くなっているように感じる。具合が悪くなる前も、あの怖そうなヴィクトワール公爵と、王妃の弟ドルーゼさんの仲が日に日に悪くなっていくのを必死に宥めていたらしい。だが、お父様自身はドルーゼさんと関わるのはもう辛いとため息ばかり吐いていて、つい一週間前からは、度々宮廷勤めを休むようになってしまった。
ユリアナの方は、元はと言えば契約結婚なんてしたからこうなったのだとリナリア様を良く思っていないが、自分の父が王妃側に付くと決めてしまったから何も文句を言えないと、愚痴を言っていた。
私は、そんなお父様の具合の悪そうな顔や、ユリアナの恨み顔を見ているのは辛かった。
辛い時ほど、アレンに会いたくなる。しかし、なかなか会うことができないから、悲しみは積もるばかりだった。
「今日もアレン来ないのかなあ…」
「きっともお忙しいのですよ」
「来る暇もないなんて大変だろうな…」
無理にとは言わない。
一回でも良いから、アレンの顔を見たい。声を聞きたい。
そう願ったところで、その思いがアレンに通じて来るなんてあり得ない。けど、少しでもそういう希望は持っていたかった。
「お嬢様、来客にございます」
グレイが、私を呼んできた。
もしかしてアレンが来てくれたのだろうか。
「そのお客様ってアレン?」
「……ご友人のユリアナ・アイリス伯爵令嬢だけでなく、あのクソ…ガルシア侯爵令嬢とフローレス伯爵令嬢がおいでになってます」
来てくれたのは、アレンじゃなかった。ユリアナとは仲が良いから来てくれて嬉しいけど、後の二人は少し苦手な存在だ。
アメリさんとマティルダさんには、初めて話しかけられた日から目をつけられてしまったらしい。会う度に私を地味で味気ないと言うため、あまり話したくない相手だった。
「ッ…………呼んできて」
それでも、追い返したら悪いし、後から何か言われてしまうと思い、入れることにした。
入ってきたアメリさんとマティルダさんは、いつもの偉そうな顔をしていて、隣にいるユリアナは、それに対して怪訝そうな眼差しを向けていた。
「ごきげんよう、ミーシャさん。相変わらず幸が薄そうですわね〜」
「っ……幸が薄い…」
アメリ様の言うことは、胸がチクッとする。直接的な悪口を言われてるわけじゃないのに。
「勘違いなさらないでミーシャさん、私達は貴女のそういうところを心配しているだけなのよ?」
「……あ、ありがとうございます…」
マティルダ様の顔がニヤニヤしているのが気になるけど、心配してくれているのだから、きっと気のせいだ。
「…………何が心配だよこの厚化粧女」
「何かおっしゃいまして?ユリアナさん?」
「あらやだ、なんでもございませんわマティルダさん♡」
去年の世継ぎ誕生の宴以来、ユリアナはアメリさん達に対してはいつもツンとしたように振る舞うことが多い。それでいて、態度を勘付かれそうになってもすぐ笑顔に戻れるのだから、やはりユリアナは立派な淑女だ。
好きな人であるクロードさんのことで嫌味を言われる悔しさを味わった恨みは、分からなくもない。
それでもあからさまに失礼な態度を取ってはいけないことぐらい、私でも分かっている。だからこそ、ユリアナがいつか態度に気づかれて私以上に意地悪な対応をされるのではないかと心配だった。
私の胸中も知らず、アメリさんが話を切り出してきた。
「そんなことより、最近ではヴィクトワール公爵とグレナデン侯爵との関係が悪化して大変だとお父様が嘆いていたの。そのせいでお父様の帰りが遅くなって、お母様は毎日機嫌も悪くてほんと最悪な気分!それもこれも…陛下がルベウス派閥出身の女を王妃にしたせいよ…!!」
「私もあの件については今でもはらわたが煮え繰り返る気分ですわ。陛下があんな年増女に奪われるなんて…!!」
「こんなところでそのような話はおやめ下さい!グレイス侯爵が臥せっていらっしゃるんですよ!?」
アメリ様に便乗するかのように、マティルダ様もずっと話したかったとばかりに、リナリア様への恨み言を口にし始めた。ユリアナが注意しても、アメリさん達は聞く耳を全く持たない。
私にはあれだけ躾がなっていないと言ってきたのに、自分達は人の家で大きな声を出していることに気づいていないのだろうか。
それに、リナリア様に会ったのはたったの一回だけだが、アレキサンドラ様を狙って無理やり王妃に収まったとは到底思えない。あの優しそうな人がそんなことする訳がないと思い、悪口を聞いているだけで非常に嫌な気分になる。
(それに年増女って…リナリア様は確かアレキサンドラ様と同じ年だよね…?そうなったらアレキサンドラ様も年増男ってことになると思うんだけど…その話ももう4年前のことなのにまだ怒るなんて…)
私やユリアナが不快な気分になっていても、アメリ様とマティルダ様は少しも察することはなく、怒りに任せてさらに悪口をヒートアップさせていた。
「あんな年増女なんかより…あたし達の方が若々しくて良いはずなのに!」
「本当に…陛下も折角の美男が台無しですわ!まあ、仕方ないから愛妾を目指すしかありませんわねぇ。それか、いっそあの女の弟のドルーゼ様の妻にしていただいて、あの女に苦痛を与えるのも一つの手かもしれませんわ」
「そのドルーゼ様もなかなかの容姿でいらっしゃるわ!女嫌いという噂も、浮気をしないことの裏返しなのよ!」
二人は、自分が王妃になれなかったことを悔しがっているのかと思ったら、愛妾になりたいと言い始めたり、ドルーゼさんの妻になりたいと言い出す。というよりも、リナリア様をただ苦しめたいだけのように見える。見ればすぐに分かるぐらい、そこにはこの国の王妃に対する敬意など、微塵のかけらもなかった。
愛妾は本当の妻にはなれない。もし愛妾になっても、いずれ捨てられる未来があり得るし、一生愛してもらえる保証なんてない。
「……お二人はそこまでしてでも、あの方に選ばれたかったのですか?」
辛い未来が待ち受ける可能性のある愛妾になりたがったり、姉を苦しめるために結婚を持ちかけられるドルーゼさんの気持ちも考えられない二人を、私は心底理解できなかった。
「なんなの貴女?まるで私達のことを、無礼で強欲な女とでも言いだけなようね!」
アメリさんが、キッと私を睨みつける。もしや何か気に触ることを言ってしまったのではないかと、不安になってしまう。
「ち、違…っ」
「まあまあアメリ様、ミーシャさんは陛下を一度も見たことがない可哀想な人だからそう思うんですのよ」
「ああ、そういえばそうでしたわね!あのお美しい方を見たことがないなんて、友人として本当に可哀想で涙が出そうですわ〜!」
たしかに私は、この国の王であるアレキサンドラ様を全然知らない。だからアメリ様とマティルダ様を怒らせることを言ってしまったんだろう。
自分のあまりの世間知らずさに、改めて恥ずかしくなる。
「ッ………!!貴女達良い加減に…!!」
「珍しいことだ…ミーシャが何人もの令嬢を呼んでいるとは」
ユリアナの声を遮るように、男性特有の低い声が割って入った。
(あ…アレン…!?今日は来ないと思ってたのに…)
会いたかったアレンが、ここにいる。さっきまでアメリさんとマティルダさんから嫌なことばかり言われていた不安を、少しでも聞いて欲しいと思ってしまう。
「ッ〜〜〜〜!!アレン…っ」
「きゃああッ!!なんて素敵な殿方…!」
「何でミーシャなんかと知り合いに!?ああでもそんなこといっそどうでも良いわ!!きっとグレイス侯爵の知り合いで、お見舞いにいらっしゃったのよ!!」
私がアレンを呼ぶ声に重なるように、アメリさんが小さめに黄色い声を上げた。マティルダさんと一緒に手を取り合って、何故かアレンを見て盛り上がっている。仮面を付けていないから、宴の時に叱った相手だと気づいていないのかもしれない。
声に気づいたアレンは、頬を赤らめているアメリさんとマティルダさんに対して、見たことのないよう冷たい目を向けた。
「……お前達はどの面を下げてミーシャに会いに…」
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか!?私はアメリ・ガルシアと申します!!」
「私はマティルダ・フローレスでございます!!」
アレンが冷たいことに全く気づいていないのか、アメリさん達は夢中になって次々に名前を名乗り上げた。
その時、マティルダさんの手が私の肩をドンッと強く押してきた。
「ッ!?痛っ…!」
「ミーシャ!お前達…!一体何を…」
「あんな子と関わってはダメですわ!混血の孤児なんて……んぐうぅうう!?」
「ユリアナさん!?貴女アメリ様に何をするんですの!?折角の機会を…んぐぅう!!」
「良い加減弁えなさい!!ご挨拶したいのであれば宮廷内で正式になさって下さい!!あの方はプライベートでグレイス侯爵のお客様として来ていらっしゃったのですから!!」
口を塞いでまで必死にアメリさんとマティルダさんが話しかけるのを止めたユリアナは、アレンや私から二人ごと距離を離してくれた。
「ミーシャ、大丈夫か…?」
「う、うん…ありがとう」
アレンの差し出した手を取ると、アメリさん達から声にならない罵声や怒りの咆哮が聞こえてくる。ユリアナが抑えてくれなければ、今にも飛びかかられてしまいそうだ。
「ミーシャ!私達は宮廷に用事ができてしまったので今日は失礼するわ!!貴女達もついてきて下さい!!」
「んんんんんッ!!(離しなさい!!)」
抵抗する二人を引きずり、ユリアナは半ば強制的に別れの挨拶をして帰っていった。
「友人との時間を邪魔してしまったようだな……いや、今回はむしろその方が良かったかもしれんな」
「え、何で?」
「先程のガルシア侯爵令嬢達にまた嫌なことを言われたんだろう?あのような者まで家に入れる必要などなかったのに」
最後にアレンが遊びに来てくれていた時は、その前に家に来ていたアメリさんとマティルダさんから、今日みたいに髪や血筋のことで色々言われた後だった。アレンがサラかグレイからその話を聞いたのか、その日は髪をやたら褒められた。
だから私自身は特に気にしてもいなかったが、今回のことでアレンはあの二人を一層よく思わなくなったようだ。
「……私が世間知らずで無知だから、アメリ様とマティルダ様は心配してくれてるだけ…だから大丈夫…」
アメリさんとマティルダさんのことを苦手だとは思っているのは変わらない。だが。そもそも自分がもっと世間のことをよく知っていれば、あの二人にちくちく言われないで済む話だ。あの二人だけが特別悪いわけじゃない。
「それより、今日はどうして来てくれて……っ!?」
前みたいに近づこうとしたら、何故か肩を掴まれて引き離された。
「……っ…貴女はもう17歳の立派な淑女だ。だから好きでもなければ婚姻もしていない男に無闇に近寄ってはならない」
「…どうして?私はアレンが好きなのに…」
アレンとは婚姻関係というわけじゃない。けれど、好きだと思ってるのは確かなことだ。
優しくて綺麗で、いつも話が楽しくて、辛いことがあると守ってくれるアレンといる時間は、一番大好きな時だから。
「……いつまでも私に兄のように甘えていてはダメだということだ…それより今日はグレイス侯爵に用があって来たんだ。すまないが今日はミーシャと過ごすことはできない」
「…………っ…分かった…」
来てくれたと思ったのに、お父様にしか用がなかった上に、すぐに帰ってしまうみたいだ。
さっきまで顔を見れるだけで良いと思っていたのに、今はそれだけじゃ満足できないと思ってしまう。
それでも、ここ最近まで忙しくて来てくれなかったからこそ、これ以上のことを望んだらアレンはもう来てくれなくなると思い、引き止めることができなかった。
(でも…やっぱり寂しい…また前みたいにアレンと過ごしたい…)




